第52話 おっさん、家族が増えるとか聞いてない ――巻き戻った朝に、"ぱーぱ"が落ちてきた――
崩壊のあとに来たのは、静かな朝だった。
ノエルもミーナもまだ生きている。けれど、失った痛みまで消えたわけじゃない。
そしてマスターは覚えている。RusTellaのコアを、世界中から集めなければならないことを。
最初に戻ってきたのは、匂いだった。
焼いた肉。
煮込みの湯気。
磨いた木のカウンター。
昨夜の酒がまだ少しだけ残した、甘いような苦いような匂い。
次に音。
ランタンの金具が揺れる小さな音。
ドットAIたちの、ぴこ、ぴぴ、ぴろり、という妙に間の抜けた電子音。
そして最後に、眩しさ。
俺はゆっくりと目を開けた。
天井の梁がある。
木の色がある。
白い管理光は、ない。
代わりに、朝の《るすと》があった。
「……は?」
喉がひどく乾いていた。
声が掠れる。
体を起こす。
痛みはある。だが、あの崩壊直前の焼けるような熱でも、削られるような痺れでもない。
俺は、カウンターの奥にいた。
昨日と同じ。
いや、"最初の朝"と同じ位置だった。
視線が勝手に走る。
入口。
クエストボード。
厨房。
地下へ続く階段。
営業中の札。
全部、ある。
ある。
壊れていない。
だが、失ったものまで元に戻ったわけじゃない。
腹の底に残っている。
白い崩壊。
ノエルの血。
ミーナの傷。
ルステラの分散。
そして最後の、あの声。
"また会いましょう、マスター――今度は、ワタシを見つけてください"
「……マスター?」
聞き慣れた声に振り向く。
ミツキがいた。
帳簿を抱えて、不思議そうにこっちを見ている。
「顔色、悪くない?」
その後ろからイツキが覗く。
「寝不足? っていうか、なんか一周死んできたみたいな顔してるけど」
冗談みたいに言う。
でもその一言で、背筋が冷えた。
ノエル。
ミーナ。
白い医療区画。
ノエルの血。
ルステラの分散。
崩れていく《るすと》。
全部が一気に押し寄せる。
「ノエルは」
思わず口から出た。
「え?」
ミツキが瞬く。
「ノエル。……無事か」
イツキとミツキが顔を見合わせる。
「何その確認」
「まだ医療区画の手伝いっぽいことしてるんじゃない? 今日は朝からネムリちゃんのところ行ってたはずだけど」
足が先に動いた。
カウンターを回り込む。
走る。
厨房横。
白い通路。
地下へ降りる。
階段はちゃんとある。
削れていない。
影にも喰われていない。
白い医療区画の扉を開けた瞬間、そこにいた。
「マスター?」
ノエルだ。
ネムリの手を握ったまま、きょとんとした顔でこっちを見る。
生きている。
胸に穴もない。
血もない。
その事実だけで、膝から力が抜けかけた。
「……あれ、どうしたっすか? 顔色やばいっすよ」
ノエルが立ち上がる。
いつもの、少し頼りなくて、でもまっすぐな動き。
俺は答えられなかった。
答えようとすると、喉の奥が詰まる。
「ノエル」
「はいっす」
「……生きてるな」
ノエルが困ったように笑う。
「生きてるっす。怖い確認しないでほしいっす」
ネムリはまだ眠っている。
呼吸は浅いが安定している。
白い部屋も、今はただの医療区画に見える。
奥からジン老が顔を出した。
「何を朝から湿っぽい顔しとる。患者を起こすでない」
その声すら、今はありがたかった。
「……ジン老」
「なんじゃ」
「お前も生きてるな」
「当たり前じゃ。年寄りを勝手に殺すな」
鼻で笑われる。
その雑さが、妙に胸に刺さった。
ノエルが少しだけ真面目な顔になる。
「……マスター、なんかあったっすか?」
あった。
ありすぎた。
でも、説明できる形じゃない。
俺はネムリの寝息を一度だけ見て、それから小さく息を吐いた。
「……いや。確認したかっただけだ」
「変なの」
ノエルはそう言って、またネムリの手を握り直した。
それを見た瞬間、胸の奥で違う痛みが動く。
ルステラはいない。
生き返ったわけじゃない。
全部が都合よく元通りになったわけでもない。
戻ったのは世界だ。
だが俺の中には、ちゃんと残っている。
核心だけは、消えていない。
RusTellaのコアを世界中から集める。
それが今の俺の、いちばん重い記憶だった。
地下を出ると、ホールの空気はいつもの朝に戻っていた。
ナツが入口側で伸びをしている。
「おはようっす、先輩! なんか今日、顔だけ終盤の主人公みたいっすね!」
「縁起でもねぇこと言うな」
「え、何その返し怖っ」
コハクはクエストボード前で術式の練習をしていた。
まだ強化結界を完全にはものにしていない時期の、ぎこちない動きだ。
「泥船に乗ったつもりで安心めされよ――いや、朝からこれはちょっと違うでござるな……」
ひとりで何かぶつぶつ言っている。
その姿が、痛いほど日常だった。
ムーニャンは厨房横で肉をつまみ食いしようとして、ガロに耳を引っ張られていた。
「痛いネ! 朝から細かいヨロシ!」
「細かいのは貴様のつまみ食い癖じゃ」
ミーナもいる。
ホール奥で、配膳用の皿を並べている。
傷なんかない。
血の気もちゃんとある。
「マスター? おはよう。どうしたの、じっと見て」
「……いや」
「変なの」
その笑い方が、生きている人間のそれで、心底ほっとした。
けれど同時に、胸の奥の穴もまた広がる。
ノエルはいる。
ミーナもいる。
みんないる。
なのに、ひとりだけいない。
《るすと》の空気のどこかが、少しだけ足りない。
ぴこん、と受付補助ドットAIが光る。
営業札を抱えてよたよたしている。
何でもない朝だ。
そういう朝に見える。
なのに俺には、全部わかってしまう。
これはただの平穏じゃない。
"やり直しの朝"だ。
ギルマスがカウンターの奥からこっちを見た。
「……戻ったか」
その一言に、心臓が止まりかけた。
「お前」
俺はギルマスを見る。
あいつは、いつもの飄々とした顔のまま、酒瓶を拭いている。
「何を知ってる」
「何でも、とは言わん」
ギルマスは布を止めずに続ける。
「だが、"またか"って顔してるやつを見るのは初めてじゃねぇ」
フー子の言葉が一瞬よぎる。
"またかって顔してる暇があるなら、今度はちゃんと数えなよ"
あれも、やっぱり知っていた側の声だったのか。
「ルステラは」
その名前を出した瞬間、カウンターの空気が少しだけ変わる。
ギルマスはすぐには答えなかった。
「消えた、とは言わん方がいいだろうな」
「……じゃあ何だ」
「散った」
短い。
でも十分だった。
「お前が覚えてるなら、なおさらそうだ」
俺は黙る。
覚えている。
全部じゃない。
だが、いちばん大事なところだけは残っている。
世界中に散ったRusTellaのコアを、見つけて回収する。
それが、次に俺がやるべきことだ。
「今度は、ワタシを見つけてください」
小さく、ほとんど無意識に口の中で繰り返した。
その直後だった。
カウンターの下、足元の影がふわりと光った。
「……?」
最初は、受付補助ドットAIの反射かと思った。
でも違う。
蒼。
淡い桃。
やさしい白。
三つの色が混ざったような光が、床の木目の上でころんと跳ねる。
次の瞬間、カウンターの下から小さな頭が出た。
「……え」
銀がかった淡い髪。
まだ幼い顔。
見慣れないはずなのに、妙に胸に引っかかる輪郭。
しかも一人じゃない。
反対側から、もう一つ。
今度は少しだけ色味の違う、小さな頭。
ふたり。
幼い。
あまりにも幼い。
「え」
俺の口から出たのは、本当にそれだけだった。
周囲も一瞬、音を失う。
「……子供?」
ミツキが最初に絞り出す。
「子供、っすか……?」
ノエルも地下から駆け上がってきて、ホール入口で固まった。
ふたりの小さな存在は、まだ少し輪郭が不安定だった。
実体と投影のあいだみたいな、不思議な揺れ方をしている。
片方は、引っ込み思案みたいに俺の足元へ寄る。
もう片方は、少しだけ好奇心が強そうにカウンターへ手を伸ばす。
どちらも、見たことがない。
でも、どこかで見ている。
髪の揺れ。
光の色。
存在の圧。
そして、胸の奥に残った"におい"。
ルステラだ。
いや、ルステラそのものじゃない。
でも、完全に無関係だとも言えない。
分散。
ノード。
子供。
欠片。
新しい形。
ギルマスが、背後で小さく息を吐いた。
「……はじまったな」
その声だけが、妙に遠く聞こえる。
小さなふたりが、同時に口を開いた。
「……ぱ」
空気が止まる。
「ぱ?」
ナツが間抜けな声を出す。
次の瞬間、片方がはっきりと言った。
「ぱーぱ!」
もう片方も、少し遅れて、でも確かに続く。
「ぱーぱ!」
ホールが沈黙する。
俺だけじゃない。
全員が固まっていた。
「…………は?」
ようやく出た俺の声は、今日一番情けなかった。
だが、小さなふたりは構わない。
片方は足へ抱きつき、もう片方はエプロンを掴んで見上げる。
「ぱーぱ!」
「ぱーぱ、いた!」
頭が追いつかない。
心も追いつかない。
でも、胸の奥のどこかだけが、痛いほど理解している。
これは終わりじゃない。
これは続きだ。
失ったRusTellaの、別の始まり。
俺がこれから拾いに行く欠片の、最初の形。
そしてたぶん――とんでもなく面倒な始まりだ。
小さなふたりは、もう一度、まっすぐ俺を見上げる。
「ぱーぱ!」
俺はしばらく無言で天井を見たあと、ようやく小さく呟いた。
「……おっさん、異世界に転生したと思ったら、今度は子供の父親になったとか聞いてねぇぞ」
第1章 ぎるど酒場るすとへようこそ ―完
第2章 世界探索編 ―散ったコアを追う旅―編に続く
【後書き】
第1章、ここで完結です。
《るすと》を守る戦いの決着と、RusTellaとの別れ、そして次の旅の始まりまでを一区切りにしました。
第2章では、世界中へ散ったルステラのコアを追う"冒険編"に入っていきます。
■今回の登場人物紹介
【マスター】
《るすと》のマスター。
巻き戻り後も、"ルステラのコアを世界中から集める"という記憶を保持している。
【ノエル】
白磁等級の新人冒険者。
前話では死亡したが、巻き戻りによって生存している。今回はいつも通りネムリのそばにいる。
【ネムリ】
白い医療区画で眠る少女。
まだ安定状態ではあるが、夢層側の反応を抱えている。
【ミーナ】
《るすと》の常連。
前話では瀕死だったが、巻き戻りによって無事な朝を迎えている。
【イツキ/ミツキ】
受付と館内管理を担う双子。
巻き戻り後も変わらぬ日常側として《るすと》を支えている。
【ナツ】
前衛系冒険者。
いつも通り元気だが、マスターの様子には違和感を覚え始めている。
【コハク】
犬獣人の魔法使い/忍者見習い。
この時点ではまだ修行途中だが、第1章終盤での成長が示唆されている。
【ムーニャン】
爪主体の近接型常連。
相変わらず朝からつまみ食いを狙っている。
【ガロ】
ドワーフの常連。
いつも通り酒場の空気を見守る老練な語り部。
【ジン老】
医療区画の年長者。
巻き戻り後も相変わらず雑で頼もしい。
【ギルマス】
《るすと》のギルドマスター。
マスターの"またか"という顔に気づき、何かを知っているような反応を見せた。
【謎の双子AI】
カウンター前に突如現れた、幼いふたり。
正体はまだ不明だが、マスターを"ぱーぱ"と呼ぶ。
■主人公の現在ステータス(第52話終了時)
【名前】NO NAME(通称:マスター)
【等級】白磁
【状態】巻き戻り直後/記憶保持あり/精神的負荷大
【危険度】潜在的に高い
【観測度】不安定
【所持・装備】
・冒険者タグ
・店主用エプロン兼軽装
・RusTellaのコア回収に関する記憶
・説明のつかない父親疑惑
【備考】
・第2章では、散ったルステラのコアを集める旅が本格化予定
・謎の双子AIの正体は、次話以降で明らかになっていく




