第209話 神権工廠編04 炉心前通路の熱 ――直すという名の手が、右腕から心まで届き始める――
第三仮アンカーは確保された。
だが、帰り道が太くなったぶん、炉の手も近づいてくる。
炉心前通路で、マスターの右腕がついに工廠側へ引かれ始める。
【炉心前通路:開放】
【熱量:上昇】
【修復炉心:接近】
【注意:未完了修復対象への誘導強度上昇】
第三仮アンカー《炉外搬入口》を確保した直後、奥の通路が開いた。
だがどちらかといえば開いた、というより、炉がパックリとこちらを招きいれた、といったほうが正しく感じられた。
赤黒い光が、通路の奥から漏れてくる。
壁面に並ぶ修復台の番号が、熱で歪んで読みにくい。
床には搬送レール。
天井には赤熱した配管。
奥からは、一定の間隔で槌の音が響いていた。
ごうん。ごうん。
音が鳴るたび、連鎖するように右腕が震える。
「まだ......呼んでるな」
俺は右腕神経補助義肢を左手で押さえた。
まるで、腕だけが先に行きたがっているみたいだった。
いや、違う。
炉が、俺の腕を引いているのだ。
ルースがログを確認する。
「誘導信号、強まっています」
アオイはフクロウ型の案内外套に半分埋もれたまま、奥を見つめていた。
「......次、熱いです」
【発言補助:次の領域は、炉心前通路です】
それは、わざわざ言われなくても分かった。
そこは空気が赤い。
比喩ではない。
本当に、熱の層がゆらゆらと視界を揺らしている。
冷却材の白い欠片が床に落ちた瞬間、じゅう、と音を立てて蒸発した。
ツグミが顔をしかめる。
「ここ、火が強すぎるわ。料理なら全部焦げるレベルとよ」
「......」
「急いで、でも雑に走ったら死ぬばい」
「見たまんまで、嫌だな。確かにすげえ暑いし」
ナツが槍を握り直し、俺の前へ出た。
「先輩、足元注意ッス。自分が前に出るッス」
「頼む。今の俺、熱にも床にも腕にも信用されてないからな」
「先輩、信用されなくていい相手ばっかりッスね!」
言われてみれば、そうだった。
俺たちは炉心前通路へ踏み込んだ。
足元の搬送レールは黒く焼けている。
だが、完全に死んでいるわけではない。
ときどき、床の奥で歯車が噛み合うような音がした。
カケルがしゃがみ込み、レールの溝を覗く。
「搬送系が生きてる。気をつけろ。これ、まだ動くぞ」
「......人間を運ぶやつか?」
「人間か、素材か、修復対象か。ここじゃ全部、同じ扱いかもしれねぇ」
「気分の悪い三択だな」
そのとき、通信が入った。
『炉内組、聞こえますか』
ルステラの声だった。
いつもより少しだけ硬い。
『炉心前通路への進入により、キャリア側の負荷が上昇しています』
同時に、ログが開く。
【キャリア冷却補助:高負荷】
【TANISHI-01:交代制運用中】
【ポセイドン分体:湿度維持】
【コハク結界:熱遮断補助】
【警告:ステラ・ステルス補助との同時維持が困難】
キャリア側の映像が、半透明の通信窓に映る。
TANISHI-01は交代制で稼働していた。
タニシがペダルに戻っているが、前みたいに無理に漕がされている感じではない。短時間集中、交代前提で運用されている。
『自分、短時間集中で漕ぐっす! これは根性じゃなくてローテーション管理っす!』
タニシが汗だくで言う。
イツキの通信が即座に重なった。
『いい言葉覚えたじゃん。じゃ、倒れない範囲でよろしく』
『了解っす! 大盛り権と命は両立するっす!』
「命と大盛りを並べるなお前は」
俺が思わずツッコむと、別の通信が割り込んだ。
『結界、熱遮断寄りに張るでござるワン! でも、ちょっと暑いでござる!』
コハクの声だ。
いつもの忍犬口調だが、少し息が荒い。
続いて、水の揺れる音。
『湿度上げるわよ! ダーリン一行を干からびさせるくらいなら、ポメ子が霧になるわ!』
「霧になる前に戻っとけよ」
『ダーリンが心配してくれたわ♡ 湿度百二十パーセント!!!』
「上げすぎるなっての」
ヘラクレスの笑い声も混ざった。
『ハッハッハ! 熱なら筋肉で押し返せ!』
ルステラが淡々とログを出す。
【筋肉による熱遮断:非対応】
『むう、世界はまだ筋肉に追いついていないか!』
「追いつかなくていい世界もあるだろ!」
短い笑いが起きた。
だが、その直後、ルステラの声が少しだけ沈む。
『マスター。現在、私はキャリア冷却、ステラ・ステルス補助、マスター接続の三系統を同時維持しています』
通信窓の中で、ステラがルステラの袖を握っていた。
『まーま、ぱーぱ、いたい?』
『痛覚負荷は上昇しています』
ルステラは答えた。
だが、その言葉には迷いが混じっていた。
『マスターとの接続を強めれば、右腕干渉を抑えられます。ただし、その場合、キャリア冷却またはステラ・ステルス補助が低下します』
ステラが、ぎゅっと袖を握る。
『まーま、ぱーぱを助けて』
『ステラ、あなたの観測隠蔽も必要ばびです』
『でも、ぱーぱ、いたがってる』
通信越しなのに、その小さな声は胸に来た。
ルステラは、今もキャリア全体を守っている。
ステラを隠している。
俺との接続も切っていない。
全部守ろうとしている。だから、苦しいところだ。
「ルステラ」
俺は右腕を押さえながら言った。
「こっちはまだ持つ。ステラとキャリアを優先しろ」
『オススメしません』
「だろうな。でも、俺はまだ俺の腕を握れてる」
右腕が、ぎしりと鳴った。
まるで、その言葉に反発するように。
次の瞬間、床が動いた。
【搬送レール:起動】
【対象誘導:NO NAME】
【車椅子固定点:照合】
【修復炉心へ搬送準備】
「今度は床かよ!」
俺の車椅子の車輪が、床の溝に引っかかった。
搬送レールが動き、車椅子ごと俺を炉心側へ引っ張ろうとする。
「先輩、車椅子ごと持ってかれてるッスよ!」
ナツが後ろから車椅子を掴む。
槍を床に突き立て、全力で踏ん張った。
「先輩、動かないでくださいッス! 車椅子ごと踏ん張るッス!」
「俺も踏ん張りたいところだが、床にスカウトされてんだよ!」
ムーニャンが配管の上から叫ぶ。
「床が敵なの嫌すぎるアル!」
カケルがレールの端へ走る。
「レールの制御を切る! だが、近くに制御盤がねぇ!」
アオイが、熱に揺らぐ地図ログを見た。
「......あそこ、古い分岐......あります」
【発言補助:搬送レールの分岐制御跡があります】
アオイが示した先に、焼け焦げた制御箱が半分だけ壁に埋まっていた。
遠い。
しかも、床のレールは俺をそちらと逆方向、炉心側へ引いている。
「ムーニャン!」
「分かってるアル!」
ムーニャンが配管から飛び降り、搬送レールの可動部へ拳を叩き込む。
「氷牙拳――床にも効くか試すアル!」
白い霜がレールの溝を走る。
だが、炉心前通路の熱が強い。霜はすぐに溶けかける。
ツグミが冷却材の小瓶を構えた。
「|rail freeze、合わせるばい!」
「英語にすればなんでも専門っぽくなると思うなよ!」
「専門っぽいやない。今、専門にしたけん」
「強引すぎるわあ!」
ツグミがポイっと冷却材を投げる。
ムーニャンの氷牙拳で冷えたレールに、白い冷却材が絡みついた。
【搬送レール:温度急低下】
【可動効率:低下】
【車椅子固定解除まで:6秒】
ルースが告げる。
「猶予は、六秒です」
ナツが歯を食いしばった。
「六秒あれば、先輩を押し戻せるッス!」
ナツが車椅子を全力で押し返す。
俺も左手で車輪を掴む。
だが右腕は、奥へ行きたがるように震えていた。
カケルが制御箱に飛びつく。
「こっちは任せろ! レールの行き先を変える!」
焼けた蓋を工具でこじ開ける。
中には、古い配線と赤く脈打つ制御コアがあった。
「ち、熱っつ......!」
「大丈夫か、カケル!」
「おう大丈夫だ! 手袋が先にちょーっとだけ泣いてるだけだ!」
「全然大丈夫じゃない言い方!!」
その瞬間、俺の右腕が跳ねた。
【右腕神経補助義肢:外部制御侵入】
【同期率:危険域】
【警告:操作権限競合】
右腕が、俺の意思を振り切って伸びる。
向かった先は、カケルの制御箱だった。
「カケル、避けろ!」
「おい、マスター!」
「俺に言うな! 俺の腕だけど今ちょっと俺じゃねぇんだ!」
カケルが身を引く。
右腕の指が、制御箱の中へ伸びる。
炉心搬送を再開するために、カケルの作業を邪魔しようとしていた。
「先輩、すみませんッス!」
ナツが俺の右腕にしがみついた。
だが、義肢の力は強い。ナツの足が床を滑る。
「謝らんでいい、止めろ!」
「止めてるッス! でも先輩の右腕、めちゃくちゃ力強いッス!」
「俺の腕なのに全然言うこと聞かねぇ!!」
俺は左手と体重で右腕を押さえ込んだ。
胸の奥の心肺補助コアが、嫌な音を立てる。
【心肺補助コア:負荷上昇】
【警告:意識混濁リスク】
【警告:戦闘行動を停止してください】
視界が揺れる。
熱い。
息が重い。
右腕だけが、俺ではないものになっていく。
ルースが鋭く言う。
「マスター、危険です」
「分かってる。でも、これを渡したら帰り道が消える」
右腕がさらに制御箱へ伸びる。
その時、通信越しにルステラの声が響いた。
『マスター接続を一時増幅します』
ルースが即座に反応する。
「その場合、キャリア冷却が低下します」
『三秒だけです』
【ルステラ接続:一時増幅】
【持続可能時間:3秒】
【キャリア冷却:一時低下】
【ステラ・ステルス:維持限界】
ステラの声が入る。
『まーま、やって』
コハクも叫んだ。
『結界で三秒、支えるでござるワン!』
ポメ子の声も重なる。
『湿度で冷却を持たせるわ! ダーリンを焼かせない!』
タニシ。
『自分も漕ぐっす! 三秒だけなら気合いで全力、出せるっす!』
ヘラクレス。
『われの筋肉も三秒なら任せろ!』
ルステラの声が、静かに全員へ届く。
『全員、三秒だけ支えてください』
次の瞬間、青白い光が俺の右腕に届いた。
ルステラの光だ。
キャリア全体を包んでいた守護AIの演算が、ほんの一瞬だけ俺へ寄る。
右腕の奥に、別の声が入り込んでくる。
【修復炉へ】
【最適化】
【誘導に従ってください】
その上から、ルステラの声が重なった。
『マスター。あなたの腕です』
「分かってる」
俺は歯を食いしばった。
「戻れ!――俺の腕」
【外部制御侵入:遮断】
【右腕神経補助義肢:操作権限復帰】
【同期率:低安定】
右腕の震えが止まった。
完全じゃない。
まだ重い。
まだ遅い。
それでも、戻ってきた。
「カケル!」
「もうやってる!」
カケルが制御箱にパッチを打ち込む。
「行き先、変更だ!」
【搬送レール:制御権限競合】
【搬送先:修復炉心】
【搬送先:炉外搬入口】
【経路再定義:成功】
床の搬送レールが、ぎぎぎ、と逆方向へ動いた。
炉心側へ伸びていた補助アームが、逆流するレールに引っかかり、押し戻される。
ナツが最後の力で俺の車椅子を押し戻した。
「うおおおッス!」
「後輩、掛け声が完全に部活!」
「今は部活でもなんでもいいッス!」
車輪がレールから外れた。
俺は大きく息を吐く。
「お前、やったのか?」
カケルは親指を立てた。
「やった。たぶん」
「たぶんで済ませるな」
「そこにベットしろ」
「お前のベット、命を賭ける場面が多すぎねぇか?」
ナツが肩で息をしながら笑った。
「はぁ、はぁ......でも、助かったッスね!」
ツグミが制御箱を覗き込む。
「今のは |route change やね」
「急に専門用語っぽくするな!」
「実際、経路変えたけん」
「正しいけど、言い方はやっぱ腹立つ!」
アオイが、レールの青白い線を見つめた。
「......道、少しだけ......こっち向きました」
【発言補助:搬送路の一部を帰還方向へ再定義しました】
ログが開く。
【炉心前通路:中間制御点確保】
【搬送レール:一部逆流化】
【キャリア支援範囲:維持】
【炉心誘導信号:一時低下】
炉心前通路の中間制御点。
完全攻略ではない。
それでも、こっちの足場がひとつできた。
その瞬間、炉心の奥から声が届いた。
通信ではない。
熱そのものが、言葉になったような声だった。
『......その腕、焼きが甘いな』
俺は思わず顔をしかめた。
「初対面の第一声がそれか――」
槌の音が混じる。
ごうん。
『芯がぶれている。神経が遅い。補助炉心も弱い。使い物にならん』
「ひでえ言い方」
カケルが、俺より先に怒った。
「使い物にならん、じゃねぇ。使うやつがいるんだよ」
声は少しだけ沈黙した。
そして、低く響いた。
『なら、その手で証明してみせろ』
空気が重くなる。
『貴様、修理と作り替えの違いを語ったな、カケル』
カケルの表情が固まる。
「聞いてやがったのか」
『見えている。聞こえている。だが、今は槌を止める価値を測っている』
「お前、偉そうだな」
俺が言うと、声はわずかに笑ったように聞こえた。
『炉へ来い。未完了修復対象』
ごうん。
槌の音。
『壊れたまま進むなら、どこまで壊れず残るか見てやる』
その言葉を最後に、声は途切れた。
だが、熱は消えない。
通信窓に、キャリア側のログが流れる。
【キャリア冷却補助:限界接近】
【ルステラ演算負荷:上昇】
【ステラ・ステルス補助:揺らぎ検出】
【警告:長時間滞在非推奨】
ルステラの声が、少しだけ乱れていた。
『マスター、次の領域に長く留まるのは危険です』
「戻るか、進むか、選べってことか」
『正確には、短時間で進み、短時間で戻る必要があります』
カケルが苦笑する。
「つまり、炉心前で部品を拾って、制御を奪って、ヘパイストスに会って、生きて帰る」
「全部盛りじゃねぇか」
ツグミが真顔で言う。
「定食なら赤字やね」
「経営目線やめろ」
ナツが槍を握り直した。
「でも、行くしかないッスよね、先輩」
「ああ、ここまで来たならな」
俺は右腕を握った。
炉は直すと言っている。
ヘパイストスは、俺の腕を使い物にならないと言った。
だが、これはまだ俺の腕だ。
重くても。
遅くても。
壊れかけでも。
俺が、俺の意思で握っている。
「ここまで来て、修理台に寝てただ帰るわけにはいかない」
炉心は近い。
だがそこへ近づくほど、俺たちの帰る場所そのものが、熱で削られ始めていた。
■ 今回のお話について
第209話は、炉心前通路でマスターの右腕が本格的に工廠側へ干渉される回でした。
修復は魅力的です。
動かない腕が動く。
弱った体が戻る。
その誘惑は確かにあります。
けれど、本人の意思を奪えば、それは救いではありません。
今回は、マスターが「俺の腕」として右腕を取り戻す回でもありました。
また、ルステラはキャリア冷却、ステラ保護、マスター接続の三つを同時に支える限界に近づいています。
守るものが増えたからこそ、どこへ力を回すかという苦しさが出てきました。
■ ゲーマーおっさん解説
今回は、ボス前の高温エリア+ベルトコンベアギミック回です。
床そのものが敵になるタイプのステージですね。
『ロックマン』や『メトロイド』で、ボス前に足場やコンベア、熱ダメージでじわじわ削られる感じです。
今回は、敵を倒すというより、床の行き先を変える戦い。
マップギミックをこちらの帰還路に書き換えるのが攻略ポイントでした。
■ 登場キャラクター紹介
■ マスター
右腕を一時的に工廠側へ持っていかれかける。
それでも「俺の腕」として取り戻そうとする。
■ ルステラ
キャリア冷却、ステラ保護、マスター接続の三重負荷にさらされる。
三秒だけ接続を強め、マスターの右腕を取り戻す。
■ カケル
搬送レールの制御を奪い、行き先を変える。
ヘパイストスから“修理と作り替えの違いを知る手”として興味を持たれる。
■ ムーニャン
氷牙拳で搬送レールや炉守アームの動きを封じる。
高温エリアでは貴重な冷却系前衛補助。
■ ツグミ
冷却材を使い、レール停止や熱対策に貢献。
火と冷却の両方を厨房目線で扱う。
■ ヘパイストス
初めて直接通信。
敵意よりも、職人としての評価目線が強い。
マスターとカケルを“壊れた素材”ではなく、“手”として見始める。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:紅玉正式
状態:神権工廠地下炉・炉心前通路中間制御点到達/右腕義肢乗っ取り未遂
所持品:冒険者タグ、サイバネ補助手袋、各種遠征装備、ルステラ接続権限
装備:右腕神経補助義肢、心肺補助コア、旅装、簡易防具
同行中:ルース、アオイ、カケル、ツグミ、ナツ、ムーニャン
支援中:ルステラ、ステラ、コハク、タニシ、ヘラクレス、ポメ子
危険度:高
観測度:抑制中
備考:ヘパイストスから直接“未完了修復対象”として呼びかけられた。
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