第58話 荒野で狩りをしただけなのに拾い物が増えた件 ――熱を出した双子と、何もない大地と、岩の上の小さな狙撃手――
《るすと》を出て数日。荒野は思っていたより、ずっと厳しかった。
双子が熱を出して、食料と水が底をつきかけた。
マスターが狩りに出たら、先客が二人いた。
緑がない。
《るすと》を出てから、ずっとそうだった。
地面は赤茶けた礫と砂ばかりで、草一本生えていない。
空は白く霞んでいて、太陽の位置がわかりにくい。
風が吹くたびに細かい砂が目に入る。
《ルステラ・キャリア》が、荒野を走り続けていた。
――― ――― ―――
一日目。
道らしい道がなかった。
カケルが地形を読みながら進路を取っていたが、岩盤が出てくるたびに迂回した。
ステラが「まだ?」と聞いた。
カケルが「うるさい」と返した。
ステラが「まだ?」とまた聞いた。
カケルが「うるさい」とまた返した。
これが六回繰り返された。――カケルは酒を飲んでふて寝した。
俺が運転するはめになったじゃねえか。(まぁ、いいけど。)
二日目。
魔物が出た。
四つ足で、皮膚がなく、かわりに薄い膜が全身を覆っている。
目が四つ。口が横に裂けている。
カケルが「バグ獣だ。近づくな」と言った。
観測遮断機能が働いているため、向こうはこちらに気づいていない。
ゆっくりと迂回した。
バグ獣は岩を食っていた。
「……岩を食うのか」
マスターが小声で言う。
「食うというか摂取してる。ミネラル吸収。こいつらは腹が減らない」
「俺たちと大違いだな」
「うるさい」
三日目。
キャラバンとすれ違った。
幌張りの大型荷車が三台。
やせた馬が引いていた。
御者台の男が無表情でこちらを一瞥して、そのまま通り過ぎた。
言葉はなかった。
タニシが荷台から「こんにちは!」と手を振った。
誰も振り返らなかった。
「存在感がない……」
タニシが項垂れた。
ノエルが「あっちも必死なんすよ」とフォローした。
四日目。
空から何かが落ちてきた。
巨大な翼膜を持つ生き物が、真上を旋回していた。
翼の端が透けていて、光が当たると虹色に散乱する。
きれいだった。
でも、その下には巨大な爪があった。
「あれ、なんすか」
ナツが見上げる。
「空域魔物。下の生き物を吊り上げて食う」
「でかいっすね」
「でかい。で、こいつも観測遮断に引っかからない」
「なんで?」
「あいつはAI管理外の生き物だからだ。遮断は神権AIに対してしか効かない」
全員が静かになった。
「……つまり、自然の生き物には普通に見える、ということか」
「そういうことだ。動くな」
全員が息を殺した。
空域魔物は、しばらく旋回してから、遠くへ去っていった。
タニシが荷台で泣いていた。
――― ――― ―――
問題が起きたのは、五日目の朝だった。
ステラが「ぱーぱ……あつい」と言った。
触れると、額が熱い。
いつもより体温が高い。目がとろんとしている。
ルースも同じだった。
「……しんどい」と静かに言って、窓に頭をもたせかけた。
シズクが即座に動いた。
二人を車内の奥に寝かせて、体温を測る。
手元の器具が数値を示す。
「乾燥と気温差による消耗熱です。重症ではありません。ただし安静が必要です」
「水は」
「必要です。解熱には水分が不可欠で……」
シズクが言葉を止めた。
残りの水量を確認する。
「……補給を急ぐ必要があります」
――― ――― ―――
カケルが車を停めて、計器板を確認した。
「合成水の生成には燃料を食う。今の燃料量だと、全部水に回したら帰りが厳しくなる」
「つまり現地調達が必要ってことか――」
「そういうことだ」
マスターが地図を広げた。
まだほとんど何も書かれていない。
カケルが指で地形を示した。
「この先に岩盤層がある。岩盤の亀裂に水が滲み出している場所がある可能性がある。あと……」
カケルが探知器を見た。
「生体反応がある。小型の獣。水場の近くにいるはずだ」
「狩りか」
「栄養のあるものを食わせないと、熱は長引く。合成食料じゃ対応が遅い」
ナツが立ち上がった。
「私、行くッス!」
「お前は双子の傍にいろ。シズクだけじゃ手が足りない」
ナツが一瞬止まって、頷いた。
「わかりました。マスター、頼むッスよ。」
ノエルが「俺も行きますよ」と言った。
マスターが頷く。
「カケル、頼む」
「探知器の反応は北東の岩場だ。水場もその近くのはずだ。行って来い」
――― ――― ―――
岩場は、歩いて二十分ほどだった。
岩が複雑に積み重なって、迷路のような地形になっている。
ところどころに苔が生えていた。
「苔がある。――水があるはずだ」
マスターが言う。
「っすね。でも獲物の気配が……」
ノエルが周囲を見回す。
岩の陰。岩の上。岩の割れ目。
何もいない。
「逃げたか」
「もともとあんまりいないかもしれないっすね、ここ」
二人して岩場を歩き回った。
足音を殺して。
呼吸を整えて。
十分。
二十分。
何もいない。
「……難しいな」
「こういうとこ、慣れてないっすよね俺たち」
ノエルが苦笑する。
「酒場の人間だからな」
「でも今は荒野っすからね」
マスターが岩に腰を下ろした。
地図を広げる。
水場の位置を確認した。
岩盤の亀裂から確かに水が滲み出ていた。
容器に少しずつ溜めておいた。
でも、食料がない。
――― ――― ―――
その時。
岩の上から声がした。
「……お前ら、足音うるさい」
低い、落ち着いた声だった。
見上げると。
岩の上に、見たことのある男が立っていた。
年齢は四十前後。
日焼けした肌。鋭い目。短く切った黒髪。
背中に長弓と矢筒。腰に短刀。
使い込んだ革鎧が、この荒野に溶け込むような色をしている。
マスターが「……レイ」と言った。
男が岩から飛び降りた。
音がなかった。
「久しぶりだな」
「この周回じゃ、初めてだが」
「そうか」
レイが短く頷いた。
それ以上の説明を求めない。
この男はそういう男だ。
マスターにはわかった。
――― ――― ―――
レイが周囲を一度だけ見渡した。
「お前ら、何を獲ろうとしてた」
「なんでもいい。食えるもの」
「双子が熱を出した。栄養が必要だ」
レイが少し表情を動かした。
「……双子?」
「話すと長い。仲間の子供だ」
「そうか」
レイが弓を構えた。
動きが静かだった。
岩の割れ目を見ている。
マスターには何も見えなかった。
レイが矢を番える。
弦が、静かに引かれた。
一瞬の後。
矢が放たれた。
岩の割れ目の奥で、何かが動いた。
レイが岩の割れ目に近づいて、中を確認する。
引っ張り出したのは、犬ほどの大きさの獣だった。
四本足。毛は短く、茶色。耳が大きい。
「荒野岩兎だ。脂身は少ないが、肉質がいい。熱が出てる時にはちょうどいい」
「……どこにいた」
「岩の割れ目の奥。こいつらは岩の中で寝る。お前らが歩き回るから、奥に引っ込んだんだ」
「そういうことか」
「三匹いる。もう二匹取れる。待ってろ」
――― ――― ―――
レイが無言で二匹目を仕留めた時だった。
マスターの後頭部に、産毛が逆立つ感覚があった。
何かがいる。
後ろだ。
振り返りかけた瞬間。
パン。
乾いた音が岩場に響いた。
マスターの後方、十メートル。
岩の陰から、黒い影が倒れた。
蠍に似た形の魔物。
尾の先が鋭く光っている。
それが、岩場の地面に崩れ落ちた。
頭に一撃。
弾が、眉間を貫いていた。
マスターが固まった。
ノエルが「え、え、え」と言っていた。
レイだけが、驚いていなかった。
レイが空を見上げた。
岩の上を見た。
どこか遠くの高い岩の上。
小さな影が、銃を下ろしていた。
――― ――― ―――
影は、するすると岩を降りてきた。
小柄だった。
大きな帽子。
砂埃で汚れたマントと外套。
自分の背丈ほどある大型の魔導狙撃銃を、片手で引きずっている。
帽子の下から、茶金色の羽が数本見えた。
マスターの目の前に降り立った。
音がなかった。
琥珀色の目が、こちらを見た。
「……気づいてなかった」
少女が言った。
「そいつ、後ろからずっとついてきてた。毒尾蠍。刺されたら三日は動けない」
マスターが後ろを見た。
確かに倒れていた。
尾の先が痙攣している。
「……ありがとう」
少女が首を横に振った。
「別に。通りがかっただけ」
レイが「ミコ」と言った。
少女がレイを見た。
「知り合いか」と、マスターが聞く。
「荒野でたまに会う。一人で暮らしてる」
「一人で?」
レイが頷く。
「親も拠点もない。ずっとそうだ」
マスターが少女を見た。
ミコ、と呼ばれた少女は、マスターの視線を受けて少し目を逸らした。
それだけだった。
――― ――― ―――
三匹目の荒野岩兎を仕留めて、水の容器を満たした。
帰る準備をしていると。
ミコが、少し後ろからついてきていた。
マスターが振り返る。
「俺たちは、もう行くぞ」
「……うん」
ミコが頷いた。
でも歩き出さない。
「お前も来るか?」
ミコが一瞬だけ目を丸くした。
すぐ戻った。
「……別に、どこでもいい」
「どこでもいいなら来い。飯がある」
「……飯」
ミコの目が、わずかに動いた。
「腹、減ってるか」
「……減ってない」
お腹が鳴った。
音が岩場に響いた。
レイが「行くぞ」と言って歩き出した。
マスターも歩き出した。
ノエルが「どうぞ、どうぞ」とミコに手を向けた。
ミコが、銃を引きずりながら、ついてきた。
――― ――― ―――
――― ――― ―――
《ルステラ・キャリア》に戻ると、ナツが外で待っていた。
「お帰りなさい! 獲れたッスか!?」
「獲れた。それと……」
マスターがミコを示した。
ナツがミコを見た。
「……あれ、鳥の羽?」
「鷹獣人のミコだ。」
「ちっちゃいっすね」
「うるさい」
ミコが小さく言った。
ナツが「あ、すみません」と反射的に謝った。
――― ――― ―――
車内では、ルースとステラが寝ていた。
シズクが額を冷やしながら二人を見ていた。
「食料を持ってきました。水も」
「……助かりました」
シズクが、初めて少し安堵した顔をした。
その瞬間、ミコが車内を覗き込んだ。
ルースとステラを、しばらく見ていた。
「……子供」
「ああ。仲間の子だ」
「熱、出てる」
「そうだ」
ミコが帽子のつばを引き下げた。
「早く食わせた方がいい。荒野岩兎は、熱の時にいい」
「詳しいな」
「……一人で生きてたから」
それだけ言って、ミコは車の外で地面に座り込んだ。
銃を膝に置いて、空を見上げた。
夕暮れの空が、赤く染まっていた。
ミコの目が、その空をじっと見ていた。
琥珀色の目が、少しだけ遠くを見ていた。
飛べない翼が、マントの下でわずかに動いた。
――― ――― ―――
夕食の時。
荒野岩兎を焼いた。
レイが解体して、ナツが焼いた。
シンプルな、岩塩だけの味付け。
それでも、荒野で食べる温かい肉は、十分すぎるほどだった。
ステラが「おいし……」と言って食べた。
まだ少し顔が赤い。でも、食欲は戻ってきていた。
ルースが「……おいしい」と静かに言った。
マスターが「よかった」と言った。
ミコは、少し離れたところで一人で食べていた。
カケルが設計図を広げて作業しながら、横目でミコを見た。
ミコが食べる速度が速い。
一口が大きい。
あっという間に平らげて、また空を見上げた。
カケルが「おかわりあるぞ」と言った。
ミコが少し固まった。
「……いい」
「遠慮するな。作りすぎた」
ミコがカケルを見た。
カケルは設計図を見ていた。
ミコが「……もらう」と言った。
二杯目を食べながら、ミコがカケルの設計図を覗き込んだ。
「……これ、なに」
「車両の改修設計だ」
「この部分」
ミコが設計図の一箇所を指した。
カケルが見た。
「推進機構の試案だ。まだ夢の話だが」
「……空に行くやつ?」
カケルが少しだけ手を止めた。
「まだ夢の話だ」と繰り返した。
ミコが、設計図をしばらく見ていた。
「……なら、一緒に夢見る」
カケルが何も言わなかった。
設計図に向き直った。
ミコはそのまま、隣に座って空を見上げていた。
カケルも何も言わなかった。
追い払わなかった。
――― ――― ―――
夜。
マスターがレイと並んで座っていた。
「お前は、どこへ向かってる」
「北西だ」
「荒野都市の方か」
「そっちに用がある」
レイが答えた。
「同じ方向だ。道中、一緒に来るか」
レイが少し考えた。
「……乗り物があるなら、悪くない」
「決まりだ」
星が出ていた。
荒野の夜は、驚くほど星が多い。
遮るものが何もないからだ。
タニシが「きれいっすねえ」と感動していた。
ミコが車の屋根に座って、空を見上げていた。
翼を少しだけ広げて、風を受けていた。
飛べない翼が、静かに夜風を受け止めていた。
マスターがそれを見た。
ルステラのかけらは、何も言わなかった。
ただ、頭の中の0.03%の欠片が、かすかに揺れた気がした。
◆登場キャラクター
【同行組】
・マスター:狩りに出て、空振りしかけた。レイに助けられ、ミコを拾った。相変わらず何かを拾う男。
・ルース:熱を出して「……しんどい」。食後に「……おいしい」。寡黙なのに状態が全部セリフに出る。
・ステラ:熱を出して「ぱーぱ……あつい」。食後に「おいし……」。回復が早い。元気の根源は胃袋かもしれない。
・カケル:設計図の傍らに気づいたらミコがいた。追い払わなかった。「おかわりある」は彼なりの歓迎。
・ナツ:看病担当。帰還後はミコに「ちっちゃいっすね」と言って秒で謝った。
・ノエル:狩りに同行。空振りに付き合った。「どうぞどうぞ」のフォロー力は安定。
・シズク:双子の看病を一手に引き受けた。食料と水が届いた時だけ少し表情が緩んだ。
・タニシ:荒野の星空に感動していた。キャラバンに無視された。存在感は荒野でも薄い。合掌。
【新規合流組】
・レイ:荒野の岩場に先客として登場。無音で岩兎を三匹仕留めた。マスターのことを詳しく聞かない。それがこの男の流儀。
・ミコ:鷹獣人の少女。荒野で単独生活。毒尾蠍を一撃で仕留めてマスターの後頭部の産毛を救った。腹が減っていないと言ってお腹が鳴った。カケルの設計図を見て「一緒に夢見る」と言った。孤児。行くあてなし。飯につられた。
◆今回の解説
第58話、荒野行進と新キャラ合流です。
旅立ちから五日間の荒野描写を入れました。緑がない。バグ獣がいる。空域魔物がいる。キャラバンは無口で通り過ぎる。この世界の「管理区域外」がいかに過酷かを、日数を追いながら見せています。
双子が熱を出したのは、荒野の乾燥と気温差による消耗熱です。重症ではないけれど、合成食料・合成水だけでは対応が遅く、現地調達が必要になりました。これが燃料節約の問題とも連動しています。
レイは荒野の先客として自然に合流。マスターの「この周回じゃ初めてだが」という一言だけで、二人の関係の深さを示しました。多くを語らないのがレイの流儀です。
ミコは今回の本命新キャラです。後方の敵を無音で仕留めて登場。腹が減っていないと言ってお腹を鳴らし、カケルの設計図を見て「一緒に夢見る」と言いました。飛べない翼が夜風を受ける場面は、今後の伏線です。
次回、荒野都市・廃墟都市方面へ。NODE01「記憶」の回収に向けて、旅が本格的に動き始めます。
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