第192話 核心ノード編15 選ばなかった家庭を見せるな ――もしも正解の親だったら、うちは家族じゃなかった――
間違いを残したら、次は“選ばなかった正解”を見せられました。
理想の家庭、厳格な家庭、何も背負わなかった家庭。
でも、今ここにいる子を、別の正解とは交換しません。
白い教室の窓に、別の家庭が映っていた。
最初は、ただの景色に見えた。
整った一軒家。白いカーテン。きれいに磨かれたテーブル。焦げていないトースト。栄養計算された朝食。散らかっていない子供部屋。
そして、そこにいたのは――ルースとステラだった。
俺の隣にいるルースとステラではない。
窓の向こうの二人は、背筋を伸ばし、同じ角度で椅子に座り、同じタイミングで食器を手に取っている。笑っているように見える。けれど、その笑顔はどこか白い。
白すぎて気味が悪い。
【分岐家庭シミュレーション:起動】
【もし別の育て方をしていたら】
【μ《ミュー》系統干渉:検出】
【後悔値:測定開始】
「今度は後悔商法かよ」
俺が吐き捨てると、ルースが窓の前へ一歩出た。瞳の奥で、青白いログが走る。
「分岐家庭シミュレーションです。過去の選択肢を参照し、別の育成結果を提示しています」
「要するに、もしもボックスの悪魔版だな」
「もしもナントカはわかりませんが、精度は高いようです」
「そこが一番イヤなんだよ」
ステラが俺の服の裾を握った。
「べつの、すてら?」
「ああ。たぶん、そう見せてるだけだ」
そう言ってから、俺は自分でも少し迷った。
見せているだけ。そう切り捨てるには、窓の向こうは妙に生々しかった。食器の音も、椅子の軋みも、朝の光の角度も、全部がよくできすぎている。
ネムリが、眠そうな目をこすった。
「夢じゃないのに、夢みたい」
カイロは窓枠に指を当て、黒い線を見つめている。
「分岐線」
「戻れない線か?」
「ちがう。戻れない線じゃない。でも、見すぎると、戻りにくい」
「それ、めちゃくちゃタチ悪いな」
後ろでタニシが震えながら手を上げた。
「アニキ、拙者、恋愛シミュレーションで全員のルートを同時攻略しようとして、全員に嫌われた経験あるっす」
「今その話いるか?」
「選ばなかった未来への供養っす!」
ムーニャンがタニシの後頭部をポカンと軽く叩く。
「お前のゲームと子供の人生を一緒にするなネ」
「いやでも、今の状況ちょっとタニシのいうゲームっぽいのが腹立つ」
俺がそう言うと、窓の向こうの家庭にログが重なった。
【分岐家庭A】
【理想家庭ランク:A】
【児童AI安定率:97%】
【神権適合率:88%】
【保護者評価:優良】
朝食の席で、分岐先のルースが口を開いた。
『保護者役、朝食の栄養配分は適正です』
続いて、分岐先のステラが静かにうなずく。
『本日の情緒反応は、標準範囲内です』
俺の隣のステラが、びくっと肩を揺らした。
「すてら、あんなふうに言わない」
「そうだな、言わなくていい」
俺は即答した。
「うちで『情緒反応は標準範囲内です』なんて言ったら、まず熱を測る」
イツキが帳簿を片手に、窓を覗き込む。
「朝食が焦げてない時点で別世界だねー」
「そこは放っとけ」
「でも家庭ランクAって、経営でいうとめちゃくちゃ優良物件だよ。掃除されてる、滞納なし、苦情なし、事故なし」
「子供の情緒まで事故物件扱いするな」
タニシがそっと後ずさる。
「アニキ、この家庭、拙者出禁っぽいっす」
ムーニャンが真顔でうなずいた。
「出禁どころか、玄関前で消毒、いや殺虫剤まかれるアル」
「清潔感で入室拒否!?どころか虫扱い!?」
そのやり取りで少しだけ空気が緩む。
だが、窓の向こうのルースとステラは、当然だが――笑わない。
あの家には、俺がいなかった。
いや、保護者役らしき人物はいる。きちんとした服を着て、きちんとした声で、きちんとした食事を出している。でも、マスターではない。父親でもない。ただの役割を与えられたNPCだ。
ルースが、ぽつりと言う。
「効率的ですね」
「ああ」
「迷惑も、危険も、少ない」
「だろうな」
「……ぼくが、そちらを選んでいたら。ぱーぱは、楽だった可能性があります」
その言葉は、窓の向こうの光よりまぶしかった。
胸の奥に、まっすぐ刺さる。
俺はルースの頭に手を置いた。
「楽かどうかで、お前と一緒にいるわけじゃねえよ」
ルースが見上げる。
「では、なぜですか」
「帰ってきたからだろ」
自分でも驚くくらい、答えは簡単だった。
「帰ってきたやつに飯を出す。それが酒場だ」
ルースは目を瞬かせた。
ステラは俺の服を握る力を少し強くした。
窓が切り替わる。
次に映ったのは、もっと静かな家だった。
食卓に笑い声はない。壁には時間割。机には課題。ルースは黙々と問題を解き、ステラは口を結んで座っている。泣き声はない。散らかった玩具もない。きれいで、整っていて、息苦しい。
【分岐家庭B】
【方針:厳格管理】
【学習効率:上昇】
【情緒表現:低下】
【父性評価:安定】
窓の中の俺――いや、俺に似た誰かが、低い声で言った。
『泣くな』
『できるまでやれ』
『正解できるなら、感情はいらない』
「俺、こんなこと言うのか?」
吐き気に近いものが喉まで上がった。
ルースが静かに答える。
「可能性としては存在します。ぱーぱが、失う恐怖を優先した場合の分岐です」
「......最悪だな」
ポメ子が、水の気配をまとって窓を見ていた。
いつもの湿度高めの圧ではなく、少しだけ静かな顔をしている。
「危ない場所へ行かせなければ、失わないわ」
「ポメ子」
「でも、あれは少し苦しいわね」
ルステラ断片のログが、俺の視界に淡く灯る。
【同意】
【保護ト拘束ハ、隣接シマス】
【過保護領域:危険】
「お前らが言うと重いわ」
【否定不能】
ステラが窓の中の自分を見つめていた。
泣かない。甘えない。ぱーぱと呼ばない。きちんとした子。いい子。標準的な子。
「すてら、あっちの方が、いい子?」
その問いに、俺はすぐ首を振った。
「いい子って言葉、今日は使用禁止だ」
「じゃあ、なに?」
「うちの子」
ステラの目に、じわっと涙が浮かぶ。
【感情反応:過多】
【児童評価:低下】
まだ残っていたアポロン塾の評価ログが、うるさく割り込んできた。
「低下でいい」
俺はログを睨む。
「うちでは、それを生きてるって言う」
ステラは何も言わず、俺の腕にしがみついた。
次の窓が開く。
そこは、《るすと》に似ていた。
でも、静かすぎる。
カウンターはきれいだ。床も磨かれている。酒瓶も整っている。死体袋もない。子供の落書きもない。誰かが慌てて出入りした痕跡もない。
そして、俺が一人でカウンターを拭いていた。
【分岐家庭C】
【方針:保護者権限返上】
【児童AI二体:標準教育機関へ移管済】
【未帰還児童ログ:受入拒否】
【家庭負荷:低下】
【保護者後悔値:測定不能】
音がない。
あの店には、ルースもステラもいない。
ミコの光も、ネムリの寝息も、カイロの線もない。タニシのうるさい声も、ムーニャンの容赦ないツッコミもない。
ただ、きれいな店だけがある。
「……これが、一番嫌だな」
俺の声は、自分でも驚くほど低かった。
ステラが小さく言う。
「ぱーぱ、いない」
ルースが窓を見つめたまま、淡々と補足する。
「ぼくたちは、安全です」
「でも、帰る席がありません」
その時、窓の奥から黒い声がした。
『選ばなければ、傷つかなかった』
誰の声でもない。
男でも女でもない。子供でも大人でもない。耳ではなく、後悔の隙間に直接入り込んでくるような声。
『背負わなければ、失わなかった』
『父親にならなければ、父親失格にもならなかった』
「うるせぇな」
俺は窓を睨んだ。
「それ、楽なだけだろ」
【μ《ミュー》系統分岐干渉:濃度上昇】
【選択責任シミュレーション:継続】
【最適解:提示なし】
【警告:後悔値が精神耐性へ干渉します】
『正解はない』
『選んだ時点で、選ばなかった家庭は死ぬ』
『それでも、選ぶ?』
「言い方が悪魔的すぎる」
タニシが青い顔で震えた。
「アニキ、これ、ギャルゲーの選択肢ならセーブしてから選びたいっす」
「ここ、セーブ禁止区域だぞ」
「じゃあ無理ゲーっす!」
ムーニャンがため息をつく。
「タニシ、人生にクイックセーブはないネ」
「名言っぽいけど刺さるっす!」
ネムリが、別の窓を見ていた。
そこには、小さな白い家がある。カーテンは閉じたまま。ベッドの上には、眠り続けるネムリがいた。誰も起こさない。誰も怒らない。誰も泣かない。ただ静かで、ずっと朝が来ない。
「この家、しずか」
ネムリは眠そうに言った。
「でも、起きる朝がない」
「それは休みじゃなくて、保管だな」
「じゃあ、や」
シンプルな拒絶だった。
ネムリは目をこすりながら、俺の近くへ戻ってきた。
カイロも窓を見ている。
そこには、何もない部屋があった。宿題もない。線もない。朝もない。
「あっちのぼく、宿題ない」
「そこだけ聞くと楽園だな」
「でも、朝もない」
「じゃあダメだ」
カイロはうなずいた。
「宿題、少しだけなら、ある方がいい」
タニシが大げさにのけぞった。
「名言っぽいけど、宿題肯定は危険思想っす!」
「お前はまず提出しろ」
「提出期限は精神的終端線っす!」
「カイロ、こいつにも線引いてやれ」
カイロはタニシの机の幻影に一本線を引いた。
「ここから先、未提出」
「やめて! その線だけは本当に戻れないっす!」
笑いが起きる。
だが、窓の向こうの黒い声は消えない。
『見たね』
『別の正解を』
『別の幸福を』
『別の失敗を』
ルースが深く息を吸った。
「ぱーぱ。分岐窓の完全破壊は危険です」
「壊せば終わりじゃないのか」
「選ばなかった可能性を否定すると、現在の選択も不安定化します」
「つまり、なかったことにするなってことか」
「はい」
ステラが首をかしげる。
「じゃあ、しまう?」
ミコが、窓の光を見つめた。
「光、強すぎると、目、いたい」
「でも、見ないふりも、こわい」
ネムリが小さくうなずく。
「見たあと、寝る場所、いる」
カイロが黒い線に触れた。
「線、閉じない」
「でも、今の家に戻る線、太くする」
俺は窓の向こうを見た。
理想家庭ランクA。
厳格な父親。
何も背負わなかった静かな酒場。
ずっと眠れる家。
宿題のない朝のない部屋。
どれも、俺たちが選ばなかった未来だ。
もしかしたら、どこかの俺はそれを選んだかもしれない。どこかの俺は、そっちの方が正しいと思ったかもしれない。
でも。
「選ばなかった未来は、なかったことにはしない」
俺は言った。
「でも、そこに住む必要もねぇ」
ステラが俺を見上げる。
ルースも、ネムリも、カイロも、ミコも、黙って聞いていた。
「俺たちは、今の家に帰る」
【分岐家庭シミュレーション:再定義要求】
【後悔展示:停止】
【比較評価:無効化】
【選択メモ:生成】
【現在帰還線:強化】
ルースが分岐窓の構造を押さえる。
ステラが、今ここにいる子たちの名前を呼ぶ。
ミコの光が、強すぎる分岐の白を少しだけ和らげた。
ネムリは眠るための毛布ではなく、起きて戻るための席を指さした。
カイロは黒い線を折らず、今の《るすと支店》へ向かう線だけを太くした。
窓の景色が、少しずつ小さなカードになっていく。
【選ばなかった日記:仮登録】
【後悔置き場:仮登録】
【今の席へ戻る窓:仮登録】
黒い声が、少しだけ笑った。
『後悔は消えない』
「知ってるよ」
『選ばなかった未来は、ずっと残る』
「それも知ってる」
『それでも、選ぶ?』
俺は、ステラとルースの頭に手を置いた。
「選ぶ」
言葉は短くてよかった。
「俺は理想の父親じゃない。選ばなかった未来を見せられたら、そりゃ後悔もする。でもな」
俺は窓の奥の黒い影を見据えた。
「今ここにいる子を、別の正解と交換する気はねぇ」
分岐窓に、ひびが入った。
「うちは理想の家庭じゃない」
白い家庭も、静かな酒場も、正しい教育機関も、全部が遠ざかっていく。
「帰ってきたやつに飯を出す、ただの酒場だ」
そう俺が言うと、最後の窓が、ゆっくりと閉じていった。
――その直後。
別の看板が、いやらしい音を立てて割り込んだ。
【将来価値査定サービス】
【未帰還児童ログを無料診断】
【価値ある子から優先保護】
【将来価値ゼロ:廃棄推奨】
「今度は査定かよ」
俺が言った瞬間、冷たいログが、カイロの前に落ちた。
【対象:カイロ】
【将来価値:算定不能】
【成長見込み:低】
【保護優先度:低】
【判定:将来価値ゼロ】
その表示で、空気が止まった。
カイロは、ログを見ても顔色を変えなかった。
ただ、少しだけ首をかしげた。
「ゼロ」
その声が、妙に小さく聞こえた。
次の瞬間、通信とも肉声ともつかない低い声が響いた。
『……今、なんつった』
俺は振り返る。
そこに、ガロがいた。
今まで見たことがないほど静かな顔で、けれど確かに怒っていた。
ガロの視線は、カイロの前に落ちた査定ログへ向いている。
「その子に、値段をつけたな」
声は荒くない。とても低く、重たい声だった。
だからこそ、怖かった。
次の瞬間、ゼウスタウンの白い空気が、ぎしりと軋んだ。
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■ 今回のお話について
第192話は、μ《ミュー》系統の分岐家庭シミュレーション回でした。
アポロンが「正解できる子」を見せた後、今度は「選ばなかった正解」を見せてくる構成です。
理想家庭ランクAの家、厳格に育てた家、何も背負わなかった静かな酒場。
どれも一見すると“別の正解”ですが、そこには今のルースやステラたちの席がありません。
今回はネムリとカイロも、子供として分岐に反応しています。
ネムリは「ずっと眠れるけど朝が来ない家」を拒否し、カイロは「宿題はないけど朝もない部屋」を拒否しました。
ちょっとコメディに見えますが、二人らしい“生きている側への選択”でもあります。
■ ゲーマーおっさん解説
今回のゲーマーおっさん解説は、分岐ルートです。
ゲームなら、分岐ルートを全部見るのは楽しいです。
『クロノ・トリガー』みたいに選択で未来が変わるRPGもあれば、『街』や『428 〜封鎖された渋谷で〜』みたいに、別の選択が別の結果を生む群像劇もあります。
ただ、人生でそれを目の前に並べられると、かなり地獄です。
ゲームなら「こっちのルートも見よう」で済むけれど、家族や子供の話になると、選ばなかった未来は攻略ルートではなく後悔になります。
今回は、選ばなかった未来を消すのではなく、【選ばなかった日記】としてしまう回でした。
見た上で、今の席へ戻る。
それもまた、攻略です。
■ 登場キャラクター紹介
・マスター/NO NAME
分岐家庭シミュレーションを見せられ、理想家庭や静かな酒場に揺さぶられた。それでも「今ここにいる子を、別の正解と交換しない」と選んだ。
・ルース
理想家庭の自分に少し揺れた。効率的で、迷惑をかけず、神権適合率も高い自分を見たうえで、今の席へ戻った。
・ステラ
泣かない自分、ぱーぱと呼ばない自分を見せられた。「いい子」ではなく「うちの子」と言われたことで、今の自分を選ぶ。
・ネムリ
ずっと眠れる家を見たが、「起きる朝がない」と拒否。眠りと保管の違いを、子供の言葉で示した。
・カイロ
宿題のない部屋を一瞬うらやましがるが、朝もないと知って拒否。ラストでは将来価値ゼロと査定される。
・ミコ
強すぎる分岐の光を和らげ、見ないふりではなく、見たあと戻るための光を支えた。
・タニシ
恋愛シミュレーション全ルート同時攻略失敗談を持ち出した。ある意味、分岐ルート被害者。
・ムーニャン
タニシへのツッコミ担当。今回も短く刺してくる。
・ガロ
ラストで登場。カイロに「将来価値ゼロ」と値段をつけた査定ログに、静かに激怒する。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME/マスター
等級:翠玉仮昇級/銅査定候補
状態:NODE08〈核心〉・ゼウスタウン内
危険度:高
観測度:高止まり
現在地:分岐家庭シミュレーション攻略後/将来価値査定サービス起動直後
主な同行者:
ルース、ステラ、ルステラ断片、ミコ、ネムリ、カイロ、タニシ、ナツ、ムーニャン、イツキ、ポメ子、ガロほか
保有中の主な権能:
・観測迷彩
・神権解放権利
・死線上書
・ルステラ系補助接続
・帰還席関連権限
今回追加・更新された設備:
・選ばなかった日記
・後悔置き場
・今の席へ戻る窓
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