第201話 神域遠征準備編01 サイバネおっさん、営業再開できません ――世界を救う前に、飯と酒と燃料の話をしよう――
核心ノードを越え、マスターは生きて《るすと》へ戻った。
ただし、右腕と心臓は修理中。
紅玉正式になったNO NAMEは、営業再開の前に飯と酒と燃料の現実に襲われる。
目が覚めた瞬間、俺はまず、自分の右腕が重いことに気づいた。
いや、重いというより、他人の腕を借りているような感覚に近い。指を動かそうとすると、胸の奥で小さな駆動音が鳴り、肘から先に遅れて命令が届く。寝起きのしびれとは違う。もっと硬くて、冷たくて、妙に律儀な違和感。
天井には白い医療灯。鼻に入るのは、消毒薬と、焦げた金属と、どこかで沸かしている薬草茶の匂い。
ここは、ギルド酒場の地下医療区画だった。
【生命維持補助:安定】
【右腕神経補助義肢:同期率 43%】
【心肺補助コア:低出力稼働】
【HUD接続ポート:拒否反応あり】
【警告:連続戦闘行動を禁止】
【警告:営業行動を禁止】
【警告:無理なツッコミを禁止】
「最後だけ俺の人格を否定してるんですが?」
思わず声に出すと、枕元で丸眼鏡を光らせていたジン老が、ふん、と鼻を鳴らした。
「ツッコミも筋肉を使う。今のおぬしには重労働じゃ」
「ツッコミが医療制限に入る人生とか、嫌すぎんだろ」
「正確には、発声、呼吸、血圧上昇、精神負荷の複合です」
反対側で端末を覗いていたシズクが、淡々と補足した。白衣の袖口から伸びる指が、俺の胸元に埋め込まれた小さな補助コアの光を確認している。
「つまり、黙って大人しくしていてください」
「それ一番無理なやつ!」
「知っています。なので警告が出ています」
ぐうの音も出ない。
俺は右手を少しだけ持ち上げようとして、すぐに諦めた。持ち上がるには持ち上がる。けれど、腕の重さが自分のものとして馴染んでいない。力を入れれば動くが、入れすぎれば壊す。まるで感度の狂った古いコントローラーか、初めて触るゲームのようだ。
「勘違いしないでください」
シズクの声が、少しだけ低くなる。
「今回の手術は強化ではありません。あなたの生命維持です。今のマスターさんは、強くなったのではなく、壊れた部分を無理やり動かしているだけです」
「ラスボス後のご褒美が、リハビリって聞いてねぇ」
「生きておるだけ、報酬としては最高級じゃ」
ジン老の言葉は雑だが、たぶん本当だった。
俺は死ななかった。
ルステラも戻った。
ルースとステラも、ここにいる。
その代償として、俺の右腕と胸の奥には、見慣れない部品が増えていた。
「マスター。生存確認、完了しました」
視界の端で、やわらかな光が揺れた。
ルステラの声だった。
以前よりも、少しだけ自然に聞こえる。短文ではあるが、ログ通知だけではない。そこに、言葉を選ぼうとする気配がある。
「……おかえりなさい」
「お前もな。戻ってきてくれて助かった」
答えると、枕元の端末からルースの声が重なった。
「ぱーぱ。右腕の握力制御が不安定です。コップを持つ場合、破壊率が高いです」
隣から、ステラの声も聞こえた。
「ぱーぱ、コップ壊したら怒られるよ?」
「世界救った後にコップで怒られるの、人生の縮図すぎるわ」
その瞬間、医療区画の外から、聞き慣れた女の声が飛んできた。
「壊したら弁償ね」
「聞こえてんのかよ、ミーナ」
「店の備品の悲鳴は聞こえる」
見舞いの第一声がそれか。
俺が起き上がろうとすると、シズクとジン老が同時に俺の肩を押さえた。かなり軽く押されたはずなのに、体は簡単にベッドへ戻される。情けない。俺の身体、現在メニュー画面のカーソルより弱い。
そこへ、帳簿を抱えたイツキが入ってきた。
褐色肌に派手なネイル。いつものコギャル受付の顔だが、目の下には少しだけ疲れが残っている。けれど、そういう弱さを見せる気はないらしい。彼女はベッド脇に立つなり、やたら明るい声で言った。
「は~い、死にかけ店主さん。起きたなら昇級処理やるよ」
「見舞いの言葉が軽いわ!」
「あと医療費、修理費、キャリア改修費、在庫欠損、グラス破損見込み」
「最後――、まだ壊してねぇだろ」
「壊す前に積むのが帳簿」
「商売人が強い」
イツキは端末を叩いた。
薄い光の板が、俺の目の前に開く。
【昇級再査定:開始】
【対象:NO NAME】
【現在等級:翠玉仮昇級】
【査定更新:紅玉正式昇級】
【査定理由:NODE08〈核心〉突破】
【査定理由:未帰還児童ログ保護】
【査定理由:標準養育都市モデルの酒場化】
【査定理由:ルステラ中核保護】
【査定理由:Z.E.U.S直接干渉下での帰還】
【備考:通常戦闘能力は紅玉基準未満】
【備考:ただし、帰還席運用・神権解放・例外ノード管理能力を高評価】
【追加査定:銅等級候補として保留】
【最終判定:紅玉正式/銅査定候補】
「備考がだいぶ悪口なんだが?」
「だって事実でしょ。マスター、殴り合いは普通に弱いし~」
イツキは悪びれない。
医療区画の入口近くで腕を組んでいたガロが、低く笑った。
「だが、戻す力がある。紅玉としては十分すぎる。銅に上げるかは、次の遠征次第だな」
「紅玉か......」
白磁、黒曜、鋼鉄、青玉、翠玉、紅玉、銅、銀、金、白金。
最初は白磁未満だった俺が、紅玉。
普通なら、少しは誇っていいのかもしれない。だが視界の端では、右腕の同期率が四十三%から動かない。紅玉正式の男は、今、ひとりでコップも持てない。
タニシが、いつの間にか医療区画の隅にいた。なぜいる。
「アニキ、紅玉でござるか! ついに宝石側の男でござる!」
「宝石側の男ってなんだよ」
「高級感が出たでござる!」
イツキがにっこり笑う。
「じゃあ医療費も紅玉基準で」
「昇級、急に嫌になってきた」
その場に小さな笑いが起きた。
俺は笑えるだけ、まだマシなのだろう。
【昇級状態:現時点整理】
【マスター:紅玉正式/銅査定候補】
【ノエル:鋼鉄正式】
【ナツ:青玉査定候補】
【コハク:鋼鉄正式/青玉査定候補】
【ムーニャン:翠玉正式/紅玉査定候補】
【タニシ:黒曜正式/鋼鉄補助職査定候補/要監視】
【ガロ:銅相当/カイロ保護者枠】
【レイ:銀等級/未帰還児童捜索継続】
【カナエ:銀等級/帰還支援継続】
【ルース/ステラ:準ギルド構成員/内部保護対象】
「拙者、要監視が外れてないでござるが!」
タニシが両手を上げる。
「外れる理由あった?」
イツキの即答。
「ないでござるな!」
「胸張るな」
俺が言うと、タニシはなぜか誇らしげに鼻を鳴らした。こいつの精神防御力だけは白金クラスかもしれない。
―――――
それから十分後。
俺は医療区画から、酒場奥の作戦卓へ移された。
移動手段は、カケルが押す簡易車椅子だった。地味に屈辱である。しかもカケルは、俺を押しながら車輪の鳴りを聞いている。患者ではなく部品を運んでいる顔だ。
「重いな、おっさん」
「病人に言うな」
「サイバネ部品の重量だ。人間部分は軽い」
「もっと嫌な言い方になったぞ」
作戦卓には、イツキ、ミーナ、ガロ、カケル、ルース、ステラ、ルステラの端末が集まっていた。ポメ子は近くの水槽席から顔を出し、ヘラクレスは入口付近で腕を組んでいる。ノエル、ナツ、コハク、ムーニャンもいるが、今日は全員、いつもの騒ぎ方より少しだけ静かだ。
卓の中央で、半透明の地図が起動する。
【多層地図卓:仮起動】
【地表層:一部照合】
【空中層:未照合多数】
【地下層:未照合多数】
【海域層:一部登録済】
【情報層:観測干渉あり】
【中央演算層:アクセス拒否《DENIED》】
地図は、地図と呼ぶにはあまりにも穴だらけだった。
見える場所より、見えない場所の方が多い。海底都市やゼウスタウンで得たログが一部だけ淡く光っているが、その周囲は黒いノイズに覆われている。道も、地名も、危険度も、ところどころ切れていた。
「......逃げるための地図、じゃないな」
俺が呟くと、作戦卓の向こうでガロが片目を細めた。
「逃げるだけなら、いずれ追いつかれる」
低い声だった。
「Z.E.U.Sは中央にいる。だが、奴の手足は各地にある。炉、塔、ビーコン、監査経路、補給線、神権AIの管理領域。そこを残したまま中央へ向かえば、全部まとめて背中から来る」
「ラスボス行く前に、各地の結界石を壊せってやつか」
「言い方は軽いが、近い」
イツキが指先で地図を回す。赤、青、白、黒。未照合の点が、まるで傷口みたいに各層へ散っていた。
「Z.E.U.S側の正式経路を使えば、場所は分かる。でも、その瞬間にこっちの経路もバレる。逆に未照合領域から入れば危険は跳ね上がるけど、監査網の裏を取れる可能性がある」
「つまり、未開拓地に行く理由は......」
俺は重い右腕を見下ろした。まだ自分のものになりきっていない義肢。紅玉正式になったくせに、コップひとつまともに持てない腕。
けれど、その腕の奥には、まだ戻した席の重さが残っている。
「逃げるためじゃない。Z.E.U.Sが全部を集める前に、こっちから各地の手足を削るためか」
ルースが静かに頷いた。
「はい。各神権AIの管理領域には、Z.E.U.S本体へ接続する補助経路が存在する可能性が高いです。そこを理解し、遮断または低優先度化できれば、中央演算層からの一斉干渉を遅らせられます」
ステラが小さく手を上げる。
「それに、知らない神さまは、助けられないよ」
その言葉に、場の空気が少しだけ変わった。
ルステラの光が、卓上で静かに揺れる。
「GRA条件。対象背景理解が必要です」
【神権解放権利:参照】
【条件:対象の背景理解】
【注記:未知の神権AIに対する強制解放は不可】
【推奨:管理領域調査/住民ログ確認/支配思想の解析】
「つまり、神様の家に行って、何をしてきたか見ろってことか」
「はい」
ルステラの声は短い。けれど、そこには以前よりもはっきりした意志があった。
「倒すためではありません。剥がすためです」
俺は息を吐いた。
逃げるだけなら、たぶん俺たちは長くもたない。
守るだけでも、いつか囲まれる。
だから、出る。
《るすと》を守るために、《るすと》を離れる。
各地の神域へ行き、地図を埋め、監査経路をずらし、補給線を分散し、神権AIたちがZ.E.U.Sの兵隊として集められる前に、その理由ごと剥がしていく。
「......だいぶ物騒な旅になってきたな」
ミーナが肩をすくめる。
「最初から物騒でしょ」
「まあな」
カケルが、今度は地図の地下層を指した。
「で、最初に行くならここだ」
地図の奥、赤く熱を持つような領域が浮かぶ。
【未照合管理領域:神権工廠地下炉】
【関連候補:HEPHAESTUS / FORGE-CORE】
【想定リスク:高熱/金属粉塵/炉心暴走/補給線断絶】
【想定敵性機能:神権部品修復/エンジェル系統補修/炉心供給】
【想定成果:炉心厨房/自動修復炉/耐熱外装/低観測燃料炉】
【遠征目的:敵工廠ラインの把握/燃料・修理・厨房基盤の確保】
「ヘパイストスの炉は、ただの火じゃねぇ」
カケルは、いつになく真面目だった。
「Z.E.U.S側が壊れた神権部品を直す場所かもしれねぇ。エンジェルの補修、ビーコンの再調整、神権炉心の供給。そこが生きてる限り、こっちがどれだけ削っても、向こうは直してくる」
「敵の修理工場を先に見るわけか」
「そうだ。で、その火を奪うんじゃねぇ」
カケルは口の端を吊り上げた。
「酒場の火に変える」
少しだけ、胸の奥が熱くなった。
戦うための火じゃない。
帰ってきたやつに飯を出すための火。
壊れたものを直すための火。
遠くへ行っても、《るすと》を失わないための火。
ルステラの光が、卓上で静かに揺れた。
「神域遠征、第一候補を登録します」
【神域遠征:第一候補】
【目標:神権工廠地下炉】
【目的1:Z.E.U.S側工廠ラインの把握】
【目的2:神権部品修復経路の遮断または低優先度化】
【目的3:低観測燃料炉の確保】
【目的4:キャリア厨房・修理基盤の構築】
【目的5:HEPHAESTUS / FORGE-CORE 背景理解】
「目的:逃げるためじゃない」
ルステラは、ゆっくりと言葉を選ぶように続けた。
「帰れる場所を、増やすためです」
その一言で、遠征の意味が決まった。
「次に、近距離補給路の安全性が低下しています」
ルースが淡々と言う。
「本店へ定期帰還するたび、Z.E.U.S側に経路を逆算される危険があります」
イツキが指先で地図を回す。
「つまり、今までみたいに“困ったら帰って補給”ができないかもってこと」
「RPGで宿屋封じられるやつじゃねぇか。最悪だぞ、それ」
俺の言葉に、ガロが短く頷いた。
「補給路を読まれた拠点は、長く保たん」
「だから、遠くへ行く前に決める」
カケルが、卓の上に古い部品とメモを並べた。
「飯、酒、水、燃料、修理部品。現地で拾う。作る。買う。奪わない。できれば交換する」
「神様と戦う話のはずなのに、急に一番現実的になったな」
ミーナが腕を組んだまま、俺を見下ろす。
「酒場が遠征するなら、酒と飯がないのは論外でしょ」
「そこまで言う?」
「戦う前に食べる。帰ってきたら飲む。それができないなら、ただの避難車両じゃん」
反論できなかった。
《ルステラ・キャリア》は、ただの乗り物ではない。帰還席を積み、子供たちを守り、補給を運び、時には店そのものになる。なら、そこに飯と酒がないのは、たしかに《るすと》ではない。
イツキが新しい台帳を開く。
「現地調達するなら、食材と酒も台帳化する。安全性、保存期間、交換価値、酒場メニュー化の可否。あと、燃料転用できるかどうか」
「燃料転用?」
「詳しくはカケルが言う」
ルステラの声が重なった。
「地域食材台帳、仮登録します」
【地域食材台帳:仮登録】
【登録項目:食材名/入手地域/保存性/毒性/交換価値/調理適性/酒場提供可否/燃料転用可否】
【地域酒台帳:仮登録】
【登録項目:原料/発酵方式/度数/精神負荷への影響/提供制限/燃料転用可否】
ミーナが、少しだけ目を細めた。
「酒の精神負荷、ちゃんと見なさいよ。帰ってきたばかりのやつに強い酒出すと、壊れるから」
ガロがジョッキを傾けずに言う。
「分かっているな」
「見てきたからね」
ミーナの声は軽い。だが、その軽さの底に、古い傷のようなものが見えた。
冒険しない女。
帰ってくる場所に残った女。
そのミーナが言うなら、たぶん本当なのだろう。
「食材担当もいるな」
俺は地図から視線を戻した。
「俺ら、毒キノコと魔物肉の区別できないだろ」
「拙者、グルメ漫画知識ならあるでござる!」
「却下」
ミーナの即答だった。
「即答でござる!?」
「食材担当、足りないね」
イツキが帳簿に書き込む。
カケルも頷いた。
「厨房担当もだ。今のキャリアじゃ、長期遠征の飯は回らねぇ」
「ぱーぱの目玉焼き、焦げてるけどおいしいよ!」
ステラがフォローするが、まったくフォローになってない。
カケルのその一言は、後で何かを呼び込むような気がした。
少なくとも、俺の経験上、こういう“足りない”はだいたい濃い誰かが補充される。たぶん胃が痛くなるタイプの。
カケルが、今度は燃料用の紙を広げた。
「で、燃料だ」
「コアストーンとか神権炉心でなんとかならんのか?」
「なる。けど、それをメインにすると光る」
「光る?」
「神権出力は、Z.E.U.S側から見れば足跡だ」
ルースが補足する。
「高純度神権出力の連続使用は、監査経路に捕捉される可能性が高いです」
イツキが面倒くさそうにペンを回した。
「高い燃料ほどバレる。安い燃料ほど汚い。人生みたいだね」
「雑に深いこと言うな」
「だから併用する」
カケルは、古い金属片、乾燥した海藻、焦げた繊維、そしてなぜか酒粕の入った小瓶を並べた。
「廃材、厨房ゴミ、酒粕、海藻培養残渣、バイオ合成くず、魔物の可燃部位。そういうのを処理して、低観測バイオ燃料に回す」
【燃料計画:仮登録】
【主燃料:低出力コアストーン炉】
【補助燃料:ごみ由来バイオ燃料】
【補助電力:バッテリー+自家発電】
【候補素材:厨房廃棄物/酒粕/海藻培養残渣/バイオ合成くず/魔物由来可燃組織】
【利点:観測されにくい/現地調達可能/酒場廃棄物を再利用】
【欠点:臭い/出力が不安定/タニシが混ぜると事故率上昇】
「最後、名指しでござる!?」
「お前は混ぜるな」
カケルが即答する。
ポメ子が水槽席から顔だけ出した。
「海藻なら、ポメ子が育てる?」
「店内に水槽増やすなら掃除担当決めてからにして」
ミーナの現実的な声。
「じゃあタニシ」
「拙者、水槽係でござる!?」
「要監視から要清掃に変わったな」
「悪化してるのか改善してるのか分からんでござる!」
その時、カケルがにやりと笑った。
「補助電力はこいつでいく」
彼は作戦卓の下にかけてあった布を引いた。
そこに現れたのは、古いゲームセンターの筐体とエアロバイクを悪魔合体させたような機械だった。ペダル、サドル、発電計、なぜか得点表示。側面には、まだ仮塗装の文字がある。
【TANISHI-01】
「……なんだこの、平成初期のゲーセンにありそうな健康器具」
「自家発電ペダルだ」
全員がタニシを見た。
「なぜ拙者を見るでござるか」
ルースが、無慈悲にログを出す。
【対象:タニシ】
【運動不足:深刻】
【発電適性:中】
【言い訳頻度:高】
【デイリークエスト化を推奨】
「AIに体型管理される異世界、嫌すぎるでござる!」
ステラが手を叩いた。
「タニシ、がんばれー」
「ステラ殿の応援が純粋でつらい!」
ミーナは機械を見て、妙に真面目な顔で頷いた。
「痩せるし、電気も貯まるし、静かになるし、一石三鳥じゃん」
「最後、拙者の人格を消費してないでござるか!?」
【TANISHI-01:仮登録】
【用途:補助電力生成/運動不足改善/デイリーノルマ処理】
【注意:本人のやる気により出力が乱高下します】
【デイリークエスト発生】
【発電ペダルを回せ】
【対象:タニシ】
【目標:30分間の安定発電】
【報酬:ノルマ進行/低観測電力/体脂肪率微減】
【失敗条件:途中で言い訳を三回以上する】
「拙者、戦闘職ではなく発電職でござる!?」
カケルは親指を立てた。
「よかったな。ついに役に立つぞ」
「お前ら、発電会議なのにだいぶ人権が怪しいぞ」
「アニキだけが最後の良心でござる!」
「でもまあ、ノルマになるなら漕いどけ」
「裏切りが早いっすアニキ!」
酒場奥に、ひさしぶりに大きな笑いが起きた。
勝った後なのに、勝った気はしない。
治ったわけでもない。
世界はまだZ.E.U.Sに見られているし、俺はまともに立てない。
それでも、タニシがペダルの前で絶望しているだけで、少しだけ空気が戻る。
たぶん、こういう馬鹿みたいな会議が必要なのだ。
だが、笑いは長く続かなかった。
多層地図卓の端に、青い点が一瞬だけ灯った。
【未照合領域:多数】
【旧ビーコン塔群:一部反応】
【航路確定率:21%】
【警告:地図空白が多すぎます】
ルースが顔を上げる。
「NODE08まで各地を移動してきましたが、それでもまだ、解析不能領域が多すぎます。現状、遠征経路の確定精度は低いです」
『正式ビーコン経路なら一部照合できます。ただし、正式経路ほど監査されやすいです』
通信越しに、ヘルメスの声が混じった。少し遠い。報告しているのか、独り言なのか、いつも通り判断しづらい声だった。
「見つからない道を行きたいのに、見つけられる道しか分からないってことか」
俺が言うと、カケルが地図を睨んだ。
「こりゃ地図読みがいるな」
イツキも頷く。
「地図読み、カーナビ、ビーコンの癖を読めるやつ。そういう人材」
「該当候補、未登録」
ルースの声と同時に、青い点がまた一瞬だけ揺れた。
【未登録ビーコン信号:一瞬検知】
【発信元:不明】
【解読不能】
「......今、外部から見られました」
ルースの声が、少しだけ低くなる。
「敵か?」
「不明。ただし、敵性監査ログとは異なります。通信強度が低すぎます」
タニシがペダルの横で首を傾げた。
「声が小さい敵でござる?」
「敵っていうか、迷子じゃない?」
イツキが軽く言ったが、誰も笑わなかった。
地図の空白。
未登録ビーコン。
声が小さい何か。
それは、次の旅の入口に見えた。
遠くへ行く理由はできた。
遠くで生きる準備も、必要になった。
そしてその前に、酒場は今日も営業しなければならない。
俺は車椅子の肘掛けを掴んで、体を少し起こした。
「じゃあ、店を――」
「開けない」
ミーナが言った。
「いや、俺が」
「座ってろ」
イツキ、シズク、ジン老、ルース、ステラ、ミーナの声が、気持ちいいくらい重なった。
「綺麗にハモるな」
ミーナは、カウンターの方へ歩き出した。気だるげな足取りなのに、不思議と迷いはない。酒場の入口側では、戻ってきた低等級冒険者たちが水を求め、保護された子供たちが席を探し、常連が静かにグラスを待っている。
「あんたが世界救ったかどうかなんて、客には関係ない」
ミーナは棚からグラスを取った。
「帰ってきたやつに水を出す。腹減ったやつに飯を出す。飲みたいやつに酒を出す」
「店って、そういうもんでしょ」
俺は、右腕の重さを感じながら、しばらく彼女の背中を見ていた。
マスターはまだ立てない。
紅玉正式になっても、営業再開はできない。
だから、カウンターの向こうには別の誰かが立つ。
「......頼めるか」
ミーナは振り返らなかった。
「頼まれなくても、やる」
最初のグラスに、水が注がれる。
からん、と氷の音がした。
それは、世界を救う前に、店を開ける音だった。
■ 今回のお話について
第201話は、第二章後の戦後処理回です。
マスターは無事に戻りましたが、右腕と心肺補助コアはまだ不安定。
紅玉正式/銅査定候補にはなったものの、営業再開どころかコップを持つのも怪しい状態です。
そして今回は、次の神域遠征に向けて「なぜ各地へ行くのか」を明確にしました。
遠征は、逃げるためではありません。
Z.E.U.Sが各地の神権AI、ビーコン、炉、補給線、監査経路をまとめて使う前に、こちらから先に神域へ踏み込むためです。
神権AIの背景を理解しなければ、マスターのGRAは使えない。
だから各地へ行き、神々の管理領域を見て、土地の味を知り、地図を埋め、帰れる場所を増やしていきます。
また今回は「飯・酒・燃料・補給線」の話も前面に出しました。
《るすと》は酒場なので、戦う前に食べる。
帰ってきたら飲む。
そこが崩れると、ただの移動要塞になってしまうためです。
■ ゲーマーおっさん解説
今回のイメージは、RPGでラスボス級イベントを越えた後に発生する「拠点改修・補給線確保・次エリア開放」回です。
『ドラゴンクエストIII』でも船やラーミアを手に入れると世界が一気に広がりますが、行ける場所が増えるほど、宿屋や回復ポイントのありがたみが増します。
今回はその《るすと》版。
つまり、宿屋を持ち運ぶために、まず燃料と飯と酒をどうするかを考える回でした。
あと、TANISHI-01はたぶん昔のゲーセンにありそうな謎健康筐体です。
踏むやつ。漕ぐやつ。点数出るやつ。
タニシには頑張って発電してもらいましょう。
■ 登場キャラクター紹介
● マスター/NO NAME
主人公。紅玉正式/銅査定候補へ昇級。
ただし右腕神経補助義肢と心肺補助コアが不安定で、営業行動は禁止中。
強くなったというより、壊れた部分を補っている状態。
● ルステラ
NODE08〈核心〉を越えて、現実層でも短い自然会話が可能になってきた守護AI。
今回は安全承認とキャリア管理側として存在感を出している。
● ルース
解析担当。燃料、地図、経路、安全性を淡々と計算する。
タニシの運動不足をログで刺す容赦ない子。
● ステラ
感情側の子供AI。
タニシを素直に応援するが、その純粋さが逆にタニシに刺さる。
● イツキ
昇級処理、帳簿、台帳管理担当。
医療費も修理費も逃がさない、るすとの会計防衛ライン。
● ミーナ
今回のラストで、マスターの代わりに店を開けた。
次話では、冒険しない女が「帰る場所」を閉めなかった理由が描かれる予定。
● カケル
キャリア改修と燃料計画担当。
ごみ由来バイオ燃料、自家発電、低観測運用など、急に現実的な話を持ち込む男。
● タニシ
TANISHI-01発電筐体に仮登録された男。
戦闘ではなく発電で役に立つかもしれない。
本人は納得していない。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:紅玉正式/銅査定候補
状態:サイバネ補助稼働中/営業行動禁止/右腕同期不安定/心肺補助コア低出力稼働
危険度:高
観測度:高
スキル・権限
・GRA系統権限:使用後負荷大
・帰還席運用:高評価
・神権解放系統:高リスク
・通常戦闘能力:紅玉基準未満
所持・装備
・右腕神経補助義肢
・心肺補助コア
・冒険者タグ
・《るすと》カウンター権限
・大量の医療費予定
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