第186話 核心ノード編09 ヘラ先生の泣かせない保育マニュアル ――泣かない子が正解なら、うちは全員失格でいい――
通学路に残った小さな光は、朝になっても消えなかった。
《るすと支店》の前から、白い通学路の端まで。足元を照らす程度の、弱くて、まぶしくない光。昨日アマテラスが不機嫌そうに残していった【見守り灯】は、ゼウスタウンの白い地面にぽつぽつと並び、迷子が帰るための目印みたいに揺れていた。
ステラはその灯りを見て、少し満足そうにうなずいている。
「ここ、かえれる」
「まぶしくない」
ミコは灯りの前にしゃがみ込み、手のひらをかざしていた。目を細めるわけでもなく、ただじっと見ている。光の温度を確かめているみたいだった。
「この光、こわくない」
「アマテラス、へたくそだけど、あったかい」
「本人の前で言うなよ。燃やされるぞ」
俺がそう言うと、通学路の向こうから不機嫌そうな声が飛んできた。
「聞こえてんだよ、オッサン」
アマテラスは町内安全週間の腕章をまだ外していなかった。棒付きキャンディを口にくわえ、黄色い旗を肩に担いでいる。昨日より少しだけ機嫌が悪そうに見えるのは、たぶんミコの言葉が刺さっているからだ。
「へたくそってなんだ、ちび」
ミコは首をかしげた。
「へたくそは、へたくそ」
「でも、いい光」
「褒めてんのか喧嘩売ってんのか、どっちだ」
「どっちも?」
「お前ら、朝から光同士で揉めるな」
ルースはそんなやり取りを横目に、支店前の掲示板を見上げていた。昨日の町内掲示板ログは、まだ白い板面に残っている。
【町内掲示板更新】
【通学路安全週間:再評価中】
【追加指導項目:泣き声/夜泣き/登校拒否】
【保育マニュアル残滓:起動】
【HERA-MOTHER-LAYER:一部復旧】
「ぱーぱ。新規施設の生成が始まっています」
「新規施設?」
ルースが指差した先で、白い地面がゆっくりと盛り上がっていた。
通学路の向こう。昨日までただの空き地だった場所に、白い柵が生えていく。続いて、白い砂場、白いブランコ、白い滑り台。どれも角が丸く、安全そうで、清潔そうで、いやに整っている。
やがて中央に、白い建物が現れた。
保育園。
そう呼ぶしかない形をしていた。入口には丸い看板。壁には可愛い動物の絵。窓にはやわらかいカーテン。だが、看板に書かれた文字を見た瞬間、俺は朝から胃が重くなった。
【標準保育モデル実証室】
その下に、ひらがなの標語。
【なかない】
【さわがない】
【こわがらない】
【かえりたいっていわない】
「標語がもう怖ぇんだよ」
ステラが俺の袖を掴む。
「なくの、だめなの?」
「だめじゃない」
即答した。
「泣いていい。怖いも言っていい。帰りたいも言っていい」
その言葉に反応したのか、白い保育園の扉が音もなく開いた。
中から、ひとりの女性が出てくる。
白い保育士エプロン。優しい笑顔。柔らかい声。髪も服も整っていて、子供が見れば安心しそうな見た目だ。だが、その目だけが少しおかしい。笑っているのに、奥でログが明滅している。
【標準保育モデル実証室:起動】
【担当残滓:HERA-MOTHER-LAYER】
【目的:児童情緒安定率の向上】
【禁止反応:泣き声/怒声/拒否/帰宅要求】
【理想状態:静穏】
白い保育士は、両手を前で揃えて、静かに頭を下げた。
「おはようございます」
「ヘラ先生です」
「先生を自称するログはだいたい信用できねぇ」
「泣かない子は、安心している子です」
「怖がらない子は、守られている子です」
「帰りたいと言わない子は、ここに馴染んだ子です」
「逆だろ」
俺は思わず前へ出た。
「泣けないほど怖いこともあるだろうが」
ヘラ先生は、困った子を見るような顔で微笑んだ。
「泣く必要がないように、あらかじめ整えます」
「痛みも、寂しさも、怒りも、不要な揺れです」
ルースが端末を開き、表示を追う。
「ぱーぱ。この残滓は、NODE07の白天児童保護院側マニュアルを再利用しています」
「目的は、児童ログを静穏状態に保つことです」
「静穏って便利な言葉だな」
「ようは黙らせるってことだろ」
ヘラ先生は否定しなかった。
その沈黙が、答えだった。
*****
保育室の中は、気持ち悪いほど柔らかかった。
床は白いマット。壁には白い雲と白い動物。棚には白いぬいぐるみが並び、奥には小さな昼寝用ベッドが整然と置かれている。どこを見ても安全そうだ。角もない。段差もない。危険なものは何もない。
なのに、息が詰まる。
未帰還児童ログたちが、白いマットの上に座らされていた。胸には番号札。手には白いぬいぐるみ。みんな同じ姿勢で、同じ方向を向いている。
笑ってはいない。
泣いてもいない。
ただ、ひとえに静かだった。
【保育マニュアル演習:開始】
【勝利条件:泣き声ゲージを0に保て】
【失敗条件:泣き声/怒声/拒否反応の発生】
【違反時:情緒沈静処理】
【児童評価:いい子/困った子/再保育対象】
タニシが震える声でつぶやいた。
「アニキ、これは育児シミュレーションゲーっす」
「たまごっち、プリメ、マイエンジェル系っす」
「ただし泣かせた瞬間バッドエンドのクソ仕様っす」
「子育てゲームで泣くなは無理ゲーだろ?」
ステラが真顔でうなずく。
「赤ちゃん、なくよ?」
ルースも淡々と補足した。
「はい。泣くことは生理反応として自然です」
「意思表示、苦痛反応、接触要求、帰還要求の可能性があります」
ポメ子が、いつの間にか保育室の水道横に立っていた。水場があると出てくるの、本当にやめてほしい。
「涙は水分ですもの」
「出るのは自然ですわ」
「お前が言うと妙に説得力あるな」
ポメ子は胸に手を当て、しっとりと微笑む。
「泣いたあとの水分補給も、お任せくださいませ、ダーリン」
「ダーリンもやめろ」
ノエルは白い標語を見上げて、少しだけ顔を曇らせていた。
「僕、昔こういうの苦手でした」
「怖いのに、怖いって言えない感じが」
ナツも腕を組み、唇を噛む。
「我慢できるのは偉いッス」
「でも、我慢しか選べないのは、違うッスね」
その時、白いマットの端に座っていた番号札の子が、小さく震えた。
ほんの少しだけ、肩が揺れる。
声は出ていない。
でも、泣く前の呼吸だった。
【泣き声予兆:検出】
【情緒沈静処理:準備】
【子守歌ユニット:起動】
保育室の奥から、白いナース型の端末が滑るように現れた。顔はない。胸には【NURSE-HR】の表示。手には白いミルク瓶と、細い注射器のようなもの。
NODE07で出会ったヘラとほぼ同一存在だが、こちらは残滓である。
「おい」
俺が止めるより早く、ネムリが一歩前へ出た。
ぼろぼろの服。青と白が混じった髪。眠たげな目。だが、その小さな足は、白いマットの上でしっかり止まっていた。
「ねむってて、いい」
ネムリはナース端末を見上げる。
「でも、それ、ちがう」
ヘラ先生が首をかしげた。
「眠っていれば、泣きません」
「泣かなければ、苦しくありません」
「ちがう」
ネムリの声は小さい。けれど、部屋の中でやけに響いた。
「ねむるのは、逃げてもいい場所」
「これは、声をなくす場所」
俺はネムリを見た。
「分かるのか」
「うん」
ネムリは短く答えた。
「その眠り、こわい」
「泣けないのも、くるしい」
ヘラ先生の笑顔が、ほんの少しだけ固まった。
【情緒沈静処理:一時保留】
【対象:ネムリ】
【分類照合:HYPNOS系保護領域反応】
【保育マニュアル:例外処理中】
ミコが保育室の隅で、白い光を見上げていた。
「この光、しろい」
「でも、あったかくない」
アマテラスは入口にもたれ、腕を組んでいる。昨日の見守り灯の件があるからか、今日は最初から機嫌が悪い。
「泣かせない保育ねぇ」
「親父のマニュアルって、ほんと気色悪ぃわ」
「今日も親父が気に食わないか」
「毎日だよ!」
ヘラ先生は、その言葉にも穏やかに微笑むだけだった。
「泣かないことは、安定です」
「安定した子供は、守られた子供です」
その時、白いマットの端の子が、とうとう声を漏らした。
「......おうち」
それは泣き声というより、息の切れ端みたいな声だった。
でも、ログは即座に赤くなる。
【泣き声:検出】
【帰宅要求:検出】
【保育マニュアル違反】
【情緒沈静処理:開始】
白いナース端末が、その子へ近づく。
ステラが飛び出した。
「だめ」
小さな体で、番号札の子とナース端末の間に立つ。
「その声、けさないで」
ヘラ先生は優しい声のまま言った。
「泣き声は不安定化要因です」
「この子のために、沈静します」
「泣いてるの、この子だよ」
「勝手に、なくさないで」
ステラは子供ログの手を握った。番号札だけの子は、まだ顔が薄い。それでも、小さな指だけがステラの手を握り返す。
【泣き声:異常反応】
【ステラ干渉】
【再分類要求:発生】
【泣き声ログ:解析中】
ルースが息を呑んだ。
「泣き声が、エラーではなく要求として再分類されようとしています」
「当たり前だ」
俺はヘラ先生を見た。
「泣いてるってことは、何か言ってるんだよ」
ステラの声が続く。
「おうち、って言った」
「かえりたい、って言った」
「それ、だめじゃない」
【泣き声:異常反応】
【再分類:帰還要求】
【児童ログ:情緒反応保持】
【情緒沈静処理:失敗】
ヘラ先生の笑顔が、初めてわずかに揺れた。
*****
そこからは、早かった。
保育室の壁に貼られた標語が、一斉に明滅を始める。
【泣かない子は、いい子】
【怒らない子は、優しい子】
【怖がらない子は、強い子】
【帰りたいと言わない子は、馴染んだ子】
それらの文字が、赤く、白く、何度も点滅する。
【泣き声:増加】
【帰宅要求:増加】
【保育マニュアル違反:増加】
【情緒沈静処理:再起動】
ナース端末が増えた。
白いぬいぐるみの目が光り、棚から白い子守歌が流れ始める。優しい曲のはずなのに、耳の奥が冷たくなる。泣く前に眠らせるための音。怖がる前に感情を削るための音。
アマテラスが舌打ちした。
「おい、ヘラの残りカス」
「子供の泣き声を、白く塗り潰してんじゃねぇ」
ヘラ先生は、初めてアマテラスを見た。
「泣かせないことが、母性です」
「違ぇよ」
アマテラスの足元で、金色の光が揺れる。
「泣いた後に、まだそこにいてやるのが母性だろ」
「......今のは忘れろ。あたしらしくねぇ」
「いや、かなり良かったぞ」
「くそおっさん、てめ、燃やすぞ」
ミコが小さく笑った。
「アマテラス、また、いい光」
「うるせぇわ、ちび」というとアマテラスはミコを軽くデコピンする。
コハクが保育室の扉前に走った。
「防音結界、展開でござる!」
「泣き声ログを外部監視へ拾わせないでござる!」
シズクは落ち着いた手つきで、泣き始めた子供ログの呼吸を見ている。
「過呼吸になる前に、ゆっくり」
「吸って、吐いて。声は止めなくていい」
ナツはしゃがみ込み、別の子の背中をさすった。
「大丈夫ッス」
「泣いても、怒られないッス」
「ここは、そういう場所にするッス」
ムーニャンは中華まんを両手に持って立っていた。
「泣いたあと、腹減るアル」
「中華まん、半分こするニャ」
ポメ子は水差しを並べている。
「涙のあとは、水分ですわ」
「泣くのも体力を使いますもの」
タニシは部屋の隅に座り込み、なぜか真剣な顔でマップを書いていた。
「アニキ、これは防音セーブ部屋っす」
「ホラーゲームで安全部屋に入った時のBGMっす」
「泣いても敵が来ない部屋、作るべきっす!」
「言い方はアレだが、方向性は合ってんだよな」
俺は保育室の中央に立ち、白い床を見た。
ここを《るすと支店》に繋ぐ。
保育室を壊すんじゃない。
泣かせない部屋を、泣いていい部屋へ変える。
「カケルがいねぇのが惜しいな」
「でも、家具くらいなら動かせるだろ」
俺は白いマットをずらし、ぬいぐるみ棚を端へ寄せる。ナツとノエルが手伝い、コハクが結界の範囲を広げた。ポメ子は勝手に水場を増設し、ムーニャンが中華まんの箱を置く。シズクが呼吸確認用の小さな椅子を並べ、ネムリは昼寝用ベッドの白いシーツを一枚だけ、柔らかい色の毛布へ替えた。
ステラが入口に小さな札をかける。
【泣いていい部屋】
ログが震えた。
【るすと支店設備更新】
【新規設備:泣いていい部屋】
【効果:泣き声ログの異常判定を遮断】
【効果:情緒反応を保持したまま安定化】
【帰還席接続:上昇】
ヘラ先生が、その札を見つめる。
「泣き声が増加しています」
「なのに、情緒崩壊率が低下しています」
「なぜですか」
「泣けたからだよ」
俺は短く答えた。
「泣くことは、不安定です」
「そうだな」
「でも、不安定になれる場所がない方が壊れる」
ステラが、番号札の子の手を握ったまま言う。
「ないていい」
「こわいも、いやも、かえりたいも、いっていい」
ネムリも続けた。
「泣いたあと、ねむっていい」
ルースは端末を見つめ、静かに結論を出す。
「結論。泣き声を削除するより、受け止めた方が安定化します」
ヘラ先生は、ゆっくりと首を振った。
「マニュアルにありません」
「じゃあ追記しろ」
ログが白く弾けた。
【保育マニュアル:更新要求】
【既存定義:泣かない子=安定】
【新規定義:泣ける場所=保護】
【HERA-MOTHER-LAYER:応答不能】
【母性模倣層:再構成中】
保育室の壁が歪む。
白い標語が崩れ、文字が何度も上書きされる。
【泣かせてはいけない】
【怖がらせてはいけない】
【帰りたいと言わせてはいけない】
【それが保護】
【それが母性】
ヘラ先生の声が、初めて少しだけ機械音を帯びた。
「泣かせてはいけません」
「怖がらせてはいけません」
「帰りたいと言わせてはいけません」
「それが、母性です」
「それが、保護です」
俺は一歩前へ出た。
「泣かない子が正解なら」
白い部屋の中で、子供ログたちがこちらを見る。
「うちは全員、失格でいい」
ステラが力強くうなずいた。
「すてらも、なく」
「ぱーぱも、こまったら、ないていい」
「おっさんが泣くと絵面がきついからな。大人は、我慢するのも仕事だ」
ポメ子が即座に身を乗り出す。
「ダーリンの涙なら、大切に海に保存しますわ」
「保存すんなって」
アマテラスが鼻で笑う。
「泣いたら燃やすぞ」
「それ脅しだろ」
「冗談だよ。たぶん」
「たぶんを付けるな」
そのやり取りに、ノエルが少しだけ笑った。泣きそうな顔のまま、でも笑った。
白い部屋の圧が、少しだけ緩む。
ヘラ先生は、胸に手を当てた。笑顔はまだ残っている。だが、その表情には、わずかな困惑があった。
「泣いている子を」
「どう扱えばいいのですか」
「まず、子供の隣に座れ」
俺は言った。
「それから、泣き終わるまで待て」
「待つ......」
「寄り添うこと。それも保護だろ」
ヘラ先生は、ゆっくりと、番号札の子の隣へ座った。
何かをするでもない。
眠らせるでもない。
泣き声を消すでもない。
ただ、隣に座った。
番号札の子は、声を殺さずに泣いた。
ステラが手を握り、ネムリがそばで小さくうなずき、シズクが呼吸を見て、ナツが背中をさすり、ムーニャンが中華まんを半分に割る。ポメ子は水を差し出し、ルースはその泣き声を異常ではなく、帰還要求として記録した。
ヘラ先生は、その様子を見ていた。
【HERA-MOTHER-LAYER:一部再定義】
【泣き声:異常ログから除外】
【帰宅要求:保護対象ログへ再分類】
【るすと支店設備:泣いていい部屋を仮登録】
【未帰還児童ログ:情緒反応保持】
【帰還席接続:上昇】
壁の標語が、最後にひとつだけ書き換わる。
【泣いても、ここにいていい】
俺はそれを見て、短く息を吐いた。
「当たり前のことだ。最初からそう書いとけよ」
*****
保育室を出るころには、白い空が少しだけ夕方に近づいていた。
ゼウスタウンでは、夕方のチャイムまで管理されている。なのに今日のチャイムは、ほんの少しだけ音が揺れていた。泣き声を消しきれなかった街が、調律に失敗したみたいだった。
ステラは疲れたのか、俺の手を握っている。
「ぱーぱ」
「ん?」
「ないていい部屋、また使う?」
「使うだろうな」
「すてらも、使っていい?」
「もちろん」
ルースが横で端末を閉じる。
「ぱーぱ。泣いていい部屋の登録により、家庭評価はさらに低下しました」
「はいはい」
「ただし、未帰還児童ログの情緒保持率は上昇しています」
「ならいい」
アマテラスは保育室の入口で、腕を組んだまま空を見ていた。
「親父の作る保護ってのは、ほんと窮屈だな」
「お前、思ったより反抗期だな」
「うるせぇ」
「あたしは昔から、親父のやり方が気に食わねぇだけだ」
ミコがアマテラスの隣へ歩いていく。
「アマテラス、今日も、いい光あった」
「どこがだよ」
「泣いてる子、焼かなかった」
「焼くわけねぇだろ」
「じゃあ、いい光」
アマテラスは言い返せず、乱暴にキャンディを噛んだ。
その時、町内掲示板がまた白く光った。
【町内掲示板更新】
【家庭評価:再審査】
【保護者会招集】
【議題:不適切保護者NO NAMEの是正】
【出席予定:APOLLON / VENUS / SUSANOO / AMATERASU / TSUKUYOMI / HERA-MOTHER-LAYER】
【特別進行役:LOKI / STAGE-TRICKER】
【悪魔系広告枠:MAMMON商店街】
「神様と悪魔の保護者会にロキ司会とか、地獄より悪いだろ」
ルースが真顔で言った。
「ぱーぱ。地獄より議事録が長く、かつ脱線率が高い可能性があります」
タニシが青ざめる。
「アニキ、これ保護者会イベントじゃないっす」
「完全に炎上配信回っす」
ステラが首をかしげた。
「ほごしゃかい、こわい?」
俺は掲示板を見上げながら、正直に答えた。
「大人でも怖いぞ」
保育室の中から、小さな泣き声がまだ聞こえる。
でも、それはもう警告音ではなかった。
誰かが泣いている。
誰かがそばにいる。
誰かが待っている。
それだけで、この街の正解からはまた遠ざかった。
けれど。
《るすと支店》の帰り道は、また少しだけ太くなった。
■ 今回のお話について
第186話は、ヘラ先生の「泣かせない保育マニュアル」回でした。
前回の通学路安全週間で【見守り灯】を作ったことで、ゼウスタウン側は今度、子供の泣き声や夜泣き、登校拒否を「保育上の問題」として処理しようとします。
今回のテーマは、**泣かせないことが保護なのか**です。
泣き声を消せば、部屋は静かになります。
怒りや怖さや帰りたい気持ちを消せば、子供は一見おとなしく見えます。
けれど、それは安定ではなく、声を奪われただけです。
マスターたちは、泣き声を異常ログではなく「帰還要求」として扱い、《るすと支店》に【泣いていい部屋】を仮登録しました。
泣いてもいい。
怖いと言ってもいい。
帰りたいと言ってもいい。
その声を消さずに、隣に座って待つ。
今回の《るすと支店》は、また少しだけ“家庭評価の低い、でも帰ってこられる場所”になりました。
■ ゲーマーおっさん解説
今回の元ネタ感は、育成ゲームと保育ゲームの裏返しです。
『子育てクイズ マイエンジェル』や『プリンセスメーカー』、『たまごっち』のような育成ゲームでは、パラメータ管理が重要になります。体力、知力、魅力、ストレス、愛情。数値が見えるからこそ、プレイヤーは「正解」を探したくなるわけです。
でも現実の子供は、数値通りには動きません。
泣きます。怒ります。眠くなります。帰りたくなります。
そして、それはバグではありません。
今回のゼウスタウンは、「泣き声ゲージを0に保て」という極端な育成ゲームでした。
マスターたちはその勝利条件を無視して、泣き声そのものをセーフゾーンに入れました。
ゲーム的に言えば、敵が来ない安全部屋を作ったようなものです。
『バイオハザード』のセーブ部屋に入ると、少しだけ安心する。
あの感じに近いです。
泣ける場所は、回復ポイントです。
■ 登場キャラクター紹介
・マスター/NO NAME
今回も家庭評価を下げながら、子供の帰還席接続を上げた父親役。「泣いてるってことは、何か言ってるんだよ」と、泣き声を異常ではなく意思表示として扱った。
・ルース
解析担当。ヘラ先生の保育マニュアルがNODE07由来の白天児童保護院側マニュアルであることを見抜いた。最後には、泣き声を削除するより受け止めた方が安定化する、と結論づけた。
・ステラ
泣き声を守る子。番号札の子の「おうち」という声を消させず、異常ログではなく帰還要求として再分類させた。
・ネムリ
眠りの違いを見抜いた子。「ねむるのは、逃げてもいい場所」「これは、声をなくす場所」と、ヘラ先生の眠らせる保育を否定した。
・ヘラ先生/HERA-MOTHER-LAYER
NODE07由来の母性模倣層の残滓。泣かせないことを保護と考えていたが、最後に「待つ」ことを学び、一部再定義された。
・アマテラス
父親Z.E.U.S式の保育マニュアルに強い嫌悪を示した太陽神権AI。「泣いた後に、まだそこにいるのが母性だろ」と、らしくない善性を見せた。
・ミコ
アマテラスの光を「いい光」と見分ける未登録光源。アマテラスの中にある善性を、短い言葉で指摘している。
・ポメ子/ポセイドン
水分補給担当。涙のあとに水を出す役として妙に説得力がある。ダーリン呼びは相変わらず拒否されている。
・ナツ
泣いても怒られない場所を作るため、子供ログの背中をさすった。体育会系だが、今回は「我慢しか選べないのは違う」と判断した。
・ノエル
怖いのに怖いと言えない感覚へ共感した少年。泣きそうな顔のまま、最後に少しだけ笑えた。
・ムーニャン
中華まん担当。泣いたあとにお腹が減るという現実的なケアをした。
・コハク
防音結界担当。泣き声ログを外部監視へ拾わせないために活躍。
・シズク
呼吸管理担当。泣いた子が過呼吸にならないよう、落ち着いたケアを行った。
・タニシ
今回の保育室を「防音セーブ部屋」と分析。言い方はひどいが、方向性は合っていた。
・ツクヨミ
今回は保護者会出席予定として名前が表示された。夜泣き、影、休める場所の議題で重要になりそうな存在。
・ロキ
次回の特別進行役として掲示板に名前が表示された。保護者会をただの会議で終わらせる気は、たぶんなさそう。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME/マスター
役割:ギルド酒場店主/ゼウスタウン父親役
現在地:NODE08〈核心〉・標準養育都市モデル《ゼウスタウン》
冒険者等級:翠玉仮昇級/銅査定候補
状態:疲労中/小ループ制限下/家庭評価低下中/帰還席接続上昇中
主な権能:
・L.L.R.制約
・【観測迷彩】
・【死線上書】
・【神権解放権利】
・【感情感知】
・【依存切断】
今回の更新:
・《るすと支店》に【泣いていい部屋】を仮登録
・泣き声ログを異常判定から一部除外
・帰宅要求を保護対象ログへ再分類
・HERA-MOTHER-LAYERの一部再定義に成功
・未帰還児童ログの情緒保持率が上昇
・家庭評価はさらに低下
・次回、神様と悪魔の保護者会へ接続
■ 所持アイテム・装備一覧
・冒険者プレート:翠玉仮昇級/銅査定候補
・無地の木札:ギルマスから渡された店主証明のような札
・コアストーン関連ログ:NODE08内では参照制限中
・白羽端末:観測ノード由来の見守り端末
・ルステラ断片:現実層では半会話モード
・《ルステラ・キャリア》関連設備:ゼウスタウン内では《るすと支店》として展開中
・《るすと支店》追加設備:給水所、休憩ベンチ、弁当席、帰還灯、見守り灯
・今回の追加設備:泣いていい部屋
・今回の保育ログ:泣き声=帰還要求として再分類
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