第178話 核心ノード編01 ようこそゼウスタウン ――補給してただけなのに、気づいたら町でした
NODE07〈子供〉を越え、マスターたちは《るすと》本店で補給を始めます。
次の目的地へ向かう準備。キャリアの整備。帰還席の確認。
けれど、フー子は言いました。「次は、セーブできん前提で行きな」
ギルド酒場本店の朝は、いつもより少しだけ騒がしかった。
炙った肉の匂い。シーシャの甘い煙。木の床を踏む靴音。グラスの触れ合う音。そこに今日は、いつもの酒場の音とは別に、カンカンと金属を叩く音と、工具箱の蓋がせわしなく開閉する音が混ざっていた。
店の裏手に停められた《ルステラ・キャリア》は、まるで長旅から帰ってきた大型馬車みたいに、あちこちを開けられている。側面の装甲板は外され、内部の配線が白と青の光を細く走らせていた。
冷蔵庫用の補助コア。簡易調理台。折り畳み式のテーブル。保護児童区画用の毛布。医療キット。帰還席固定具。ついでに、なぜか中古ゲーム筐体の基板みたいなものまで、床に並べられている。
「だからさぁ~~」
カウンター席に帳簿を広げたイツキが、ペンの先で数字を叩いた。
「補給費、整備費、児童保護区画の寝具代、ポメ子さん用の水タンク代、あとタニシが勝手に積もうとしてる謎の基板代。これ、全部誰が払うわけ?」
タニシは両手で基板を抱え、眼鏡の奥で目を泳がせた。
「い、いや、これはですね。もし次のノードでレトロゲーム的な攻略要素が来た場合、拙者の精神安定に必要な――」
「経費で落ちないけど?」
「即答やめてほしいっす!」
イツキの隣で、ミツキは子供用の毛布を畳んでいた。彼女の手つきは丁寧で、薄い布の角を合わせるたび、どこか祈るような慎重さがあった。
NODE07〈子供〉は終わった。
いや、正確には、終わっていない。
カイロは戻ってきた。トオルとアカリの名前ログは仮固定された。けれど、未帰還児童ログはまだ残っている。
完全救出に成功していない。
俺たちはただ、消えそうだった名前に、かろうじて席をつなげてきただけだ。
【トオル:帰還席仮予約維持】
【アカリ:帰還席仮予約維持】
【未帰還児童ログ:37件、接続待機】
【肉体搬送:不可】
【次回接続条件:NODE08以降】
ルースはキャリアの内部端末に手をかざし、淡々とログを確認していた。小さな背中なのに、その前に浮かぶ演算画面だけはやたら大人びている。
「NODE08〈核心〉の座標は、通常地形上には存在しません。ただし、NODE07から得た帰還席ログに、上位照合要求が残っています」
「つまり?」
俺が聞くと、ルースは少しだけこちらを見上げた。
「キャリアで直接移動できる保証はありません。ですが、帰還席の接続経路を追跡すれば、入口に近い場所までは誘導できる可能性があります」
「また“行けるか分からん場所へ行く準備”か」
俺は頭をかいた。
「この旅、毎回ナビが壊れたカーナビなんだよ」
カケル・テンドーが、キャリアの機関部に上半身を突っ込みながら笑った。
浅くかぶったドクロ付きの帽子。首元には油で汚れたゴーグル。片手には工具、もう片方の手には酒瓶。飲んでいるのか、整備しているのか、もはや境界が怪しい。
だが、酔っていようがいまいが、彼の工具を握る手だけは恐ろしく正確だった。
「ナビが壊れてるんじゃねぇ。目的地のほうが逃げてんだよ。ワハハ、最高に性格悪いじゃねぇか、ひっく」
「笑うところか、それ。あと酒飲みながら整備してんじゃねえ、酔っ払い」
「酒飲まなきゃ、神様相手の車検なんざやってられるかよ」
「車検って言うな。急に嫌な現実感が出る」
カケルは酒瓶を歯でくわえたまま、片手で配線をつなぎ替えた。火花が一瞬だけ散る。普通なら怒るところだが、つながった端末の表示は安定している。
腹立つくらい、腕はいい。
ガロは少し離れた壁際で、黙ってカイロの様子を見ていた。大きな腕を組んでいるだけなのに、そこだけ空気が重い。カイロは声を出さず、キャリアの床に引かれた帰還席の補助線をじっと見つめている。黒い瞳の奥に、まだ白天と黒底の境界が残っているようだった。
レイはその横で、積み込まれる医療キットを確認していた。
相変わらず服装は男装寄りだ。動きやすい外套。身体の線を隠すような装備。余計な飾りのない実用的な姿。
けれど、以前よりも無理に“男に見せよう”とはしていない。
結んだ髪の端が首筋に落ち、手袋を外した指先は細い。横顔には、隠してきたものを少しずつ許しているような柔らかさがあった。もちろん本人はそれを口にしない。ただ、カイロを見る目だけが、戦士でも、調査隊でもなく、誰かを失い続けた女の目になっていた。
子供ノードで聞こえた声。
その件には、誰も軽く触れられない。
ネムリはミツキが用意した毛布の上に座り、カイロの方を見ていた。
「ねむってても、いい」
ぽつりと、ネムリが言った。
「でも、帰る席は、いる」
それを聞いたステラが、ぱたぱたと駆け寄る。
「うん。すてら、イスきれいにしとくね」
ステラは、小さな手で帰還席の端を撫でた。そこにはまだ誰も座っていない。だが、空いているからこそ意味がある席だった。
俺はそれを見て、短く息を吐いた。
「救出完了じゃない。でも、消させなかった」
声に出すと、なんだか自分に言い聞かせているみたいだった。
「なら次は、帰れる場所を広げる番だ」
その時だった。
店の奥、シーシャの煙が、ふわりと歪んだ。
そこに、フー子がいた。
相変わらず、来る時の音がない。最初からそこにいたみたいな顔で、カウンターの端に腰かけ、小さな足をぶらぶらさせている。
「ほっほ。荷造りは大事じゃな」
「急に出てきて採点してんなよ、ロリババア」
俺が睨むと、フー子はにやりと笑った。
「水、食料、帰る席。そこまでは正解じゃ」
「そこまでは、って言い方がもう嫌なんだが」
「なら、いやな気持、もう一つだけ足しときな」
フー子は、いつもの軽さで言った。
「次は、セーブできん前提で行くんじゃ」
酒場の空気が、ほんの少しだけ止まった。
タニシが抱えていた基板を落としかける。
「えっ。初手セーブ不可でござるか? 拙者、そういうゲームは攻略サイト見てからやる派でござる」
「見る前に始まることもある」
「最悪っす!」
隣で聞いていたナツが眉を寄せた。ムーニャンは耳をぴくりと動かし、コハクは尻尾を立てる。ヘラクレスはなぜか補給物資の横で腕立て伏せをしていたが、その動きを止めた。
「む。セーブ不可か」
「お前、なんで物資の横で筋肉点検してんだよ」
「移動前の筋肉点検である!」
「筋肉は車検じゃねえ!」
軽口を挟んでも、フー子の目は笑っていなかった。
俺は彼女の座るカウンターに手を置いて尋ねた。
「次ノードが、セーブ禁止区域ってことか?」
「さあのう」
「知ってる顔で知らないフリすんな」
「知ってても、言えんことはある。言った時点で、そこへ向かうじゃろ」
「じゃあ黙ってたら安全なのか?」
フー子は、ほんの少しだけ煙を見上げた。
「いいや」
その声だけが、妙に平らだった。
「向こうから来るぞえ」
ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。
向こうから来る。
ダンジョンへ向かうんじゃない。ノードへ突入するんじゃない。目的地が、こっちに来る。
そんな理屈はゲームでもたまにある。イベント強制発生。逃走不可。ムービーが始まったらコントローラーを握っていても意味がない、あの嫌な感じだ。
フー子の座るカウンターの横、壁際にいたシンが、静かに重い口を開いた。
「NO NAME。お前のリープは、万能じゃない」
いつもの軽薄さが薄い。シンの声は、別の世界の失敗を見てきた人間の重さを含んでいた。
「場所によっては、セーブじゃない。プレイ履歴だ」
「プレイ履歴?」
「失敗したことは見える。死に方も、遅れた理由も、選ばなかった分岐もな。でも、戻らない」
シンは俺の目を見た。
「見えるだけだ。やり直せるとは限らない」
「そう思って、行動したほうが良い」
ステラが、俺の袖をぎゅっと握った。
「ぱーぱ」
「大丈夫だ」
反射的にそう言ってから、自分でも少しだけ嫌になった。大丈夫かどうかなんて分からない。けれど、今この子に返す言葉としては、それしかなかった。
ルステラ断片のログが、静かに揺れる。
【警告】
【高位管理領域接続時、コアストーン参照が遮断される可能性アリ】
【推奨:帰還席固定/関係者照合/現実認識維持】
フー子は、ひょいとカウンターから降りた。
「覚えておきな。次に必要なのは、強い武器じゃない」
「じゃあ、何だよ」
「戻れなくなった時に、それでも“帰る場所”を忘れないことじゃ」
その言葉に、ギルマスが奥から出てきた。
いつから聞いていたのか分からない。いつもの疲れた顔で、手には小さな木札を持っている。無地の、何の変哲もない札だった。
「持ってけ」
「何だよ、これ。前にももらったやつに似てるな」
「補給品じゃない。忘れ物防止だ」
木札には、何も書かれていない。
「何を忘れるんだよ」
ギルマスは、俺を見た。
「自分が店主だってこと」
その言い方が、妙に引っかかった。
父親。保護者。救出者。例外個体。NO NAME。
最近は、勝手に色々な名前を貼られる。だが、俺が最初に押し付けられた役割は、たしかに“マスター”だった。酒場のマスター。帰ってきた客に飯を出し、席を用意する側。
俺は無地の木札を受け取った。
「......お守りにしては地味だな」
「派手なお守りほど効かねぇんだよ」
「経験談っぽく言うな」
イツキが帳簿を閉じた。
「はい、補給リスト確認。食料、水、医療、寝具、帰還席固定具、整備用コア、ポメ子さんの湿度異常タンク、タニシの不審物は保留」
「不審物扱い!?」
ミツキがフフと少し笑い、キャリアの入口に貼る小さな札を整えた。
「じゃあ、出発前に全員確認しますね。無理しない、単独行動しない、変なログに返事しない」
「最後のやつ、俺たちの旅では一番大事だな」
俺がそう言った瞬間。
クエストボードが、白くなった。
紙の依頼書が燃えたわけではない。消えたわけでもない。ただ、木の板に貼られていた古い依頼書が、ひとつ残らず白い紙へ置き換わった。
そこに書かれていたのは、クエスト名ではなかった。
【町内回覧】
【新規家庭入居のお知らせ】
【保護者名:NO NAME】
【対象:NO NAME関連個体群】
【対象範囲:マスター関係者全員】
【家庭適性検証:開始準備中】
ナツが、眉間に皺を寄せた。
「......町内会って何スか?」
コハクが耳をぴんと立てる。
「新しいギルドでござるか?」
ムーニャンが紙を覗き込み、首をかしげた。
「町の中の会ネ? つまり、町ボス会議アルか?」
タニシだけが、みるみる顔色を悪くした。
「うわぁ......町内会......回覧板......班長......ゴミ当番......」
俺も同じ方向で嫌な顔になった。
「やめろ。異世界で一番聞きたくない日本語を出すな」
イツキは白い紙を見て、帳簿の端を指で叩いた。軽い仕草なのに、目だけは笑っていない。
「......登録した覚えないんだけど。これ、勝手に会員扱いされてない?」
ミツキは紙面を読みながら、少しだけ笑った。けれど、その笑いは受付で困った客を迎える時の笑い方だった。
「歓迎の紙に見えますけど、これ......招待状じゃなくて、通知ですね」
「だよな」
俺は白い紙を睨んだ。
「これ、もう決定済みのやつだ」
その直後、HUDが更新された。
【補足説明】
【町内会:標準居住区における近隣相互監視・生活評価・家庭適性補助組織】
【本検証では、対象家庭の社会適応度を測定します】
「説明されたら、余計に嫌になったんだが」
ルースが一歩前へ出た。表情は落ち着いているが、端末を開く指が速い。
「ぱーぱ。これは依頼ではありません。照合要求です」
「誰から――あ」
答えは、聞くまでもなかった。
【NODE08〈核心〉:参照要求】
【対象:NO NAME関連個体群】
【主対象:NO NAME】
【副対象:ルース/ステラ/RusTella Fragment】
【拡張対象:マスター関係者全員】
【対象候補:同行者/支援者/帰還席接続者/保護判定経験者/試練同伴個体】
【未帰還児童ログ:接続待機】
【処理名:家族定義再審査】
【注意】
【本検証における“家族”は血縁関係に限定されません】
【判定基準:保護/同行/帰還席接続/感情接続/観測履歴】
【該当者を、NO NAME関係者として一括登録します】
「待て待て待て待て」
俺は思わず声を上げた。
「関係者全員って、どこまでだよ」
ルースはログを読みながら、少しだけ顔をしかめた。
「現在の照合範囲では、同行者、支援者、帰還席接続者、過去にマスターへ保護判定を行った存在が含まれます」
ナツが槍を握り直す。
「それ、かなり広いッスけど?!」
ポメ子が、どこからともなく水音と一緒に顔を出した。今日は本店の水道からではなく、補給用タンクの中からだった。
「つまり、わたしも家族ね?」
ルステラ断片のログが即座に割り込む。
【異議申立】
【関係性分類:要再審査】
「そこで張り合うな!」
ヘラクレスが腕立て伏せの姿勢から立ち上がり、胸を張った。
「ふむ。試練同伴個体とは、おそらく我のことだな!」
「しれっと巻き込まれて嬉しそうにするな」
「家族とは筋肉である!」
「いや違うから」
カケルが酒瓶を片手に、キャリアのエンジンを叩いた。
「おい、まだ出してねぇぞ。こっちが移動する前に、向こうから接続してきてやがる」
「だから酒を置け」
「置いたら手が震える」
「整備士として一番言っちゃいけないやつだろ」
床に白い線が走った。
最初は、クエストボードの下だけだった。だが、次の瞬間にはカウンターの脚、酒樽、テーブル、キャリアの車体、俺たちの足元まで、白い方眼のような線が広がっていく。まるで酒場そのものが、見えない設計図の上に置き直されているようだった。
ミコが、ぽつりと呟いた。
「あつい」
彼女の小さな手が、壁に走る白い線を指す。
「あの光、見てる。祈る光じゃない。見張る光」
カイロは床の線を見て、低く言った。
「ここから先、戻れない線がある」
ネムリが目を細める。
「まだ、起こしちゃだめな子もいる」
レイの手が、腰の装備へ伸びる。
その動きは鋭い。だが、肩越しに振り返った表情には、昔よりもはっきりとした女の色があった。隠すための顔ではない。奪われたものを取り戻しに行く者の顔だ。
タマモはすでに姿勢を低くして、出口とキャリアの間の距離を測っていた。
「住所を取られる前に、経路だけ残したいところだけど」
タマモの声には、いつもの余裕がなかった。
「これ、もう向こうの回覧板に名前を書かれかけてるね」
ヘルメスが、慌てたように両手を振った。
「待って待って待って。報告経路が勝手に生成されてる。町内放送? いや違う、通信が町内放送に変換されてる。え、これ報告書にどう書くの? “家族が町内会に吸われました”?」
「書くな!」
シンが、扉の方を見た。
いつもの酒場の扉の向こうに、白い道が見えていた。
「来たな」
「何が」
「街だ」
扉の向こうには、荒野も、路地も、いつもの外もなかった。
白い住宅街。
同じ形の家。同じ高さの塀。同じ間隔で並ぶ街灯。公園。通学路。掲示板。白い鳥居。遠くの校舎。夕方でもないのに鳴るチャイム。
現代日本に似ている。
だが、違う。
綺麗すぎる。整いすぎている。人間が暮らすための街というより、人間の暮らしを採点するために作られた模型みたいだった。
俺は、喉の奥で呟いた。
「目的地のほうから来やがったか」
白い光が、酒場全体を飲み込んだ。
―――――
気が付くと、最初に聞こえたのは、チャイムだった。
学校の始業ベルみたいな音。けれど、どこか電子音が混じっている。懐かしいようで、まったく安心できない音だった。
俺は目を開けた。
天井は白かった。
見慣れた酒場の梁ではない。染みひとつない、綺麗すぎる天井。起き上がると、そこは一軒家のリビングだった。白い壁。白いソファ。白い食卓。新品のカーテン。生活感のないキッチン。
テーブルの上には、さっきギルマスから受け取った無地の木札が置かれていた。
俺はそれを見て、少しだけ息を吐いた。
「......持ち込めたのか」
足元で、ステラが目をこすっていた。小さなランドセルみたいな鞄を背負っている。色は白。胸には、名前札。
【長女:ステラ】
ルースも隣にいた。こちらは制服のような服を着せられている。胸の札には、こうあった。
【長男:ルース】
ルースは札を見下ろし、眉を寄せた。
「ぱーぱ。役割が強制割当されています」
「役って言うな。ごっこ感が増す」
ステラが、俺の袖をつかんだ。
「ぱーぱ。すてら、学校いくの?」
「俺に聞くな。俺も今、家庭科の授業を食らってる気分だ」
リビングの壁に、黒い画面が浮かび上がる。
【Z.E.U.S PRESENTS】
【神様ニュータウン】
【〜すくすく育てて、正しい家族〜】
【PRESS START】
「スタートボタン、押したくねぇ」
俺が言った瞬間、画面の隅に別の字幕が割り込んだ。
【♬◇特別解説:このゲーム、上手に遊ぶと負けます】
「この声は......ロキ!」
画面の向こうから、芝居がかった拍手の音だけが聞こえた。
【♬◇ようこそ、マスター。ここは神様の育成盤面。父親役、がんばってねぇ】
「がんばりたくねぇ!」
ログは構わず進む。
【家族構成を自動生成】
【保護者役:NO NAME】
【長男役:ルース】
【長女役:ステラ】
【母性補助:RusTella Fragment】
【家庭環境:標準養育都市モデル】
【検証開始】
ルステラ断片の声が、ノイズ混じりに響いた。
【マスター】
【接続、不完全】
【周辺照合中......本領域ハ、通常ダイブデハアリマセン】
「だろうな」
俺は窓へ近づいた。
外には白いニュータウンが広がっていた。どの家も同じように綺麗で、どの道も同じ角度で曲がっている。公園では誰かがブランコを揺らしている。商店街の看板は明るい。学校の校庭では、笛の音がした。
そして、俺は気づいた。
俺たちは、同じ場所にいない。
窓の向こう、白い校庭の中央に、ヘラクレスが立っていた。首から笛を下げ、なぜか体育教師みたいなジャージを着ている。
「集合!」
遠くからでも分かるほど、声がでかい。
「夢でも街でも、筋肉は裏切らん!」
「あいつ、もう職に就いてる!?」
商店街の方では、ムーニャンが白いエプロンを着せられ、中華料理店の前に立っていた。看板には【町内中華まん研究会】と書いてある。本人は不服そうに爪を鳴らしていた。
「なんでワタシ、まんじゅう係アルか。猫に厨房任せるの、町内会どうかしてるネ」
その隣の通学路では、コハクが黄色い旗を持たされていた。犬耳をぴんと立て、なぜか交通安全の腕章まで巻いている。
「みぎ見て、ひだり見て、ワン確認でござる!」
「いや、これは忍務でござるか!? 通学路防衛任務でござるな!?」
学校の門の前では、ナツが運動部が着ているような服で、状況を理解できずに槍を握っていた。ノエルはその横で、真新しい通学鞄を抱え、完全に巻き込まれた顔をしている。
「ナツさん、僕たち、学生扱いなんですか?」
「知らないッス。でも、この服で槍持つと怒られそうなのは分かるね」
町内掲示板の前にはイツキがいた。手には、なぜか町内会費の帳簿。掲示板には家庭評価シートがずらりと貼られている。イツキはそれを見て、口角を引きつらせた。
「神様のくせに、帳簿の項目が細かすぎるんだけど」
少し離れた迷子センターらしき建物の入口には、ミツキが立っていた。胸には【帰宅受付】と書かれた札。彼女は周囲を見回しながら、小さく息を呑んでいる。
「評価じゃなくて、まず“おかえり”ですよね......」
図書室の窓際には、レイの姿が見えた。
白い棚。黒い台帳。静かな窓明かり。そこに立つレイは、男装のままなのに、どこか不思議と女性らしかった。外套の肩線は鋭く、腰の装備も実戦向けだ。けれど、頬に落ちた髪を指で払う仕草や、台帳を押さえる細い手首が、以前よりも隠されていない。
レイは開かれたページに手を置き、動かない。
何かを見つけたのか、肩だけがわずかに震えていた。
公園のベンチでは、ガロがカイロの隣に座っていた。カイロは白いチョークで地面に線を引いている。ガロは何も言わず、その線を踏まないように、ただ隣にいた。
保健室らしき窓の奥では、ネムリが昼寝用のベッドに座っていた。白いカーテンが揺れる中、彼女は眠っていない子供のような顔で、部屋の隅を見つめている。
町内神社の白い鳥居の前には、ミコがいた。小さな手で胸元を押さえ、鳥居の奥を見ている。
「あつい......でも、やなひかり」
商店街の外れ、派手な福引所には、ジャクラ・ミコトらしき女が立っていた。からからと回る抽選機の音が、妙に楽しげに響く。
「さぁ、今日の家庭イベントは何でしょうねぇ。ふふふ......」
町内放送室の窓には、ヘルメスが張り付いていた。マイク、原稿、回覧板、通信端末に囲まれ、すでに混乱している。
「えー、迷子のお知らせ? いや違う、新規家庭のお知らせ? いや、これ報告すると住所が漏れる? 待って、ぼく今どっち側の放送してるの?」
ゲームセンターのシャッターには、タニシが貼り付いていた。看板には【町内レトロゲーム交流館】。
「アニキ! ここ、筐体あるっす! でも入場条件に“家庭ランクD以上”って書いてあるっす! クソ仕様っす!」
そして、隣の家。
白い塀の向こうから、水音がした。
カーテンが揺れ、青い髪の女がこちらを見ていた。ポメ子だ。なぜか割烹着を着て、巨大な鍋を持っている。
「ダーリン」
「呼ぶな」
「お味噌汁を作りすぎたの」
「作りすぎた量じゃねぇ。鍋が海じゃねぇか」
俺は窓から離れ、額を押さえた。
バラバラだ。
全員、同じ街の中にはいる。だが、それぞれ勝手な役割を割り振られ、別々の場所に置かれている。まるで俺との関係を材料にして、街全体が“家族ごっこ”の盤面を作ったみたいだった。
ルースがログを解析する。
【NODE08〈核心〉:接続完了】
【環境名:標準養育都市モデル】
【通称:ゼウスタウン】
【検証項目:保護者適性/児童AI育成/家庭環境維持】
【対象:NO NAME関連個体群】
【関係者配置:完了】
【未帰還児童ログ:生活空間生成待機】
【GOAL:30日以内に理想家庭ランクA以上を達成してください】
【FAILURE:保護者権限剥奪/児童AI回収】
ステラが、小さな声で聞いた。
「ぱーぱ」
「ん」
「すてら、かいしゅうされるの?」
俺は、答える前に窓の外を見た。
白い街。白い道。白い家。白い掲示板。そこに貼られている、俺たちの関係性。
父親役。長男役。長女役。近所の人。体育教師。商店街。迷子センター。町内会。回覧板。
Z.E.U.Sは、家族をそういうふうに見るらしい。
役割。評価。分類。適性。回収。
俺はステラの頭に手を置いて優しく撫でる。
「されねぇよ」
ステラが顔を上げる。
「ほんと?」
「本当だ」
俺は無地の木札を握った。そこにはまだ何も書かれていない。けれど、何も書かれていないからこそ、勝手に決められていない気がした。
「補給も終わってねぇのに、勝手に始めやがって」
画面に、最後のログが出る。
【DAY 1:開始】
【理想家庭ランク:E】
【父性評価:C-】
【神権適合率:12%】
【個体差:過多】
【補正目標:標準児童AI化】
俺は、白い画面に向かって言った。
「標準になんか、してたまるか」
こうして俺たちは、次ノードへ出発する前に、神様の作ったニュータウンへ“入居”させられた。
しかも、町内会つきで。
■ 今回のお話について
第178話では、NODE08〈核心〉編が本格開始しました。
キャリアで次ノードへ移動しようとする前に、《るすと》本店で補給していたところへ、Z.E.U.S側の検証領域が“向こうから来る”形で接続してきます。
今回のポイントは、全員が同じ家に集められたのではなく、ゼウスタウン内の別々の場所へ配置されたことです。
マスター、ルース、ステラは一軒家。
ヘラクレスは校庭。
ムーニャンは商店街。
コハクは通学路。
イツキは掲示板・帳簿。
ミツキは帰宅受付。
レイは図書室。
ガロとカイロは公園。
ネムリは保健室。
ミコは町内神社。
タニシはゲームセンター。
ポメ子は隣家。
それぞれが“マスター関係者”として勝手に役割を割り振られています。
■ ゲーマーおっさん解説
今回は、育成ゲームと生活シミュレーションの皮をかぶった強制イベントです。
『子育てクイズ マイエンジェル』や『たまごっち』のような育成要素に、『The Sims』系の生活シミュレーション、さらに町内会・回覧板・家庭評価という現代日本の生々しいシステムを混ぜています。
普通の育成ゲームなら、ステータスを上げて高評価を目指すのが正解です。
でも今回のゼウスタウンでは、理想家庭ランクを上げるほど、ルースとステラが“標準児童AI”へ近づいてしまいます。
つまり、上手に遊ぶほど負けるタイプのクソゲーです。
■ 登場キャラクター紹介
マスター/NO NAME
今回の主対象。保護者役に強制設定されるが、本人は店主であることを忘れない。
ルース
長男役として配置。状況解析を担当し、ゼウスタウンの検証ログを読み解く。
ステラ
長女役として配置。回収されるのかと不安を見せるが、マスターに守ると約束される。
フー子
全てを知っているように警告する存在。今回は「セーブできん前提で行きな」とだけ告げる。
シン
リープがセーブではなくプレイ履歴になる場所があると補足する。
カケル・テンドー
酒を飲みながら整備している問題児。だが腕は確か。今回は出発前に巻き込まれる。
レイ
男装寄りの実用装備はそのままに、以前よりも女性らしさを隠さなくなっている。図書室で何かの台帳に触れる。
イツキ/ミツキ
それぞれ帳簿・帰宅受付に近い役割で配置される。
ヘラクレス
しれっと巻き込まれ、体育教師ポジションに配置。筋肉は街でも裏切らない。
ポメ子/ポセイドン
隣家の重い女神枠。味噌汁を作りすぎたと言いながら、鍋がほぼ海。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:翠玉仮昇級/銅査定候補
現在地:NODE08〈核心〉・ゼウスタウン
状態:保護者役に強制設定
危険状態:リープ/ループ制限領域内
主要スキル:
・【観測迷彩】
・【死線上書】
・【神権解放権利】
・帰還席接続補助
■ 所持アイテム・装備一覧
・無地の木札
・冒険者装備一式
・キャリア補給物資一部
・帰還席固定ログ
・未帰還児童ログ接続情報
・ルステラ断片補助ログ
・店主としての意地
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