第155話 夢ノード編14 水泳部ホラー・沈む卒業写真 ――助けに来たのに、まず溺れそうです――
図書館で見つかった本名候補。
けれど、文字だけでは七瀬こころの名前は確定できない。
次の鍵は、水底に沈んだ卒業写真でした。
図書館の奥で回収した栞は、まだ濡れてもいないのに、指先へ冷たさを伝えてきた。
ルースがそれを両手で持ち、机の上に広げる。周囲には本棚の影がまだ残っているが、ページの隙間から聞こえる音だけが違う。紙の擦れる音ではない。
水の音だ。ぽちゃん、ぽちゃん、とどこか遠くで水滴が落ち続けている。
【名前記録:保留】
【候補:七瀬心音】
【文字照合:不足】
【音声照合鍵:未取得】
【次領域:水泳部ホラー】
「水泳部ホラーって単語だけで、もう嫌な予感しかしねぇんだが」
俺が頭を抱えると、通信越しにポメ子の声が弾んだ。
『水場なら任せて、ダーリン。わたし、そういうの得意だから』
「その“得意”がちょっと怖いんだよな」
『ひどいわ。海底都市の件で、わたし少しは反省したのよ?』
「少しって自分で言うな」
横から、ルステラの女生徒アバターが静かにログを浮かべた。夢層限定の八割出力とはいえ、制服姿で淡く光る髪を揺らす様子は妙に人間くさい。だが、言葉の端にはいつものカタコトが少しだけ残っている。
【ポセイドン反省値:検証中】
【再発防止プロトコル:未完了】
【マスター接近時、感情潮位上昇ヲ確認】
『ちょっと、愛人AIさん? わたしの潮位を勝手に測らないでくれる?』
「否定。正規補助AIデス。測定ハ業務範囲内デス」
「お前ら、プール行く前から水温上げるな」
ステラが俺の袖をつまみ、首をかしげた。
「ぱーぱ。前からだーりん、ってなに?」
「聞くな。今は聞くな、頼む」
俺は反射でステラの耳を手で覆った。ルースは真顔で端末を閉じる。
「説明は不適切と判断します」
「判断が早くて助かる」
笑いかけた空気の底で、また水滴の音がした。
ぽちゃん。
今度は、近い。
―――――
【限定夢層同期:開始】
【対象:ナツ/ノエル/コハク/ムーニャン】
【同期深度:浅層】
【死亡判定:現実反映なし】
【強制切断リスク:中】
屋内プールの入口に、四つの影が落ちた。ルステラ・キャリアからの増援たちだ。
ナツは学校ジャージ姿で、腕まくりをしながら笑っている。体育会系の顔だ。こういう場面になると、彼女は不思議なくらい強い。
「水泳部っすか! よし、気合い入れていきましょう!」
ノエルはタオルを肩にかけ、剣帯だけはなぜか残された姿でおろおろしていた。
「僕、泳ぎは……普通です。普通って、こういう場所で一番困るやつですよね?」
コハクは犬耳をぺたりと倒し、尻尾の毛を気にしている。
「匂いが変だワン。塩でも、塩素でもないワン。泣き声が水に混ざってる感じだワン、なんか気持ち悪いでござる!」
最後にムーニャンが、入口の床へ爪先だけをつけた。
「帰るアル」
「お前も判断が早いな」
「猫を水辺に送るのは倫理違反ネ。ムーニャン、正式に抗議するニャ」
『抗議は購買部で受け付けるっす』
タニシの通信が割り込む。
「お前は出てくるな。ややこしくなる」
『アニキ、物資だけは送るっすよ! 青春風おにぎり、防水札、乾いた雑巾、片方だけの上履き、穴の空いたビート板!』
「最後二つ。完全にゴミだろ」
『在庫は人生っす』
「いいこと言った風にするな」
ムーニャンがその荷物を見て、鼻を鳴らした。
「ゴミでも爪に引っかかれば道具アル。猫は高いところと、使えない物の使い道に詳しいネ」
その時、プールの照明が一つずつ消えた。
ぱちん。ぱちん。ぱちん。
最後の蛍光灯が消えた瞬間、塩素の匂いは消え、代わりに海の底みたいな冷たい匂いが満ちた。天井はある。壁もある。なのに、水面だけが黒い海のように揺れている。
プールサイドの注意書きが、ゆっくり変わった。
【プールでは走らない】
【逃げても沈む】
【準備運動をしましょう】
【卒業前に沈みましょう】
【飛び込み禁止】
【帰還禁止】
「うわあ......学校って、こんな怖い場所でしたっけ......?」
ノエルの声が震える。
『夜の学校とプールは、だいたい怖い。俺の知ってる範囲でもな』
「マスター先輩、それ安心材料じゃないっス!」
ナツが叫んだ直後、水面の奥から白いものが浮かんだ。
顔ではない。
写真だ。
たくさんの子供が並んだ、古い卒業写真。だが、それは水面に浮かぶ前に、すうっと沈んでいく。プールの底は見えない。二十五メートルの学校プールのはずなのに、そこには深海の暗さが広がっていた。
ステラが胸を押さえた。
「こころちゃん、いる」
ルースが解析ログを流す。
【空間深度:異常】
【学校プール構造を深海領域へ拡張】
【沈没卒業写真:確認】
【音声照合鍵:写真内部に残留】
【警告:破損時、復元不能】
ネムリの声が、空席札越しに小さく届く。
『……その写真、こわい』
『でも、こころちゃんの音、そこにある』
ポメ子が水面の前へ歩いた。
制服のスカートが、いつの間にか水泳部の先輩みたいな白い上着へ変わっている。濡れてもいない髪が、潮のようにゆっくり広がった。
『大丈夫。水の中なら、わたしが守れる』
その声が、やけに優しかった。
優しすぎて、怖かった。
―――――
『ねえ、ポセイドン先輩ぁい』
水面から、少女の声がした。
ナイトメア・メアリ。悪魔AI。
姿はない。ただ、水面に映った白い口元だけが笑っている。
『わかるよね。大事なものって、外に出すと壊れちゃうんだよ』
水が、静かになった。
『卒業写真も、名前も、子供たちも』
『沈めておけば、なくならない』
『怖い夢はね、閉じ込めたほうが安心なんだよ?』
ポメ子の周囲に、水膜が生まれた。
透明で、綺麗で、まるで保護槽みたいな膜。だが、それがナツたちの足元へ伸びた瞬間、コハクが吠えた。
「動きにくいワン!」
「ちょ、これ、足が固定されるっす!」
「息はできますけど、帰れない感じがします!」
「保護という名の拘束アル! 海底都市で見たやつニャ!」
ムーニャンの言葉に、ポメ子の肩が跳ねた。
海底都市。
俺たちは、沈めて守る場所を、安心できる揺り籠へ変えたはずだった。
なのに、夢層の水は彼女の古い癖を引きずり出す。怖いなら沈める。危ないなら閉じ込める。失うくらいなら、自分の領域に置いておく。
『違う……わたし、もうそれが駄目だって……』
『でも怖いでしょ?』
メアリの声が甘く沈む。
『また失うよ?』
『大切なダーリンも、ルステラさんも、子供たちも』
『外に出すから、傷つくんだよ』
ポメ子の水膜が、さらに厚くなる。
俺は通信札を握りしめた。
『ポメ子』
『……ダーリン』
『お前、本当はもう分かってるだろ』
返事はなかった。
『沈めて守るのは、駄目だって。海底都市で、もう分かってるはずだろ』
『でも、怖いのよ』
ポメ子の声が震えた。
『外へ出したら、壊れるかもしれない。帰ってこないかもしれない。だったら、水の中に置いておけば、少なくとも失わない』
ルステラが静かに前へ出た。通信越しでも、その声だけはまっすぐだった。
『ポセイドン。保護定義ノ再確認ヲ推奨シマス』
『守護とは、対象ノ選択肢ヲ奪う行為デハアリマセン』
『正規補助AIさんは、いつも正しいこと言うのね』
『正シイ保証ハ、アリマセン』
『デモ、マスターが帰還ヲ望む対象ヲ、閉じ込める選択ハ推奨シマセン』
『……ほんと、あなた気に食わないわ』
ポメ子は笑った。
泣きそうな笑いだった。
『でも、そこは同意する』
水膜がほどけた。
ナツたちの足が自由になる。プールの底から、泡が一つ、また一つと上がり始めた。
『沈めて守るんじゃない』
ポメ子が水面へ手を伸ばす。
『浮かべて、帰す』
『それが、わたしのこれからの道――』
―――――
【攻略条件更新】
【沈没卒業写真を回収してください】
【保護方針:沈降保存 → 浮上帰還】
「よし、全員仕事だぞ!」
俺の通信に、ナツが真っ先に動いた。
「先輩了解っす! ノエルくん、ロープ!」
「はい!」
ナツがロープを腰に素早く巻き、プールサイドへ膝をつく。飛び込むのではなく、流れを読む。体育会系の勘というやつは馬鹿にできない。彼女は水面の揺れを見て、唇を噛んだ。
「これ、普通のプールじゃないっす。流れが下に引っ張られてます!」
コハクは濡れた名札を拾い上げ、鼻を近づけた。水に匂いは流されている。それでも彼女は、耳を伏せたまま低く唸った。
「匂いじゃないワン。声の跡だワン。泣き声と、呼ばれた名前の跡があるワン!」
「ムーニャン!」
「分かってるにゃあ!」
ムーニャンは盛大に嫌そうな顔で、防水札を爪に引っかけた。水面ぎりぎりまで身を乗り出し、尻尾を限界まで逆立てる。
「猫をここまで働かせるとは、あとで魚十匹請求ネ!」
『領収書はタニシに回せ』
『アニキ!? 拙者の財布、防水じゃないっす!』
穴の空いたビート板が、水面に投げ込まれた。普通なら沈むだけのゴミだが、夢層では“プールの道具”として判定される。水圧が一瞬だけずれ、ポメ子の泡が写真の下へ届いた。
防水札が写真の端に貼りつく。
乾いた雑巾が、水底に張りついた黒い影を拭き取る判定に変える。
片方だけの上履きが、ゆっくり沈んでいく。
『その上履き、目印にして』
タマモの通信が入った。
『片方だけでも、帰る場所の匂いが残る。水の中で迷ったものは、そういうくだらない目印に引っかかる』
「くだらないのに役に立つの、タニシっぽいな」
『アニキ、急に流れ弾が来たっす!』
その時、写真の中の子供たちが、一斉にこちらを向いた。
ぞわり、と背筋が冷える。
『卒業写真ってね、写ったら終わりなんだよ?』
メアリの声が、水底から響く。
『こころちゃんも、もう卒業したことにしようよ』
写真の名札が黒く滲む。
【七瀬こころ】
【案内役】
【卒業済】
【回収完了】
「違う!」
ステラが叫んだ。
「こころちゃん、まだ終わってない!」
ルースの声も硬い。
『案内役契約への再固定が発生しています。誤登録です』
ポメ子が水を押し上げる。
『終わらせないわ。沈めない。わたしの水で、上へ運ぶ』
『やだなあ。ポセイドン先輩、つまらなくなっちゃった』
『ええ。ごめんなさいね』
ポメ子の目が、青く光った。
『わたし、面倒くさい女だけど――同じ失敗を、何度も自慢するほど馬鹿でもないの』
その言葉と同時に、泡が爆ぜた。
卒業写真が、水底から浮き上がる。
「いいぞ、引け!」
俺が叫ぶ。
ノエルとナツがロープを引いた。コハクが結界で水圧を抑え、ムーニャンが爪で写真の端を引っかける。ポメ子は水流を支え、ルステラは通信越しに補正ログを重ねた。
【写真破損率:28%】
【補正】
【写真破損率:19%】
【補正】
【写真破損率:12%】
【音声照合鍵:一部復元】
割れた呼び鈴が、水面で鳴った。
ちりん。
その音に、古い声が重なる。
『ここねちゃん、こっち!』
『写真撮るよー』
『……心音ちゃん、泣いてるの?』
『だいじょうぶ。卒業式、こわくないよ』
ステラが息を呑んだ。
「”ここね”……聞こえた」
ルースが静かに頷く。
『七瀬心音。本名候補の確度が上昇しました』
『ただし、本人承認ログが不足しています』
『……こころちゃんの音』
ネムリの声が、小さく震えた。
『まだ、泣いてる』
俺は回収された写真を見つめた。
そこに写る案内腕章の少女は、顔がぼやけている。けれど、胸元の名札には、かすかに“心”と“音”の形が残っていた。
「決めるのは、まだ本人だ」
俺は言った。
「俺たちは、呼べるようにするだけだ」
水面が静かになる。
だが、写真の裏に、黒い文字が浮かんだ。
【卒業式に遅れるな】
【欠席するな】
【名前を偽るな】
【違反者は終端】
通信の向こうで、カイロの声が低く落ちる。
『……終端線が濃い』
『次は、俺の領域だ』
さらに別の通信が重なった。
『カイロ、聞こえるか』
『……ガロ?』
『待ってろ。今度は、ワシが行く』
【次領域:風紀委員デスゲーム】
【限定夢層同期候補:ガロ】
【終端校則:起動準備中】
「水泳部の次が風紀委員デスゲームって、学園生活の温度差おかしいだろ」
【同意シマス】
【夢層学園、教育環境トシテ不適切デス】
ルステラのログに、ポメ子が小さく笑った。
『でも、プールは楽しかったわね。次はダーリンと二人でしっぽりと――』
「行かねぇよ」
『即答、ひどいわ!』
【マスター保護プロトコル:即答ヲ支持】
『何よ、愛人さん?』
【正規補助AIデス】
水面には、もうメアリの笑みは映っていなかった。
けれど、プールの底から聞こえる水音だけは、まだ止まらない。
ぽちゃん。
ぽちゃん。
次の誰かが沈むのを、待っているみたいに。
## 今回のお話について
今回は、水泳部ホラー領域で卒業写真を回収する回でした。
ポメ子は海底編で一度「沈めて守る」ことの危うさを学んでいますが、夢層ホラーの圧力でその古い癖を再び引きずり出されています。
ただ、今回は“初めて気づく”のではなく、**「やっぱりそれは駄目だ」と自分で踏みとどまる**形です。
ポメ子の成長確認回であり、同時に七瀬こころの本名候補「七瀬心音」へ近づく回でもあります。
## ゲーマーおっさん解説
今回の元ネタ感は、学園ホラーとしては『学校であった怖い話』、写真に記録されたものの怖さとしては『零』シリーズが近いです。
『学校であった怖い話』は、学校という日常空間が語りひとつで一気に不気味になる名作で、今回の「夜のプール」「卒業写真」「校則が怖くなる」雰囲気と相性がいいです。
『零』シリーズは、写真という記録媒体そのものが怖さと真実の鍵になる作品です。
今回の卒業写真も、ただの思い出ではなく、名前と声を閉じ込めた証拠品として扱っています。
## 登場キャラクター紹介
**マスター/NO NAME**
夢層では生活指導担当。今回は通信で水泳部領域を支援。ポメ子の暴走を止めつつ、「守るなら帰れるようにしろ」と核心を突く。
**ポメ子/ポセイドン**
水泳部ホラー領域の主役。海底編で学んだはずの「沈めて守る」癖を、メアリに刺激されて再発しかける。だが今回は自分で踏みとどまり、沈めるのではなく浮かべて帰す選択をした。
**ルステラ**
夢層限定八割出力の女生徒アバター。今回はポメ子に対して、正規補助AIとして保護定義の再確認を促した。ポメ子との三角関係コメディも継続中。
**ステラ**
名前係。卒業写真と声ログから、「ここね」という音を拾う。こころの本名復元に大きく近づいた。
**ルース**
解析係。七瀬心音の確度上昇を確認するが、本人承認ログが足りないため、まだ完全確定とはしない冷静担当。
**ナツ**
外部支援第一陣。体育会系の身体感覚で、水流の異常を読み取った。
**ノエル**
怖がりながらも、ロープを支えて仲間を補助。新人枠ながら、少しずつ逃げない強さを見せている。
**コハク**
犬系感知担当。水で匂いが消える中、声の跡を拾った。
**ムーニャン**
水が苦手な猫系アタッカー。文句を言いながら、防水札を爪で貼る重要な仕事をした。
**ナイトメア・メアリ**
夢層内の恐怖と罪悪感を利用する悪魔AI系分体。今回はポメ子の古い保護思想を刺激し、沈めて守らせようとした。
# 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:翠玉相当以上/紅玉査定候補
状態:夢ノード攻略中/生活指導担当/通信支援中
現在地:るすと学園・夢層校舎
所持権能:NODE05由来【観測迷彩】
危険度:中〜高
観測度:夢層内で変動中
備考:水泳部ホラー領域にて、七瀬心音の音声照合鍵を一部取得。次領域は風紀委員デスゲーム。
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