第4話 酒場の外は、ゲームじゃない ――はじめてのクエストは「帰ってくる」こと――
討伐なし。目的は街道沿いを見て、異常がなければ帰ってくるだけ。
けれど《るすと》の外では、帰還そのものがクエストになる。
ゲームの皮をかぶった現実へ、マスターとノエルが踏み出します。
朝の《るすと》は、夜とはまるで別の顔をしている。
カウンターに並ぶグラスはすべて伏せられ、床は無駄にきれいだ。
あれだけ騒がしかった酒場が、まるで何事もなかったかのように静まり返っている。
――正直、嫌な予感しかしない。
「……本当に、行くんですね」
そう言って隣で装備を確認しているのは、白磁等級の新人、ノエルだ。
昨日まで酒場でオロオロしていた少年が、今日は剣を腰に差している。
「行くっていうか、帰ってくるだけだ」
俺はクエストボードを指差す。
《街道沿い索敵》
《内容:異常なしの場合は即帰還》
《討伐指定:なし》
《失敗条件:未帰還》
報酬も最低限。
討伐指定なし。
いわゆるチュートリアル――のはずなのだが。
「失敗条件が未帰還って時点で、もう嫌なんだよな」
「でも、冒険ですよね」
ノエルは不安そうに笑った。
「冒険っぽい言葉に騙されるな。これは確認作業だ」
カウンターの向こうで、イツキが帳簿をめくりながら軽い声を投げてくる。
「ま、生きて戻ってきたら合格ってやつ? 死んだら不合格。シンプルでしょ」
「さらっと怖いこと言うな」
ミツキは心配そうにノエルを見る。
「無理だと思ったら、すぐ戻ってきてくださいね」
ガロは何も言わず、俺に小さな札を投げた。
「冒険者タグだ。近距離通信に使える。ただし長くは持たん。迷ったら、喋る前に戻れ」
「喋る前に?」
「助けを呼ぶ時間があるなら、足を動かせ」
その横で、梁の上の猫耳メイドが足をぶらぶらさせていた。
「帰る判断、大事アル。帰れないやつ、だいたい死ぬネ」
「急にまともなこと言うな」
「ムーニャン、まともな時もあるニャ」
ガロが低く言った。
「あいつの忠告は、たまに当たる。たまにだから厄介だがな」
ありがたい助言なのに、全部が怖い。
―――――
酒場の扉を開けた瞬間、空気が変わった。
色が薄い。
音が、やけに遠い。
外に広がっていたのは、荒れた街道だった。
道と言っても、土を踏み固めただけの線に近い。左右には痩せた草と黒ずんだ岩。遠くには、崩れた塔のような影が見える。
そんな街道の端に、妙にまっすぐな黒い地面が少しだけ残っていた。
石でも土でもない。割れて、白い線のようなものが薄く残っている。
「……道路?」
口にしてから、自分で首を振った。
こんな異世界に、道路なんてあるわけがない。
けれど、その割れた黒い地面は、俺の記憶にあるアスファルトに似ていた。
ほかはどこも殺風景だ。
ここは“住めるように作られていない場所”。
ギルマスの説明を思い出す。
HUDは表示されている。
レベルも、HPも、MPも。
なのに、身体が重い。
「……あれ?」
ノエルが足を止めた。
「どうした」
「なんか、足が重いです」
「俺もだ」
数値はある。
だが、それが保証にならない。
ゲームの中なら、ステータスが全てだ。
けれど、この世界では地面の硬さも、空気の薄さも、恐怖で呼吸が浅くなることも、全部が身体に乗ってくる。
「行き過ぎるな。異常がなければ帰還だ」
「はい」
街道を進む。
五分。
十分。
何も起きない。
何も起きないことが、逆に怖い。
やがて、道の端に壊れた荷車が見えた。
車輪が片方外れ、荷物の箱が割れている。中身は空だった。
「昨日までは、なかったんですよね」
「たぶんな」
ノエルが剣を抜きかけた。
「待て」
俺は手で制した。
荷車の影で、何かが揺れている。
青い。
小さい。
スライムだ。
ただし、昨日のクエスト空間で見たスライムとは違う。
輪郭が滲んでいる。
動きが一拍遅れて、目で追うたびに位置がずれる。
《対象:バグスライム》
《推奨対応:接触回避》
「接触回避って出てる。戦うな」
「でも、一匹だけなら――」
「ノエル」
俺は声を低くした。
「このクエストの目的は、勝つことじゃない。帰ることだ」
ノエルは息を飲んだ。
その瞬間、バグスライムが跳ねた。
速い。
いや、速いというより、途中の動きが抜けている。次のコマだけ急に表示されたみたいに、目の前へ来る。
「っ――!」
ノエルが剣を振る。
当たった。
はずだった。
剣はスライムの中心を通り抜け、遅れて青い体がぐにゃりと歪む。
「判定がズレてる……!」
ノエルの足元が滑った。
バグスライムが跳ねる。
俺は反射的に前に出て、木の棒を地面へ叩きつけた。
攻撃じゃない。
音を出しただけだ。
スライムの進路が、ほんの少し逸れる。
ゲームの敵AIなら、音や近い対象に反応することがある。
そんな古い知識が、なぜか役に立った。
「走れ!」
「えっ!?」
「いいから来い!」
俺はノエルの腕を掴み、走った。
背後で、ぬちゃ、ぬちゃ、と嫌な音が追ってくる。
一本道のはずなのに、戻れない。
景色が、わずかにずれる。
「な、なんで……!」
「知らん! 考えるな、走れ!」
息が切れる。
足がもつれる。
四十二歳の身体は、ゲームの主人公みたいには動かない。
それでも走るしかなかった。
その時、胸元の冒険者タグが熱を持った。
《冒険者タグ通信、受信》
《発信元:ギルド酒場》
イツキの声が、ノイズ混じりに響く。
《聞こえる? いいから――ギルドに帰還せよ!》
短い。
命令形。
迷う余地はなかった。
俺はタグを握りしめる。
「帰還!」
《帰還申請》
《距離:不安定》
《経路補正》
視界がひっくり返った。
*****
次の瞬間、俺たちは酒場の前に転がり込んでいた。
扉を押し開けた瞬間、酒と油の匂いの奥に、生温い鉄と臓物の臭いが重なった。
ちょうど向かいから、別のパーティが運び込まれてくる。
担架が二つ。
一つは布で覆われ、端から赤黒い液が床に滴っている。
もう一つは回収袋――口が甘く縛られた黒い袋だった。
昨日見た死体袋と同じもの。
今度は、名前札が見えた。
朝、俺たちが出る前に、酒場の奥で笑っていた若い冒険者の名前だった。
「……うそ」
ノエルの声が震えた。
俺は何も言えなかった。
勝たなくていいクエストだった。
ただ帰ってくるだけの仕事だった。
それでも、一歩間違えれば、俺たちもあの袋に入っていた。
ガロが近づいてきて、俺たちを見下ろす。
「戻ったな」
「……ああ」
「なら合格だ」
「こんなのが、合格なのかよ」
ガロは答えなかった。
イツキが端末を操作する。
《街道沿い索敵:達成》
《異常報告:バグスライム》
《個人ノルマ:2 → 1》
《報酬:15G》
ノルマは減った。
生きて戻った。
けれど、胸の奥が冷たいままだった。
ゲームの外に出たわけじゃない。
ゲームみたいな世界の中で、現実の死を見ただけだ。
俺は、黒い袋から目を逸らせなかった。
この酒場は、帰ってくる場所だ。
だからこそ――帰ってこられなかった奴の重さが、床に残る。
今回のゲームネタは「戦闘しなくていいクエストほど、実は危ない」です。
RPGでも偵察やお使い系イベントが、急に本編級の危険に繋がることがありますよね。
主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:白磁未満
HP:7/10
MP:不明
状態:街道索敵達成/外界の死を目撃/精神負荷上昇
所持品:25G、冒険者タグ
装備:木の棒、現代日本の服
危険度:中
観測度:微上昇
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