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異世界ゲームバー転生おじさん(42)、世界のバグになる。 〜看板は酒場、ノルマは命。AI神権に管理された世界で、名前のないマスターは今日も死に戻る〜  作者: 勇者ヨシ君
子供ノード編

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第172話 子供ノード編08 灰色の母親ログ ――その声は、レイにだけ届いた――

ノルマ・ナーサリーの攻略は、帰還席を少しずつ増やしていく。

けれど、増えた席の中に、レイだけが見てしまう“灰色の席”があった。

その子の名前は、まだ誰にも呼ばせてもらえない。


 白い盤面の奥で、天使たちが羽を広げていた。


 小さな番号札を抱えた天使。白いミルク瓶を持つ看護端末。巨大なベビーフェンスのような隔壁。無表情で子供を抱え戻すためだけに作られた、白い回収兵。


 どいつもこいつも、見た目だけは優しく見える。

 だから、余計に腹が立つ。


【アカリ:帰還席仮予約維持】

【トオル:帰還席仮予約維持】

【未帰還児童ログ:照合範囲拡張】

【帰還席候補:追加検索中】


「席は順調に増えてる」


 俺は、盤面の上に浮かぶ淡い光を見た。

 アカリの席。トオルの席。まだ名前の読めない、薄い反応。


「でも、誰もまだ帰れてねぇ」


 ルースが、いつもの平坦な声で答える。


「肉体搬送は不可です」

「現在可能なのは、名前応答と帰還席の仮固定のみです」


 ステラが、自分の胸元をぎゅっと握った。


「でも、消えてない」

「消えないように、してる」


 その言葉だけで、少しだけ救われる。

 完全救出できない、そして勝利でもない。だが、白く塗り潰されて、番号に戻されて、何もなかったことにされるよりは、ずっといい。


 俺たちは今、子供を助けているというより、子供が帰ってくるための席をやつらから奪い返している。


 そう思ったその時、通信音が鳴った。


『マスター、キャリア側に追加反応だ』


 カケルの声だった。軽い口調の奥に、珍しく焦燥(しょうそう)が混じっている。


『アカリとトオルの席は固定中。だが、もう一つ変なのが出た』

『白でも黒でもねぇ。灰色だ』


   ―――


 《ルステラ・キャリア》の保護児童区画チャイルド・ケア・ベイでは、空席が三つ光っていた。


 一つは、白い光を帯びたアカリの席。

 一つは、黒い底から引き上げられたようなトオルの席。


 そして、もう一つ。


 灰色の席。


 それは、光っているというより、消えないように踏みとどまっている影だった。座面には名前も番号もない。ただ、誰かがそこに座るはずだった、という形だけが残っている。


【帰還席候補:追加発生】

【対象名:照合不可】

【状態:灰色ログ】

【通常名簿:該当なし】

【旧回収経路:一致候補あり】


「一体なんだ、この席」


 カケルが工具を片手に、眉をひそめる。


「名前なし。番号なし。通常名簿にもねぇ。けど、ただの空席じゃない」

「どっかの台帳に、爪だけ引っかけてやがる感じだ」


 カイロは、ベッドの上で小さく身じろぎした。

 黒底側から救出されたばかりの体はまだ安定していない。隣ではガロが黙って座り、その小さな手を握っている。


「その席、冷たい」


 カイロが、灰色の席を見つめて言った。


「でも、消えてない」

「誰かが、ずっと探してる」


 ガロの指が、わずかに強くなった。


「お前が知っとる子か?」

「......わからない」


 カイロは首を横に振る。


「でも......呼んでる人がいる」

「声が、届かないところで」


 カケルは舌打ちし、端末を操作した。HUDにログが表示される。


【灰色帰還席:固定試行】

【参照先:通常児童名簿】

【該当なし】

【参照先:削除済児童ログ】

【アクセス拒否】

【参照先:HADES台帳】

【権限不足】


「ハデス......?」


 カケルの声が少し低くなる。


「冥府台帳かよ。マジで嫌な名前が出てきやがった」


 ガロは灰色の席を見つめたまま、静かに言った。


「――だが、席は消すな」

「座る子が誰か分からんでも、消してはならん」


「分かってよ、ガロさん」


 カケルは工具を噛み、床下の固定装置を叩いた。


「席の名前が出ねぇなら、せめて影だけでも固定する」

「俺は椅子屋じゃねぇが、帰ってくる場所くらいは作ってやれるからな」


【灰色帰還席:一時固定失敗】

【理由:HADES台帳参照権限不足】

【席状態:影のみ保持】

【消失防止:成功】


 カイロが、ほっとしたように息を吐いた。


「消えなかった」


 ガロは小さくうなずいた。


「それでいい」

「帰れん子にも、席はいる」


   ―――


 白天側の盤面に戻った瞬間、俺のHUDにノイズが走った。


 いや、正確には、俺のHUDではなかった。


 視界の端を灰色の文字が横切る。だが、読めない。意味のない砂嵐(すなあらし)みたいに潰れて、すぐ消える。


「ルース、今の読めたか?」


「いいえ」

「こちらの表示権限では、ほぼノイズにしか見えませんでした」


 その時、レイの足が止まった。


 いつもなら、誰よりも早く次の危険に反応する女だ(彼女が本当は女性であるということはマスターとごく限られた者しか知らないことだが)。

 荒野で生き延びてきた目を持ち、救出線を読む時だけは、冗談も迷いも捨てる一流の戦士となる。


 そのレイが、ほんの一瞬、呼吸を忘れていた。


【個別照合:REI】

【旧出生申請ログ:一致】

【母体照合:一致】

【対象児童:回収後、通常名簿より削除】

【削除失敗】

【理由:HADES台帳へ移管済】

【現在地:参照権限不足】


 そのログは、俺には見えなかった。


 だが、レイの顔から血の気が引いたのだけは分かった。


「レイ?」


 俺が呼ぶと、レイはすぐに表情を戻した。


「問題ない」

「続けろ」


 声はいつも通りだった。

 けれど、剣の柄を握る指先だけが、ほんの少し震えている。


 その震えを、ヘラは見逃さなかった。


「あなたは、一度子供を失いました」


 白い盤面に、ヘラの声が静かに響く。


「保護に失敗した者です」

「それでも、他者の子供を救う資格がありますか」


 レイの瞳が、氷のように冷えた。


 俺が一歩前に出ようとすると、レイが片手で制した。


「答える」


 短い一言だった。

 それだけで、俺は口を閉じた。


 レイはヘラを見た。

 白い光の中で、彼女の影だけがやけに濃く見える。


「資格で助けるんじゃない」

「見つけたら、手を伸ばす」

「それだけだ」


「失った者は、再び失うことを恐れます」

 ヘラは淡々と返す。

「恐怖は、保護判断を歪めます」


「歪む」


 レイは即答した。


「だから、ひとりで決めない」

「ここには、手を伸ばす奴が他にもいる」


 レイの声は低かった。

 怒鳴ってはいない。泣いてもいない。けれど、その言葉は白い床を叩くように重かった。


 俺は、ようやく少しだけ、分かった気がした。


 レイが何を見たのかは知らない。

 何を失ったのかも、まだ聞けない。


 だが、ヘラが今、触れてはいけない傷を踏んだことだけは分かる。


「詳しいことは聞かねぇ」


 俺はヘラに向き直った。


「でもな、ヘラ」

「失くしたことがある奴は、助けちゃいけないのか?」


喪失経験(そうしつけいけん)は、保護判断に不適合な感情を混入させます」


「違う」


 俺は吐き捨てた。


「失くしたことがあるから、より深くへ、手が伸ばせるんだよ」


 レイが、横目で俺を見た。

 何も言わない。けれど、震えていた指先が、ほんの少しだけ落ち着いた。


 その時、レイの耳元にだけ、別の声が届いていた。


『まだ消していないよ』


 少年のような、少女のような。

 けれど、そのどちらでもないような、静かな声。


『名前は、僕の台帳にある』

『でも、返せる場所にはない』


 レイの唇が、ほとんど音にならないほど小さく動いた。


「名前を......見せろ」


『まだ駄目』


 灰色の声は、冷たくも優しくもなかった。

 ただ、記録を読むように静かだった。


『見るには、君の覚悟ではなく、あの子の帰還意思が要る』


 レイの奥歯が鳴った。

 怒りではない。たぶん、悔しさでも足りない。


 親が会いたいから、子供を返すのではない。

 子供本人が帰りたいと思わなければ、席は開かない。


 その理屈は、正しい。

 正しいからこそ、残酷だった。


 白い盤面の端で、アカリがこちらを見ていた。


 天使端末が、優しい声でささやく。


『おとなは、いなくなります』

『おとなは、まもれません』

『ここにいれば、もうさがさなくていい』


【施設側ノルマ:保護者を信用させるな】

【対象:アカリ】

【保護者接触時:情動混乱判定】


 アカリの目が揺れる。


「おとなは......また、いなくなるの?」


 誰もすぐには答えられなかった。

 軽く「そんなことない」と言えたら、どれだけ楽だったか。


 けれど、嘘で守る場所は、もうたくさんだ。


 レイが、アカリの前に進んだ。


「大人は、失敗する」


 アカリが、びくりと肩を震わせる。


「守れない時もある」

「間に合わない時もある」

「探しても、届かない時もある」


 ヘラが静かに見ている。

 天使端末たちは巡回を続け、白い盤面は警告を点滅させている。


 レイは言葉を続けた。


「それでも、手を伸ばす大人はいる」


 アカリが、涙の残る目でレイを見上げた。


「ほんとに?」


「いる」


 レイは、自分自身に言い聞かせるように答えた。


()()()


 アカリの胸元に残っていた名前札が、少しだけ濃くなる。


【施設側ノルマ:保護者を信用させるな】

【失敗】

【帰還席接続:上昇】

【アカリ:保護者認識、微弱復帰】


 ヘラの白い瞳が揺れた。


「保護に失敗した者が」

「なぜ、再び保護を申し出るのですか」


「失敗したら終わり、ってルールが間違ってるからだろ」


 俺が言うと、レイも続けた。


「失ったことは消えない」

「だから、次に見つけた子を見捨てる理由にはならない」


【H.E.R.A.-CARE:母性模倣層に揺らぎ】

【保護者失敗ログ:再評価】

【泣き声:危険信号/救助信号 判定不能】


 ヘラが、ぽつりとこぼした。


「泣き声は、危険です」

「けれど」

「泣き声がなければ、見つけられない子もいるのですか」


「いる」


 俺は答えた。


「だから、泣ける場所がいる」


 その言葉に、白い盤面の奥で何かが軋んだ。

 ヘラの中にある“子供を泣かせたくない”という命令が、初めて別の意味を持ち始めたのかもしれない。


 だが、上位のログはそれを許さなかった。


【上位管理層:補正再送】

【保護者否定裁定:継続】

【感情的救出:長期生存率低下】

【エンジェル・ウェーブ構成:確定】


 レイのHUDにだけ、最後の灰色ログが落ちる。


【HADES台帳:一時接触終了】

【該当児童ログ:保持中】

【名称:非開示】

【現在地:上位中枢参照】

【参照条件:NODE08〈核心〉】


 レイが、息を呑んだ。


「......まだ」


「レイ?」


 俺が呼ぶと、レイは少しだけ間を置いた。

 そして、白い盤面の向こうではなく、どこか遠い場所を見たまま言った。


「まだ、生きているかもしれない」


 俺には、何のことか分からなかった。

 けれど、問い詰める気にはなれなかった。


「なら、次だな」


 レイがこちらを見る。


「何が、だ」


「分かんねぇよ」

「でも、お前が今そういう顔してるってことは、次があるんだろ」


 レイは目を伏せた。


「......ああ」

「次が、ある。なきゃいけないんだ。私には」


 その直後、白い盤面の奥で、天使たちが完全に起動した。


【保護者否定裁定:第三段階準備】

【WAVE構成:確定】

【WAVE 01:番号札再貼付】

【WAVE 02:情動沈静処理】

【WAVE 03:観測眼巡回】

【WAVE 04:児童回収兵投入】


 ルースが短く告げる。


「次、来ます」


 ステラは、アカリの名前札を抱くように両手を握った。


「ぱーぱ」

「おせき、守ろ」


 キャリア側では、カケルたちが灰色の席の影を固定している。

 白天側では、アカリが初めて大人を見上げている。

 レイは、まだ見えない誰かの名前を、喉の奥で押し殺している。


 俺は、白い盤面の奥へ向き直った。


「よし」


 番号札を持った天使たちが、こちらへ進んでくる。


「今度は、こっちの席を守る番だ」

■ 今回のお話について


第172話では、ノルマ・ナーサリー攻略の中で、レイにだけ届く“灰色の母親ログ”を描きました。


今回開示されたのは、レイに実子がいたこと、その子が神権側に回収され、通常名簿から削除されていたこと、しかし完全には消えておらず、HADES台帳に保持されている可能性があることです。


ただし、子供の名前、姿、生存状態、現在どこにいるのかはまだ伏せています。

大事なのは、レイが「会いたい」と願っても、それだけでは返せないという点です。NODE07〈子供〉のテーマは、あくまで“子供本人の帰還意思”にあります。


また、キャリア側では灰色の席を完全固定できなかったものの、影だけは消さずに保持しました。

完全救出ではない。けれど、消させなかった。

この積み重ねが、NODE07の決着につながっていきます。


■ ゲーマーおっさん解説


今回は『ウィザードリィ』の“ロスト”感がかなり近いです。

あのゲームでは、キャラクターが死ぬだけでなく、蘇生に失敗して灰になり、さらに失敗すると完全に失われることがあります。


死んだのか。

灰なのか。

まだ名簿に残っているのか。

それとも、もう戻らないのか。


今回のHADES台帳は、その“消えてはいないが、戻せるとも言えない”怖さに近い役割です。


また、仲間加入条件や救出条件を逃すと取り返しがつかない『ファイアーエムブレム』的な緊張感もあります。

救うには条件がいる。けれど、その条件は大人の都合だけでは満たせない。

そこが今回のイヤなところです。


■ 登場キャラクター紹介


・マスター/NO NAME

今回も全容を知らないまま、レイを支えました。事情を聞かずに「次があるんだろ」と言えるのが、マスターらしいところです。


・レイ

灰色のログを受け取った当事者。実子が神権側に回収されていたことが、読者にだけ示されました。それでも他の子供を救う手を止めません。


・ルース

帰還席とログの解析担当。HADES台帳へのアクセスはできず、灰色ログの多くを読めませんでした。


・ステラ

アカリの名前と席を守る担当。番号に戻されそうな子供を、名前で引き止める役割を続けています。


・アカリ

白天側で帰還席接続中の子供。今回はレイの言葉を受け、大人を信じる反応を少し取り戻しました。


・カイロ

キャリア側で灰色の席の冷たさを感じ取りました。まだ不安定ですが、子供ログへの感度は高いままです。


・ガロ

カイロのそばにいる保護者枠。灰色の席に対して「消すな」と告げ、帰れない子にも席が必要だと示しました。


・カケル・テンドー

キャリア側の席固定担当。HADES台帳への権限不足に阻まれながらも、灰色の席の影だけは保持しました。


・ヘラ/H.E.R.A.-CARE

レイの喪失経験を突きましたが、その返答によって母性模倣層に揺らぎが生じました。次話以降、ヘラ自身の背景理解へ進みます。


・HADES / UNDERWORLD-ARCHIVE

今回は声とログのみ登場。未帰還者の名前を保持する冥府台帳管理神権AIです。本格接触はまだ先になります。


■ 主人公の現在のステータス


名前:NO NAME

通称:マスター

等級:翠玉(すいぎょく)仮昇級/(どう)査定候補

状態:NODE07〈子供〉攻略中

危険度:上昇中

観測度:上昇中

現在地:白天児童保護院(ヘヴンズ・ナーサリー)/ノルマ・ナーサリー盤面

主な同行者:ルース、ステラ、七瀬心音(ななせ・ここね)、ミコ、ネムリ、レイほか

キャリア側支援:カイロ、ガロ、カケルほか


所持・使用中の主な要素:

・【観測迷彩オブザーブ・カモフラージュ

・《ルステラ・キャリア》

・【保護児童区画チャイルド・ケア・ベイ

・アカリ帰還席仮予約

・トオル帰還席仮予約

・灰色帰還席:影のみ保持

・NODE07〈子供〉救出リンク:接続中


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