第74話 感情ノード編06 おっさん、悪魔の在庫処分に付き合わされる ――返せ。それは、人の中にあるべきもんだろ――
地下に溜まっていたのは、物資じゃなかった。
泣けなかった者の涙、怒れなかった者の怒り、言えなかった者の痛み。
そして、それを売っていた悪魔がいた。
地下倉庫へ続く階段は、砂に半分埋もれていた。
石段を踏むたび、靴底の下で細かな砂が鳴る。
乾いた街の下なのに、空気だけが妙に重い。湿っているわけじゃない。もっと嫌な、感情の熱気みたいなものが、暗がりの奥からじわじわと上がってきていた。
「うわ……ここだけ湿度が拙者寄りでござる……」
タニシが顔をしかめる。
「このままここに住めそうだな、お前」
「場所の品位が下がるッス」
ナツが即座に追撃する。プッと俺が噴き出し、その横で、ノエルが喉を鳴らした。
「……正直、戻りたいです」
無理に笑おうとして失敗した顔だった。
俺は少しだけ口元を緩める。
「安心しろ。俺もだ」
「泣きたくなりますよ、それ……」
ノエルの返しが、少しだけいつも通りで助かった。
先頭のガロが、足を止めずに言う。
「構えろ。ここから下は、泣くなでは済まんぞ」
短い言葉だった。
それだけで、地下の暗さが一段深くなった気がした。
―――
最下層の倉庫は、広かった。
元は交易品でも積んでいたのだろう。崩れた棚、割れた木箱、古い布束。
だが今、その空間に満ちているのは、物じゃない。
泣き声。
怒号。
すすり泣き。
喉の奥で噛み殺された悲鳴。
それらが霧みたいに周囲に漂っている。
淡い光を帯びた感情の澱が、倉庫の奥へ向かってゆっくり流れていた。
「……いっぱい、いる」
ステラが胸を押さえて震える。
「泣いてる。怒ってる。……でも、出たくて出れてない」
ルースが周囲を見渡し、淡々と言った。
「感情残滓、集積を確認。濃度、異常」
「簡単に言え」
「人間が溜め込んだ感情が、ここに溜められてる」
その答えは分かりやすい。分かりやすいのに、最悪だ。
倉庫の奥。
崩れた棚の向こうに、子供たちが座り込んでいた。
ロストチルドレン。
誰も泣いていない。誰も怒っていない。誰も笑ってもいない。
ただ、感情を抜かれたあとの殻みたいに、じっと前を見ている。
ノエルが一歩、前へ出た。
「……ちっちゃい」
その声は、驚きというより痛みに近かった。
白磁だった頃の自分を思い出したのかもしれない。守られる側のまま、置き去りにされた目をしていた。
その中央に、アモが立っていた。
「――来ちゃったんだ」
優しい声。
優しい顔。
でも、もう誤魔化されない。
アモの背後の影が揺れていた。
一人分じゃない。女の輪郭の奥で、別の“口”のようなものが、霧の中で開いては閉じている。
「対象、確認」
ルースの声が冷える。
「アスモデウス系下位分体。役割は、感情依存の生成と再配布」
「簡単に」
「泣きたい奴に”泪”を売る。怒りたい奴に”怒り”を売る。その代わり、別の何かを奪う悪魔だよ」
ガロが低く続ける。
「そして、器にされたのが、あの娘じゃ」
アモが小さく首を振った。
「ちがう……わたしは、助けてるだけ……」
「助けてる顔で、喰わせとるだけじゃ」
ガロは一歩前へ出る。
その目を見た瞬間、アモの肩が揺れた。
だが次の瞬間、倉庫全体が脈打った。
ぶわ、と。
霧みたいに漂っていた感情の澱が、一斉にこちらへ押し寄せる。
「来るッス!」
ナツが叫んだ直後だった。
胸の中に、怒りが叩き込まれた。
知らない誰かの怒り。
知らない誰かの悲しみ。
知らない誰かの、置いていかれた痛み。
「っ、ぐ……!」
足が止まる。
横でナツが顔を上げ、目を血走らせた。
「なんかムカつくッス! 全部ぶん殴りたいッス!」
その隣で、タニシは逆に膝をつく。
「む、無理でござる……! 拙者いま、生まれてきたことを後悔してきてるでござる……!」
「それは普段からだろ!」
思わず怒鳴る。
だが俺自身も、膝が笑っていた。
ノエルが顔を覆う。
「……やだ」
小さな声だった。
「僕、これ知ってる。置いていかれる時のやつだ」
その一言に、胸が軋んだ。
ノエルは震えながら、それでも前を見た。
「怖いです。でも……今ここで目を逸らしたら、たぶんずっと怖いままなんで」
その時、ロストチルドレンの一人が感情の濁流に煽られて倒れかけた。
ノエルは反射で駆け寄った。
「危ない!」
抱きとめる。
完全に腰は引けていたし、顔も泣きそうだった。それでも手だけは出た。
「マスター! この子、下がらせます!」
「ああ、頼む!」
ノエルは子供を庇うように抱えたまま、壁際へ下がる。
その姿が、妙に頼もしかった。
カナエは歯を食いしばって立っているが、動きが鈍い。
そしてステラは、感情の流れを受け取りすぎていた。
「……やだ……いっぱい来る……っ」
ルースが駆け寄る。
「ステラ!」
その声に、ルース自身が僅かに揺れた。
眉ひとつ動かさなかったはずの顔に、初めて“何か”が走る。
「未定義……なんだ、これ……」
胸の奥が、ざわついている。
ルースはそれを解析できないまま、ただ困惑していた。
俺だけが、まだ少し動けた。
完全に平気なわけじゃない。
ただ、引きずり出される感情の総量が少ない。欠けている分、引っ張られにくい。
L.L.R.(低レベル固定制約)のせいで、俺は弱い。
けど、今はその弱さが足を前に出した。
「マスター!」
ルースが顔を上げる。
「対象の神権コード、露出している! 今なら届く!」
ステラが涙を堪えながら言う。
「……この子、違う。悪いやつじゃない……でも、中にいるのが……」
アモの影が膨らむ。
女の輪郭の奥から、感情の霧を舌みたいに伸ばした“別の何か”が、こちらを舐めるように揺れた。
『「ほしがるから、あげただけ」』
アモの口が動く。
でも、声は二重だった。
『「足りないから、満たしただけ」』
「黙れ」
俺は吐き捨てた。
「それで削られてるのが、見えてんだよ」
アモの奥で、影が嗤う。
その時、ステラが叫んだ。
「この子、感情を出したら置いていかれると思ってた!」
空気が止まる。
ステラは泣きそうな顔のまま、アモを見ていた。
「泣いたら重いって言われる。怒ったら燃費が悪いって言われる。こわいって言ったら、弱いって置いていかれる。だから……だから、今の方が安全だって思ってた!」
アモの目が大きく開く。
その瞬間、俺の中で言葉が繋がった。
「お前、捨てられない場所が欲しかっただけなんだな」
アモの影が、びくりと揺れる。
ルースの声が響いた。
「対象理解、成立」
ステラが続ける。
「共鳴、可能」
視界の端で、半透明の|H|U|Dが弾けた。
《GOD RELEASE AUTHORITY:STANDBY》
《対象:神権管理コード/アスモデウス系下位分体》
《解放権、行使しますか》
「つまりこの力でアモから引きはがせってことか……!」
叫びながら、俺は笑ってしまいそうになる。
説明が毎回一段足りない。だが、今はもう迷ってる暇がなかった。
ルースが言う。
「マスター。対象の構造、固定する」
ステラが震える声で言う。
「……わたし、この子の中の“ほんとのこころ”聞こえる」
「上等だ」
俺は前へ出た。
感情の洪水がぶつかる。知らない怒りも、悲しみも、喪失も、全部胸を叩いてくる。
それでも、足だけは止めなかった。
「――剥がせ」
次の瞬間、白い光が走った。
アモの胸元から、何本もの白いコードが引きずり出される。
女の輪郭に絡みついていた黒紫の影が、悲鳴みたいな音を立てて裂けた。
倉庫中の感情の澱が、いっせいに噴き出す。
泣き声。怒り。苦しみ。言えなかった本音。
全部が光の粒になって、俺の身体を通り抜けた。
頭の奥が焼ける。
何か、薄れていく。過去の自分の残り火みたいなものが、一つだけ削れた気がした。
「――っ、ぐ……!」
「マスター!」
ルースの声が遠い。
ステラの手が、アモへ伸びる。
黒紫の影が完全に引き剥がされた時、そこに残ったのは、もう“感情を配る女”じゃなかった。
小さな、空っぽの器。
「これ……全部……誰かの、だ……」
アモが呟く。
「わたしのじゃ、なかった……」
ステラが抱きつくみたいに手を伸ばした。
「これ、本物だよ」
ステラの感情が、少しだけアモに流れる。
アモの瞳が揺れる。
「……ああ」
初めて、演技じゃない顔だった。
「本物の感情って……こんな感じ、か……」
だが、器はもう長くもたない。
罅の入ったガラスみたいに、アモの輪郭が崩れ始める。
「わたし……誰かの役に、立てた?」
ステラは泣きながら頷いた。
「うん。立った。だから、もう……いいよ」
アモは、少しだけ笑った。
その笑顔は、ようやく一人分だった。
次の瞬間、少女は――光の粒になって崩れていく。
残滓は、倉庫の子供たちの方へ降っていった。
泣けなかった子が、息を呑む。怒れなかった子が、初めて顔を歪める。誰も叫ばない。でも、空っぽだった顔に、少しずつ「感情の色」が戻っていく。
ノエルが、抱えていた子をそっと下ろした。
それから自分の目元を乱暴に拭う。
「……泣いて、いいんですね」
誰に聞くでもない声だった。
俺は息を整えながら答える。
「ああ。今は、いい」
ノエルは情けないくらい安心した顔で、へたり込んだ。涙でぐしゃぐしゃになった顔を、自分の手でぬぐいながら。
倉庫の中央に、淡い光の結晶が残った。
NODE02――”感情ノード”だ。
ステラが、そっと手を伸ばす。
光は拒まなかった。静かにほどけて、ステラの胸元へ溶ける。
その横で、ルースが立ち尽くしていた。
「……演算していないのに、揺れた」
小さな声だった。
ステラは涙を拭きながら、少し笑う。
「でしょ」
ナツがへたり込んだまま顔を上げる。
「つまり、ルースも泣くッスか?」
「それは保留」
「泣ける話の締めで保留を出すなでござる……」
タニシが鼻水混じりに呟いた瞬間、俺はようやく息を吐いた。
重い。痛い。頭も気分も最悪だ。
でも、それでも。
「……返したぞ」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
地下倉庫の空気は、ほんの少しだけ軽くなっていた。
続く。
■ゲーマーおっさん解説!
新スキルや必殺技の初披露って、何回見ても燃えるんですよね。『ストリートファイターII』で波動拳がちゃんと出た時とか、『スーパーロボット大戦』で新武装が解禁された時とか、あの「ここで来たか!」という気持ちよさは格別です。ただ派手なだけじゃなく、そこまで積み上げた流れがあるから効く。文脈込みで解放される技ほど強い。ゲームの演出って、結局“いつ出すか”がすごく大事なんですよね。
■今回の登場人物
◆マスター
弱いからこそ、神権コードに染まり切らず、“外から剥がす”側に立てる人。今回は《GRA》初発動回でした。
◆ルース
解析担当。今回初めて、自分では説明しきれない“揺れ”を経験しました。
◆ステラ
感情と共鳴する子。今回はNODE02〈感情〉の主共鳴役であり、アモの本心を拾い切った側でもあります。
◆ノエル
普通に怖がる側、でもそれでも手を伸ばす側。今回はロストチルドレンを庇い、「泣いてもいい」に辿り着く役を担っています。
◆アモ
感情を配る女として見えていた存在。けれど実際には、アスモデウス系下位分体の依代でした。
◆ガロ
子供関連の異常に対して、誰よりも重く反応する男。今回も過去を全部は語っていませんが、その分だけ一言が重いです。
◆カナエ
救出屋。感情を抑える側の人間として、今回はステラとの対比が強く出ています。
◆ナツ
重い空気を戻す担当。最後まで人間側の呼吸を作ってくれました。
◆タニシ
湿度担当。今回も情けないですが、そのぶん読者の息継ぎにはなっています。
■今回の話のポイント
今回は、感情ノード編の戦闘ピークです。
・アスモデウス系下位分体の正体
・アモが“配っていた”感情の実態
・《GOD RELEASE AUTHORITY》初発動
・NODE02〈感情〉回収
・ルースの「感情は演算できる」への最初の揺らぎ
・ノエルの「怖いけど目を逸らさない」側の視点
ここまでをまとめて動かした回になっています。
アモは“悪いことをしていた”というより、最後まで「助けている」と思っていました。
だからこそ、ただの悪役ではなく、感情ノード編の悲しさを引き受ける役になっています。
■主人公の現在ステータス(簡易)
名前:NO NAME(通称:マスター)
状態:生存
等級:白磁相当
主な変化:
・《GRA》初発動
・リープ記憶の残滓を一部消費
・感情ノード〈NODE02〉回収成功
■所持アイテム・装備(簡易)
所持品:最低限の旅装、補給水、人工食料
装備:現地対応装備一式/ルステラ・キャリア運用中
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