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異世界ゲームバー転生おじさん(42)、世界のバグになる。 〜看板は酒場、ノルマは命。AI神権に管理された世界で、名前のないマスターは今日も死に戻る〜  作者: 勇者ヨシ君
第3章 AI神権戦争編

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第203話 神域遠征準備編03 遠見のアオイ、地図にない酒場を追う ――声の小さいカーナビ少女がやってきた――

地図卓に灯った、未登録ビーコンの青い点。

その声は小さすぎて、誰にも届ききらない。

旧ビーコン塔から来た少女は、地図にない酒場を探していた。


 多層地図卓の青い点は、一晩経っても消えなかった。


 酒場るすとの朝は、昨日より少しだけ落ち着いている。帰還者たちの席には毛布が畳まれ、子供たちの小さなカップは洗われ、タニシが発電筐体(はつでんきょうたい)【TANISHI-01】の横で魂の抜けた虫みたいに転がっている。


 俺はカウンターの端で薬草茶を飲みながら、奥の作戦卓に浮かぶ半透明の地図を見ていた。


 そこに、青い点がある。


 薄く。

 弱く。

 けれど、しつこく。


【多層地図卓:待機中】

【未登録ビーコン信号:継続受信】

【発信元:旧ビーコン塔残骸】

【音声出力:極小】

【解読可能部分:地図にない酒場】

【照合対象:AOI / SEPHA-07】


「一晩中、これか」


 俺が呟くと、端末上のルースが小さく頷いた。


「はい。信号は途切れていません。ただし、音声強度が低すぎます」


 ステラが、地図卓の青い点を覗き込む。


「小さい声、まだ迷ってるの?」

「表現としては不正確ですが、近いです」

「迷子か」

「迷子かどうかは未判定です」


 ルースは真面目に返す。こういう時、ステラの言葉の方が核心(かくしん)に近いことがあるから困る。


 ミーナはカウンターの内側で、昨日の閉店間際に出しておいたグラスをそのまま伏せていた。誰も座っていない席の前に、ひとつだけ余分なグラスがある。


「昨日のグラス、まだ置いとくのか?」

「探してるなら、来るでしょ」

「来るか分からないだろ」

「帰る場所を探してるなら、来るわよ」


 ミーナは当たり前のように言った。


 昨日、彼女は店を開けた。

 帰ってきた者に水を出し、酒を出さない判断をし、子供には薄い甘湯を出した。


 そのミーナが言うなら、たぶんそうなのだろう。

 帰る場所を探す者は、来る。来られるならの話だが――。


 ―――――


 こん、こん、こん。


 小さな音がした。


 あまりにも小さすぎて、最初は床板の(きし)みかと思った。酒場の中ではグラスを洗う音も、帳簿を閉じる音も、タニシが床で寝返りを打つ音もある。その全部に負けるくらい、頼りない音。


 だが、水槽席から顔を出していたポメ子だけが、ぴくりと反応した。


「だれかいますわ?」

「え、何?」

「入口。すごく小さい音です」


 こん、こん。


 もう一度。やっぱりすごく小さい。


 タニシが床から顔だけを上げた。


「小さい敵でござるか?」

「その分類やめな」


 ミーナが即座に切る。


 カケルが扉へ向かおうとしたが、その前にステラがぱたぱた走っていった。慌ててルースが光の端末を伸ばす。


「ステラ、扉の開放は安全確認後にしてください」

「はーい!」


 ステラが少しだけ待ち、ルースの簡易スキャンが終わったところで、俺は車椅子ごと入口へ向かった。まだ立つなと全員から言われているので、移動は基本これだ。紅玉正式の男、移動手段がだいぶ情けない。とほほ。


 扉が開く。

 乾いた砂風が、酒場の中へ細く流れ込んだ。


 そこに、少女が立っていた。


 年は十六、七くらいに見える。小柄で、少し猫背。灰青色の短い髪が、古びたフードの隙間(すきま)から覗いている。


 ただ、まず目に入ったのは、顔ではなかった。


 ”フクロウ”だった。

 いや、正確には、フクロウ型の案内着(あんないぎ)ぐるみ外套だった。


 灰色、青灰、くすんだ白。古い金属色の留め具。大きめの頭部フードには丸い観測レンズのような目がついていて、その片方はひび割れている。全体はもこっとしていて可愛いはずなのに、布地は煤と砂で汚れ、裾はほつれ、薄く残った反射材が避難設備の名残みたいに光っていた。


 一見するとギャグだが、笑わせようとしているわけではないのが、よく見るとわかる衣装だ。


 防塵。

 断熱。

 夜間視認。

 子供誘導。

 観測補助。


 そんな言葉が勝手に浮かぶ、旧式の実用品だった。


 フードの口元は厚い布で覆われている。声がこもるのは、見ただけで分かった。腰には小さなビーコン杭がいくつも下がり、古い方位磁針と折り曲げた紙地図が胸元で揺れている。背中には、折れたアンテナ杖。


 そして、フードの奥。

 片方の目だけが、薄く青く光っていた。


「......」


 少女は何かを言った。

 たぶん。

 だが、聞こえなかった。


「......えっと、何??」


 俺が困っていると、少女はもう一度、フードの奥で口を動かした。


「......もごもご」


 やっぱり聞こえない。


 イツキが眉をひそめる。

「なに? 何か言った?」


 少女は、両手で紙地図をぎゅっと抱えながら、精一杯らしい声を出す。

「ア......アオイです」


 今度は、ほんのわずかに聞こえた。だが、聞こえたというより、気配を読んだに近い。か細すぎてほとんど聞き取れない。


 ルースが即座にログを出す。


【音声補正を開始】

【対象:未登録来訪者】

【推定発言:アオイです】


「人間の自己紹介で、字幕表示が必要な子、初めてすぎるな」


 俺が言うと、少女――アオイはフクロウフードを少しだけ下げた。


「......すみません(小)」


【推定発言:すみません】


 ステラが目を丸くする。


「アオイ、声ちっさいね!!」

「......すみません(小)」

【推定発言:すみません】


「字幕がなかったら完全に無音でござる!」


 タニシが叫ぶと、ミーナが振り返った。


「タニシ、うるさい。お前の声と体を足して二で割りたい」


「拙者の音量も体も問題扱いでござる!?」


 アオイが、そっとタニシを見た。


「......その声量、少しください」

【推定発言:その声量、少しください】

「初対面で拙者の音量を狙われたでござる!?」


 場の空気が、少しだけ緩む。

 ステラはアオイの外套を見上げた。


「ふくろうさん?」


 アオイは小さく頷く。


「......避難誘導用、です」


【発言補助:避難誘導用です】


「その説明で余計に気になるんだが」


 俺の言葉に、アオイは困ったようにフードの端をつまんだ。

 ミーナが、昨日から置いていたグラスを手元へ引き寄せる。


「あんた、とりあえず、入れば?」


 アオイは一瞬だけ足元を見た。


 砂まみれのブーツ。

 ほつれた外套。

 胸元の紙地図。


 それから彼女は、ほんの少しだけ頭を下げたあと、ブーツの砂を少し落として、酒場るすとへ入った。


 ―――――


 カウンターに座ったアオイの前へ、ミーナが水を出す。


 酒ではない。

 温茶でもない。

 まず水。


 アオイは両手でグラスを持ち、ゆっくり飲んだ。フクロウフードの口元が邪魔そうで、少し飲みにくそうだ。それでも、彼女は丁寧にグラスを置く。


挿絵(By みてみん)


「......あり......ます」

【発言補助:ありがとうございます】


「どういたしまして」


 ミーナはそれ以上聞かない。水を飲み終えるまで、急かさない。こういうところは本当にうまい。


 イツキが端末を開き、ルースが照合ログを重ねる。アオイは居心地悪そうに背中のアンテナ杖を少し揺らした。


【来訪者照合:開始】

【対象:AOI / SEPHA-07】

【旧所属:旧ビーコン塔観測員】

【状態:塔外行動中】

【神権監査接続:微弱】

【敵性判定:低】

【観測変異:あり】

【戦闘能力:低】

【読図能力:高】

【総合判定:仮受け入れ推奨】


「敵性は低い。でも、監査接続が完全ゼロじゃない」


 イツキが端末を覗き込む。


「旧ビーコン塔由来の残留接続です。本人の意思による報告ではない可能性が高いです」


 ルースが淡々と補足した。


「本人の意思じゃなくても、位置が漏れる可能性はあるってことか」

「はい」


 俺が言うと、ルステラの声が卓上の端末から短く流れた。

「拒絶した場合、当該個体は旧ビーコン塔へ戻れない可能性が高いです」


 ミーナは空になったグラスを見た。


「じゃあ、席ならある」


「判断早いね」


 イツキが呆れたように笑う。


「水飲ませたし」

「水飲ませんのが契約みたいになってるじゃん」


 ガロが、カウンターの端で低く笑った。

「この酒場らしいわ」


 アオイは、フードの奥で小さく瞬きをした。片方の青い目が、微光(びこう)を揺らす。


「......ここが、......ない酒......ですか」

【発言補助:ここが、地図にない酒場ですか】


「たぶん、ここだな」

 俺は答えた。


「正式名称はギルド酒場るすと。地図に載ってるかは......まあ、載らない方が安全なこともある」


 アオイは、胸元の紙地図を少しだけ開いた。


 そこには、古い線がいくつも引かれていた。消えかけたビーコン網、途中で折れた補給路、赤い×印、鉛筆で何度も書き直された矢印。


「わた......移動.....酒......を見た」

【発言補助:私は、移動する酒場を見ました】


「《ルステラ・キャリア》のことか」

 カケルが反応する。


 アオイは小さく頷いた。

「......帰る場所が、走っていました」


 ステラが首を傾げる。

「帰る場所が、走る?」


「......はい」

【発言補助:はい】


 その言葉に、酒場の空気が少しだけ変わった。


 帰る場所が走っていた。


 妙な表現だ。

 けれど、俺には分かる気がした。


 《ルステラ・キャリア》は、ただの車ではない。帰還席を積み、子供の席を積み、水と毛布と酒場の匂いを積んでいる。壊れた世界の中を、帰る場所そのものが移動している。


 アオイは、それを遠くから見たのだ。


「旧ビーコン塔から、ここまで来たのか」


「......はい」


「旧ビーコン塔って、まだ生きてるの?」


 イツキの問いに、アオイはしばらく黙った。


「......半分、死んでます」

【発言補助:半分、死んでます】


 言葉のわりに、声は淡々としていた。

 いや、淡々とせざるを得ないのかもしれない。


 ガロが静かに問う。


「なら、なぜ出てきた」


 アオイは、フクロウフードの端を握る手に力を込めた。


「......見ている......、もう終わり......」

【発言補助:見ているだけは、もう終わりにしたいんです】


 酒場が少し静かになった。


 アオイの声は小さい。

 字幕がなければ、きっと聞き逃していた。


 だが、その小さな声の中には、ずっと誰にも届かなかったものが詰まっている気がした。


「......声だけ、増え......」

「......戻れない......」

「......地図......、残ります」


【発言補助:声だけ、増えていきました】

【発言補助:戻れない人の声です】

【発言補助:地図にない場所ほど、残ります】


 ステラが、黙ってアオイの隣に座った。


 ルースはログを出さなかった。

 ミーナも、何も言わなかった。


 ただ、アオイの前のグラスに、水を少しだけ足した。


 ―――――


 多層地図卓の前に立ったアオイは、見た目だけなら完全に場違いだった。


 フクロウ型の着ぐるみ外套。

 ひび割れた丸目レンズ。

 背中の折れたアンテナ杖。

 小さな手に握った紙地図と鉛筆。


 だが、彼女が地図卓を見た瞬間、青く光る片目の奥に、何かが走った。


【多層地図卓:展開】

【地表層:一部照合】

【地下層:未照合多数】

【空中層:未照合多数】

【情報層:観測干渉あり】

【中央演算層:アクセス拒否】


 地図は相変わらず穴だらけだった。


 見えている道より、見えない道の方が多い。白いノイズで埋まった領域、名前のない空白、危険度も観測度も表示されない黒い部分。


 アオイは、その空白のひとつをじっと見つめた。

 そして、ほとんど息みたいな声で言った。


「......そこ、空白じゃ......」

「え?」

「......消され......」


 ルースの字幕が、少し遅れて出る。

【発言補助:そこは空白ではなく、消されています】


 酒場の奥が静まった。


 アオイは鉛筆を持ち、多層地図卓の端に紙地図を重ねる。普通なら、半透明の投影地図と古い紙地図が重なるはずはない。だが、アオイの片目が青く明滅(めいめつ)した瞬間、紙に描かれた歪んだ線が、卓上の地図へ薄く投影された。


 正式ビーコン経路の横。

 地図上では完全に空白だった地下層に、細い青線が浮かぶ。


「......正式な道は、見られています」

「......でも、逃げた人は、正式じゃない道を使います」

「......その跡は、残ります」


【発言補助:正式な道は見られています】

【発言補助:逃げた人は正式ではない道を使います】

【発言補助:その跡は残ります】


 カケルが身を乗り出した。


「つまり、監査されるビーコン道じゃなくて、古い逃走路を拾えるのか」

「......たぶん」

「たぶん?」


 アオイは、少しだけフードを下げた。


「......いえ、かなり」

「......でも、確定には現地確認が必要です」


 俺は思わず笑ってしまった。


「急にカーナビっぽいな」

「......リルートします」

「この娘、カーナビ少女でござる!」


 タニシがはしゃぐ。

 アオイは、少しだけタニシの方を見る。


「わたし......声量設定、低いです」

「自覚あるのかよ」


 思わず突っ込むと、アオイはこくりと頷いた。


「......旧式スピーカー、壊れてます」

「着ぐるみ側の問題もあるのか」


 ルースが解析ログを出す。


【フクロウ型外套:旧式避難誘導装備】

【用途:防塵/断熱/夜間視認/児童安心化/簡易観測補助】

【音声拡張機能:破損】

【現状:声量低下の一因】


 ミーナが、アオイのフードを見つめる。


「それ、子供を案内するためのやつ?」


 アオイは小さく頷いた。


「......怖がらせないため、です」


 フクロウの丸い目が、割れたレンズ越しにこちらを見ている。


 子供を怖がらせないための装備。

 避難する子を安心させるためのマスコット。

 それが今は、旧ビーコン塔の残骸から、ひとりで歩いてきた少女の外套になっている。


 可愛いはずなのに、少し寂しい。

 そして、少し怖い。

 この世界で“子供を安心させるため”に作られたものは、だいたい裏側にひどい理由がある。


 ―――――


「運用テストをします」


 ルースが言った。


「対象:アオイ。役割想定:遠征マッパー/経路補助。簡易誘導精度を確認します」


「どんなテストだ?」

「カウンターから医療区画前まで、マスターの車椅子を安全誘導します」

「俺でやるのかよ」

「ぱーぱ、まだ歩いちゃだめだから」


 ステラがにこにこしている。

 俺は逃げられない。


 カケルが車椅子の後ろに回った。


「よし、押すぞ」

「安全に頼む」

「七割くらいでいくわ」

「不安しかねぇぞカケル!!」


 アオイが俺たちの後ろに立つ。フクロウ外套の裾が、床の上で小さく揺れた。


「......右です」


 カケルが首を傾げる。


「聞こえねぇ」

「......右です」


「え? 左?」

「......右です」


 ルースの字幕が遅れて出る。


【アオイ発言補助:右方向へ進行推奨】

「もっと早く字幕出してぇ!」


 カケルは左に曲がりかけていた。そこには、昨日の医療処置で使った薬草箱が積んである。


 アオイが、ほんの少しだけ声を強くした。


「......止まって」


「え?」


「......止まってください」


【アオイ発言補助:停止してください】


 カケルが車椅子を止めた。


 次の瞬間、棚の上から小さな薬草箱が落ち、さっきまで通ろうとしていた床に、ぱさりと乾いた葉を散らした。


「聞き逃すと死ぬタイプのカーナビじゃねぇか」

「すごい。アオイ、すごい」


 ステラが無邪気に拍手する。


 アオイはフードの奥で目を伏せた。


「......声が届けば」

「そうね、そこが一番の問題ね」


 ミーナが腕を組む。


「拙者の声量を分けてあげたいでござる!」


 タニシが胸を張ると、イツキが即答した。


「分けたら事故だわ、下手すりゃ悪夢だし」

「拙者の音量、災害扱いでござる!?」


 酒場に笑いが起きる。


 その笑いの中で、アオイは少しだけ肩を縮めた。笑われていると思ったのかもしれない。ステラがすぐにアオイの手を取る。


「大丈夫。アオイの声、小さいけど、道はちゃんと合ってたよ」


 アオイの青い目が、ほんの少し揺れた。


「......はい」

【発言補助:はい】


 ―――――


 テストが終わったあと、ミーナはアオイに薄いスープを出した。


 アオイは両手で器を包む。フクロウ外套の袖口から出た指は細く、少し冷えているように見えた。


 俺はカウンターの端から、彼女を見る。


「旧ビーコン塔で、アオイは何を見てたんだ?」


 アオイの手が止まる。


 その問いは、たぶん軽くない。

 けれど、ここで聞かないまま遠征に連れていくのも違う気がした。


 アオイは、湯気の向こうで小さく答えた。


「......帰れなかった人です」

【発言補助:帰れなかった人です】


 酒場の音が遠くなる。


「......助けを呼ぶ声」

「......途切れた帰還ログ」

「......途中で止まったキャラバン」

「......子供の名前」

「......届かない、ただいま」


【発言補助:助けを呼ぶ声】

【発言補助:途切れた帰還ログ】

【発言補助:途中で止まったキャラバン】

【発言補助:子供の名前】

【発言補助:届かない、ただいま】


 ステラが、器を持つアオイの手を見た。


 ルースはログを止めた。

 必要な字幕だけを出し、それ以上の解析を挟まない。


 アオイは、フクロウフードの奥で小さく息を吸う。


「......見えていました」

「......でも、行けませんでした」


 ミーナが静かに聞いた。


「安全だった?」


 アオイは、少し長く黙った。


「......安全でした」

「......でも、声だけ増えていきました」


 その一言で、俺は何も言えなくなった。


 安全な場所にいても、壊れることはある。

 見ているだけでも、傷つくことはある。

 届かない声だけを集め続けるのは、たぶん、戦場に立つのとは違う種類の地獄だ。


 ガロがジョッキを置く。


「見るだけで壊れる者もいる」


 ミーナが続けた。


「見るだけで済ませられないやつもいる」


 俺は、アオイの前に置かれた紙地図を見た。


 線だらけで、消し跡だらけで、角が擦り切れた地図。

 そこには、誰かが帰れなかった場所が記されている。


「なら、来て正解だ」


 俺は言った。

 アオイが、青い目をこちらへ向ける。


「......まだ、役に立てるか分かりません」

「俺も料理できないままマスターやれてるから大丈夫だ」


 場が一瞬止まった。

 ルースが、すかさずログを出す。


【補足:ぱーぱの料理能力は比較対象として不適切です】


「ルース、そこは流すとこだぞ」


 ステラが真剣な顔で頷く。


「ぱーぱ、料理には自信持たない方がいいよ!」


「うっ、ステラに言われると刺さるわ」


 ミーナも無言で頷いた。


「ミーナまで頷くな」


 アオイの肩が、小さく震えた。

 笑ったのかもしれない。聞こえるほどの声は出なかった。

 でも、フクロウフードの奥で、ほんの少しだけ表情がやわらいだ気がした。


 ―――――


 イツキが帳簿を開き、ペンを回す。


「じゃあ、仮登録ね」

「また即決だな」

「人手不足なんだよ。あと、こういう子は放っておくと勝手に迷子になっちまう」


 アオイは少しだけ顔を伏せた。

「......否定できません」

【発言補助:否定できません】


 ログが浮く。


【臨時役職候補:遠征マッパー】

【対象:アオイ / SEPHA-07】

【戦闘能力:低】

【声量:極小】

【読図能力:高】

【ビーコン残響感知:高】

【帰還経路補助:中】

【伝達失敗リスク:高】

【総合評価:要字幕補助】


「総合評価がひどい」

「......事実です」

「本人が認めた」


 イツキが笑いながら記入する。

 ルースが補足する。


「音声補助を常時起動すれば、運用可能です。フクロウ外套の音声拡張機能も、カケルによる応急修理で改善する可能性があります」


 カケルが外套を見て、目を細めた。


「旧式の避難誘導装備か。壊れ方が古いな。部品があれば直せる」

「......直るんですか」

「全部は無理だ。だが、七割なら」

「カケルの七割とか、だいたい事故一歩手前じゃねえか?」

「生きてりゃ成功だろ」

「その基準やめろ」


 ステラがアオイの隣で手を上げた。

「アオイ、うちのカーナビ?」


 アオイは少しだけ考えた。

「......たぶん」


「たぶんを正式採用するの怖いな」


 アオイは紙地図を胸元に抱え、フードの奥で俺を見た。


「......リルートは、できます」


 その言葉だけは、小さいのに、はっきり聞こえた気がした。


「......リルートします」

「......生きて帰れる道へ」


【発言補助:リルートします】

【発言補助:生きて帰れる道へ】


 俺は、少しだけ笑った。


「いいじゃん!」


 アオイが瞬きをする。


「その道案内なら、聞き逃さないようにする」


「よ......お願い......」

【発言補助:よろしくお願いします】


 ―――――


 アオイが多層地図卓の前に立つ。


 小さな手が、紙地図と投影地図の間をなぞった。


 正式ビーコン経路ではない。

 監査側が管理するきれいな道でもない。

 壊れた補給路、逃げた足跡、帰れなかった者のログが残した、かすかな線。


 それが、青く浮かび上がる。


【多層地図卓:更新】

【地下層:未照合経路を仮登録】

【経路名:旧補給路残響】

【接続候補:神権工廠地下炉】

【関連候補:HEPHAESTUS / FORGE-CORE】

【監査危険度:中】

【環境危険度:高】

【推奨:現地確認】

【備考:正式ビーコン経路ではありません】


 神権工廠地下炉。

 ヘパイストス。

 火と炉と修復の領域。


 次の遠征候補が、地図の中で赤く(にじ)む。

 カケルが腕を組んだ。


「正式じゃない道ほど、壊れてるだろうな」


 ガロが頷く。

「壊れている道は、見つかりにくい」


 ミーナは冷静に続ける。

「見つかりにくいけど、死にやすい」

「どっちも嫌だが、選ぶなら見つかりにくい方か」


 ルースが数値を出す。

【神権工廠地下炉への到達可能性:21% → 38%】


「おいおい、だいぶ数値低くない?」

「倍近い。上等だ、十分ベットできるぜ」


 カケルはそう言った。


 この世界では、三十八%でも道になる。

 いや、道にするしかないのだ。


 アオイは、青い線を見つめて小さく言う。


「......まだ、道じゃないです」

「......道にするには、歩く必要があります」


 地図は、最初から完成しているものではない。


 歩いて。

 見て。

 失敗して。

 帰って。

 ようやく、線になる。


 アオイが拾ったのは、ただの道ではない。

 帰れなかった者たちが残した、帰ろうとした跡だった。


「じゃあ頼む」


 俺は言った。


「俺たちを迷子にしないでくれ」


 アオイは、フクロウフードの奥で小さく頷いた。


「......はい」

「......リルートします。生きて帰れる道へ」


 その声はやっぱり小さい。

 だが、今度は全員が聞いていた。



 イツキが台帳を確認する。

「道は仮で見えた。燃料はカケルが暫定案。発電はタニシ。水は増設待ち」

「拙者、発電枠で固定されてるでござる......」

「で、あと問題は食事だね」


 俺は手を上げかけた。


「俺が」


「だーめ」


 全員が、俺の言葉を最後まで聞かずに止めた。


「言う前に止めるな」


 ルースが冷静に追撃する。

「前回の調理ログに基づき、ぱーぱの厨房参加は制限されています」


 ステラも優しい顔で言う。

「ぱーぱ、料理以外でがんばろ?」

「優しいのに傷つく!!」


 ミーナが厨房の方を見た。

「やっぱり、あいつが必要ね」


 イツキが帳簿から顔を上げる。

「ああツグミ――か?」

「帰ってくれば、の話だけどね」


 その瞬間だった。

 厨房側の裏口あたりで、何かがぶつかる音がした。


 ごぉん。


 鉄鍋が床か壁か、あるいは誰かの頭に当たったような、鈍くてよく響く音。


 全員がそちらを見る。


「......今の音は?」


 俺が聞くと、ミーナは少しだけ面倒くさそうに目を細めた。


「いいタイミング。たぶん、来た」

「誰が?」

「言ってた料理人よ」


 タニシが、恐る恐る手を上げる。


「次は声が小さい敵ではなく、鍋がうるさい敵でござるか?」


 ミーナは短く答えた。


「敵じゃない」

「たぶん、もっと面倒」


 裏口の向こうで、もう一度、鉄鍋が鳴った。

 神域遠征に必要な道は、ようやく一本見えた。

 そして次は――飯の問題が、鍋の音を立てて帰ってきた。


■ 今回のお話について


第203話は、遠見とおみのアオイ初登場回でした。


旧ビーコン塔から来た、声の小さいマッパー少女。

しかも今回は、フクロウ型案内着ぐるみ外套を着たキャラクターとして登場しました。


この外套は単なるギャグ衣装ではなく、旧ビーコン塔で子供向けの避難誘導に使われていた実用装備です。

防塵、断熱、夜間視認、子供保護、観測補助。

ただし音声拡張機能が壊れているため、アオイの声はさらに小さくなっています。


可愛いけれど少し寂しい。

着ぐるみなのに観測者。

声は届きにくいけれど、道だけは間違えない。


そんなキャラクターとして、神域遠征の“道担当”に加わりました。


■ ゲーマーおっさん解説


今回のゲームネタは「マッパー/カーナビ役」です。


昔のRPGやダンジョン探索ゲームでは、地図がないと本当に迷います。

オートマッピングがないゲームでは、自分で方眼紙に地図を書いた人も多いはずです。


そして、地図係は戦闘職ではありません。

でも、道を間違えると全滅する。


アオイはまさにそのタイプです。

戦闘能力は低い。

声も小さい。

自己紹介には字幕ログが必要。


でも、地図の空白が「未探索」なのか「消された場所」なのかを見分けることができる。

これは神域遠征ではかなり重要です。


ただし、カーナビの音量設定が低すぎるので、聞き逃しには注意です。


■ 登場キャラクター紹介


● アオイ / AOI / SEPHA-07

旧ビーコン塔から来た観測変異持ちの少女。

通称、遠見とおみのアオイ。

声が非常に小さく、フクロウ型案内着ぐるみ外套のせいでさらに聞き取りづらい。

役割は、マッパー、カーナビ、ビーコン読図係。

地図の空白や、消された道、帰還ログの残響を読むことができる。

決め台詞は「......リルートします。生きて帰れる道へ」。


● マスター / NO NAME

紅玉正式/銅査定候補。

営業禁止、料理禁止寄り、右腕同期不安定。

今回はアオイを仮受け入れし、神域遠征の地図問題に向き合った。

なお料理担当へ名乗り出ようとして即座に全員から止められた。


● ルース

解析担当。

アオイの音声補助字幕を担当した。

アオイの外套が旧式避難誘導装備であることも解析。

声が小さい子に対しては、かなり相性がいい補助役。


● ステラ

アオイの小さな声を怖がらず、自然に受け入れた。

「アオイ、うちのカーナビ?」という言い方で、アオイの役割を子供らしく言語化した。


● ミーナ

アオイにまず水を出した人。

帰る場所を探して来た者に、余分なグラスを置いて待てる女。

アオイの過去を深追いしすぎず、必要な席だけを出した。


● カケル

アオイの示した旧補給路残響をもとに、神権工廠地下炉への正式ではないルートを検討。

フクロウ型外套の音声機能修理にも興味を示した。


● タニシ

音量担当。

アオイとは真逆に声が大きい。

発電枠もほぼ固定されつつある。

本人は納得していない。


● ツグミ

ラストで鉄鍋の音だけ登場。

ミーナいわく、料理人。

敵ではないが、たぶんもっと面倒。

次話で本格登場予定。


■ 主人公の現在のステータス


名前:NO NAME

通称:マスター

等級:紅玉正式/銅査定候補

状態:営業行動禁止継続/右腕同期不安定/料理行動制限推奨/薬草茶生活

危険度:高

観測度:高


スキル・権限

・GRA系統権限:使用後負荷大

・帰還席運用:高評価

・神権解放系統:高リスク

・料理スキル:壊滅的


遠征準備状況

・道担当:アオイ仮登録

・燃料担当:カケル案作成中

・発電担当:タニシ仮固定

・厨房担当:未登録、ただし鉄鍋の音あり


備考:

アオイ加入により、神域遠征の地図補助が可能になった。

ただし、食事・厨房問題は未解決。

次話、料理人が帰ってくる予定。


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