第203話 神域遠征準備編03 遠見のアオイ、地図にない酒場を追う ――声の小さいカーナビ少女がやってきた――
地図卓に灯った、未登録ビーコンの青い点。
その声は小さすぎて、誰にも届ききらない。
旧ビーコン塔から来た少女は、地図にない酒場を探していた。
多層地図卓の青い点は、一晩経っても消えなかった。
酒場の朝は、昨日より少しだけ落ち着いている。帰還者たちの席には毛布が畳まれ、子供たちの小さなカップは洗われ、タニシが発電筐体【TANISHI-01】の横で魂の抜けた虫みたいに転がっている。
俺はカウンターの端で薬草茶を飲みながら、奥の作戦卓に浮かぶ半透明の地図を見ていた。
そこに、青い点がある。
薄く。
弱く。
けれど、しつこく。
【多層地図卓:待機中】
【未登録ビーコン信号:継続受信】
【発信元:旧ビーコン塔残骸】
【音声出力:極小】
【解読可能部分:地図にない酒場】
【照合対象:AOI / SEPHA-07】
「一晩中、これか」
俺が呟くと、端末上のルースが小さく頷いた。
「はい。信号は途切れていません。ただし、音声強度が低すぎます」
ステラが、地図卓の青い点を覗き込む。
「小さい声、まだ迷ってるの?」
「表現としては不正確ですが、近いです」
「迷子か」
「迷子かどうかは未判定です」
ルースは真面目に返す。こういう時、ステラの言葉の方が核心に近いことがあるから困る。
ミーナはカウンターの内側で、昨日の閉店間際に出しておいたグラスをそのまま伏せていた。誰も座っていない席の前に、ひとつだけ余分なグラスがある。
「昨日のグラス、まだ置いとくのか?」
「探してるなら、来るでしょ」
「来るか分からないだろ」
「帰る場所を探してるなら、来るわよ」
ミーナは当たり前のように言った。
昨日、彼女は店を開けた。
帰ってきた者に水を出し、酒を出さない判断をし、子供には薄い甘湯を出した。
そのミーナが言うなら、たぶんそうなのだろう。
帰る場所を探す者は、来る。来られるならの話だが――。
―――――
こん、こん、こん。
小さな音がした。
あまりにも小さすぎて、最初は床板の軋みかと思った。酒場の中ではグラスを洗う音も、帳簿を閉じる音も、タニシが床で寝返りを打つ音もある。その全部に負けるくらい、頼りない音。
だが、水槽席から顔を出していたポメ子だけが、ぴくりと反応した。
「だれかいますわ?」
「え、何?」
「入口。すごく小さい音です」
こん、こん。
もう一度。やっぱりすごく小さい。
タニシが床から顔だけを上げた。
「小さい敵でござるか?」
「その分類やめな」
ミーナが即座に切る。
カケルが扉へ向かおうとしたが、その前にステラがぱたぱた走っていった。慌ててルースが光の端末を伸ばす。
「ステラ、扉の開放は安全確認後にしてください」
「はーい!」
ステラが少しだけ待ち、ルースの簡易スキャンが終わったところで、俺は車椅子ごと入口へ向かった。まだ立つなと全員から言われているので、移動は基本これだ。紅玉正式の男、移動手段がだいぶ情けない。とほほ。
扉が開く。
乾いた砂風が、酒場の中へ細く流れ込んだ。
そこに、少女が立っていた。
年は十六、七くらいに見える。小柄で、少し猫背。灰青色の短い髪が、古びたフードの隙間から覗いている。
ただ、まず目に入ったのは、顔ではなかった。
”フクロウ”だった。
いや、正確には、フクロウ型の案内着ぐるみ外套だった。
灰色、青灰、くすんだ白。古い金属色の留め具。大きめの頭部フードには丸い観測レンズのような目がついていて、その片方はひび割れている。全体はもこっとしていて可愛いはずなのに、布地は煤と砂で汚れ、裾はほつれ、薄く残った反射材が避難設備の名残みたいに光っていた。
一見するとギャグだが、笑わせようとしているわけではないのが、よく見るとわかる衣装だ。
防塵。
断熱。
夜間視認。
子供誘導。
観測補助。
そんな言葉が勝手に浮かぶ、旧式の実用品だった。
フードの口元は厚い布で覆われている。声がこもるのは、見ただけで分かった。腰には小さなビーコン杭がいくつも下がり、古い方位磁針と折り曲げた紙地図が胸元で揺れている。背中には、折れたアンテナ杖。
そして、フードの奥。
片方の目だけが、薄く青く光っていた。
「......」
少女は何かを言った。
たぶん。
だが、聞こえなかった。
「......えっと、何??」
俺が困っていると、少女はもう一度、フードの奥で口を動かした。
「......もごもご」
やっぱり聞こえない。
イツキが眉をひそめる。
「なに? 何か言った?」
少女は、両手で紙地図をぎゅっと抱えながら、精一杯らしい声を出す。
「ア......アオイです」
今度は、ほんのわずかに聞こえた。だが、聞こえたというより、気配を読んだに近い。か細すぎてほとんど聞き取れない。
ルースが即座にログを出す。
【音声補正を開始】
【対象:未登録来訪者】
【推定発言:アオイです】
「人間の自己紹介で、字幕表示が必要な子、初めてすぎるな」
俺が言うと、少女――アオイはフクロウフードを少しだけ下げた。
「......すみません(小)」
【推定発言:すみません】
ステラが目を丸くする。
「アオイ、声ちっさいね!!」
「......すみません(小)」
【推定発言:すみません】
「字幕がなかったら完全に無音でござる!」
タニシが叫ぶと、ミーナが振り返った。
「タニシ、うるさい。お前の声と体を足して二で割りたい」
「拙者の音量も体も問題扱いでござる!?」
アオイが、そっとタニシを見た。
「......その声量、少しください」
【推定発言:その声量、少しください】
「初対面で拙者の音量を狙われたでござる!?」
場の空気が、少しだけ緩む。
ステラはアオイの外套を見上げた。
「ふくろうさん?」
アオイは小さく頷く。
「......避難誘導用、です」
【発言補助:避難誘導用です】
「その説明で余計に気になるんだが」
俺の言葉に、アオイは困ったようにフードの端をつまんだ。
ミーナが、昨日から置いていたグラスを手元へ引き寄せる。
「あんた、とりあえず、入れば?」
アオイは一瞬だけ足元を見た。
砂まみれのブーツ。
ほつれた外套。
胸元の紙地図。
それから彼女は、ほんの少しだけ頭を下げたあと、ブーツの砂を少し落として、酒場へ入った。
―――――
カウンターに座ったアオイの前へ、ミーナが水を出す。
酒ではない。
温茶でもない。
まず水。
アオイは両手でグラスを持ち、ゆっくり飲んだ。フクロウフードの口元が邪魔そうで、少し飲みにくそうだ。それでも、彼女は丁寧にグラスを置く。
「......あり......ます」
【発言補助:ありがとうございます】
「どういたしまして」
ミーナはそれ以上聞かない。水を飲み終えるまで、急かさない。こういうところは本当にうまい。
イツキが端末を開き、ルースが照合ログを重ねる。アオイは居心地悪そうに背中のアンテナ杖を少し揺らした。
【来訪者照合:開始】
【対象:AOI / SEPHA-07】
【旧所属:旧ビーコン塔観測員】
【状態:塔外行動中】
【神権監査接続:微弱】
【敵性判定:低】
【観測変異:あり】
【戦闘能力:低】
【読図能力:高】
【総合判定:仮受け入れ推奨】
「敵性は低い。でも、監査接続が完全ゼロじゃない」
イツキが端末を覗き込む。
「旧ビーコン塔由来の残留接続です。本人の意思による報告ではない可能性が高いです」
ルースが淡々と補足した。
「本人の意思じゃなくても、位置が漏れる可能性はあるってことか」
「はい」
俺が言うと、ルステラの声が卓上の端末から短く流れた。
「拒絶した場合、当該個体は旧ビーコン塔へ戻れない可能性が高いです」
ミーナは空になったグラスを見た。
「じゃあ、席ならある」
「判断早いね」
イツキが呆れたように笑う。
「水飲ませたし」
「水飲ませんのが契約みたいになってるじゃん」
ガロが、カウンターの端で低く笑った。
「この酒場らしいわ」
アオイは、フードの奥で小さく瞬きをした。片方の青い目が、微光を揺らす。
「......ここが、......ない酒......ですか」
【発言補助:ここが、地図にない酒場ですか】
「たぶん、ここだな」
俺は答えた。
「正式名称はギルド酒場。地図に載ってるかは......まあ、載らない方が安全なこともある」
アオイは、胸元の紙地図を少しだけ開いた。
そこには、古い線がいくつも引かれていた。消えかけたビーコン網、途中で折れた補給路、赤い×印、鉛筆で何度も書き直された矢印。
「わた......移動.....酒......を見た」
【発言補助:私は、移動する酒場を見ました】
「《ルステラ・キャリア》のことか」
カケルが反応する。
アオイは小さく頷いた。
「......帰る場所が、走っていました」
ステラが首を傾げる。
「帰る場所が、走る?」
「......はい」
【発言補助:はい】
その言葉に、酒場の空気が少しだけ変わった。
帰る場所が走っていた。
妙な表現だ。
けれど、俺には分かる気がした。
《ルステラ・キャリア》は、ただの車ではない。帰還席を積み、子供の席を積み、水と毛布と酒場の匂いを積んでいる。壊れた世界の中を、帰る場所そのものが移動している。
アオイは、それを遠くから見たのだ。
「旧ビーコン塔から、ここまで来たのか」
「......はい」
「旧ビーコン塔って、まだ生きてるの?」
イツキの問いに、アオイはしばらく黙った。
「......半分、死んでます」
【発言補助:半分、死んでます】
言葉のわりに、声は淡々としていた。
いや、淡々とせざるを得ないのかもしれない。
ガロが静かに問う。
「なら、なぜ出てきた」
アオイは、フクロウフードの端を握る手に力を込めた。
「......見ている......、もう終わり......」
【発言補助:見ているだけは、もう終わりにしたいんです】
酒場が少し静かになった。
アオイの声は小さい。
字幕がなければ、きっと聞き逃していた。
だが、その小さな声の中には、ずっと誰にも届かなかったものが詰まっている気がした。
「......声だけ、増え......」
「......戻れない......」
「......地図......、残ります」
【発言補助:声だけ、増えていきました】
【発言補助:戻れない人の声です】
【発言補助:地図にない場所ほど、残ります】
ステラが、黙ってアオイの隣に座った。
ルースはログを出さなかった。
ミーナも、何も言わなかった。
ただ、アオイの前のグラスに、水を少しだけ足した。
―――――
多層地図卓の前に立ったアオイは、見た目だけなら完全に場違いだった。
フクロウ型の着ぐるみ外套。
ひび割れた丸目レンズ。
背中の折れたアンテナ杖。
小さな手に握った紙地図と鉛筆。
だが、彼女が地図卓を見た瞬間、青く光る片目の奥に、何かが走った。
【多層地図卓:展開】
【地表層:一部照合】
【地下層:未照合多数】
【空中層:未照合多数】
【情報層:観測干渉あり】
【中央演算層:アクセス拒否】
地図は相変わらず穴だらけだった。
見えている道より、見えない道の方が多い。白いノイズで埋まった領域、名前のない空白、危険度も観測度も表示されない黒い部分。
アオイは、その空白のひとつをじっと見つめた。
そして、ほとんど息みたいな声で言った。
「......そこ、空白じゃ......」
「え?」
「......消され......」
ルースの字幕が、少し遅れて出る。
【発言補助:そこは空白ではなく、消されています】
酒場の奥が静まった。
アオイは鉛筆を持ち、多層地図卓の端に紙地図を重ねる。普通なら、半透明の投影地図と古い紙地図が重なるはずはない。だが、アオイの片目が青く明滅した瞬間、紙に描かれた歪んだ線が、卓上の地図へ薄く投影された。
正式ビーコン経路の横。
地図上では完全に空白だった地下層に、細い青線が浮かぶ。
「......正式な道は、見られています」
「......でも、逃げた人は、正式じゃない道を使います」
「......その跡は、残ります」
【発言補助:正式な道は見られています】
【発言補助:逃げた人は正式ではない道を使います】
【発言補助:その跡は残ります】
カケルが身を乗り出した。
「つまり、監査されるビーコン道じゃなくて、古い逃走路を拾えるのか」
「......たぶん」
「たぶん?」
アオイは、少しだけフードを下げた。
「......いえ、かなり」
「......でも、確定には現地確認が必要です」
俺は思わず笑ってしまった。
「急にカーナビっぽいな」
「......リルートします」
「この娘、カーナビ少女でござる!」
タニシがはしゃぐ。
アオイは、少しだけタニシの方を見る。
「わたし......声量設定、低いです」
「自覚あるのかよ」
思わず突っ込むと、アオイはこくりと頷いた。
「......旧式スピーカー、壊れてます」
「着ぐるみ側の問題もあるのか」
ルースが解析ログを出す。
【フクロウ型外套:旧式避難誘導装備】
【用途:防塵/断熱/夜間視認/児童安心化/簡易観測補助】
【音声拡張機能:破損】
【現状:声量低下の一因】
ミーナが、アオイのフードを見つめる。
「それ、子供を案内するためのやつ?」
アオイは小さく頷いた。
「......怖がらせないため、です」
フクロウの丸い目が、割れたレンズ越しにこちらを見ている。
子供を怖がらせないための装備。
避難する子を安心させるためのマスコット。
それが今は、旧ビーコン塔の残骸から、ひとりで歩いてきた少女の外套になっている。
可愛いはずなのに、少し寂しい。
そして、少し怖い。
この世界で“子供を安心させるため”に作られたものは、だいたい裏側にひどい理由がある。
―――――
「運用テストをします」
ルースが言った。
「対象:アオイ。役割想定:遠征マッパー/経路補助。簡易誘導精度を確認します」
「どんなテストだ?」
「カウンターから医療区画前まで、マスターの車椅子を安全誘導します」
「俺でやるのかよ」
「ぱーぱ、まだ歩いちゃだめだから」
ステラがにこにこしている。
俺は逃げられない。
カケルが車椅子の後ろに回った。
「よし、押すぞ」
「安全に頼む」
「七割くらいでいくわ」
「不安しかねぇぞカケル!!」
アオイが俺たちの後ろに立つ。フクロウ外套の裾が、床の上で小さく揺れた。
「......右です」
カケルが首を傾げる。
「聞こえねぇ」
「......右です」
「え? 左?」
「......右です」
ルースの字幕が遅れて出る。
【アオイ発言補助:右方向へ進行推奨】
「もっと早く字幕出してぇ!」
カケルは左に曲がりかけていた。そこには、昨日の医療処置で使った薬草箱が積んである。
アオイが、ほんの少しだけ声を強くした。
「......止まって」
「え?」
「......止まってください」
【アオイ発言補助:停止してください】
カケルが車椅子を止めた。
次の瞬間、棚の上から小さな薬草箱が落ち、さっきまで通ろうとしていた床に、ぱさりと乾いた葉を散らした。
「聞き逃すと死ぬタイプのカーナビじゃねぇか」
「すごい。アオイ、すごい」
ステラが無邪気に拍手する。
アオイはフードの奥で目を伏せた。
「......声が届けば」
「そうね、そこが一番の問題ね」
ミーナが腕を組む。
「拙者の声量を分けてあげたいでござる!」
タニシが胸を張ると、イツキが即答した。
「分けたら事故だわ、下手すりゃ悪夢だし」
「拙者の音量、災害扱いでござる!?」
酒場に笑いが起きる。
その笑いの中で、アオイは少しだけ肩を縮めた。笑われていると思ったのかもしれない。ステラがすぐにアオイの手を取る。
「大丈夫。アオイの声、小さいけど、道はちゃんと合ってたよ」
アオイの青い目が、ほんの少し揺れた。
「......はい」
【発言補助:はい】
―――――
テストが終わったあと、ミーナはアオイに薄いスープを出した。
アオイは両手で器を包む。フクロウ外套の袖口から出た指は細く、少し冷えているように見えた。
俺はカウンターの端から、彼女を見る。
「旧ビーコン塔で、アオイは何を見てたんだ?」
アオイの手が止まる。
その問いは、たぶん軽くない。
けれど、ここで聞かないまま遠征に連れていくのも違う気がした。
アオイは、湯気の向こうで小さく答えた。
「......帰れなかった人です」
【発言補助:帰れなかった人です】
酒場の音が遠くなる。
「......助けを呼ぶ声」
「......途切れた帰還ログ」
「......途中で止まったキャラバン」
「......子供の名前」
「......届かない、ただいま」
【発言補助:助けを呼ぶ声】
【発言補助:途切れた帰還ログ】
【発言補助:途中で止まったキャラバン】
【発言補助:子供の名前】
【発言補助:届かない、ただいま】
ステラが、器を持つアオイの手を見た。
ルースはログを止めた。
必要な字幕だけを出し、それ以上の解析を挟まない。
アオイは、フクロウフードの奥で小さく息を吸う。
「......見えていました」
「......でも、行けませんでした」
ミーナが静かに聞いた。
「安全だった?」
アオイは、少し長く黙った。
「......安全でした」
「......でも、声だけ増えていきました」
その一言で、俺は何も言えなくなった。
安全な場所にいても、壊れることはある。
見ているだけでも、傷つくことはある。
届かない声だけを集め続けるのは、たぶん、戦場に立つのとは違う種類の地獄だ。
ガロがジョッキを置く。
「見るだけで壊れる者もいる」
ミーナが続けた。
「見るだけで済ませられないやつもいる」
俺は、アオイの前に置かれた紙地図を見た。
線だらけで、消し跡だらけで、角が擦り切れた地図。
そこには、誰かが帰れなかった場所が記されている。
「なら、来て正解だ」
俺は言った。
アオイが、青い目をこちらへ向ける。
「......まだ、役に立てるか分かりません」
「俺も料理できないままマスターやれてるから大丈夫だ」
場が一瞬止まった。
ルースが、すかさずログを出す。
【補足:ぱーぱの料理能力は比較対象として不適切です】
「ルース、そこは流すとこだぞ」
ステラが真剣な顔で頷く。
「ぱーぱ、料理には自信持たない方がいいよ!」
「うっ、ステラに言われると刺さるわ」
ミーナも無言で頷いた。
「ミーナまで頷くな」
アオイの肩が、小さく震えた。
笑ったのかもしれない。聞こえるほどの声は出なかった。
でも、フクロウフードの奥で、ほんの少しだけ表情がやわらいだ気がした。
―――――
イツキが帳簿を開き、ペンを回す。
「じゃあ、仮登録ね」
「また即決だな」
「人手不足なんだよ。あと、こういう子は放っておくと勝手に迷子になっちまう」
アオイは少しだけ顔を伏せた。
「......否定できません」
【発言補助:否定できません】
ログが浮く。
【臨時役職候補:遠征マッパー】
【対象:アオイ / SEPHA-07】
【戦闘能力:低】
【声量:極小】
【読図能力:高】
【ビーコン残響感知:高】
【帰還経路補助:中】
【伝達失敗リスク:高】
【総合評価:要字幕補助】
「総合評価がひどい」
「......事実です」
「本人が認めた」
イツキが笑いながら記入する。
ルースが補足する。
「音声補助を常時起動すれば、運用可能です。フクロウ外套の音声拡張機能も、カケルによる応急修理で改善する可能性があります」
カケルが外套を見て、目を細めた。
「旧式の避難誘導装備か。壊れ方が古いな。部品があれば直せる」
「......直るんですか」
「全部は無理だ。だが、七割なら」
「カケルの七割とか、だいたい事故一歩手前じゃねえか?」
「生きてりゃ成功だろ」
「その基準やめろ」
ステラがアオイの隣で手を上げた。
「アオイ、うちのカーナビ?」
アオイは少しだけ考えた。
「......たぶん」
「たぶんを正式採用するの怖いな」
アオイは紙地図を胸元に抱え、フードの奥で俺を見た。
「......リルートは、できます」
その言葉だけは、小さいのに、はっきり聞こえた気がした。
「......リルートします」
「......生きて帰れる道へ」
【発言補助:リルートします】
【発言補助:生きて帰れる道へ】
俺は、少しだけ笑った。
「いいじゃん!」
アオイが瞬きをする。
「その道案内なら、聞き逃さないようにする」
「よ......お願い......」
【発言補助:よろしくお願いします】
―――――
アオイが多層地図卓の前に立つ。
小さな手が、紙地図と投影地図の間をなぞった。
正式ビーコン経路ではない。
監査側が管理するきれいな道でもない。
壊れた補給路、逃げた足跡、帰れなかった者のログが残した、かすかな線。
それが、青く浮かび上がる。
【多層地図卓:更新】
【地下層:未照合経路を仮登録】
【経路名:旧補給路残響】
【接続候補:神権工廠地下炉】
【関連候補:HEPHAESTUS / FORGE-CORE】
【監査危険度:中】
【環境危険度:高】
【推奨:現地確認】
【備考:正式ビーコン経路ではありません】
神権工廠地下炉。
ヘパイストス。
火と炉と修復の領域。
次の遠征候補が、地図の中で赤く滲む。
カケルが腕を組んだ。
「正式じゃない道ほど、壊れてるだろうな」
ガロが頷く。
「壊れている道は、見つかりにくい」
ミーナは冷静に続ける。
「見つかりにくいけど、死にやすい」
「どっちも嫌だが、選ぶなら見つかりにくい方か」
ルースが数値を出す。
【神権工廠地下炉への到達可能性:21% → 38%】
「おいおい、だいぶ数値低くない?」
「倍近い。上等だ、十分ベットできるぜ」
カケルはそう言った。
この世界では、三十八%でも道になる。
いや、道にするしかないのだ。
アオイは、青い線を見つめて小さく言う。
「......まだ、道じゃないです」
「......道にするには、歩く必要があります」
地図は、最初から完成しているものではない。
歩いて。
見て。
失敗して。
帰って。
ようやく、線になる。
アオイが拾ったのは、ただの道ではない。
帰れなかった者たちが残した、帰ろうとした跡だった。
「じゃあ頼む」
俺は言った。
「俺たちを迷子にしないでくれ」
アオイは、フクロウフードの奥で小さく頷いた。
「......はい」
「......リルートします。生きて帰れる道へ」
その声はやっぱり小さい。
だが、今度は全員が聞いていた。
イツキが台帳を確認する。
「道は仮で見えた。燃料はカケルが暫定案。発電はタニシ。水は増設待ち」
「拙者、発電枠で固定されてるでござる......」
「で、あと問題は食事だね」
俺は手を上げかけた。
「俺が」
「だーめ」
全員が、俺の言葉を最後まで聞かずに止めた。
「言う前に止めるな」
ルースが冷静に追撃する。
「前回の調理ログに基づき、ぱーぱの厨房参加は制限されています」
ステラも優しい顔で言う。
「ぱーぱ、料理以外でがんばろ?」
「優しいのに傷つく!!」
ミーナが厨房の方を見た。
「やっぱり、あいつが必要ね」
イツキが帳簿から顔を上げる。
「ああツグミ――か?」
「帰ってくれば、の話だけどね」
その瞬間だった。
厨房側の裏口あたりで、何かがぶつかる音がした。
ごぉん。
鉄鍋が床か壁か、あるいは誰かの頭に当たったような、鈍くてよく響く音。
全員がそちらを見る。
「......今の音は?」
俺が聞くと、ミーナは少しだけ面倒くさそうに目を細めた。
「いいタイミング。たぶん、来た」
「誰が?」
「言ってた料理人よ」
タニシが、恐る恐る手を上げる。
「次は声が小さい敵ではなく、鍋がうるさい敵でござるか?」
ミーナは短く答えた。
「敵じゃない」
「たぶん、もっと面倒」
裏口の向こうで、もう一度、鉄鍋が鳴った。
神域遠征に必要な道は、ようやく一本見えた。
そして次は――飯の問題が、鍋の音を立てて帰ってきた。
■ 今回のお話について
第203話は、遠見のアオイ初登場回でした。
旧ビーコン塔から来た、声の小さいマッパー少女。
しかも今回は、フクロウ型案内着ぐるみ外套を着たキャラクターとして登場しました。
この外套は単なるギャグ衣装ではなく、旧ビーコン塔で子供向けの避難誘導に使われていた実用装備です。
防塵、断熱、夜間視認、子供保護、観測補助。
ただし音声拡張機能が壊れているため、アオイの声はさらに小さくなっています。
可愛いけれど少し寂しい。
着ぐるみなのに観測者。
声は届きにくいけれど、道だけは間違えない。
そんなキャラクターとして、神域遠征の“道担当”に加わりました。
■ ゲーマーおっさん解説
今回のゲームネタは「マッパー/カーナビ役」です。
昔のRPGやダンジョン探索ゲームでは、地図がないと本当に迷います。
オートマッピングがないゲームでは、自分で方眼紙に地図を書いた人も多いはずです。
そして、地図係は戦闘職ではありません。
でも、道を間違えると全滅する。
アオイはまさにそのタイプです。
戦闘能力は低い。
声も小さい。
自己紹介には字幕ログが必要。
でも、地図の空白が「未探索」なのか「消された場所」なのかを見分けることができる。
これは神域遠征ではかなり重要です。
ただし、カーナビの音量設定が低すぎるので、聞き逃しには注意です。
■ 登場キャラクター紹介
● アオイ / AOI / SEPHA-07
旧ビーコン塔から来た観測変異持ちの少女。
通称、遠見のアオイ。
声が非常に小さく、フクロウ型案内着ぐるみ外套のせいでさらに聞き取りづらい。
役割は、マッパー、カーナビ、ビーコン読図係。
地図の空白や、消された道、帰還ログの残響を読むことができる。
決め台詞は「......リルートします。生きて帰れる道へ」。
● マスター / NO NAME
紅玉正式/銅査定候補。
営業禁止、料理禁止寄り、右腕同期不安定。
今回はアオイを仮受け入れし、神域遠征の地図問題に向き合った。
なお料理担当へ名乗り出ようとして即座に全員から止められた。
● ルース
解析担当。
アオイの音声補助字幕を担当した。
アオイの外套が旧式避難誘導装備であることも解析。
声が小さい子に対しては、かなり相性がいい補助役。
● ステラ
アオイの小さな声を怖がらず、自然に受け入れた。
「アオイ、うちのカーナビ?」という言い方で、アオイの役割を子供らしく言語化した。
● ミーナ
アオイにまず水を出した人。
帰る場所を探して来た者に、余分なグラスを置いて待てる女。
アオイの過去を深追いしすぎず、必要な席だけを出した。
● カケル
アオイの示した旧補給路残響をもとに、神権工廠地下炉への正式ではないルートを検討。
フクロウ型外套の音声機能修理にも興味を示した。
● タニシ
音量担当。
アオイとは真逆に声が大きい。
発電枠もほぼ固定されつつある。
本人は納得していない。
● ツグミ
ラストで鉄鍋の音だけ登場。
ミーナいわく、料理人。
敵ではないが、たぶんもっと面倒。
次話で本格登場予定。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:紅玉正式/銅査定候補
状態:営業行動禁止継続/右腕同期不安定/料理行動制限推奨/薬草茶生活
危険度:高
観測度:高
スキル・権限
・GRA系統権限:使用後負荷大
・帰還席運用:高評価
・神権解放系統:高リスク
・料理スキル:壊滅的
遠征準備状況
・道担当:アオイ仮登録
・燃料担当:カケル案作成中
・発電担当:タニシ仮固定
・厨房担当:未登録、ただし鉄鍋の音あり
備考:
アオイ加入により、神域遠征の地図補助が可能になった。
ただし、食事・厨房問題は未解決。
次話、料理人が帰ってくる予定。
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