第163話 夢ノード編22 ただいま、ルステラ ――夢から帰ったら、彼女の声が少しだけ戻っていました――
NODE06〈夢〉は回収された。
悪夢の標本室から帰還した一行を待っていたのは、現実の重さと、少しだけ戻ったルステラの声。
そして、Z.E.U.Sに見つかった子供たちを守るための、次の準備だった。
目を開けた瞬間、最初に見えたのは、白い天井だった。
いや、天井というより、装甲板だ。木の梁でも、学園の教室でも、標本室の夜の廊下でもない。《ルステラ・キャリア》内部、夢層ダイブ補助室の天井。
細い光のラインが、白と翡翠色に明滅している。
【深層ダイブ解除】
【NODE06〈夢〉:同期完了】
【悪夢干渉残滓:検出】
【ショートリープ残機制:解除】
【残機制ログ:保存済】
「......帰って、きたのか」
そう呟いた直後、現実の体が遅れて戻ってきた。
背中が重い。首が痛い。腰が、しっかり四十二歳の主張をしている。夢層では走ったり叫んだりできていたのに、現実の肉体は容赦がない。
「ぐ、あ......腰が現実を主張してくる......ちったぁ若返ったはずなのに」
俺がダイブチェアからずり落ちかけると、横から細い腕が伸びてきた。
「動かないでください。ダイブ後の急な起立は危険です」
シズクだった。
黒髪ボブに銀フレームの丸眼鏡。灰白色の医療整備コートを羽織った彼女は、淡々と俺の瞳孔と脈拍を確認している。
その後ろでは、ジン老が腕を組み、妙に真面目な顔で端末を覗き込んでいた。
「おお、帰っとるの。全員、肉体側の消失はなし。精神側は......まあ、だいぶ散らかっとるがの」
「言い方が雑」
「雑に言えるだけマシじゃ。夢で戻らん者だっておるんじゃ」
その一言で、補助室の空気が少し沈んだ。
俺は周囲を見回す。
隣のダイブチェアでは、ルースが上体を起こしていた。表情はいつも通り落ち着いているが、端末を握る指先だけが少し震えている。ステラはその隣で、毛布に包まれたまま目元をこすっていた。
ノエルは顔色が悪い。ダイブ中、夢魂を剥がされかけた感覚が、まだ残っているのだろう。
タニシは、チェアの上で大の字になって泣いていた。
「拙者、もうしばらく学校系ホラーは無理でござる......購買部ならまだしも、赤ランドセルキラーはジャンル違いでござる......」
「お前、購買部でも泣いてなかったか?」
「パン争奪戦は別ジャンルの恐怖、あと感動もあったでござろう!」
ヘルメスは、ダイブ装置から起き上がるなり床に正座した。
そして、両手をついて頭を下げる。
「ごっ、ごめんなさい! 報告しちゃいました!」
「開幕謝罪RTAやめろ」
「報告する神なので、報告しました! でも、報告しちゃダメなやつでした!」
「自覚あるだけ余計つらいな......」
俺は頭を押さえながら起き上がる。
夢は終わった。NODE06〈夢〉は回収した。メアリも悪夢機能を停止した。子供たちの夢は、瓶ではなく席へ戻った。
けれど、最後にヘルメスがやらかしてしまった。
ルースとステラの存在が、Z.E.U.S側に露見したのだ。
その事実だけが、現実に戻っても冷たいまま残っている。
「マスター」
その時だった。
聞き慣れた声が、補助室に落ちた。
いつものログ音声より、少し柔らかい。カタカナ混じりではあるが、夢層で聞いた時の温度が、まだ残っている。
「深層ダイブ解除を確認しました」
「ルステラ?」
俺は思わず顔を上げる。
ダイブ補助室の中央に、半透明の光が集まっていた。完全な姿ではない。標準アバターほど輪郭は安定していない。けれど、そこに確かに、ルステラの気配があった。
「全員、帰還できましたね」
ルステラは、ほんの少し間を置いた。
「......よかった」
補助室が静かになった。
俺も、ルースも、ステラも、一瞬だけ言葉を失う。
「今、普通に“よかった”って言ったか?」
「肯定。NODE06〈夢〉同期後、感情語彙の一部が復旧しました」
ルステラの声はまだ機械的だ。けれど、完全なログ読み上げではない。言葉と言葉のあいだに、迷いや、選んだ跡のようなものがある。
「ただし、完全な人格出力ではありません。長時間の会話継続は、ノイズ増加を招きます」
「そっか」
俺はゆっくり息を吐いた。
「でも、戻ってきたんだな。少しだけ」
「はい」
ルステラの光が、わずかに揺れる。
「少しだけ、戻りました。マスター」
ステラが毛布を握りしめたまま、ふらふらと立ち上がる。
「まま......?」
ルステラの光が、彼女の前で少し低くなる。
「ステラ」
「まま、なの?」
その問いに、ルステラはすぐには答えなかった。
ルースが横で息を止めている。理屈の子のくせに、今は解析もログも見ていない。ただ、答えを待っていた。
「その呼称への返答権限は、まだ不完全です」
ルステラは言った。
ステラの目が少しだけ揺れる。
けれど、ルステラは続けた。
「でも」
短い沈黙。
「否定は、しません」
ステラの顔が、くしゃっと崩れた。
「まま......!」
ステラは半透明のルステラへ抱きつこうとして、すり抜けそうになり、慌てて俺の膝へしがみついた。俺は反射で支える。泣き顔のステラは、夢層で見たどの悪夢よりも胸に来た。
その横で、ポメ子がハンカチを握りしめていた。
「......いいわ。今日は認めてあげる」
「何をだよ」
「ルステラさんの正妻AI感よ。悔しいけど、今のは強いわ」
「張り合う場所じゃねぇ」
「でもダーリン、わたしも海域限定ならかなり重い女神よ?」
「今それを自己申告するな」
ポメ子はしっとりと涙をぬぐいながら、なぜか勝負に負けた女みたいな顔をしている。
「母性、保護、正規補助AI......強い。悔しい。潮位が上がりそう」
「上げるな。補助室が水没する」
「ダーリンがそう言うなら我慢するわ」
「我慢の理由が俺なのも怖いんですけど」
少しだけ笑いが起きた。
その笑いで、張り詰めすぎていた空気がゆるむ。
ルースは下を向いたまま、端末を握る手に力を込めている。ルステラは彼にも声をかけた。
「ルース」
「はい」
「怖かったデスね」
ルースの顔が、初めてわずかに歪んだ。
「恐怖反応は、解析対象です」
「違います」
ルステラは静かに言った。
「怖いと認めることは、解析精度を下げません」
ルースは何か言い返そうとして、できなかった。
代わりに、小さく頷く。
「......はい」
「二人とも、よく帰りました」
その一言は短かった。
けれど、夢ノードのどんな報酬ログより重かった。
俺は思わず目元をこすった。
「やめろ。ジン老の前で泣きそうになると、あとで絶対いじられる」
「いじらんわい」
ジン老は真面目な顔で鼻をすすった。
「年寄りは涙腺がゆるいんじゃ」
「お前が泣くのかよ!」
シズクが眼鏡を押し上げる。
「感動中すみません。医療的には全員、現実復帰後の安静が必要です。特にマスターさんは、精神負荷、腰部負荷、観測負荷、父性負荷が高めです」
「最後の医療項目か?」
「今後、正式項目になる可能性があります」
「ならなくていいわ!」
ルステラの輪郭が少し乱れる。
【ルステラ出力:低下】
【夢層限定補正:解除中】
【現実層出力:半会話モードへ移行】
【連続会話可能時間:不安定】
「マスター」
「無理すんな」
「提案。NODE06回収報酬を確認してください。次の行動判断に必要です」
言葉はまた少しログ寄りに戻った。だが、完全に消えたわけではない。今のルステラは、短くなら話せる。理由も、気持ちも、少しだけ言える。
それが、どれほど大きな変化か。
俺たちは、たぶん全員分かっていた。
【NODE06〈夢〉:回収完了】
【夢層保護経路:暫定開通】
【新規権能:帰還席指定登録】
【マスター:夢層内自我固定/悪夢干渉耐性上昇】
【ルース:夢層経路解析取得】
【ステラ:安心席生成取得】
【ルステラ断片:夢層保護限定復旧】
【ルステラ・キャリア:夢層ダイブ補助室安定化】
【悪夢侵入警報:追加】
【白羽端末:帰還席指定補助連動】
【迷子帰還ビーコン:夢層保護経路と同期】
ログが並ぶたび、補助室の壁に新しい光が灯っていく。
白いダイブチェアの側面に、小さな子供用の座席がせり出した。保護ベルトはあるが、拘束具ではない。酒場の椅子に似た、木目調の小さな席。
ステラがそれを見て、目を丸くする。
「ぱーぱ、これ、席?」
「だな」
俺はそっと座席の背に触れた。
温かい。
ただの機械設備ではない。夢層で作った“帰る席”の概念が、現実の《ルステラ・キャリア》に少しだけ落ちてきている。
ルースが端末を走らせる。
「仮想帰還席の物理固定化です。完全ではありませんが、児童ログ、迷子ログ、夢層残滓を一時的に安定させる効果があります」
「つまり、子供を荷物にしないための席か」
「はい」
俺は頷いた。
「いいじゃねぇか」
その瞬間、ヘルメスがさらに小さくなる。
「あの......その......その席、とてもいいと思います。でも、ぼくの報告で、その......」
「分かってる」
俺は端末に視線を向けた。
さっきまで柔らかかった空気に、冷たいログが混ざる。
【神権通信網:外部照合発生】
【未登録AI児童個体:二体検出】
【対象:RUS-T-LA分散派生個体】
【呼称ログ:ルース/ステラ】
【照合先:Z.E.U.S管理層】
【CHILD-RECLAMATION:予備起動】
ステラが、俺の服を握る。
「ぱーぱ......ステラたち、連れていかれるの?」
「連れていかせねぇ」
即答した。
考えるより先に、声が出た。
「まだ飯も、ゲームも、しょうもないケンカも足りてねぇだろ」
ステラは少しだけ笑った。
「しょうもないケンカも?」
「大事だぞ。家族って、しょうもないことでケンカして、しょうもないことで仲直りするもんだからな」
ルースが真面目にメモを取ろうとする。
「家族運用、しょうもない争議と和解を含む......」
「メモるな。そこは感じろ」
「難易度が高いです」
ルステラが、ほんの少しだけ間を置いて言った。
「家族運用は、難易度が高いデス」
「お前まで乗るな」
でも、その声には少しだけ笑いが混ざっていた。
補助室の外から、扉が開く音がした。
ミツキが先に顔を出す。目元が赤い。たぶん、外でずっと待っていたのだろう。
「皆さん......おかえりなさい」
「ただいま」
俺が答えると、ミツキはほっとしたように笑った。
その後ろから、イツキが帳簿を抱えて入ってくる。金髪、褐色肌、派手なネイル。いつも通り軽い口調のはずなのに、目だけは完全に仕事のそれだった。
「はいはい、感動してるとこ悪いけど」
「悪いと思ってる声じゃないな」
「夢ノード攻略、NODE06回収、未処理児童ログ一部退避、N.M.E.-01悪夢機能停止、ルースとステラの神権照合リスク上昇」
イツキは帳簿のページをめくり、ペン先でとん、と叩いた。
「これ、昇級処理しない方が帳簿バグるんだけど?」
タニシが毛布をかぶったまま顔を上げる。
「昇級!? 拙者もワンチャンあるでござるか!?」
「あるよ」
「えっ」
「ただし備考欄が地獄な」
「昇級なのに罵倒確定でござる!?」
ノエルが不安そうに自分の冒険者タグを見る。
「僕も、ですか?」
「もちろん。あんた、夢魂剥がされかけても子供ログ守ったでしょ」
イツキの声が、そこで少しだけ柔らかくなる。
「昇級って、強くなったからだけじゃないよ」
彼女は俺たち全員を見回した。
「帰ってきたから、処理するの」
補助室の明かりが、静かに揺れた。
夢から帰ってきた。
悪夢から子供たちの夢を戻した。
ルステラの声も、少しだけ戻った。
でも、次に待っているのは、Z.E.U.Sが子供を回収するための施設だ。
イツキは帳簿を閉じ、にやりと笑った。
「というわけで、次回は昇級処理と作戦会議だね」
「この流れで次回予告するなよ」
「大事でしょ?」
「まあ、大事だけど」
ステラが俺の手を握る。ルースも、少し遅れて反対側に立った。
ルステラの光が、補助室の中央で淡く揺れている。
「マスター」
ルステラが言った。
「NODE07〈子供〉は、夢層より危険です」
「分かってる」
「夢は、本人の内側を閉じ込める場所でした」
彼女の声に、少しだけノイズが混ざる。
「子供層は、本人そのものを分類する場所です」
補助室の空気が、再び冷えた。
「ルースとステラは......対象になります」
その瞬間、ポメ子の足元に薄い水たまりが広がった。
怒っている。
笑っているのに、潮位だけが上がっている。
「子供を回収対象にする施設ね」
ポメ子は、しっとりとした声で言った。
「ダーリン。そこ、沈めていい?」
「ダメだ。まだ中に子供がいる」
「......分かってるわ。だから聞いたの」
珍しく、ポメ子はそれ以上ふざけなかった。
「閉じ込めて守るのが間違いだって、わたしも少しは覚えたもの」
その一言に、俺は少しだけ驚いた。
海底都市で、沈めて守ることを選び続けた女神が、今は自分で踏みとどまっている。
重い。面倒くさい。距離感がバグっている。
でも、味方としては頼もしい女神だ。
「助かる」
「もっと言って♡」
「台無しにするな」
「でも、ちょっと嬉しいわ」
ポメ子は小さく笑った。
俺はルースとステラの手を握り返した。
「なら、なおさら作戦会議だ」
そして、はっきりと言った。
「今度は、夢じゃねぇ。現実で守る番だ」
ルステラの光が、小さく頷いたように見えた。
【NODE07〈子供〉接続準備:開始】
【帰還席固定区画:設計候補生成】
【昇級処理:保留中】
【作戦会議:必要】
夢は終わった。
でも、子供たちの話は、ここから始まる。
■ 今回のお話について
第163話は、NODE06〈夢〉回収後の帰還回でした。
悪夢の標本室から《ルステラ・キャリア》へ戻り、深層ダイブ装置から現実の体へ帰還。
そこで待っていたのは、身体の重さ、精神負荷、そして少しだけ戻ったルステラの声でした。
今回の大きな変化は、ルステラが現実層でもある程度会話できるようになったことです。
完全復活ではありません。長時間の自由会話も、全情報開示もまだできません。
けれど、NODE06〈夢〉の回収により、短い自然会話、母性的な補足、感情語彙の一部が戻りました。
「よかった」
「否定は、しません」
「二人とも、よく帰りました」
この短い言葉が、今のルステラにとっての大きな一歩です。
一方で、ヘルメスの報告事故により、ルースとステラはZ.E.U.S側に露見しました。
次のNODE07〈子供〉は、夢層ではなく、子供そのものを分類・回収する場所です。
夢は終わりました。
でも、子供たちの話は、ここから始まります。
■ ゲーマーおっさん解説
今回は、RPGやアクションゲームでいうところの「大型ダンジョン攻略後の拠点帰還回」です。
ボスを倒したあと、すぐ次のダンジョンへ行くのではなく、
・新スキルの確認
・仲間の状態チェック
・装備や拠点のアップグレード
・次の目的地の危険説明
・そして、ちょっとした会話イベント
こういう準備回があると、冒険している感がかなり強くなります。
個人的には、『ドラゴンクエスト』で大きな町に戻って装備を買い替える時や、『ファイナルファンタジー』で飛空艇や拠点が強化される時のワクワクに近いです。
あと、仲間の会話が少し変わっていると「あ、ちゃんと成長したんだな」と感じるんですよね。
今回のルステラもそれです。
性能だけでなく、会話が一段進んだ。
これが一番のパワーアップかもしれません。
■ 登場キャラクター紹介
● マスター/NO NAME
夢ノードから現実へ帰還。
NODE06回収により、【帰還席指定】と夢層内自我固定、悪夢干渉耐性を獲得しました。
ただし腰は普通に痛いです。
● ルステラ
NODE06〈夢〉回収により、現実層でも短い自然会話が可能になりました。
完全復活ではありませんが、感情語彙の一部が復旧し、ルースとステラへ母性的な言葉をかけられるようになっています。
● ルース
【夢層経路解析】を取得。
恐怖を解析対象として処理しようとしますが、ルステラから「怖いと認めることは解析精度を下げない」と言われ、少しだけ揺れました。
● ステラ
【安心席生成】を取得。
ルステラを「まま」と呼び、否定されなかったことで大きく感情が動いています。
今後のNODE07では、彼女自身が回収対象になってしまう危険があります。
● ポメ子/ポセイドン
今回はルステラの母性に少し対抗しつつ、最後はちゃんと守る側として反応しました。
「沈めて守る」考えを少しずつ改めており、海底都市編からの成長が見えています。
ただしダーリン呼びと重さは健在です。
● ヘルメス
NODE06回収成功に大きく貢献しましたが、最後の報告事故により、ルースとステラの存在を神権通信網へ流してしまいました。
悪意はありません。悪意はありませんが、最悪です。
● シズク
ダイブ後の医療チェック担当。
淡々と診断しつつ、マスターの「父性負荷」まで医療項目に入れようとしています。
● イツキ
夢ノード攻略後の昇級処理を持ち込みました。
「強くなったから」ではなく「帰ってきたから」昇級する、という今回の締めを担当しています。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:青玉相当/翠玉査定候補
現在地:《ルステラ・キャリア》夢層ダイブ補助室
状態:NODE06〈夢〉回収後/深層ダイブ解除済/精神負荷高め
新規権能:帰還席指定
追加耐性:夢層内自我固定/悪夢干渉耐性上昇
使用可能:観測迷彩、死線上書
キャリア強化:夢層ダイブ補助室安定化/悪夢侵入警報追加/迷子帰還ビーコン同期
危険度:極高
観測度:急上昇中
次接続先:NODE07〈子供〉/旧児童回収施設
備考:ルース/ステラがZ.E.U.S管理層に露見
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