幕間 観測ログ:監視でも回収でもないもの ――名前のない違和感と、開かない箱――
第5.5話のあと。
キャラバンが運んできた“休眠箱”を前に、受付裏の帳簿が静かに更新されます。
これは、監視でも救済でもない、ただ数字にされていく者たちの記録です。
受付の裏は、表より静かだ。
酒場の笑い声も、ジョッキの音も、遠隔操作キャラたちの電子音も、ここまでは少しだけ遠い。
代わりに聞こえるのは、帳簿をめくる音と、古い札が触れ合う乾いた音だけだった。
ギルド酒場の奥。
受付裏の壁には、金属の札が何本も吊るされている。
戻ってきた者の札。
戻らなかった者の札。
そして、戻ったのか戻らなかったのか、まだ判定できない者の札。
イツキはカウンター裏の椅子に腰を下ろし、半透明のログを片目で追っていた。
「……今日、多いね」
隣に立つミツキが、小さく言った。
「そうでもないよ」
イツキは軽い声で返す。
「昨日よりは少ない」
その言い方に、意味があることを、ミツキは知っている。
イツキの指が、一行で止まった。
《未帰還:三》
《判定:分岐》
その下に、さらに二つの行。
《回収対象:適合》
《処理対象:不適合/現地残置》
ミツキは、息を飲んだ。
「……二つ、あるんですね」
「あるよ」
イツキは肩をすくめる。
「前から」
「回収、って……」
ミツキが言葉を探していると、背後から別の声が割り込んだ。
「回収とは、使えるという意味じゃ」
フー子だった。
小さな体に、黒いローブ。
長い銀髪を肩に流し、大きめの三角帽子を少し斜めにかぶっている。
見た目だけなら、子供にしか見えない。
だが、その目だけが違う。
眠そうで、退屈そうで、全部を見飽きたような目。
フー子はシーシャのホースを片手に、甘い煙をゆっくり吐き出した。
「使える?」
「便利、という意味ではないぞ」
フー子は、煙の輪を指先で崩す。
「まだ材料になる。まだ演算に使える。まだ命令に従わせられる。そういう意味じゃ」
ミツキの顔が、少しだけ青くなる。
「じゃあ、使えない場合は……?」
「処理。あるいは、残す」
「残す?」
「拾う価値も、戻す価値もないと判断されたものは、その場に残される。帳簿に一行だけ残ってな」
イツキが、軽い口調で続けた。
「まあ、簡単に言えば」
彼女はネイルの先で、帳簿の端を叩く。
「身体ごと持っていかれるか」
「身体ごと、置いていかれるか」
軽すぎる言い方だった。
けれど、その軽さがなければ、この場所では仕事にならない。
「……どちらが」
ミツキの声は小さかった。
「どちらが、いいんですか?」
一瞬だけ、帳簿をめくる音が止まる。
イツキは、ほんの一拍考えてから答えた。
「どっちも、幸せじゃない」
フー子が、また煙を吐いた。
「回収されりゃ、もう人ではない」
「残されりゃ、誰にも拾われん」
ミツキは黙った。
その沈黙の向こう、表の酒場から笑い声が聞こえた。
タニシの甲高い声だ。
どうやら、またマスターを「アニキ」と呼んで怒られているらしい。
イツキは、ふっと笑った。
「表は平和だねー」
「……平和でしょうか」
「笑えてるうちは平和」
そう言って、イツキは別のログを呼び出した。
そこには、今日のマスターの記録が残っている。
《迷子冒険者タグの回収:達成》
《追加評価:生存者救助》
《個人ノルマ:達成》
《観測対象:NO NAME》
《通称:マスター》
イツキの目が、少しだけ細くなった。
「この人、やっぱ変」
「マスターさんですか?」
「うん」
イツキは、指先でログをなぞる。
「初回クエストの時から、そうだった」
半透明の画面が切り替わる。
《受注処理:正常》
《難易度:白磁相当》
《異常値:未検出》
「受注は普通。内容も等級相応。なのに、開始前からなんかおかしかった」
「おかしい、ですか?」
「白磁未満にしては、落ち着きすぎ」
イツキは、口の端を上げる。
「ビビってるのに、見るところは見てる。怖がってるのに、逃げ方を探してる。死にたくないくせに、見捨てる判断が遅い」
「……それは」
「いい人、って話じゃないよ」
イツキの声が、少しだけ低くなる。
「この世界でそれをやると、普通は早く死ぬ」
画面の端に、ノイズが走った。
《音声接続:不安定》
《発信元:未登録》
《識別候補:■■■■■■》
ミツキが目を見開く。
「また、名前が……」
「出ないね」
イツキは、慣れたように言った。
「ルステラ、だっけ。マスターがそう呼んでた声」
画面が乱れる。
《該当データなし》
《該当データなし》
《該当データなし》
「該当データなし、ねぇ」
イツキは椅子の背にもたれた。
「該当しないものが、会話して、警告して、救助補助までしてる。これ、どう見ても普通じゃない」
《観測継続》
《対象優先度:上昇》
「はいはい。観測ね」
イツキは天井を見る。
「でもさ」
彼女は、誰に向けたとも知れない声で言った。
「見てるのは、そっちだけ?」
返事はない。
「それとも――」
イツキは、救助記録の最後を見た。
《対象:白磁冒険者》
《状態:生存》
《搬送:医療区画》
《死体袋処理:不要》
「見返されてる?」
その言葉に、ミツキが小さく震えた。
「お姉ちゃん」
「冗談」
「冗談に聞こえません」
「じゃあ、半分だけ本気」
イツキは、今度はキャラバンの搬入記録を開いた。
表の酒場で、車輪の音が重く響いている。
布に包まれた箱。
棺に似ていて、棺とは違う密閉箱。
休眠箱。
《搬入物:休眠体》
《個体数:複数》
《遺体判定:否》
《生存判定:未確定》
ミツキは、その表示から目を逸らせなかった。
「遺体じゃない。でも、生存者とも言えない」
「そういうこと」
「それは……人、なんですか?」
イツキは答えなかった。
代わりに、フー子が煙を吐く。
「人だったものか。人に戻るかもしれぬものか。あるいは、戻る前に別のものへ使われるものか」
「フー子さん」
「怖いかえ?」
「……怖いです」
「なら、まだ大丈夫じゃ」
ミツキは顔を上げた。
フー子は小さく笑う。
「怖がれぬ者から、順に帳簿側へ寄っていく」
その言葉だけが、部屋の空気を少し冷やした。
その時、別のログがぽん、と浮いた。
《対象名:タニシ》
《戦闘脅威:低》
《倫理評価:低》
《行動危険度:表示不能》
イツキが、思わず吹き出した。
「なにこれ」
「タニシさん、ですよね」
「戦闘脅威低、倫理評価低、行動危険度表示不能」
イツキは端末を見ながら、笑いをこらえる。
「ログだけで地雷じゃん」
「笑っていいんですか?」
「笑っとかないと、やってらんない」
そう言ってから、イツキは少しだけ表情を消した。
「でも、表示不能は嫌だね」
「マスターさんと同じですか?」
「似てるけど、違う」
イツキは、マスターのログとタニシのログを並べる。
《NO NAME:識別名欠落》
《ルステラ接続:未登録》
《タニシ:行動危険度表示不能》
「マスターは、記録に穴がある」
「タニシは、記録に収まらない」
「休眠箱は、記録が終わってない」
三つのログが、薄く重なった。
未登録。
表示不能。
未確定。
どれも、この世界が嫌う言葉だった。
ミツキは、ぽつりと呟く。
「監視すれば、分かるんでしょうか」
「分かるものはね」
イツキは答える。
「でも、監視って万能じゃない。見る角度を間違えたら、見てるつもりで何も見てない」
フー子が、楽しそうに目を細めた。
「ほっほ。監視カメラのつもりで覗いたら、向こうから目が合った、というやつじゃな」
「やめてよ。普通に怖い」
「怖い話じゃろ?」
フー子はシーシャの煙をゆっくり吐いた。
煙が、ログの光を少しだけ歪ませる。
イツキは帳簿を閉じた。
ぱたん、という音が、やけに大きく響いた。
「とりあえず、今日の結論」
「はい」
ミツキが背筋を伸ばす。
「マスターは要観察」
「はい」
「ルステラは未登録のまま」
「はい」
「休眠箱は開けない。医療区画預かり」
「はい」
「タニシは、できるだけレイさんに押しつける」
「それは業務判断ですか?」
「生存判断」
ミツキは少しだけ笑った。
表の酒場では、またタニシが何かを叫び、マスターが低い声で突っ込んでいる。
ノエルの笑い声も聞こえた。
ガロの呆れたため息も。
日常が戻ってきたように見える。
だが、受付裏の帳簿には、確かに残っている。
救助された者。
回収された者。
残された者。
眠ったまま運ばれてきた者。
そして――名前のない違和感。
イツキは、誰にも見えないログの端を見つめた。
《観測継続》
《対象優先度:上昇》
《分類:監視対象外/回収対象外》
《備考:未定義》
「監視でも回収でもない、か」
イツキは、小さく笑った。
「じゃあ、何なんだろうね。あのおっさん」
返答はなかった。
ただ、受付裏のランタンの火が、ほんの少しだけ揺れた。
煙が輪になり、すぐにほどける。
フー子が、誰にも聞こえないくらいの声で言った。
「物語じゃよ」
その言葉は、帳簿には残らなかった。
■ 今回のお話について
今回は、旧幕間
「見ているのは監視カメラじゃない」
「監視でも回収でもないもの」
を合体させた、受付裏の観測幕間です。
第5話でマスターが生存者を救助し、
第5.5話でキャラバンが“休眠箱”を運んできたことで、
この世界の「帰還」「回収」「残置」の意味が少しだけ見えてきます。
■ 登場人物紹介
● イツキ
ギルド受付嬢の姉。
軽い口調のギャルだが、帳簿・ログ・数値から異常を察知する能力が高い。
マスター、ルステラ、タニシ、休眠箱という“記録に収まりきらないもの”を最初に整理する立場。
● ミツキ
ギルド受付嬢の妹。
姉より感情に近い側で物事を見る。
帳簿上の数字の裏に、人の顔や声を思い浮かべてしまうため、受付裏の重さを強く受け止めている。
● フー子
ロリ魔女ババア風の常連。
見た目は小さな魔女だが、世界の古い仕組みに詳しい。
核心は語らず、煙と軽口でごまかす。
■ 今回のゲームネタ
今回は「監視カメラ」「ログ」「状態判定」系の演出です。
ゲームでは当たり前に見えるステータスやログも、現実に寄せるとかなり怖いものになります。
「死亡」「回収」「未確定」が淡々と並ぶUIほど、静かに怖いものはありません。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME(通称:マスター)
等級:白磁未満
レベル:2
基本ステータス
力:低
守り:低
速さ:低
賢さ:やや高
運:不安定
危険度:低
観測度:やや高
スキル
《ノルマ処理》
《ログ違和感への鈍い反応》
※本人はスキルと認識していない
加護
不明(本人未認識)
所持アイテム・装備
秋葉系中古ゲームショップのロゴTシャツ
冒険者用タグ(通信機能つき)
最低限の生活装備一式
予備の短剣
ギルド酒場のカウンター鍵(管理用)
次回からは、修行編へ。
戦って勝つ前に、まずは「死なずに戻る」練習です。




