第4話 酒場の外は、ゲームじゃない ――はじめてのクエストは「帰ってくる」こと
第四話です。
ついに酒場の外に出ます。
ただし、最初の冒険は「倒す」話ではありません。
この世界では、
外=危険
数値=保証ではない
という前提が、ようやく明確になります。
そして今回のテーマはひとつだけ。
「帰ってくること」
それが、この世界における
最初で、もっとも重要な冒険です。
それでは、本編をどうぞ。
第四話 酒場の外は、ゲームじゃない
――はじめてのクエストは「帰ってくる」こと
朝の《るすと》は、夜とはまるで別の顔をしている。
カウンターに並ぶグラスはすべて伏せられ、床は無駄にきれいだ。
あれだけ騒がしかった酒場が、まるで何事もなかったかのように静まり返っている。
――正直、嫌な予感しかしない。
「……本当に、行くんですね」
そう言って隣で装備を確認しているのは、白磁等級の新人、ノエルだ。
昨日まで酒場でオロオロしていた少年が、今日は剣を腰に差している。
「行くっていうか、帰ってくるだけだ」
俺はクエストボードを指差す。
《街道沿い索敵・異常なしの場合は即帰還》
報酬も最低限。
討伐指定なし。
いわゆるチュートリアル――のはず、なのだが。
(……ギルマスとイツキから、
“街道でも油断するな”って散々聞かされてる時点で怪しいんだよな)
ギルマスは言っていた。
不毛の大地では、数値は保証にならない。
イツキはもっと端的だった。
「外はね、ゲームの皮かぶった現実だよ」
嫌な説明だった。
「でも……冒険、ですよね」
ノエルは不安そうに笑う。
「冒険っぽい言葉に騙されるな。
これは確認作業だ」
カウンターの向こうで、イツキが帳簿をめくりながら軽い声を投げてくる。
「ま、生きて戻ってきたら合格ってやつ?
死んだら不合格。シンプルでしょ」
「さらっと怖いこと言うな」
ミツキは心配そうにノエルを見る。
「無理だと思ったら、すぐ戻ってきてくださいね」
その横で、フー子がいつもの調子で煙管をふかした。
「今日はねぇ……
勝つ日じゃないよ」
……やめてくれ。
酒場の扉を開けた瞬間、空気が変わった。
色が薄い。
音が、やけに遠い。
《不毛の大地》。
ギルマスの説明を思い出す。
――ここは“住めるように作られていない場所”だ。
HUDは表示されている。
レベルも、HPも、MPも。
なのに。
「……あれ?」
ノエルが足を止める。
「どうした」
「……なんか、足が重いです」
俺も気づいていた。
思ったより身体が動かない。
数値はある。
だが、それが“保証”にならない。
街道は一本のはずだった。
なのに、進んでいるはずなのに、景色が微妙にずれていく。
――嫌な感覚だ。
最初に現れたのは、バグスライムだった。
見た目は雑魚。
数値も低い。
(……ああ、これか)
イツキの言葉が頭をよぎる。
――“判定が壊れてるヤツ。
倒せるかどうかじゃない。
巻き込まれるかどうかが問題”
「い、いけますよね?」
ノエルが剣を構える。
「待て」
止める間もなく、ノエルが踏み込んだ。
――外した。
正確には、当たった“はず”なのに、
判定が遅れている。
次の瞬間、スライムが跳ねた。
「っ――!」
ノエルが転ぶ。
反射的に俺が前に出る。
……当たらない。
いや、当たっているのに、効かない。
息が切れる。
身体が、想像以上に弱い。
その瞬間、はっきり理解した。
これは勝てない。
「撤退!」
「えっ!? で、でも――!」
「いいから来い!!」
俺はノエルの腕を掴み、走った。
背後で、ぬちゃ、ぬちゃ、と嫌な音が追ってくる。
一本道のはずなのに、戻れない。
景色が、わずかにずれる。
「な、なんで……!」
「知らん! 考えるな、走れ!」
息が切れ、足がもつれ、
それでも走り続けて――
そのとき。
《――冒険者タグ通信、受信――》
視界の端でHUDが弾けた。
《発信元:ギルド酒場》
イツキの声だ。
《聞こえる? いいから――
帰還せよ!》
短い。
命令形。
迷う余地はなかった。
次の瞬間、視界がひっくり返り、
気がつけば猛ダッシュで酒場の前に転がり込んでいた。
息を切らして扉を押し開けた瞬間、
酒と油の匂いの奥に、生温い鉄と臓物の臭いが重なった。
ちょうど向かいから、別のパーティが運び込まれてくる。
担架が二つ。
一つは布で覆われ、端から赤黒い液が床に滴っている。
もう一つは回収袋――口が甘く閉じられ、白いものが覗いていた。
床には引きずった血の筋。
誰かが無言で水を流し、雑巾で伸ばす。
赤が薄まり、作業の痕跡だけが残る。
受付でイツキが帳簿を開く。
指先が止まり、数字だけを拾うようにペンを走らせた。
「白磁、二名。黒曜、一名」
「帰還率、六割切り……っと」
紙を押さえたまま、短く息を吐く。
ため息というより、処理落ちに近い音だった。
隣でミツキが静かに手を合わせる。
視線は帳簿ではなく、担架のほうに向けたまま。
カウンターの奥から、誰かが言う。
「今日は、多いな」
その一言で、この光景は**「異常」から「日常」へ戻った**。
酒場は、何事もなかったように回り続けていた。
――多いな。
そう思った自分に、遅れて気づく。
多いと感じたのは、死体の数じゃない。
いつもより多い、と即座に整理できたことだ。
白磁が何人で、黒曜が何人で。
回収袋がいくつで、血の量がどれくらいで。
それを“見て、理解して、受け入れていた”。
胸の奥が、ひやりと冷える。
さっきまで荒かった呼吸よりも、ずっと深いところで。
俺はもう、
この光景を「異常」だと思えなくなっている。
その事実が、
今見たどんな死体よりも――気持ち悪かった。
《ケンショウ中》
背後で、聞き慣れた無機質な声が落ちる。
《マスター。コノ反応ハ、異常デハアリマセン》
振り向く前に、気配は薄れた。
肯定も、慰めも、否定もない。
ただ、俺が“慣れた”というログだけが、どこかに保存された気がした。
いろいろなことが重なりすぎた俺は、疲れてその場に座り込んだ。
クエストは成功扱いだった。
報酬は少ない。
評価は、淡白。
イツキが帳簿を見て言う。
「生存率、悪くないね」
ミツキはほっと息をつく。
ノエルは俯いた。
「……俺、何もできませんでした」
俺は首を振る。
「全員帰ってきた。それでいい」
その言葉に、ノエルは少しだけ顔を上げた。
夜。
酒場はいつもの賑やかさを取り戻している。
ノエルは疲れ切って、もう寝ていた。
俺はカウンターで水を飲みながら、今日の違和感を反芻していた。
一本道。
ずれる景色。
遅れる判定。
――考えすぎか?
「……マスター」
声が、頭の奥から聞こえた。
《ケンショウ中》
《キョウノ行動ログ、サンショウ》
「感想は?」
《ヒトコトで言うと――
ムチャです》
「だろうな」
《シカシ、
セイゾンセンタクハ
サイテキ》
HUDに、見慣れない演算ログが流れる。
《レベル差》
《戦闘成功率》
《回避成功率》
《撤退判断タイミング》
《……》
《コレハ、
イッパンテキナ
シンジンノ挙動デハ
アリマセン》
「褒めてる?」
《ヒョウカです》
そのとき。
「いや〜、今日のアレは危なかったアルな」
――ぶっ。
思いきりむせた。
「誰だ!!」
振り返ると、見知らぬ女が立っていた。
中華っぽい服に、メイドエプロン。
どう見ても場違い。たしかギルドの誰かが「鋼鉄等級」だと言っていたな。
「ウーニャン」
そう彼女は即答する。
「漢字は無念アル」
「縁起悪すぎだろ!なんだよ無念って、お前ザンネンな感じだろ絶対そうだ」
「毎日無念アル」
即返し。 会話が雑だ。
ウーニャンは俺をじろじろ見て、
「アンタ、弱いアルな」
「いきなり!?」
「でも顔は丈夫そうアル 強かったらダンナにもらってやってもいいニャンあるが…」
「評価そこか!?てかお前こんなとこでダンナ探してんのかよ!」
「強い遺伝子を残すことは我が家の家訓アルね!」
《……マスター》
ルステラが割り込む。
《コノ個体、
ヒョウゲンガ
ザツです》
「フォローになってない!」
ウーニャンは勝手にうなずいて、
「索敵って言ってたアルね?」
「……ああ」
「嘘アル」
「軽く言うな!!」
指を折りながら続ける。
「一本道じゃない」
「戻るたびズレる」
「次はもっとひどい」
「なんでそんな冷静なんだよ!」
「何回か死にかけたからアル」
「さらっと言うな!!」
ニヤニヤしながら、
「でもアンタの
逃げ足|、
嫌いじゃないアル」
「褒めてねえ!」
「褒めてるアル。
逃げられないヤツ、すぐ死ぬアル」
《……》
ルステラが、珍しく黙った。どうやら複雑な演算処理をしていたらしい。イメージでも考え込む様子が表現されている。
《ケンショウ、カンリョウ》
《マスター》
《アナタニハ
L.L.R.制約ガ
テキヨウサレテイル
カノウセイガ
タカイ》
「……何だそれ」
《テイイ:
セイチョウリツ
テイイテイコテイ》
《ケッカ:
センシトシテハ
フリ》
《シカシ――》
《セイゾンセンタクニ
トッカ》
ウーニャンが口笛を吹いた。
「ほらね。
弱いけど、死なないアル」
背を向けて歩き出し、思い出したように振り返る。
「あ、そうそう」
「まだあるのか」
「今日のクエスト、本当の目的―― 帰還率チェックアル」
「……は?」
「じゃ、また生きてたら会うアル」
そのまま、酒場の喧騒に紛れて消えた。
俺は一人、カウンターに残された。
「……鋼鉄等級って、
あんなノリでもなれんのかよ」
HUDが、わずかに遅れて点滅した。
(第四話・了)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第四話では、
ギルド酒場の外――
不毛の大地と、
そこで初めて遭遇する異常存在について、
あえて説明を抑えた形で描写しました。
■ 不毛の大地について(簡易補足)
不毛の大地とは、
人が「住む」ことを前提に設計されていない領域です。
HUDやレベル表示は存在しますが、
それらは安全を保証するものではありません。
距離感、時間感覚、地形の連続性が不安定で、
「一本道のはずなのに戻れない」
といった現象が日常的に発生します。
詳細な仕組みや背景については、
今後の話数で少しずつ明かしていく予定です。
■ バグスライムについて(簡易補足)
今回登場したバグスライムは、
単なる雑魚モンスターではありません。
戦闘力が高いのではなく、
判定・挙動・結果が信用できない存在です。
倒せるかどうかよりも、
「関わってしまうかどうか」が生死を分けます。
そのため、
ベテラン冒険者ほど
戦わず、避け、帰還を優先します。
■ 今回の話の位置づけ
第四話は、
世界の危険性の提示
冒険者等級の意味づけ
「勝つ」より「生き残る」という価値観
そして
マスターの異常性(L.L.R.制約)の表面化
これらをまとめて提示する回でした。
まだ多くは語られていませんが、
「なぜ彼だけ生き残るのか」
という問いが、ここから物語の軸になります。
主人公の現在のステータス(第四話時点)
名前:NO NAME(通称:マスター)
等級:白磁
レベル:2
HP:低
MP:低
戦闘能力:低
生存能力:異常に高い(※本人自覚なし)
特記事項:
成長速度が極端に遅い
戦闘時の成功率が数値と乖離
撤退判断が異常に早く、的確
ルステラにより
《L.L.R.(Low Level Representative)制約》の
適用が断定される
所持アイテム/装備(第四話時点)
装備
初期装備一式(簡易防具)
鈍った短剣(実戦ではほぼ役に立たない)
所持品
冒険者タグ(近距離通信・マナ消費)
水袋
簡易治療具(最低限)
ギルド支給の地図(精度低・信用不可)
次回以降、
ウーニャン(無念)を含め、
「外を知っている存在」たちが
少しずつ前に出てきます。
酒場に戻れたから終わり、ではありません。
帰ってこられる場所があるからこそ、
外は、より危険になる。
次話も、よろしくお願いします。




