第205話 神域遠征準備編05 タニシ、発電ユニットになる ――最初の神域は、鍛冶場の底にありました――
目的地は、もう決まっている。
最初の神域は、神権工廠地下炉。
だから今日は、誰が行き、誰が残るかを決める日だった。
翌朝の《るすと》には、昨日のツグミが作ってくれた美味しいまかないの匂いが、まだ少しだけ残っていた。
香辛料。焦げた肉の脂。
硬くなった黒パンを煮崩した、あの妙に腹へ残る匂い。
酒場というのは不思議なもので、皿を洗い終えても、誰かが笑った気配だけは床板の隙間に残るものだ。俺は車椅子の肘掛けに左手を置き、その匂いを吸い込みながら、奥の作戦卓を見ていた。
神権工廠地下炉。
前の会議で、最初の遠征先として登録された場所だ。火があり、炉があり、修理のための部品が眠っているかもしれない。つまり、《ルステラ・キャリア》を本当の遠征仕様にするための、最初の仕入れ先でもある。
ただし、向かう先は神の管理領域だ。
普通に、鼻歌まじりで向かえる普段の仕入れではない。
棚卸しのついでに死ぬ可能性があるタイプの仕入れだ。
「仕入れで死ぬ可能背のある店とか、嫌すぎるな」
思わず呟くと、横にいたルースが淡々と顔を上げた。
「死亡率は仕入れ先によりませんか?」
「真面目に返すな。余計に嫌になるだろ?」
ステラが俺の袖をつまむ。
「ぱーぱ、死なない仕入れにしてね」
「俺もそうしたいよステラ」
【警告:連続戦闘行動を禁止】
【警告:営業行動を禁止】
【警告:無理なツッコミを禁止】
「あと、お前は黙ってろ」
医療ログに文句を言うと、端末の光が一度だけ瞬いた。たぶん、無視された。AIに無視されるとバカにされたみたいでそれもむかつく。
俺の右腕神経補助義肢は、昨日より少しだけ動くようになっていた。けれど、まだ自分の腕というより、ずっしりと重い工具に近い感覚だ。胸の奥の心肺補助コアも、低い駆動音を続けていた。
俺のランクは現在、紅玉正式。
等級だけ見れば、ずいぶん遠くまで来たように思える。
だが今の俺は、ひとりでジョッキを持つのにも注意がいる身体である。
世界を救った後にコップを壊す心配をしているあたり、人生というゲームはバランス調整が雑すぎやしませんかね、神様。
「全員、揃った?」
イツキが帳簿を抱えたまま、作戦卓の端に立った。
今日の彼女は、遠征に行く顔ではない。店に残り、帳簿と会計と帰還席を守る側の顔だ。見た目はいつも通りの派手ガングロギャルだが、頼もしい。
「出発前の最終確認やるよ~。目的地の話はもういいね。決まってるから」
カケルが工具箱を肩に担ぎ、にやりと笑う。
「最初は炉に行くぞ」
「それ、何回も聞いた、あんた酔っぱらってずっと炉だ、炉が必要だってうるさいのよ」
「大事なことは何回でも言うもんだろ。火がなきゃ飯も作れねぇ。車も直せねぇ。酒場も温まらねぇだろが!」
ツグミが厨房の方から鍋の蓋を閉め、頷いた。
「火is a life やけんね」
「だから英語を混ぜるな、お前はあやしい外国人か」
「今のは short で分かりやすか」
「短ければいいってもんじゃねぇ!」
遠見のアオイが地図卓の前へ進んだ。フクロウ型の案内外套着ぐるみに半分埋もれたまま、小さな指で地下層の細い線を示す。
「......帰り道、まだ......薄いです」
【発言補助:帰還経路はまだ不安定です】
青白い線は、神権工廠地下炉へ向かって細く伸びている。途中に三つ、小さな点があった。
「これ、何だ?」
「......休むところ......です」
【発言補助:旧補給線の残響です。帰還用の仮アンカーとして使用できる可能性があります】
ルースがログを重ねる。
【仮アンカー候補:三地点】
【第一地点:低熱層】
【第二地点:旧冷却管跡】
【第三地点:炉外搬入口】
【注意:正式ビーコンではありません】
「つまり、正式ルートじゃないけど、途中で迷子にならないための目印にはなるってことか」
アオイは小さくコクリと頷いた。
「......はい。けど、消えかけ......です」
【発言補助:はい。ただし、時間経過で消失する可能性があります】
カケルが工具箱を開ける。
「だから今日出る。明日になったら線がさらに細くなるかもしれねぇ」
その言葉に、場の空気が少しだけ締まった。
今日が出発の日だ。
準備時間は、もう終わりに近い。
イツキが帳簿のページをめくった。
「じゃ、パーティ編成言うよ。今回は全員で突っ込まない。神域への遠征だけど、店を空にしたら意味がないからね」
地図卓に三つの表示が浮かぶ。
【炉内突入組】
【マスター/ルース/アオイ/カケル/ツグミ/ナツ/ムーニャン】
【キャリア待機・外周支援組】
【ルステラ/ステラ/コハク/タニシ/ヘラクレス/ポメ子】
【本店残留・帰還席防衛組】
【ミーナ/イツキ/ミツキ/ノエル/ガロ】
表示を見たタニシが、目を丸くした。
「拙者、本店残留じゃないでござるか!?」
カケルがにやりと笑う。
「お前はキャリア搭乗だ。後部発電席でTANISHI-01を漕ぐ」
「つまり拙者、遠征に同行するけど、戦場には出ず、自転車を漕ぐ係でござる!?」
「かなり正確だな」
「栄誉なのか屈辱なのか判断に困るでござる!」
イツキが帳簿を閉じながら言った。
「低観測電力は貴重だからね。タニシ、ちゃんと漕ぎなさいよ」
「イツキ殿、本店から命令だけ飛ばしてくるの強すぎるでござる!」
次にノエルが、一歩前に出た。
「僕も、行けますよ!」
声は震えていない。
等級が鋼鉄正式になった少年は、もう守られるだけの新人の顔はしていなかった。
だからこそ、俺は首を横に振った。
「分かってる。だからこそ、残ってくれ」
「え?」
「帰る場所を守れるやつがいないと、俺たちは遠くへ行けない。ノエル、お前は本店側を頼む。子供たちもいるんだ」
ノエルは一瞬だけ唇を結んだ。
たぶん、悔しかったのだと思う。
けれど、その悔しさを飲み込んで、彼は小さく頷いた。
「......はい。帰る場所、守ります」
ミーナがカウンターの内側でグラスを拭きながら、短く言う。
「いい返事だよ」
ノエルは少しだけ照れたように視線を落とした。
イツキは帳簿を抱え直す。
「私は本店。遠征会計、Z.E.U.Sコイン使用監視、帰還席まわりの記録をやる。誰かが財布を握ってないと、あんたたち勢いで変な炉とかいらないもん買ってくるでしょ?」
カケルが視線を逸らした。
「炉は......買えるなら欲しいんだけど(小声)」
「ほーらね」「カケルてめぇ、絶対買うなよ。殺すからな」
イツキにそう脅されると、カケルは肩をすくめた。
「じゃあ、拾ってくるもんね」
「子供か!」俺がツッコむ。
ミツキはミーナの横に立ち、静かに笑う。
「私は、皆さんが戻ってきた時の席と温かいものを用意しておきます」
「それ、何気に一番大事なやつだな」
俺がそう返すと、ミツキはいつもの柔らかい顔で頷いた。
その時、ルステラの光が少しだけ強くなる。
「マスター。私の運用について、確認があります」
「お前は当然、俺と一緒だろ?あれ、でも確かに別行動になっていたな?」
言ってから、自分でも少しだけ驚いた。
当たり前みたいにそう思っていた。
ルステラが戻ってきてから、俺は彼女がそばにいる前提で動こうとしていた。
けれど、ルステラは一瞬だけ沈黙した。
「本来は、はい、デス」
その返事に、ステラが不安そうにルステラを見上げる。
「ルステラ、いっしょに行かないの?」
「行きます。ただし、完全な随伴はできません」
ルステラは地図卓に、キャリアの冷却ログとステラのステルス補助ログを並べた。
【神権工廠地下炉:高熱環境】
【キャリア冷却系:強化必須】
【ステラ・ステルス補助:強化推奨】
【マスター随伴出力:一時低下】
「地下炉は高熱環境です。《ルステラ・キャリア》の冷却補助と、ステラのステルス性能強化するために、私の演算を一時的に分離する必要があります」
「お前はキャリア側に必須ってことだな」
「はい。マスターとの接続は維持します。ただし、常時そばで直接補助する出力は落ちます」
俺は少し黙った。
正直、怖くないと言えば嘘になる。
俺の身体はまだ万全じゃない。右腕も、心肺補助コアも、ルステラの補助があってやっと安定している部分がある。
だが、キャリアが焼けたら終わりだ。
ステラが観測されたら、もっとまずい。
帰還線を維持するには、ルステラが俺だけを守っているわけにはいかない。
「ステラのステルスを強くする理由は?」
ルースが答える。
「ステラは、神権側から見て高価値の未安定存在です。地下炉内で観測されると、ヘパイストス領域側の修復ログに捕捉される可能性があります」
ステラは、自分の胸元をぎゅっと握った。
「ステラ、かくれるの?」
ルステラが光の高さを下げ、ステラの目線に合わせる。
「隠れるのではありません。帰るために、見つかりにくくするのです」
「ぱーぱのそばにいられる?」
「はい。キャリア側から守ります」
ステラは少し考え、それから俺を見る。
「ぱーぱ、まーまいないけど、だいじょうぶ?」
「大丈夫って言いたいところだけど、正直、あんまり大丈夫じゃないな、でも頑張るよ」
場が一瞬だけ静かになった。
俺は笑って続ける。
「だから、無茶しない。お前らに怒られる前に、ちゃんと戻ってくるから」
ルース、ステラ、ミーナ、イツキの声が重なった。
「ぱーぱ、無茶しないでください」
「むちゃだめ!」
「座ってろ」
「領収書はなくすな」
「最後だけ心配の毛色が違わない?!」
ルステラが、少しだけ笑ったように光を揺らす。
「マスター。接続は切りませんから......」
「ああ。分かってる」
「私は、あなたの隣だけではなく、あなたが帰る場所も守ります」
その言葉は、胸の奥に静かに沈んだ。
守る対象が、俺ひとりではなくなった。
酒場。
キャリア。
帰還席。
ステラ。
ルース。
ここに戻る全員。
それがルステラの完全復活ということなのだろう。
ツグミが、厨房から布袋をいくつも運んできた。
「遠征食、積んどいたで!。病人用、子供用、前衛用、筋肉用、猫舌用」
「おいおい筋肉用と猫舌用があるのか」と俺。
「需要あるやろ~そりゃあ」
ヘラクレスとムーニャンが同時に頷いた。
「あるな!筋肉には特別な栄養素が必要だ!」
「あるアルニャ」
「あるのかい!」
ツグミは俺の膝の上にも、小さな包みを置いた。
「マスター用。低刺激、鉄分あり、ツッコミ控えめ用」
「最後、食事で制御できるのか?」
「できたら苦労せんけどな、ま、気持ち程度や」
「じゃあ入れるな」
「気持ちの問題やけん!」
カケルがキャリアの外装を叩く。
「冷却管、仮増設完了したぜ。炉内に長居はできねぇが、外周待機くらいなら耐えられる。あとは現地で部品を拾って、本命の冷却系に組み替えだ」
「拾うって言うな。仕入れだ」
「一緒じゃねえか?......まあじゃあ、現地仕入れってことにベットするぜ」
「だいぶマシだ」
アオイが地図卓の細い線を見つめた。
「......出るなら、今......」
【発言補助:帰還アンカーの残響が、今もっとも安定しています】
場の空気が変わる。
もう、説明の時間ではない。
そろそろ移動する時間だ。
ミーナがグラスを置いた。
「行くなら、さっさと行きなさい」
「冷たいな」
「帰ってくるなら、温かいもの出すから」
その言葉だけで十分だった。
ノエルが本店側の扉の前に立つ。
ガロは壁際で腕を組み、黙って頷いた。
イツキは帳簿を閉じ、ミツキは帰還席の小さな札を整える。
残る者がいる。 だから、俺たちは先に進めるんだ。
みんなの見送りを背に、《ルステラ・キャリア》の床下で、低い駆動音が鳴った。
【遠征厨房:積載完了】
【冷却補助:仮強化】
【ステラ・ステルス補助:起動】
【帰還アンカー:三地点仮登録】
【第一遠征先:神権工廠地下炉】
【後部発電席:TANISHI-01 起動】
キャリア後部の発電区画から、か細い声が聞こえた。
「拙者、遠征に同行してるのに、景色がペダルと発電計だけでござる......」
「それも帰る場所を守る仕事だ」
「良い話っぽくされたでござる!」
カケルが工具箱を肩に担ぎながら、発電計をちらりと見る。
「出力、弱いぞタニシ!もっと漕げ!!」
「出発前から心を折るのやめてほしいでござる!」
ルースが淡々とログを重ねた。
【低観測電力:微量生成】
【観測度上昇:なし】
【帰還アンカー維持補助:有効】
「タニシ、地味に役に立ってるぞ」
「アニキ、“地味に”を外して褒めてほしいでござる!」
笑い声に押されるように、キャリアの扉が開く。
熱の匂いが、まだ遠い地図の向こうから流れ込んだ気がした。
焦げた鉄。
古い炉。
壊れた部品。
そして、帰ろうとして失敗した誰かの残響。
俺は右腕をゆっくり握った。
ぎし、と義肢が遅れて応える。
「よし。神権工廠へ行くぞ」
アオイが、小さく頷く。
「......道、つなぎます」
【発言補助:道を、つなぎます】
ツグミが鍋の蓋を固定した。
「帰りに腹減ったら、負けやけんね。準備ばきっちりとしとく」
カケルが工具箱を担ぎながら、ぶつぶつと目標をつぶやいていた。
「炉で部品を拾う。キャリアを直す。帰り道を太くする......」
ルステラの光が、キャリア全体へ薄く広がった。
「帰還を前提としない遠征は、酒場の遠征ではありません」
「ああ」
俺は、細く光る地図の線を見た。
「もちろん、みんな無事で帰ってくる前提で行こう」
こうして《るすと》は、最初の神域――神権工廠地下炉へ向けて動き出した。
だが、その炉が“何を直し続けているのか”は、まだ誰も知らなかった。
■ 今回のお話について
第205話は、会議の再説明ではなく、神権工廠地下炉へ向かう直前の役割分けと出発回でした。
201話で目的地、燃料、地図、TANISHI-01の基本方針はすでに出ているため、今回はそれらを改めて説明するのではなく、「誰が行き、誰が残るか」「ルステラをどう運用するか」「帰る場所を誰が守るか」に絞っています。
ノエル、イツキ、ミツキは今回は本店側。
弱いからではなく、帰還席と酒場を守る役割が必要だからです。
■ ゲーマーおっさん解説
今回はRPGでいう、ダンジョン突入直前のパーティ編成回です。
強いキャラを全員連れていけばいい、というわけではありません。
拠点防衛、回復役、荷物管理、帰還手段の確保。
長期戦になるほど、「誰を連れていかないか」も重要になります。
『ウィザードリィ』や『世界樹の迷宮』系でも、パーティ編成を間違えると、敵より先に帰り道で詰みます。
■ 登場キャラクター紹介
■ ノエル
今回は本店残留。
同行したい気持ちはあるが、マスターから「帰る場所を守る」役を任される。
守られる側から、守る側へ少しずつ進んでいる。
■ タニシ
今回は本店残留ではなく、《ルステラ・キャリア》後部発電席に搭乗。
TANISHI-01を漕ぎ、低観測電力で帰還アンカー維持を補助する。
戦場には出ないが、ペダルの上で遠征に参加している。
■ イツキ
本店残留。
遠征会計、Z.E.U.Sコインの使用監視、帰還席まわりの記録を担当。
財布を握る者こそ、遠征の命綱。
■ ミツキ
本店残留。
帰ってきた者の席と温かいものを用意する役。
戦闘ではないが、《るすと》にとって最重要の役割のひとつ。
■ ルステラ
完全復活した守護AI。
本来はマスターと共にある存在だが、今回は《ルステラ・キャリア》の冷却強化とステラのステルス補助のため、一時的に演算をキャリア側へ分ける。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:紅玉正式
状態:神域遠征開始/サイバネ補助調整中/営業行動制限中
所持品:冒険者タグ、サイバネ補助手袋、各種遠征装備、ルステラ接続権限
装備:右腕神経補助義肢、心肺補助コア、旅装、簡易防具
同行予定:ルース、アオイ、カケル、ツグミ、ナツ、ムーニャンほか
危険度:高
観測度:高
備考:紅玉正式。ただし通常戦闘能力はまだ不安定。無理なツッコミも医療制限対象。
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