幕間 修行編02「ムーニャン、強さを問われる(コハクが先に答えを出した)」
猫耳族の秘拳、氷牙拳。
習得条件は「感情を外だけ凍らせて、芯まで冷めさせない」こと。
……問題は、その前に「なぜ強くなりたいのか」を聞かれてしまったことだ。
修行初日の朝は、夜明けよりも早かった。
空がまだ青黒い。日が昇るには時間がある。
石と氷の道場に、白い息が漂う。
コハクはすでに道場の前に立っていた。
忍の習性だ。夜明け前に目が覚める。眠れないのではなく、体が勝手に起きる。
少し遅れて、ムーニャンが目を擦りながら出てきた。
「お前……早すぎるアル」
「修行とはそういうものでゴザる」
「誰が決めたネ」
「古今東西、師匠というものは弟子を早起きさせるでゴザる」
ムーニャンが「理不尽アル」と呟いた。
集落の若い戦士たちが次々と集まってくる。
みな体格がいい。目つきが鋭い。
コハクを見て「旅の者か」と小声でざわめく。
その中に、ライガがいた。
昨日と同じ真剣な目で、ムーニャンを一度見て、それからコハクを見た。
何も言わない。ただ、そこにいる。
「……あの方、また見ているでゴザるが」
「気にするなアル」
「気になるでゴザる」
ムーニャンが「ほっとけばいいネ」と欠伸をした。
ライガは何も言わなかった。少しだけ目を細めて、前を向いた。
――― ―――
ムーニャンの父――無双が道場の中央に立った。
若い戦士たちが横一列に並ぶ。
ムーニャンとコハクは端に立った。
「氷牙拳を授ける前に、一つ答えろ」
無双の声は低く、短かった。
「お前たちは、なぜ強くなりたい」
道場が静かになった。
コハクが少し考えた。
それほど長くはかからなかった。
「……守りたいものが、増えたでゴザる。このままでは追いつけないと感じているでゴザる。それだけでゴザる」
無双が無言で頷いた。
ムーニャンが「よしアル、さっそく修行に——」と前へ出た。
「お前にも聞いている」
「……分かってるアル」
ムーニャンが一瞬だけ止まって、それから口を開いた。
「もっと強くなりたいアル!」
「それは理由ではない」
「……負けたくないからアル!」
「それも理由ではない」
「勝ちたいからアル!」
「同じことだ」
ムーニャンが「うみゅ~」と詰まった。
少し間があいた。
「……強い方がかっこいいアル!」
コハクが「だんだん適当になっているでゴザる」と呟いた。
無双が溜息をついた。
「……昔と変わっていないな」
「変わってるアル!」
「どこがだ」
ムーニャンが「……にゃ」と言葉に詰まった。
無双がしばらく娘を見ていた。
それから、思い出したように言った。
「そういえば、お前から手紙が来た」
「……手紙ネ?」
「旅の仲間の話が、ずいぶん書いてあった」
ムーニャンの耳が横に倒れた。
「書いてないアル」
「書いてあった」
「絶対に書いてないアル!」
「マスターとかいう者の話が、三行あった」
コハクが「……三行も」と呟いた。
「書いてないアル!!」
「最後の一行は『早く帰りたい』だった」
「違うアル!! 違うネ!! 絶対に違うニャン!!」
ムーニャンの否定に三種類の語尾が混じった。
無双が「……落ち着け」と言った。
ライガが静かに前を向いたまま、何も言わなかった。
コハクが小声で「……手紙、気になるでゴザる」と言った。
ムーニャンが「コハクも黙るアル!!」と叫んだ。
無双が一度だけ目を閉じて、開いた。
「答えは、修行の中で見つけろ。ただし——」
二人を見た。
「見つからないうちは、貴様の拳に氷牙は宿らない」
――― ―――
午前の稽古は基礎体術だった。
構え。踏み込み。重心移動。
繰り返す。また繰り返す。
ムーニャンはよく動いた。体が覚えている型がある。
コハクは静かに倣った。動きが違う。でも無駄がない。
ライガが途中でコハクの前に立った。
「……一本、手合わせお願いできますか」
静かな申し出だった。
コハクがムーニャンを見る。ムーニャンが「やってみるアル」と目で言う。
無双は何も言わなかった。
二人が向かい合った。
ライガが踏み込んだ。速い。重い。
コハクが半歩引いて、重心を逃した。
ライガの拳が空を打つ。
コハクが肘を添えて、その攻撃を受け流した。
――ライガが体勢を崩した。
一瞬だった。
「……なるほど」
ライガが静かに言った。悔しがらない。騒がない。ただ、立ち直る。
「...なるほど。それが――忍びの動き方か」
「でゴザる。力ではなく、受け流すでゴザる」
それだけ聞くと、ライガはコハクに無言で一礼した。
ムーニャンが「ライガ、強いのにあっさり負けるネ」と言った。
ライガが「……無念殿の仲間は、一筋縄ではないようだ」と静かに返した。
コハクが「褒められたのでゴザるか」と首を傾げた。
――― ―――
午後は、氷牙拳の初歩に入った。
「まず、氷気の呼吸から覚えろ」
無双が言った。
「体の内側に、冷たい気を通す。外へ出すな。ためておけ。打つ瞬間まで」
「……ためた冷気で一気に損傷させるのでゴザるか」とコハクが聞く。
「外は無傷でも内が凍る」
コハクが思わず「怖いでゴザる」と言った。
「習得条件は一つだ」
無双が二人を見た。
「感情を外だけ凍らせろ。芯まで冷めるな」
「……どういう意味でゴザるか」
「怒っていい。悲しんでいい。熱くていい。だが外は静かにしろ。内の火を消すな、外の氷を割るな」
コハクが黙った。
ムーニャンも黙った。
無双が「分かったか」と聞く。
二人が「「……分かりません(でゴザる)(アル)!」」と同時に答えた。
無双が大きな口を開けて、ガハハと豪快に笑った。
「正直なところはいい。明日から猛特訓を始める」
コハクが目を閉じた。
静かに息を整える。
「……心法に近いでゴザるな」
「知っているか」
「似たものを、少しでゴザる」
無双が「ならば習得も早い」と言った。
コハクが数回呼吸して、拳を握った。
体の内側が、わずかに冷えた。
「……感じるでゴザる」
ムーニャンがそれを横で見ていた。
自分もやってみる。息を吸う。冷たい気を通そうとする。
通らない。
押し込もうとすると、感情が先に出てくる。
「……外に漏れているぞ」
無双に言われた。
「漏れてないアル!」
「今漏れた」
「……悔しいアル!」
「また漏れた」
コハクが静かに目を開けた。
何も言わなかった。
ムーニャンが「コハク殿、笑うなニャン」と言った。
コハクが「笑っていないでゴザる」と返した。
確かに笑っていなかった。
ただ、目がわずかに細くなっていた。
「感情を出しすぎる性質だ」
無双が娘に言った。責めていない。事実として言っている。
「凍らせようとするたびに、全部冷えていく。芯まで一緒に冷えている」
「分かってるアル……」
「分かっていても、できないのが技だ」
ムーニャンが拳を握って、離した。
――― ―――
夜。
石と氷の宿、狭い部屋。
外で風が唸っている。
氷が軋む音がする。
コハクが天井を見ながら呟いた。
「……今日は負けたでゴザるな」
「何にアル」
「氷気の呼吸、でゴザる。感じただけで使えてはいないでゴザる」
「アタシはそれすら感じられなかったアル……」
しばらく黙った。
「ムーニャン殿は、昔も習おうとしたのでゴザるか」
「昔はあったネ。でも感情を全部冷やしてやろうとしてたアル。それじゃ駄目だって言われたにゃ」
「今は違うのでゴザるか」
ムーニャンが少し間を置いた。
「……今は、守りたいものができたアル」
「誰でゴザるか」
「秘密ネ」
コハクが天井を見たまま、黙った。
守りたいもの。
自分には、あるだろうか。
いや——ある。
既にある。
問いは、そこではなかった。
問題は今日の朝、道場で言えたのに、今もまだ胸の奥がざわついていることだ。
答えは出た。でも、出した後の方が、重い。
「……早く、合流したいでゴザるな」
呟きは、小さかった。
ムーニャンが聞こえたのか聞こえなかったのか、目を閉じたまま言った。
「……そうアルね」
外で風が鳴った。
氷が、また軋んだ。
――― ―――
翌朝、稽古の前に無双がムーニャンだけを呼んだ。
道場の奥。他に誰もいない。
「昨日の問いに、まだ答えていない」
「……分かってるアル」
「あの犬は答えを持っていた。お前はまだ持っていない」
ムーニャンが反論しかけた。止まった。
「……パパの言う通りかもしれないアル」
無双が、少し目を細めた。
娘が「かもしれない」と言ったのは、初めてかもしれなかった。
「焦らなくていい」
「焦ってないアル!」
「今焦った」
「…………」
ムーニャンが黙った。
それから、静かに言った。
「……答え、見つけてみるアル」
無双が頷いた。何も言わなかった。
それが、父の返事だった。
――― ―――
道場に戻ると、コハクが壁の型を眺めていた。
氷を纏った拳が相手を打つ瞬間の図。
「……難しい顔してるネ」
「でゴザる。外だけ凍らせる、でゴザるが——外はどこまでで、内はどこからか、でゴザる」
「哲学アル」
「技でゴザる」
ムーニャンが横に立った。
同じ図を、同じように見た。
答えは、まだない。
でも——昨日よりは、少し近い気がした。
「……修行、始めるアル」
「でゴザる」
二人が同時に構えた。
つづく
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回の登場キャラクターをご紹介します。
■ムーニャン(無念)
猫耳族の一人娘。「強いから強くなりたい」と言ってみたものの、全部ひっくり返された。答えは、まだない。
■コハク
忍者口調の犬獣人。朝は一番早く起きる。「守りたいものが増えた」と道場でさらっと言えてしまった人。夜、天井に向かって「早く合流したい」と呟いたことは、誰にも言っていない……たぶん。
■無双
猫耳族の長。厳しいが娘の「かもしれない」に少し目を細めた父親。手紙の件については本当に書いてあったのか、今だに不明。
■ライガ
婿候補として育ってきた若い戦士。コハクに一本取られても「なるほど」の一言で済ませる男。感情は目の中にある。
今回は「強さの理由」をめぐる話でした。コハクはすでに答えを持っていて、ムーニャンはまだ持っていない。その差は今後の修行編で埋まっていく……かもしれません。
次回、幕間 修行編03へ続きます。
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