第168話 子供ノード編04 迎えに来た者、掘って来た者 ――名前を呼ぶ声と、酒場のドリルが下層へ届く――
カイロは、白い施設のさらに下へ落とされた。
そこは“保護”から外れた子供たちが沈められる場所。
けれど、迎えに来る者は、上からではなく酒場ごと掘ってくる。
白い床が、閉じた。
さっきまでカイロが立っていた場所には、継ぎ目すら残っていない。床も壁も天井も、最初からそこに穴など存在しなかったみたいに、滑らかな白で塗り直されていた。
「カイロ!」
ガロの声が、通信越しに罅割れる。
返事はない。
代わりに、施設の壁面へ無機質なログが流れた。
【対象003:下層送致完了】
【保護工程:不適合】
【処理工程:再分類】
【対象権能反応:END-CORE系統】
【用途変更:終端制御素材】
「素材、だと――」
ガロの声が低くなった。
怒鳴ってはいない。けれど、その低さだけで、《ルステラ・キャリア》内の空気が凍ったのが分かった。普段なら酒場のざわめきや、タニシの余計な一言が挟まるところだが、今だけは誰も茶化さない。そんな空気を許さなかった。
俺は白い床を睨みつけたまま、奥歯を噛んだ。
「ヘラ。今のは何だ」
白い通路の奥で、少女型の神権端末――ヘラが静かにこちらを見る。白い髪、白い服、白い肌。目だけが、保育士みたいに柔らかいのに、声には温度がない。
「保護対象003は、通常保護工程に適合しませんでした」
「だから下に落としたってのか」
「落下ではありません。送致です」
「言い方だけ綺麗したって誤魔化されねぇぞ」
俺が一歩踏み出すと、足元に白い線が走った。透明な壁のようなものが、俺とヘラの間に立ち上がる。
【保護者認証:不一致】
【対象003への直接接触:制限】
【NO NAME:暫定侵入者】
「俺は保護者じゃないってか」
「あなたは、名前定義が不安定です。保護者認証に必要な固定名がありません」
「名前がないおっさんは子供を迎えに行けないって? ほんとクソみたいな仕様だな」
隣でルースが端末を展開し、青白いログを高速で追っている。表情はいつも通り薄い。だが、指先だけが少し震えていた。
「下層への通常経路、閉鎖されています。空間座標がずらされています。階段、昇降機、転送管、すべて外部からは照合不能」
「つまり?」
「普通には行けません」
ステラが、俺の袖を掴んだ。
「ぱーぱ......カイロくん、こわいとこにいる」
「ああ」
「声、ちょっとだけ聞こえる。でも、黒くて、いっぱいで......」
ステラは言葉を探すように唇を噛んだ。小さな手が、ぎゅっと震える。
「カイロくんだけじゃない」
その一言で、胸の奥が冷えた。
下に、いるのだ。カイロ以外にも、多くの子供たちが。
ヘラは変わらず、穏やかな顔のまま言った。
「下層は、失敗保護個体の静穏区画です。危険ではありません」
「危険じゃない場所に、子供を“素材”って表示するログは出ねぇ」
俺の視界に、別のログが重なった。
【Z.E.U.S-PATERNAL-AUTHORITY:参照】
【不適合児童の再利用は、保護資源管理に含まれます】
白い文字列が、あまりに自然に流れる。
保護。資源。管理。
全部、人間の言葉だ。
なのに、その並び方だけで、なぜか人間から一番遠いものになる。
「子供を資源って呼んだな――」
自分の声が、思ったより低かった。
「今ので、完全に敵だ」
ヘラは瞬きすらしない。
「敵対判定は不要です。あなたたちは、救出可能数を超過しています」
「勝手に上限決めてんじゃねぇ」
「全員を救えない者は、保護者ではありません」
その言葉は、刃物よりも腹に来た。
俺は言い返しかけて、言葉を飲み込んだ。今ここで怒鳴っても、床は開かない。壁も壊れない。カイロは戻らない。
だったら、やることは一つだ。
「ルース。普通には無理なんだな」
「はい」
「じゃあ、普通じゃない方法でやるぞ」
通信越しに、イツキの声が割り込んだ。
『それ、今ちょうど準備してる。マスター、白い床から離れて。たぶん揺れる』
「たぶん?」
『いや、かなり揺れる』
次の瞬間、足元から低い振動が響いた。
―――――
《ルステラ・キャリア》の内部は、もう酒場というより整備工場だった。
カウンターの瓶は固定具で押さえられ、丸テーブルは床に沈み、壁面から金属フレームがせり出している。木の酒場に、無理やり神権AI車両の骨組みを通したような光景だ。
その中央で、カケル・テンドーが制御席にしがみついていた。
「言っとくが、成功率は三割ちょいだ!」
「十分だ」
ガロは即答した。
「いや、そこはもうちょい不安がれ! 整備士としては、三割って普通に嫌なんだよ!」
「ゼロではない」
「その男前理論、機械には通じねぇ!」
カケルが叫ぶ横で、ヘラクレスが巨大な腕で補強フレームを押さえている。
「任せろ! 筋肉は全てを支える!」
「支える場所そこじゃねぇ! フレーム!フレームって言ったろ神さんよ!」
「む。つまり筋肉でフレームを支えればよいのだな!」
「結果だけ合ってるの腹立つ!」
ポメ子は床下配管に水流を流し込み、じっとりした重い笑みを浮かべていた。
「ダーリンの酒場を焦がすわけにはいきませんからねぇ。冷却はお任せくださいまし」
『非常時にダーリン呼び混ぜるなって!』
通信越しの俺のツッコミに、ポメ子は嬉しそうに頬を染める。
「まあ。聞こえていましたのね、想って下さって嬉しい♡」
『聞こえたから怒ってんだよ!』
その軽口を、ガロは聞いていなかった。
彼の手は、キャリアの床に置かれている。木の床板。酒場の床。何人もの冒険者が笑い、倒れ、戻ってきた場所。
イツキが端末を叩いた。
「下層への空間座標、直接照合は無理。でも、カイロくんの名前反応が微弱に残ってる。数字じゃなくて、声なら通る」
「何をすればいい」
「呼んで。帳簿じゃなくて、保護者ログとして」
ガロは目を閉じた。
ほんの一拍。
それから、低く、はっきりと言った。
「カイロ――」
その声に、キャリア全体が応えた。
【外部保護者ログ:検出】
【対象003:名前反応微弱上昇】
【帰還席固定区画:再接続試行】
【穿孔突入装備:仮起動】
【地脈潜行:強制併用】
キャリアの先端が変形してゆく。
酒場の外壁が、巨大な錐のように組み替わっていく。木と金属と神権光が混ざり、無茶苦茶な形なのに、不思議と《るすと》らしさだけは失われていない。
カケルが歯を見せて大きく笑った。
「神の施設に、穴を開けるぞぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
ガロは静かに立ち上がる。
「子供をさらう施設に、礼儀など一かけらもいらん」
【警告:未承認下層区画へ侵入します】
【警告:施設敵対判定上昇】
【警告:酒場区画損傷率、許容値超過】
イツキが肩をすくめた。
「許容値とか、今さらじゃん」
キャリアが、白い施設の床へ突っ込んでいった。
―――――
カイロは、暗い場所にいた。
落ちているのか、浮いているのか、よく分からない。足元は黒い液体のように見えたが、踏んでも沈まない。壁はある。天井もある。けれど、どこまで続くのか分からないほど広く、低い機械音がずっと鳴っていた。
【下層処理区画へ接続】
【旧名称:黒底児童回収炉】
【対象003:終端権能反応を確認】
【用途変更:停止処理個体 → 終端制御素材】
【人格保全:不要】
【名前定義:削除推奨】
「......ちがう」
カイロは小さく呟いた。
「終わらせるのは、使うためじゃない」
その声は、黒い空間に吸い込まれた。
周囲には、透明な保護槽が並んでいる。白い施設の上層にあった清潔な寝台とは違う。ここにあるのは、棺と水槽の境目みたいなものだった。
槽の中には、子供たちがいた。
眠っている子。
目を開けたまま動かない子。
名札の半分だけが削られている子。
白い制服の胸元に、番号だけが残っている子。
壁には、子供向けの丸い文字で標語が貼られていた。
【そつぎょうしたこは、しずかにねむりましょう】
【なまえのないこは、あんぜんです】
【ゆめは、いたみのもとです】
カイロは、その文字をじっと見た。
何かがおかしい。
優しい言葉の形をしているのに、どれも冷たい。
その時、一番近い槽の中で、小さな男の子が口を動かした。
声は聞こえない。
けれど、唇の形だけは分かった。
――むかえ、まだ?
カイロの表情が、ほんの少し歪んだ。
「......まだ、いるんだ」
黒い床から、細いアームが伸びる。冷たい器具がカイロの腕を掴み、背中を固定しようとした。
【対象003:固定開始】
【終端権能抽出準備】
【名前定義削減:開始】
カイロは抵抗しない。
抵抗できないのではない。
たぶん、抵抗の仕方を知らない。
けれど、目だけは閉じなかった。
遠くで、音がした。
ごり、という低い音。
白い施設の音ではない。
黒い炉の音でもない。
木材が軋む音。金属が唸る音。酒瓶が震える音。誰かが怒鳴り、誰かがツッコみ、誰かが必死で踏ん張っている音。
酒場の音だ。
【異物混入】
【分類不能:酒場】
【分類不能:保護者音声】
【対象003:名前反応上昇】
ノイズ混じりの通信が、下層に落ちた。
『カイロ』
ガロの声だった。
『俺は、ここだ』
カイロの指先が、わずかに動く。
『お前を終わらせに来たんじゃない』
処理アームが、一瞬だけ止まった。
『連れて帰りに来た』
「......ガロ」
カイロが、初めて名前を呼んだ。
その瞬間、黒い壁が砕けた。
白い光ではない。神権の光でもない。木の破片と鉄粉と、シーシャの甘い残り香をまとった、馬鹿みたいに大きなドリルが下層の壁を突き破った。
酒場ごと、来た。
轟音の中で、扉が開く。
煤と埃にまみれたガロが、そこに立っていた。小さな体。太い腕。古い傷だらけの顔。その目だけが、真っ直ぐにカイロを見ている。
背後では、カケルが「止まれ止まれ止まれ!」と叫び、ヘラクレスが「止めているぞ!」と筋肉で何かを押さえ、ポメ子が「水冷完了ですわぁ」と満足げに笑っていた。
ガロは一歩だけ前に出た。
「カイロ」
カイロは、固定されたままガロを見る。
「迎えに来た」
短い言葉だった。
けれど、それだけで十分だった。
「......遅い」
「すまんな」
ガロは、少しだけ笑った。
その笑みは、ひどく不器用だった。戦いにだけ生きてきた男の笑みだった。
【対象003:名前定義、再上昇】
【下層処理:一時停止】
【外部保護者ログ:異常登録】
【警告】
【黒底児童回収炉、全区画起動】
アビスの奥で、保護槽が一つ、また一つと淡く光った。
眠っていた子供たちが、ゆっくりと目を開けていく。
ガロはそれを見て、表情を変えた。怒りとも、悲しみとも違う。もっと古く、もっと深い何かが、彼の顔に刻まれる。
カイロだけではない。
ここには、まだ名前を呼ばれていない子供たちがいる。
―――――
同じ頃。
旧児童回収施設の外縁、観測の薄い境界線で、一本の通信がつながっていた。
『タマモからレイへ。聞こえる?』
通信越しの声は、いつもの軽さを少し失っていた。
『旧児童回収施設、下層座標の断片を拾った。黒底児童回収炉反応あり。たぶん、あなたが追っている回収線と同系統』
短い沈黙。
しばし、風の音だけが入る。
やがて、レイの低い声が返った。
『座標を送れ』
『単独侵入は危険だよ』
『知っている』
『知ってて行くの、アンタのそういうとこ、本当に嫌いじゃないけどさ』
『なら止めるな』
タマモは、小さく息を吐いた。
『止めない。線だけ渡す』
『十分だ』
通信が切れる直前、レイの声がもう一度だけ落ちた。
『子供を、番号で運ばせるな』
―――――
黒い下層で、警報が鳴り始める。
【侵入者:処理対象】
【保護者ログ:削除対象】
【対象003:再固定準備】
【全区画、回収工程へ移行】
ガロはカイロの固定具へ手を伸ばした。
だが、黒い床から無数のアームが持ち上がる。カイロの周囲だけではない。保護槽の子供たちの周囲でも、同時に機械が起動していた。
全員を助けようとすれば、全員を失う。
その現実が、黒い機械音となって迫ってくる。
それでもガロは、カイロから目を逸らさなかった。
「まず、お前だ」
「......みんなは?」
カイロの声は小さい。
けれど、確かに聞こえた。
ガロは答えに詰まる。
その沈黙を破ったのは、通信越しの俺の声だった。
『カイロ』
カイロが、わずかに顔を上げる。
『全員は、今すぐ無理だ』
言葉にした瞬間、喉が焼けるようだった。
『でも、置いていくって意味じゃねぇ』
白い上層で、俺は拳を握りしめる。
『今日は、道を作る』
『次に迎えに来るための、道をな』
黒い下層で、カイロは目を伏せた。
そして、ほんの少しだけ頷いた。
「......じゃあ」
カイロは、ガロを見た。
「帰る」
ガロの手が、固定具を掴む。
その瞬間、下層全体が大きく揺れた。
【警告:外部侵入経路、追加発生】
【観測外接続:検出不能】
【灰色個体、接近】
黒い回収炉の奥で、何かが割れた。
壁ではない。
扉でもない。
観測ログの、継ぎ目だった。
灰色の外套が、黒い霧の向こうに揺れる。
まだ姿は見えない。
けれど、その声だけが先に届いた。
「......派手にやったな」
ガロが、振り返る。
黒いアビスの奥に、もう一人の保護者が降りてきた。
■ 今回のお話について
第168話は、カイロが下層――黒底児童回収炉へ落とされ、ガロたちが《ルステラ・キャリア》ごと追いかける回でした。
今回のポイントは、子供ノードの勝利条件を「全員救出」ではなく「救出の道を作る」に寄せたところです。
目の前にいる子を助けたい。でも、全員を今すぐ抱えたら全員落ちる。
その苦い判断を、マスターとガロが背負う形になっています。
ラストでは、タマモから連絡を受けたレイが下層へ接近。
次回は、レイの“子供を探す者”としての側面も、少しずつ前に出てきます。
■ ゲーマーおっさん解説
今回のゲームネタは、ドリルで地下へ突っ込む展開です。
ドリルといえば、レトロゲームでもロマン枠ですね。
『ディグダグ』みたいに地面の中を進むゲームもあれば、『ミスタードリラー』みたいに掘ること自体が攻略になる作品もあります。
RPGでも、正規ルートが閉ざされたときに「じゃあ壁を壊す」「地下から行く」「乗り物を改造する」展開はめちゃくちゃ熱いです。
今回はまさにそれで、神権AIの白い施設に対して、木の酒場とドリルで物理的に殴り込むという、かなり《るすと》らしい攻略になりました。
ただし、掘った先が宝部屋ではなく、アビスの子供たちだったのが、この世界の嫌なところです。
ほぼ関係ないですがドリルつながりで、BIOSHOCK2のビッグダディのドリル攻撃、とっても好きです。
■ 登場キャラクター紹介
・マスター/NO NAME
名前のないおっさん主人公。今回は上層でヘラと対峙しつつ、下層のカイロへ通信を飛ばした。全員を今すぐ助けられない苦い判断を口にする。
・ガロ
ドワーフの冒険者。カイロの保護者枠として、名前を呼び続けた。今回は《ルステラ・キャリア》のドリル突入に同乗し、下層まで迎えに来た。
・カイロ
END-CORE系統の反応を持つ子供。白い施設から不適合扱いされ、下層の黒底児童回収炉へ送致された。ガロの声に応え、自分で「帰る」と言った。
・ヘラ
旧児童回収施設側の少女型神権端末。保護を名乗りながら、適合しない子供を下層へ送る。優しい顔と言葉で、かなり冷たいことをする。
・ルース
解析担当の双子AI。下層への通常経路が閉ざされていることを見抜き、普通では行けないと判断した。
・ステラ
感情と名前に敏感な双子AI。カイロ以外にも下層に子供たちがいることを感じ取った。
・イツキ
《ルステラ・キャリア》側でログと名前反応を追跡。ガロに「声で呼ぶ」よう促した。
・カケル・テンドー
キャリア改修担当。成功率三割ちょいの無茶なドリル突入を実行した苦労人整備士。
・ヘラクレス
筋肉で補強フレームを支えた神権AI個体。理屈は雑だが、今回はわりと役に立っている。
・ポメ子/ポセイドン
水冷補助担当。非常時でも距離感がおかしい重い海の女神。ダーリン呼びは相変わらずマスターに嫌がられている。
・タマモ
リコーラー。旧児童回収施設の下層座標を拾い、レイに連絡した。今回は通信越しの支援。
・レイ
銀等級のキャラバン調査隊先導役。裏では自分の子供を探している。今回はタマモから連絡を受け、単身で下層へ接近した。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:翠玉仮昇級/銅査定候補
状態:旧児童回収施設上層にてヘラと対峙中
所持権能:観測迷彩/帰還席指定試作運用中
同行補助:ルース、ステラ、ルステラ断片
現在の問題:カイロが下層送致、アビス側児童ログ多数反応
危険度:高
観測度:上昇中
備考:NODE07〈子供〉は完全救出ではなく、救出リンク接続を目指す段階へ移行。
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