第70話 感情ノード編02 おっさん、感情を出してはいけない夜の宿泊
感情を出すと、荷物を捨てたことになる。 荷物を捨てた者は、キャラバンから降りる。 タニシは三秒で捨てられかけた。
日が傾き始めた頃、カケルが言った。
「黄塵圏で野営は無理だ」
理由は二つ。砂漠の夜は冷える。それとキャリアの燃料消耗が予想より早い。どちらも見た目には分からないが、カケルが言うなら間違いない。
前方を走るキャラバン隊の幌が、夕日に赤く染まっている。
「......やつらに頼むしかないか」
「ほかに選択肢はねぇ」
俺は降りて、隊列の先頭へ歩いていく。
隊長らしい男が振り返った。日焼けで黒くなった顔。表情はない。ただそこにある顔だ。
「うちに、整備ができる者がいる。キャラバン車両の整備をする代わり、一晩、同行させてほしい」
男が俺が手で示したほうにいる、酒を飲みだしたカケルを一瞥した。値踏みするわけでも警戒するわけでもない。ただ、見た。
少しの間があって、男が口を開いた。
「いいだろう。だが―ー、一つだけ、聞け」
「なんだ?」
「我々のキャラバンでは、感情を外に出すことを禁じている」
「……理由は」
「感情は荷物だ。荷物を捨てた者はキャラバンから降りる。それがここのルールだ」
「降りる、というのは」
「《《置いていく》》」
男が淡々と言った。
「我々は立ち止まれない。泣く者、怒鳴る者、喚く者——感情を露わにした者は、その場で荷を降ろして砂漠に残す。例外はない」
「……仲間でも、か」
「仲間だからこそだ」
男が前を向いた。
「感情が伝染する。一人が崩れると、隣が崩れる。それが積み重なれば、隊列が瓦解する。砂漠ではそれが死に直結する」
俺はは少しの間、男の横顔を見た。
「お前たちがそのルールを守れないなら、同行は認めない。破った場合は即座に排除に動く。それだけだ」
「分かった」
男が無言で頷いた。
それを見てキャリアに戻ると、全員が俺の顔を見た。
「今夜の宿は大丈夫そうだ。ただし――感情を出したら、即座に排除される」
しん、と空気が落ちた。
「……置いていかれる、ってことっすか。この砂漠に。」
ナツが聞く。
「ああ」
タニシが「……拙者、感情が豊かなんですが」と言い、ナツが「知ってるっす」と返した。
「どうすればいいんでゴザルか」
「とにかく、黙ってるっす」
「拙者に黙れというのは肺に黙れというようなもので——」
「黙れっす」
「……承知でゴザル」
ノエルが「頑張りましょう、タニシさん」と言った。タニシが「ノエル、お前だけが友達でゴザル」と言った。
――― ―――
キャリアが野営地に入った瞬間、全員の鼻が働いた。
乾燥肉と豆を煮た匂いが漂っている。シンプルだ。派手じゃない。でも確かに本物の食べ物の匂いだった。
「……」
タニシが窓の外を見て固まった。
「……」
ナツも同じ顔をしていた。
「……」
ノエルがマスターの袖をそっと引いた。
「あの―ー、うまそうです。なんとか交渉できませんか」
「やってみる」
俺が短く答えた。ノエルが「お願いします」と両手を合わせた。
――― ―――
交渉の結果、彼らの夕食の場に混ぜてもらえることになった。
乾燥肉と豆の鍋。一口食べた瞬間、全員が黙った。旅の疲れと人工食料の記憶が重なって、言葉が出なかった。
うまいっ!
ただ、それだけだった。
キャラバンの人間たちが無言で食べている。声がない。箸を置く音と、風の音だけがここにある。
マスター「……うまい」
カケル「ああ」小さい声で、感情を押し殺す。
しかし、タニシが我慢しきれなくなっていた。
「うまいっ!!」大きな声は、静かな夜を殺すのに十分な音量だった。
一瞬で、野営地の全員の目がタニシに集まる。
静寂。
焚き火の音だけが残る。パチ……パチ、と木が爆ぜる音だけが耳に残る――。
次の瞬間。
ナツがタニシの脇腹を無言で肘打ちした。
タニシが「ぐっ」と声を呑む。
マスターがタニシの足を無言で踏んだ。
タニシが「んっ」と鼻から息を出す。
ノエルが後ろから背中を無言でチョップした。
タニシが前のめりになる。
カケルがタニシの後頭部を無言でデコピンした。
タニシの眼鏡がずれる。
シズクがタニシの腕を無言でつねった。
タニシが涙目になる。
全員が一切声を出していない。
タニシも声を出せない。
無言の制裁が、静かに、丁寧に、全員から届いた。
長老格の女がゆっくりとタニシの方を向く。
タニシが石になった。
マスターが即座に言う。
「……荷物の重さが思ったより軽かったと言っていた」
長老が少し間を置いて、目を逸らした。周囲の空気が、ゆっくりと戻る。
タニシが震えていた。涙目のまま、声だけは出さない。
ナツが耳元で囁く。
「次やったら、マジで置いてくっす」
タニシが無言で何度も頷いた。
ノエルがマスターに小声で聞く。
「あの、俺ら全員で殴ったのに誰も音立てなかったの、すごくないですか」
マスターが「俺たちも慣れてきてるんだろ」と言う。
ノエルが少し考えた。
「……それはそれで怖いですね」
――― ―――
食後。俺は焚き火から少し離れたところに座っていた。
いつの間にか、隣に老いた男がいた。声もなく、気配もなく、ただそこにいる。平坦な顔。皺が深い。目だけが、見たものを全部覚えているような疲れ方をしていた。
「旅人は、感情を見せても生きていける場所から来たのか」
マスターが「……その通りだ」
「羨ましい」
少し間があった。男が自分の言葉にハッと気づいたように止まる。
「……今、ワシは羨ましいと言ったか」
「ああ」
「ワシに、そういう感情が残っていたのか……」
自分で驚いている。驚いている顔ではなかったが、声が一瞬だけ止まった。
マスターが言う。
「捨てたつもりでも、残るもんも、あるんじゃないか」
「そうかもしれん」
男がゆっくりと立ち上がった。キャリアの方を見る。ルースとステラが窓の向こうで何か話しているのが見えた。
「あの子たちは」
「ああ」
「感情を持ったまま、旅をしているのか」
「そうだ」
「大事にしてやれ」
それだけ言って、男は戻っていった。
マスターがその背中を見た。
彼の名はセキ、と後で聞いた。長くキャラバンにいる古参だと、誰かが教えてくれた。
――― ―――
キャリアの中。ルースとステラが話していた。
「感情を出さないを、試してみる」
「なぜ」
「あのひとたちが何を感じてるか、同じになれば分かるかもしれない」
ルースが少し考えた。
「……論理的ではある」
「でしょ」
ステラが感情の出力を抑えようとした。
静かになった。目が少し遠くなった。
「だいじょうぶ」「悲しくない」「さびしくない」
小声で自分に言い聞かせるように繰り返す。
扉が開いて、マスターが入ってきた。
「ステラ?」
「……だいじょうぶ」
その声がいつもと違った。平坦だった。感情の起伏がなかった。マスターが止まる。
「……《《止めろ》》」
「なんでー?」
「お前がお前じゃない気がする」
ステラが少し考えた。
「……やめる」
あっさり言った。
「なんだ、できたのか」ルースが尋ねる。
「できた」「でも」
少し間があった。
「……怖かった」
「何が」
「ぱーぱが、心配した顔したから」
ルースが小さく言った。
「……私も」
「何」
「同じ気がした。お前がお前じゃないって」
ステラがルースを見た。ルースが窓の外を見た。
マスターが「二度とするな」と言った。ステラが「しないー!」と言った。
この話は、それで終わった。
でも、この会話はしばらく誰も忘れないと三人は思っていた。
――― ―――
深夜。
ミコが外で空を見ていた。
キャラバンの子供が一人でいた。七、八歳くらいだろうか。眠れない、という顔ではなく、眠る場所が分からない、という顔をしていた。
ミコの隣に、黙って座った。ミコも何も言わなかった。
焚き火が燻っている。砂漠の夜が冷えていく。
しばらくして、子供が言った。
「……泣くと、おいてかれる?」
「……知らない」
「ないたことない。でも、なきたいときある」
「……そうか」
「ミコは?」
ミコが少し考えた。
「ある」
「泣くか?」
「……泣き方、わからない」
子供が「おれも」と言った。
それだけだった。
二人が並んで空を見ていた。星が多かった。遮るものが何もないと、星はこんなに多くなる。
ミコの感覚が、砂漠の奥で何かが揺れているのを捉えた。
遠い。でも確かにある。
焦げる感じではない。昼のにおいでもない。
泣きたいのに泣けない、何か大きなものが、そこにいる気がした。
――― ―――
翌朝。
砂漠の夜明けは早い。まだ空が白んでいる頃に、キャラバンはもう動き始めていた。感情を出さない人間たちは、おはようも言わない。ただ、黙々と荷を積み、黙々と獣に鞍を置く。その手際だけが、妙に鮮やかだった。
カケルが一晩整備した礼として、乾燥肉と豆袋が荷台に置かれていた。無言で置かれていたので、いつ置かれたのか誰も見ていない。
「……増えてる」
ナツが荷台を覗き込んで言った。
「交渉したのか」
マスターがノエルを見ると、ノエルが少し照れた顔をした。
「あの、昨夜のうちに。タニシさんのナッツを見せたら、向こうから声をかけてきてくれて」
「ああ、あの《《ナッツ》》か」
「貴重品扱いだったみたいです。交換条件として成立したらしくて」
「よくやった」
「ありがとうございます」
タニシが「拙者のナッツが……!」と目を潤ませた。
ナツが「昨日黙ってた甲斐があったっすね」と言った。
「そうでゴザルよ! 昨日の屈辱が報われたでゴザル!!」
「屈辱? ルール違反したのはお前っすよ」
「それはそうでゴザルが……!」
そこにノエルが「まあ、結果的に役に立ったので」とフォローした。
「ノエル殿ぉぉぉ……!」
タニシは感極まって泣いている。
「でも、持ってきたの、一個だけだったッス」ナツがトドメを言った。
―――――
出発の準備が整い始めた頃、人の気配がした。
振り返ると、セキが立っていた。
昨夜と同じ顔だ。凪いだ湖面みたいに、何も映していない。ただ、目だけが違う。あの目だけが、どこか遠くを見るような疲れ方をしていた。
マスターを見た。ルースとステラを見た。少しだけ、双子のところで視線が止まった。
「……この先に、廃村がある」
「人が住んでいるのか」
「誰も住んでいない。だが——」
セキが少し間を置いた。躊躇ではない。ただ、言葉を選んでいる。
「夜になると、煙が出ることがある。炊事の煙じゃない。何か別のものが燃えているような」
「何かいるのか」
「近づかない方がいい、という者もいる。ただ」
セキの目が、マスターを真っすぐ見た。
「お前たちは近づくのだろう」
問いでも忠告でもなかった。ただの確認だった。
「ああ」
セキが小さく頷いた。それで終わりだった。何も付け足さず、踵を返して隊列に戻っていく。
マスターはその背中を少しの間だけ見た。
何かを言いたかったのかもしれない。でも言わなかった。
それがセキという人間の、今できる精いっぱいだった気がした。
カケルがキャリアの側で腕を組んでいた。
「……行くんだろ」
「ああ」
「だと思った。車の準備はできてるぜ!」
キャリアが動き出す。
ミコが窓の外を見ていた。
昨夜より、熱が近づいている。
続く
――― ―――
【Z.E.U.S 観測ログ】
記録時刻:——
観測対象:群体ID 0044(通称:マスター一行)
記録:
・ステルス干渉継続。追跡不能。
・別観測網より微弱な感情波形を検出。
・NODE02〈感情〉との接触、間近と推定。
・当該波形の発生源、特定不可。
所見:
観測空白が続いている。
しかし、NODE02が動いている。
——誰かが、近づいている。
つづく
■ゲーマーおっさん解説!
盤面が変わり続けるゲームって、今見えてる形だけで考えると負けるんですよね。『ぷよぷよ』や『テトリス』みたいな落ちもの系はまさにそうで、目の前の処理だけじゃなく、その次、その次まで見ていないと一気に詰みます。静かなゲームほど、頭の中はめちゃくちゃ忙しい。派手に爆発しなくても、じわじわ追い込まれていく怖さがあるんです。変化する盤面って、戦場よりも正直だったりするんですよね。
【今回の登場人物ざっくり紹介】
・マスター
「荷物の重さが思ったより軽かったと言っていた」で場を凌いだ。今回最大の功績。セキと焚き火の外で話した。「大事にしてやれ」という一言を持ち帰った。
・タニシ
3秒でルール違反した。全員から無言の制裁を受けた。涙目のまま声を出さなかったのだけは偉い。翌朝ナッツ交渉が実を結んで名誉回復。
・ナツ
肘打ち担当。迷いがなかった。「次やったら置いてくっす」は本気の目をしていた。
・ノエル
「それはそれで怖いですね」が今話の締め言葉。全員が無言で制裁できることへの正しい違和感を持っている。翌朝の交渉も成功させた。今話の縁の下。
・カケル
後頭部デコピン担当。音を出さずにデコピンできる技術があることが判明した。整備の礼で乾燥肉をもらった。一晩寝ていない。
・シズク
腕つねり担当。医療職なので患部の把握が正確だったと思われる。
・ルース
ステラの「感情を出さない実験」に「論理的ではある」と言ってしまった。でも止めた。「お前がお前じゃないと思った」は今話のルース最大の発言。
・ステラ
実験は3秒で成功、即やめた。「怖かった」の理由がぱーぱの顔だった。今話で一番大事なことを言った。
・ミコ
「泣き方、わからない」。子供と二人で星を見た。NODE02の熱が昨日より近い。
・セキ
初登場。「羨ましい」と言って自分で止まった男。廃村の情報をマスターにだけ教えた。目だけが疲れている。
【今回の話の解説】
感情ノード編02は、「ルールを体験する回」として設計しました。
感情を出してはいけない文化を「説明」するのではなく、タニシが体でぶつかって、全員が無言の制裁で応じる——この一シーンだけで、このキャラバン文化圏のルールの重さが伝わるようにしています。
セキの「羨ましい」は、感情を捨てたはずの人間にまだ感情が残っていたという発見です。本人が一番驚いていた。
ステラの「感情を出さない実験」は、今後の展開への布石です。「できた」「でも怖かった」——感情があることの価値を、失いかけることで初めて実感する場面にしました。
【主人公の現在のステータス】
名前 :NO NAME
等級 :白磁(非戦闘登録)
状態 :移動中・腰痛(慢性)・砂漠野営一泊
現在地 :黄塵圏砂漠地帯・キャラバン野営地を出発
所持 :地域トークン(少量)・乾燥肉・豆(交渉で入手)
同行者 :ルース・ステラ・カケル・ナツ・ノエル・シズク・タニシ・ミコ
次目標 :廃村(セキ情報)→NODE02〈感情〉
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