第68話 るすと帰還編02 おっさん、次の依頼が来る前に足元が揺れる
裏のムカデは子育て中だった。
フー子が珍しく話しかけてきた。
足元が、少しだけ揺れ始めている。
帰還の翌朝。
マスターがテーブルに台帳を広げると、イツキが横からコーヒーを置いた。
「◎が三件。今日中にやった方がいいやつ」
「三件か」
「そう。一件目は補給路の確認、二件目は荷物の仕分け手伝い、三件目は――」
イツキが少し間を置いた。
「裏のムカデ」
ガロが離れた席から「そいつが一番緊急だ」と即座に言った。
マスターが「緊急度の基準が分からん」と呟く。
「いや本当に怖いんだよ。昨日の夜も壁をひっかく音がして……」
「ムカデが?」
「でかいムカデが」
ガロが「大きさは」と聞かれる前に両手を広げた。
マスターの腕より少し短い程度のサイズを示す。
「……それは緊急だな」
「だろ!?」
マスターが台帳を閉じて立ち上がった。
「あたし行きますっす!」
ナツが元気な声で、張り切って先頭に立つ。
タニシが「拙者は後方――」と言いかけた瞬間、
ナツに首根っこを掴まれて引きずられていく。
「いでっ、引っ張らないでくださいでゴザル!」
「お前は黙って来るっす」
裏口を開けると、確かに”ソイツ”はいた。
――想像以上にでかい。
体長、おそらく腕の長さくらいはある。
節が多い。脚も多い。
艶がある。見慣れない艶がある。
「……ぎゃあ」
タニシが情けない声を上げた。
ナツが「静かにするっす!」と即座に脇腹を突く。
タニシが「いてっ」と口を押える。
ただし壁の隙間に半身をうずめていて、よく見ると卵が並んでいる。
「コイツ……子育て中だ」
マスターが呟いた。
「え゛」
ガロが固まる。
「どうするっすか?」
「追い出すな。塞ぐだけでいい」
「わ、分かったでゴザル……って、拙者がやるんですか!?」
「おまえしかいない」
「なぜ!? ナツ殿は!?」
「あたしは見張りっす」
「見張りって何の見張りですか!!」
タニシが「ひぃ」と言いながら板を持つ。
震える手で隙間に近づいていく。
ムカデがわずかに触覚を動かした。
タニシが「うわあああ」と後退する。
ナツが「戻らないっす!」と背中を押す。
タニシが「押さないでくださいでゴザリまするぅ!」と泣きながら板をあてがっていく。
何とか隙間を塞いだところで、タニシがへたりと座り込んだ。
「……終わったでっす...」
「お疲れ様っす」とナツが素直に言う。
ガロが「……それでいいのか」と複雑な顔をした。
マスターが「いなくなったらいなくなった時でいい」と返す。
「先輩、意外と動物に優しいンすね」
「殺すのが...面倒だっただけだ」
そこへ、裏口からミコが顔を出した。
ちらりと壁を見て、
「……ここ、こわくない」
とポツリつぶやいた。
――― ―――
昼。
ルースがカウンターの端に座って、イツキの帳簿を覗いていた。
「何してるんですか」とイツキが聞く。
「……勉強」
イツキが「ふ~ん」と言いながらページをめくる。
ルースが「この記号は何ですか」と指差す。
「依頼の優先度だよ。◎が今すぐ、○が今週中、△が暇な時」
ルースが「では◎を全部抽出して並べ直した方が効率的では」と言う。
イツキが「あ、そうじゃん」と素直に受け入れた。
ルースが黙々と◎の依頼を抜き出し始める。
イツキが横で見ている。
「……ルースちゃん、こういうの得意なんだ」
「記録と整理は得意です」
「受付向きじゃん」
「……受付、とは何ですか」
「今やってることだよ」
ルースが少し間を置いて「……なるほど」と言った。
それからまた黙って作業に戻る。
ミツキが横で「なんか、頼もしいですね」と小声でイツキに言う。
イツキが「ほんとに」と答えた。
その作業の途中で、イツキの手が止まった。
昨夜のログを再び広げていた。
「やっぱおかしい」
「また見てるんですね」とミツキが覗き込む。
「この波形、Z.E.U.Sのログでも冒険者タグでもない。でもルステラのパターンとも違う。もっと断片的で、弱い」
「……前に見たことがある、って言ってましたよね」
「そう。でも思い出せない。記録が途中で切れてて。切れる前の感じだけが残ってる」
ミツキが静かに言った。
「……もしかして、これを出してるのって」
イツキが顔を上げた。
二人で目を合わせる。
何かを口にする手前で止まった。
「マスターさんに話しますか?」
「……もうちょっとだけ調べてから」
台帳を閉じる。
ルースが「作業が止まっていますが」と言う。
イツキが「ちょっと待って」と返した。
――― ―――
場所は変わり、ギルドのどこか――。
珍しいことが起きた。
フー子の方から、マスターに声をかけてきた。
「ちょっといいかえ?」
煙のそばに座るよう顎で示す。
マスターが訝しみながら腰を下ろした。
フー子が煙を一口吸って、ゆっくり吐く。
「おぬし、三人になったのう」
「ああ」
「前より、重いぞよ」
「……重い?」
フー子が「密度が、」と言いかけて、少し黙った。
「うまく言えんが。前と変わった」
「何が」
「おぬしが変わった。持っとるものが増えた」
マスターが「……荷物が増えた、みたいな話か」と返す。
フー子が「そんな感じじゃ」と短く答える。
「それで?」
「それだけじゃ」
「それだけか」
「言うことがあったら言う、と言ったじゃろ」
また煙の向こうへ視線が戻る。
マスターが立ち上がりかけたところで、フー子が小さく付け加えた。
「次、もっと遠くなる。気をつけよ」
何のことか説明しない。
マスターも聞き返さなかった。
――― ―――
夕方。
ミコがるすとの外、軒下に腰を下ろして空を見ていた。
ステラが隣に来る。
「ミコ、何みてるの」
「……むこう」
「むこうって、どっち」
ミコが指差す。
地平線の、さらに向こう側。
ステラには何も見えない。
「……やなひかり、また、した」
少し間があって、
「でも、とおい」
「大丈夫?」とステラが聞く。
ミコがステラを見た。
少し間があって「……うん」と言った。
「るすとのひかりが、おっきいから、まだ、いい」
ステラが「そっか」と言って、ミコの隣に腰を下ろした。
二人でしばらく黙って空を見ていた。
ステラが「ミコ、さむい?」と聞く。
ミコが「……ちょっと」と答える。
ステラがミコの肩に寄りかかった。
「あったかい?」
「……うん」
小さい返事だった。
でも、ちゃんとした返事だった。
マスターが遠くからその二人を見ていたが、何も言わなかった。
――― ―――
夜。
ギルマスがマスターを呼んだ。
机の上に、荒野の地図が広げられている。
一点に印が付けられていた。
「砂漠側から、妙な依頼が来た。キャラバン隊から、同行者を探しているという話だ」
「キャラバン?」
「詳細は不明。ただここ数週、この周辺で感情系の異常が出ている。泣き止まない人間が増えた、怒りが抑えられなくなった、という報告が散見される」
マスターが地図を見た。
「……NODE02の方角だ」
「そうなる」とギルマスが答える。
「カケルの整備が終わったら出る」
「二日後だな」
「ああ」
ギルマスが地図を丸めて渡した。
「ルース・ステラは連れていくのか」
「当然だ」
「……無理はさせるな」
「言われなくても」
マスターが部屋を出た。
――― ―――
同じ夜。
るすとから遠く離れた場所。
氷を踏む音がした。
霧の中に、獣人の集落の灯りが見えていた。
「……寒い」
コハクが肩をすくめた。
「修行はさむいところでするアル。あたりまえネ」
ムーニャンが前を歩く。
止まらない。
「なぜ拙者がここまで付き合わねばならぬので」
「コハクが来たいと言ったネ」
「言っていないでござる!」
「嘘をつくなアル」
大量の荷物を抱えたコハクが溜息をついた。
霧の中、前を歩くムーニャンの背中を見る。
獣人特有の耳が、霧の中でぴんと立っている。
「……ムーニャン殿は、ここに帰りたかったのでは」
「そんなことないアル」
即答だった。
ただし、少し早かった。
コハクが何か言いかけて、やめた。
「……いつまでかかるのでござるか」
ムーニャンが少し間を置いて答えた。
「強くなったら帰るヨロシ。それだけアル」
霧の中に、集落の灯りが近づいてくる。
どこかで獣の遠吠えがした。
コハクが「……あれは何のでござるか」と聞く。
ムーニャンが「挨拶アル」と答える。
コハクが「誰への」と聞く。
ムーニャンが「帰ってきた者へのネ」と答えた。
それ以上は言わなかった。
足元で氷が鳴いた。
つづく。
【登場キャラクター】
◆マスター……ムカデ対処・フー子と話す・NODE02へ向かうことを決める。今回もぶれない。
◆フー子……珍しく自分から話しかけてきた。「ぞよ」「じゃ」口調。全部分かってる顔で最小限だけ言う。
◆イツキ(姉)……コギャル口調でド正論。ログ再調査。ミツキと目が合う。まだ言わない。笑顔が戻っていない。
◆ミツキ(妹)……清楚・丁寧。イツキと並走。「話しますか?」と一歩だけ踏み込む。
◆ルース……受付で依頼を整理し始めた。「受付とは何ですか」が今回の名言枠。
◆ステラ……ミコの隣に座る係。「あったかい?」で寄りかかる。それだけで十分。
◆ミコ……「やなひかり、また、した」。でも「るすとのひかりが大きいから大丈夫」。ステラの体温で少し緩んだ。
◆ナツ……タニシ引きずり担当。脇腹突き担当。容赦ない。
◆タニシ……ムカデ施工担当・情けない声・崩れ落ちた。今回も被弾枠フル稼働。
◆ガロ……複雑な顔のままムカデを見守る。常連の鑑。
◆ギルマス……NODE02への導線を静かに張る。「無理はさせるな」が今回の名言枠。
◆コハク……忍者口調。ムーニャンに振り回されながら歩いている。気づいているが言わない。
◆ムーニャン……前を歩く。止まらない。帰りたかったかどうかは言わない。
【あとがき】
るすと帰還編の締め、兼NODE02への導線回です。
タニシのムカデ施工シーン、ルースが受付で依頼整理を始めるシーン、ステラとミコの「あったかい?」など、コメディと日常を増量しました。
フー子が自分から話しかけてくる珍しい回。「ぞよ」「じゃ」口調のロリババアで統一。何が分かっているかは言わない。でも全部見えている。
ムーニャンの「即答だったが少し早かった」は、帰郷の感情を本人が認めたくない演出です。コハクが気づいて黙るのも、この二人らしい距離感。
イツキのログ異常は次章以降に続きます。
【マスターステータス】
名前 :NO NAME
等級 :白磁(非戦闘登録)
状態 :帰還中・腰痛継続・出発準備開始
SAN値 :安定
観測度 :記録中・上昇傾向
次目標 :NODE02〈感情〉/砂漠キャラバン方面
備考 :フー子より「気をつけよ」の言及あり
ムカデは子育て中につき現地保護
――《観測対象:要注意》
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