第69話 感情ノード編01 おっさん、砂漠でエアコンのありがたさを知る
ムーニャンとコハクが修行のため集落へ向かった頃、《ルステラ・キャリア》は砂漠の入り口に差し掛かっていた。
カケルが「車両を改善した」と言ってきた。全員が何か察して、いろいろと覚悟していた。
それでも予想を超えてきた――。
”るすと”出発から約二時間が経っていた。
《ルステラ・キャリア》の内部は、前より確かにマシだった。揺れは相変わらずひどいが、空気は涼しい。それだけで、砂漠の入り口に差し掛かる前から、乗車している全員が、ずいぶんと助かっていた。
「エアコンつけたぞ」
カケルが前方を向いたまま言った。自慢しているわけでも報告しているわけでもない、ただの事実として。
「知ってる。涼しい――」
マスターが答える。
「エアコン完備だ」
「分かった」
「前はなかった」
「それも知ってる」
カケルが少し間を置いた。
「……褒めていいぜ」
「ありがとう、カケル」
「……まぁ、な。」
カケルが鼻を鳴らした。どうやらそれで満足したらしい。
おっさん同士、一体何をイチャついてんだとセルフツッコミを入れる。
こんな余裕があるのも、空調で車内が快適だからだ。
ステラが窓に頬を押しつけたまま言う。
「エアコン、すき。ぱーぱ、あつくない?」
「今のところな」
「よかった。ぱーぱあついと、《《ヘンなにおい》》がするー」
「それは言わなくていい」
ルースが手元のログを整理しながら、ちらりと顔を上げた。
「マスターの体温は現在36.8度。正常範囲内です」
「おまえも言わなくていい」
タニシが荷台の隅で膝を抱えながら「さすが《ルステラ・キャリア》でゴザルな」と他人事のように呟く。
「おい、揺れてるのにそんな体勢で大丈夫か」
「慣れましたでゴザル。もう拙者の体が勝手に合わせるんですよ。人間の適応力、恐ろしい」
「それ慣れてないっすよ」
ナツが容赦なく言った。
「感覚が麻痺してるだけっす」
「……同じコトでゴザルよ」
タニシが小さく反論したが、ナツはすでに窓の外を見ていた。
ノエルが前方の席から振り返って、少し心配そうに聞く。
「あの……タニシさん、本当に大丈夫ですか? 顔色が」
「大丈夫でゴザル! 拙者の顔色はいつもこうでゴザル!」
「そうなんですか……」
「気にするなノエル。あれがデフォルトだ」
マスターが言った。ノエルが「そういうものなんですね」と妙に真剣な顔で頷いた。
――― ―――
「次は食料だ――」
カケルが唐突に言った。
「……え?」
ナツが振り返る。
「食料問題。一気に解決した」
「解決って、どうやって」
「精製水と、燃料の副産物から合成する」
しん、と沈黙が落ちた。
「……それ、食えるのか」
マスターが慎重に聞く。
「食える」
「うまいのか」
「……食える」
二度目の「食える」に、全員がいろいろと《《察した》》。ナツがゆっくりと目を閉じる。タニシが「あっ」と小さく言う。
ノエルだけが、まだ状況を把握していなかった。
「あの、どういう意味ですか? うまいかって聞いたのに、食えるって答えてましたよね?」
「察せ」
「……あ」
一拍遅れて、ノエルの顔が曇った。
カケルが棚の引き出しを開け、灰色のブロック状のものを取り出した。一辺が三センチほどの直方体。表面はつるりとしていて、何の凹凸もない。
「一個で成人男性の必要栄養素の約四割を賄える」
「見た目がネリ消しゴムでゴザルな――」
「いいから、黙って食え」
タニシが恐る恐る受け取る。一口、かじった。
表情が止まった。
「……これは」
「なんだ」
「……食べた、という感覚はあります」
「そうだ」
「味が、ない」
「ある」
「どこに」
「慣れると分かる」
「慣れる前に心が折れそうでゴザル……」
ナツが自分の分を受け取り、一口含んだ。しばらくもぐもぐしてから言う。
「まずい、とは言いたくないんすけど——」
「言っていい」と俺が促した。
「……言います。まずいっす!」
ステラが自分の分を受け取り、においを嗅いだ。
「……においが、ない」
その一言が、全員の感想を完璧に代弁していた。
ルースが淡々と言う。
「カロリー・栄養素は正常範囲内です。味覚情報は保持していないので評価できません」
「……ルース、食べなくていいのか」
「私はAIなので必要ないです......味、改善、したいです。」
「あとで言え」
ミコが自分の分を一口かじり、数秒かけて飲み込んだ。
「……食べた」
それだけだった。
ノエルが自分の分を手に取り、真剣な顔で一口食べた。
咀嚼して、飲み込んで、少し考えてから言った。
「……あの、これって、食べ続けると慣れますか?」
「慣れる」
「本当に?」
「俺も今日が初めてだ」
「同じ立場で言わないでほしいんですが……」
マスターが諦めた顔で自分の分を口に放り込んだ。味はない。食感は固い。においもない。ただ、確かに腹には入る。
「慣れる」
「マスター、それさっきカケルさんが言ってましたよね」
ノエルが疲れた顔で言った。
「俺もカケルと同じ境地に至った」
「怖いんですけど、その言い方……」
カケルが無言で自分の分を食べた。その顔が、ほんの少しだけ微妙だった。
――― ―――
再び走り出してしばらくして、ルースが窓の外に目を向けながら言った。
「あの地形、採掘依頼に転換できます」
マスターが振り返る。
「ギルドの依頼の話か」
「あの廃屋、調査依頼が立てられます。報酬は中程度と推定します」
「ルース」
「はい」
「今は移動中だ」
「……把握しています」
「把握してたら言うな」
ルースが少し間を置いた。
「……休憩します」
「そうしろ」
「休憩とは、何もしないことですか」
「そうだ」
ルースがまた間を置いた。
「……0.3秒、試みました」
「早いな」
「休憩、無理でした」
「もう一回やれ。できなかったゲームは、何度もコンティニューすることが、重要だ」
「……やってみます」
ステラがくすくすと笑う。ノエルが「ルース君、無理しなくていいんですよ」と真面目な顔でフォローした。ルースが「評価不要です」と即答した。ノエルが「あ、はい」と引いた。
タニシが「ルース君はああいう感じでゴザルよ」と小声で教えた。ノエルが「そういうものなんですね」とまた真剣な顔で頷いた。
カケルが前を向いたまま、小さく笑った気がした。
――― ―――
再出発から一時間四十分が経った頃、マスターが静かに言った。
「止まれ」
カケルが何も聞かずに速度を落とす。
全員が分かっていた。誰も何も言わなかった。――なぜなら2時間前にも同じことがあったからだ。
キャリアが砂の上に停車する。マスターが扉を開け、外に出た。両手を腰に当て、ゆっくりと背中を伸ばす。その動作は、ひどく慎重だった。
「……ぱーぱ、ろぼっとみたい」
ステラが窓から顔を出して言う。
「うるせぇ」
「ぎこちない」
「分かってる」
「だいじょうぶ?」
「二分あれば戻る」
ノエルが扉のそばで、少し心配そうに立っていた。
「マスター、何か手伝えること……」
「ない。離れてろ」
「あ、はい」
「見るな」
「見てないです、見てないです」
ノエルが慌てて視線を逸らした。
ルースが手元のログを見ながら言った。
「脊椎への持続的な振動は蓄積します。二時間ごとの停車を推奨します」
「今さら言うな」
「今後のための記録です」
「……分かった」
ナツが「サスペンション、もっと改善できないんすか」とカケルに聞く。
「やってる」
「今でこれなんすよね」
「前を知らんだろ」
「知りたくないっす」
「正解だ」
マスターが腰を伸ばしながら、砂漠の空を見上げた。地平線の向こうが白く霞んでいる。るすとにいた頃と、空の色が違う。青というより、白に近い青だ。
乾いた風が吹いた。
砂が少しだけ舞って、靴の先に積もった。
ノエルが横に並んで、同じように空を見上げた。しばらく黙っていてから、ぽつりと言う。
「……遠くまで来たんですね」
「ああ」
「なんか実感が」
「あるか?」
「……今日、やっと少し」
マスターは何も言わなかった。
それで十分だった。
――― ―――
再び走り出してしばらく経った頃、HUDに変化が出た。
マスターが目を細める。
《ZC残高:圏外》
「……圏外?」
タニシが自分のHUDを確認して「え゛」と声を上げた。
「お金、使えないんすか!?」
カケルが前を向いたまま言った。
「黄塵圏だ。ここから先はZCが届かない」
「届かないって、なんで」
「ZCは神権の電子通貨だ。神権の通信網が薄い地域じゃ動かない」
「じゃあどうするんすか!?」
「地域トークン。キャラバン圏が独自に動かしてる通貨だ。ZCに換算はできるが、レートは向こうが決める」
「不利じゃないか」
「郷に入れば郷に従えだ」
マスターが手元を確認する。
「……地域トークン、少ししか持ってない」
「バーターできるものを持っておけと言った」
「《《言ってない》》」
「《《言った》》」
「言ってない!!」
「言った!!」
二往復で決着がつかないまま、とてもビミョーな空気が漂った。
そこに、ノエルが恐る恐る手を挙げた。
「あの……僕、予備の地域トークン、少し持ってきました」
「お前、なんで持ってるんだ」
「ギルマスが出発前に渡してくれて。『砂漠圏はZCが使えないから持っていけ』って」
二人が黙り込む。
「……カケル、やるな」
「……ギルマスには感謝しておけ」
「言ってたじゃないか、ギルマスが」
「俺も言った」
「言ってない」
「言った」
タニシが「オッサン同士のそのやりとり、もうよくないでゴザルか……」と小声で言ったが、誰も聞いていなかった。少し考えて、タニシは突然思い出したかのように「あ!」と言った。
「拙者、ギルドからナッツを一つ、失敬してきたでゴザル」
「そんなもん、何で?」と俺が問うと、
「砂漠ではナッツを持つのが常識と聞いたでゴザル。交渉の手土産になると」
ナツが「どこで聞いたんすかそれ」と呆れた顔で言う。
カケルが少し間を置いた。
「……貴重品として扱われる。キャラバン圏では悪くない」
「おお、タニシが役に立ったッス!!」とナツ。
「でも、たった一個だけ!な――」
タニシが「1個だけでも役に立ちますよ、兄貴!!」とガッツポーズのように拳を握って天に掲げる。
ナツが「たったこれだけのことで喜べるタニシ、幸せなやつッス……」と遠い目をした。
ノエルが「タニシさんすごい!」と素直に言った。タニシが「でしょでしょ!?」と誇らしげにすると、ナツが「コイツ、たった一個だけって言ったの分かってるスか?」と念を押した。
――― ―――
最初にキャラバンの影を見つけたのはミコだった。
「……人、いる」
前方の砂煙の向こうに、幌のついた荷車が三台連なって停まっていた。周囲に人影が数人。
「止まれるか」
「止まれる」
カケルが車両の速度を落とす。
砂煙が晴れると、キャラバン隊の様子が見えてきた。荷車の一台が傾いている。車輪が砂に埋まっているらしい。周囲の人間たちが黙々と作業している。
しかし――奇妙なことに、何の声も聞こえない。
怒っている様子もない。困っている様子もない。作業をしているだけだ。それだけなのに、どこかが妙だった。
ノエルが先にキャリアから降りかけた。
「手伝えることがあるかもしれないので、行ってきます」
「待て」
マスターが先に降りながら言う。
「俺が行く」
「でも——」
「お前は後ろで見てろ」
マスターが一人で近づいた。
一人の男が振り返った。日焼けした顔に、砂埃が積もっている。表情は読めない。怒っているのでも警戒しているのでもなく、ただ平らだ。
「……旅人か」
「ああ。手伝えるか」
「要らない」
「車輪、埋まってるんだろ」
「自分たちでやる。申し出には感謝する」
断り方に棘はなかった。ただ、平らだった。
言葉のトーンも、表情も、何もかもが平らだった――。
マスターは少し考えて、それ以上食い下がることはしなかった。
キャリアに戻ると、ノエルが心配そうに待っていた。
「……どうでしたか」
「断られた」
「困ってるのに、ですか?」
「困ってる様子を、あんまり見せない人たちだ」
ノエルが首を傾けた。まだ納得しきれていない顔だった。
車内では、ステラが窓から外を見たまま動かなかった。
「ステラ?」
「……変」
「何が」
「あのひとたち」
ステラが窓ガラスに指を当てた。
「困ってるのに、顔がちがう」
「顔が違う?」
「困ってる顔じゃない。苦しそうな顔じゃない。でも……困ってる。絶対困ってる」
マスターは振り返って、キャラバン隊の人間たちをもう一度見た。
ステラの言う通りだった。車輪が埋まり、荷車が傾き、作業が難航している。それなのに、誰も声を荒げない。溜息もつかない。文句も言わない。
人間が困っている時に見せる、あの細かい感情が、全部削られたみたいだった。
ノエルが静かな声で言った。
「……なんか、怖いですね。困ってるのに困ってる顔じゃないって」
「ああ」
「感情を出したら、いけないんですか。あの人たち」
「分からない。でも——」
マスターは答えかけて、少し止まった。
「たぶん、そういう空気の中で、ずっと生きてる」
ノエルが黙った。
ミコが窓の外を見ながら低く言った。
「……あつさ、近い」
「神権のか」
「……違う。焦げる感じじゃない」
ミコが少し考えた。
「でも、昼のにおいがする。前の都市と、ちょっと似てる」
カケルが呟く。
「NODE02の反応か」
「まだ断定はできない」
マスターが前を見た。
「でも——感情を削られた人間たちと、感情に関わるノードが近い場所にある。偶然とは思えない」
ステラが静かに言った。
「……さびしい」
「ステラ、どうした。何がだ?」とマスターが優しいトーンの声で問いかける。
「あのひとたちが。泣きたいのに、泣いてない気がするー」
誰も返事しなかった。
砂風が、キャリアの外壁を低く鳴らした。
つづく
――― ―――
【Z.E.U.S 観測ログ】
記録時刻:——
観測対象:群体ID 0044(通称:マスター一行)
記録:
・対象、黄塵圏外縁へ進入を確認
・以降、観測信号が途絶える
・ステルス機能干渉により追跡不能
・NODE02〈感情〉反応域との接触、確認直前で記録が切れる
所見:
観測空白が発生した。
当該群体の行動は現時点で把握不能。
――観測再開を待機する。
つづく
* * *
【今回の登場人物ざっくり紹介】
・マスター
2時間に一度、自らの腰痛のためだけに停車させる男。「見るな」と言いながら腰を伸ばすお茶目おじさん。「同じ境地に至った」は本話の名言枠。
・カケル
エアコンを完備した。食料問題も解決した。「食える」を二回繰り返すことで全てを語った。通貨事情にも詳しい。各地を渡り歩いてきた整備士の経験が地味に生きている。
・ルース
受付脳が旅でも抜けない。0.3秒休憩を試みて断念。ノエルのフォローを「評価不要」と即断。
・ステラ
においがない、という一言でキャリア内の感想を代弁した。「泣きたいのに、泣いてない気がする」は今回の核心。
・ミコ
食べた、とだけ言った。神権の熱と昼のにおいを区別できる。NODE02への感知が始まった。
・ノエル
ギルマスから地域トークンを預かってきた。本話の陰のMVP。カケルとマスターの「言った言ってない」に静かに終止符を打った。人工食料を「慣れますか」と真剣な顔で聞く。停車中にマスターの隣で「遠くまで来たんですね」とぽつりと言う。普通の感覚がちゃんと残っている。
・タニシ
ナッツが役に立ちそう。でも、一個だけ。ノエルに「すごい」と言われて喜んだ。
・ナツ
まずいと正直に言った。正しい。「一個だけッス」も正しい。
・シズク
今回は後方で安定待機。存在そのものが安心感。たぶん疲れて寝てます。
【今回の話の解説】
感情ノード編の導入回です。
移動中のコメディは「エアコン完備・人工食料・腰問題・ルースの受付脳・タニシのナッツ・ノエルの地域トークン」と盛りだくさんですが、後半のキャラバン接触でトーンが切り替わります。
ノエルが今回、いい仕事をしています。「困ってるのに困ってる顔じゃないって怖い」「感情を出したらいけないんですか」——普通の感覚を持ったキャラが疑問を口にすることで、読者が感じる違和感を言語化しています。
ステラの「泣きたいのに泣いてない気がする」がNODE02〈感情〉編のテーマの入口です。感情を持つAIの子が、感情を削られた人間を見て違和感を覚える——この逆転が次章の核になっていきます。
Z.E.U.S観測ログは今回「空白」です。《ルステラ・キャリア》のステルス機能が有効な間、神権側からも追跡できない。その空白が、神権にとっての不気味さになります。
■ゲーマーおっさん解説!
心理戦のゲームって、強い技を持ってる相手より、感情を見せない相手のほうが怖いんですよね。『いただきストリート』みたいな盤面ゲームでも、『桃太郎電鉄』みたいな友情破壊系でも、顔に出る人から崩れていく。焦り、欲、怒り、その全部がヒントになる。だから平然としてる人ほど厄介なんです。見た目はにぎやかでも、内側ではかなり静かな勝負をしている。心理戦って、派手じゃないのにやたら心を削ってきます。
【主人公の現在のステータス】
名前 :NO NAME
等級 :白磁(非戦闘登録)
状態 :移動中・腰痛(慢性・2時間ごと停車対応中)
現在地 :黄塵圏外縁 砂漠移行帯
所持通貨:ZC(圏外)・地域トークン(ノエル預かり分含む)・ナッツ(タニシ管理)
同行者 :ルース・ステラ・カケル・ナツ・ノエル・シズク・タニシ・ミコ
次目標 :NODE02〈感情〉 黄塵圏砂漠キャラバン方面
備考 :人工食料に慣れるまで時間がかかる見込み
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