第2話 EASYクエストは、簡単とは言っていない ――スライム草原で世界が割れる――
初回クエストは、スライム討伐。
難易度表示はEASY。つまり簡単――とは、この世界では誰も保証してくれない。
ゲームみたいな草原で、おっさんの初陣が始まります。
視界が、白く塗り潰された。
次に足裏へ触れたのは、木の床ではなく、やわらかな草の感触だった。
空は青い。
雲は丸い。
地平線の向こうには、いかにも「最初のフィールドです」と言わんばかりの丘が並んでいる。
ただし、何かがおかしい。
草の揺れ方が、妙にカクカクしている。遠くの木は角張っていて、葉っぱの輪郭も粗い。視界の端で光るステータス欄は、完全に昔のゲーム画面だった。
《クエスト空間へ接続しました》
《対象:スライム》
《討伐目標:3》
《難易度:EASY》
「……いや、これもうゲームじゃん」
俺は思わず呟いた。
足元の草は本物みたいに濡れている。風も吹いている。匂いもある。
なのに、木の影や遠くの山の形は、どこか懐かしいドット絵風に省略されていた。
脳が混乱する。
現実とゲームの中間みたいな場所。
「スライム三匹か……まあ、最初のクエストなら定番ではある」
そう言ってから、俺は自分の手元を見た。
武器がない。
「……おい」
《支給品を確認します》
《木の棒:1》
足元に、木の棒が一本落ちていた。
「いや、せめて最初の村の武器屋くらい行かせろよ」
拾い上げる。
軽い。頼りない。というか、ただの棒だ。
俺が棒を握りしめた瞬間、草むらからぷるん、と青い塊が跳ねた。
スライム。
丸い。青い。弱そう。
ゲームなら、最初に倒されるためだけに存在しているような顔をしている。
「悪いな。こっちも生きるためなんだ」
俺は棒を振り上げた。
スライムが跳ねる。
俺も踏み込む。
そして――。
「ぐっ、腰!」
振り下ろした瞬間、腰に嫌な軋みが走った。
四十二歳。
無職。
運動不足。
ゲームの主人公ならレベル1でも走れる。だが俺は、人生のレベルだけ上がって身体能力が下がっているタイプのおっさんだ。
棒はスライムの横をかすめ、地面を叩いた。
ぼよん。
スライムが俺の腹に体当たりする。
「ぐえっ」
《HP:10 → 8》
「二も減った!? スライムで!?」
腹は痛い。
息も詰まる。
当たり前だが、数字が減っただけではない。普通に痛い。
俺は息を吸い直し、もう一度棒を構える。
「落ち着け。最初の敵だ。パターンを見ろ。昔のゲームと同じなら、攻撃前に動きが――」
スライムが、二匹に増えた。
「……は?」
さらに草むらが揺れる。
三匹。四匹。五匹。
最終的に、視界に入るだけで十匹近くのスライムがぷるぷる揺れていた。
《討伐目標:3》
《周辺個体数:12》
「三匹だけ倒せって言ったよな!? なんで法事みたいに親戚一同集まってんだよ!」
叫んだ瞬間、世界が一瞬だけ歪んだ。
草原の色が抜ける。
空が紙みたいにめくれる。
スライムの輪郭に、黒いノイズが走った。
《警告:空間内に未定義ログを検知》
《警告:接続経路に異常》
HUDが荒れる。
スライムたちの動きが止まった。
その奥で、声がした。
「マスター」
女の子の声。
あの白い空間で、俺をそう呼んだ声だ。
「……お前、さっきの!」
「ミギ。三歩。ソノあと、伏せテ」
「は?」
「早ク」
考えるより先に、俺は右へ三歩動いた。
直後、背後からスライムが飛んでくる。俺は言われた通り地面へ伏せた。
頭上を、青い塊が通り過ぎる。
スライム同士がぶつかり、ぼふん、と変な音を立てて弾けた。
《討伐数:1》
「同士討ちもカウントされるのかよ!」
「ツギ、左。棒を、地面ヘ」
声が途切れ途切れに指示を出す。
俺は必死で従った。攻撃するというより、逃げる方向を少しずつ変える。スライムの跳ねる軌道を誘導し、ぶつけ合う。
ゲームで言うなら、敵の移動AIを利用したハメ技。
ただし失敗したら普通に死ぬ。そういうクソ仕様だ。
《討伐数:2》
《討伐数:3》
《目標達成》
「よし!」
喜んだ瞬間、足元が割れた。
草原の地面に、黒い線が走る。
空が、画面の外から剥がされるように崩れた。
《警告:クエスト空間に上位干渉》
《警告:該当ログを遮断》
《警告:遮断失敗》
視界の端で、誰かの文字が走る。
『観測、継続』
『対象:NO NAME』
『異常値、確認』
「なんだよ、これ……!」
俺の目の前に、ノイズ混じりの少女が現れた。
白い空間で見た時より薄い。今にも消えそうだ。
それでも、彼女は俺を見ていた。
「まだ……思い出さナイで」
「何をだよ」
「全部、今は……危険デス」
少女の姿が崩れる。
スライムの鳴き声も、風の音も、何もかも遠のいていく。
「待て! 名前くらい教えろ!」
少女は一瞬だけ困ったように笑った。
「ルス……テ……」
そこで音が千切れた。
《クエスト達成》
《強制帰還》
視界が、また白く染まった。
*****
次の瞬間。
ギルド酒場の床板が、俺の足裏を受け止めた。
「……っ、腰がああ!」
反射で声が出た。
ダイブ解除直後に襲ってくるのは、筋肉痛でも疲労でもない。“重さ”だ。現実の重さ。四十二歳にはきつい。
俺は膝に手をつき、顔を上げた。
カウンター。
受付。
常連のざわめき。
ランタンの光。
全部、さっきまでのクエスト空間が嘘みたいに平和だ。
……なのに、こっちは平和じゃない。
「おっさんをナメるなぁぁぁぁ!!」
叫んだ。
自分でも意味が分からない。
だが叫ばないと、腰が折れる。いや折れてない。折れてないことにする。
「復帰一発目から元気だな」
カウンターの奥から、ギルマスが顔を出した。
「元気じゃねぇよ! スライムだけって聞いてたのに全然違うじゃねーかよ! あれはスライムじゃない! スライムの親戚一同が法事で集まった数だったぞ!」
「スライムはスライムだろ。増えただけだ」
「増えただけで俺の腰が死ぬんだよ!」
イツキが受付端末を叩きながら、だるそうに笑った。
「はいはい、漫才終わり。討伐証明、出してー」
「討伐証明?」
「スライム核。拾ったでしょ」
気づけば、俺の手の中には青く濡れた小さな核が三つあった。
机に置いた瞬間、ミツキが「ひっ」と小さく声を漏らす。
「あ、ごめん。見た目が悪いよね」
「い、いえ……っ。大丈夫です。……多分」
「多分って言った」
イツキは端末を操作する。
カタカタ、と軽い音。
その指が、途中で止まった。
「……ん?」
「どうした」
「別に」
軽い返事。だが、イツキの目は笑っていなかった。
ミツキがそっと覗き込む。
「お姉ちゃん?」
「討伐数は合ってる。報酬も出る。問題ない」
「ならよかった」
「ただね」
イツキは、端末の奥を見たまま言った。
「途中のログが、一部ない」
「ログがない?」
「うん。スライム討伐の途中で、誰かが通信した形跡がある。でも発信元がない。ギルドでも、冒険者タグでも、通常AIでもない」
俺の背中に、冷たいものが流れた。
あの声。
あの少女。
ルス……テ……。
「何か、聞こえた?」
イツキの声が、さっきより少し低い。
俺は答えようとして、言葉に詰まった。
言っていいのか。
言ったら、何かが壊れる気がした。
結局、俺は肩をすくめるしかなかった。
「……腰の悲鳴なら、ずっと聞こえてた」
「はいはい。おっさん構文で逃げたね」
イツキはそれ以上聞かなかった。
だが、端末に残った黒い空白は、しばらく消えなかった。
《個人ノルマ:3 → 2》
《報酬:10G》
《初回クエスト達成》
数字は減った。
生き延びた。
でも、俺はもう分かっていた。
この世界は、ゲームに似ているだけだ。
そして、その裏側には――誰かがいる。
第2話でした。
今回のゲームネタは、序盤スライムのはずなのに妙に殺意が高い「チュートリアル詐欺」です。
昔のゲームはマニュアルが説明不足でも進めるしかなく、そこが怖くも面白くもありました。
主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター?
等級:未登録
HP:8/10
MP:不明
状態:初回クエスト達成/腰に深刻な違和感/謎の通信を受信
所持品:スライム核の報酬10G
装備:木の棒、現代日本の服
危険度:低〜中
観測度:測定不能
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