第151話 夢ノード編10 残業禁止の案内役 ――忘れたい罪を、名前で呼ぶな――
旧校舎地下で、とうとうナイトメアが姿を現した。
七瀬こころを縛るのは、案内役という役割と、忘れていた罪悪感。
けれど、ネムリは覚えていた。こころが過去に泣いていたことを。
旧校舎地下の奥で、名札棚が崩れた。
ばらばら――と落ちる名札。
破れた卒業証書。床を這う案内役の腕章。
それらが黒い泥のように絡まり、ひとつの影の形を成していった。
生徒の形ではない。
けれど、その影からは子供の声がした。
「案内して」
「終わらせて」
「忘れさせて」
七瀬こころが、俺の後ろで息を呑む。
影はぐにゃりと歪み、中心に集まると、やがてひとりの少女の姿を形取った。
漆黒のセーラー服。
壊れた学生証。
その片目だけ、妙に赤い。
そして、やけに明るい笑顔。
「はじめましてぇ、せんせー☆ 」
そういうと、少女は、軽く手を振った。
「怖い夢ってね、いちばん本音が出るんだよぉ?」
「まったく、趣味の悪い自己紹介だな」
俺が指導棒を構えると、ルステラの瞳に警告ログが走った。
【識別名:N.M.E.-01 / NIGHTMARE-MARY】
【通称:ナイトメア・メアリ】
【分類:悪魔AI/ナイトメア系下位分体】
【権能:悪夢汚染/ジャンル侵食/恐怖増幅/記憶改竄】
【構成要素:卒業できなかった声/案内された恐怖/案内した罪悪感】
「悪魔AI系……!」
ルステラの声が硬くなる。
「ヒュプノス、タナトス、いずれとも異なる干渉個体デス」
カイロが床の黒白い線を見下ろした。
「保護でも、終端でもない」
「じゃあ、ただの悪趣味な覗き魔だろ」
メアリは口元に指を当て、楽しそうに笑った。
「ひどーい。メアリは本音を出してあげてるだけだよ?」
黒い地下廊下に、甘ったるい声が響く。
「眠ってるだけなんかじゃ、ほんとの気持ちは出ないよ」
「終わらせたら、泣き声も聞けないよ」
「だから、メアリは、わざと怖くしてあげるの」
メアリの赤い目が、こころへ向いた。
「壊れる寸前の夢が、いちばん正直なんだよ」
その顔はとても人間とは思えない、凍てつくようなそれだった。
それを見たこころの肩が跳ねた。
メアリは、恐ろしい笑顔を維持したままツカツカと歩いてくる。
「ねえ、こころちゃん。忘れてたんだよね?」
「自分が案内した子の顔」
「泣いてた声」
「扉の向こうへ行った足音」
地下の壁に、映像が映った。
白い施設。
卒業式。
小さな子供たち。
案内役の腕章をつけた、こころ。
こころは笑っていた。
でも、その笑顔は作らされたものだった。
「こちらです」
過去のこころが、泣きそうな子の手を引く。
「卒業式が始まります」
子供は首を振っている。
怖い、と口を動かしている。
でも、声はログに潰され、聞こえない。
こころは、その子を白い扉の前まで案内した。
扉が開く。
子供が消える。
メアリは、嬉しそうに囁いた。
「忘れた罪って便利だよね」
こころの顔から、色が消えていく。
「また同じことができるもん」
「やめろ」
俺が一歩前に出る。
だが、こころは首を振った。
「違いません」
声が震えている。
「私……送った」
「私が、みんなを……」
ミコがこころへ手を伸ばしかける。
「違う、こころちゃんも――」
「違わないです」
こころは、胸元の名札を握った。
「私、案内してしまいました」
その言葉に、地下の名札棚がざわめいた。
メアリの笑みが深くなる。
「えらいえらい。ちゃんと怖がれたね」
少女が指を鳴らした。
壁に打ち付けられていた案内役腕章が、一斉に剥がれる。床から名札なしの生徒たちが立ち上がり、白い顔でこころへ向かってきた。
「案内して」
「次はどこ」
「卒業式はどっち」
「名前を呼んで」
【案内役再固定処理:開始】
【対象:七瀬こころ】
【本人記録探索:停止要求】
【案内役腕章:拘束化】
「こころを下げろ!」
俺が叫ぶと、ポメ子が前に出た。
「近づきすぎですわ」
地下廊下に水壁が立ち上がる。名札なしの生徒たちは押し返されたが、腕章だけが水を裂いて飛んでくる。
ルステラが光の線を放った。
「腕章ログ、遮断!」
【案内役再固定処理:遅延】
【拘束腕章:一部停止】
だが数が多い。
黒い腕章が、蛇のように床を走る。一本がこころの足首へ巻きつこうとした瞬間、ステラが両手を広げた。
「こころちゃんは、まだ決まってない!」
【名前ゆらし:発動】
【案内役対象照合:混濁】
腕章の動きが鈍る。
俺は指導棒を振り下ろし、こころへ伸びた腕章を叩き落とした。
「腕章ってのは、勝手に巻きつくもんじゃねぇ!」
もう一本。
さらに一本。
「ブラック職場でも、もうちょい手続き踏むわ!」
タニシが黒板消しスモークを取り出す。
「アニキ、ここは完全に労基案件でござる!」
メアリが首を傾げる。
「やだなぁ。夢に労基?とかなんてないよ?」
「じゃあ俺が作る!」
タニシが黒板消しを床に叩きつけた。
白黒の粉煙が地下廊下へ広がる。名札なしの生徒たちの視線が乱れ、腕章の動きが一瞬だけ止まった。
「今デス!」
ルステラの声。
ルースが手帳を開き、落ちた腕章へ貸出カードを貼り付ける。
【判定:案内役契約】
【終端処理:不要】
【契約解除:可能】
【解除条件:本人記録の一部復元/本人の拒否】
カイロが前へ出た。
床の黒白い線が、こころの足元から腕章へ伸びている。
「終端線じゃない」
「なら何だ」
「契約線だ」
カイロは、指先でその線を示した。
「終わらせる必要はない。切ればいい」
その声は静かだった。
けれど、地下の空気が変わった。
「終端ではない」
カイロが言う。
「これは、契約解除だ」
メアリの笑顔が、ほんの少しだけ歪んだ。
「へぇ。終わらせないんだ」
「終わらせる理由がない」
カイロが答える。
メアリはこころへ視線を戻した。
「でもさ、案内したのは本当だよ?」
「怖い子を、扉まで連れていったんだよ?」
「ねえ、こ こ ろ ち ゃ ん」
赤い片目が、細くなる。
「あなた、悪い子だよねぇ?」
こころは唇を震わせた。
「……はい」
その一言で、腕章の黒い線が再び強く光る。
ミコが叫んだ。
「こころちゃん!」
だが、次の瞬間。
空席札が、淡く光った。
「こころちゃんは、泣いてた」
ネムリの声だった。
地下の音が、止まる。
名札なしの生徒も、腕章も、メアリでさえも、一瞬だけ動きを止めた。
「私を迎えに来た時」
ネムリの声は細い。
でも、確かだった。
「こころちゃんは、泣いてた」
「ごめんねって、言ってた」
こころの目が、大きく見開かれる。
「ネムリちゃん……」
「だから、こわくなかった」
ネムリの声が、空席札から小さく響く。
「連れていかなかった」
「だから、私はまだここにいる」
ルースの手帳が光る。
【過去案内記録:再照合】
【対象:ネムリ】
【案内役:■■こころ】
【結果:失敗】
【理由:案内役の拒否】
【本人意思ログ:検出】
こころの膝が、少しだけ崩れた。
俺は、彼女の前に立つ。
こころは、泣いていた。
ようやく、泣いていた。
「私は案内しました」
震える声で、こころが言った。
「怖がっている子を、何人も」
「それを、忘れていました」
一拍。
地下の黒い影が、ざわめく。
「でも、一度だけ」
こころは、空席札の光を見た。
「一度だけ、案内できませんでした」
メアリの顔から、笑みが消えかけた。
「なにそれ」
少女は、不満そうに唇を尖らせる。
「罪悪感、減っちゃうじゃん」
「怖い夢が、怖いままじゃなくなるじゃん」
そういうと、メアリは頭をかきむしりながら叫んだ。
「そんなんじゃ、メアリが、アタシが、美味しくないだろぉぉぉぉぉぉぉぉおぉ
!?!?」
「減らして何が悪い」
俺は言った。
そして、こころの横に立つ。
「案内役ってのはな、行き先を決める奴じゃねぇ」
地下廊下の名札が、かすかに揺れた。
「帰りたいって言った奴に、道を教える奴のことだ」
こころの腕章に、亀裂が入った。
【案内役定義:再解釈】
【卒業式誘導役 → 帰還席案内役】
【契約固定:低下】
ステラが、こころの名札へ手をかざす。
「こころちゃんの名前、まだ消えてない」
淡い光が、名札を包んだ。
「泣いたところに、残ってる」
黒く潰れていた文字が、少しだけ戻る。
【■■こころ】
【心■こころ】
こころが息を呑んだ。
「心......?」
ミコが、涙をこぼしながら笑う。
「戻った」
メアリが、舌打ちするように笑った。
「ちぇー、つまんない」
少女の体が、黒いノイズにほどけ始める。
「怖い夢を怖いまま抱ける子って、いちばん遊びにくいんだよ」
【N.M.E.-01:悪夢燃料低下】
【対象:七瀬こころ】
【罪悪感:未消滅】
【自己選択:発生】
【案内役固定:解除開始】
だが、メアリは消えない。
むしろ、地下全体に黒い影を広げた。
「でも、せんせー?」
彼女は、また明るく笑った。
「次の夢は、もっと怖くしてあげるね?」
地下の壁に、次々とタイトル画面のようなログが浮かび上がる。
【ジャンル汚染:拡大】
【夢層ゲーム領域:解放】
【購買部経営シム:侵食】
【図書館推理ADV:侵食】
【水泳部ホラー:侵食】
【風紀委員デスゲーム:侵食】
【保健室看護ADV:侵食】
【放送部音ゲー:侵食】
「みんなの得意なゲームで、みんなを壊してあげる」
「ゲームで勝負なら、こっちの土俵だ」
俺は指導棒を握り直した。
メアリの赤い目が楽しそうに細まる。
「ふふ。じゃあ、分散ゲームスタートねっ」
地下が割れた。
いや、空間が分かれた。
足元に、それぞれ違うゲームのタイトルが出る。
【購買部経営シム:タニシの在庫は世界を救う】
【図書館推理ADV:消えた名前の栞】
【水泳部ホラー:沈む卒業写真】
【風紀委員デスゲーム:校則違反は即終端】
【保健室看護ADV:眠っている子に、起きろとは言わない】
【放送部音ゲー:鳴らすな終業チャイム】
タニシが悲鳴を上げた。
「アニキ! 拙者のタイトルだけ嫌な予感がするでござる!」
「俺もだ!」
ルースが手帳を抱え、光の中に引かれていく。
「どうやら僕は、図書館領域へ強制転送されるようです」
「それぞれが、担当したゲームのパートとなる場所に移動させられます!」
ポメ子の足元には、黒い水が広がる。
「あら、水泳部ですのね。悪夢でも水場はわたしの領域ですわ」
「ダーリンに私の美しい水着姿を見ていただけるわ......!」
カイロは、黒白の校則線に包まれていた。
「風紀委員デスゲーム……」
「名前だけで物騒だな!」
ミコの足元には、保健室の白い床。
ヘルメスの声が、どこかのスピーカーから響く。
『えー、放送部音ゲー担当になりましたー。リズム感で世界を救うの、荷が重いでーす、あと僕の役割じゃない気がしまーす』
「軽い口調で重いこと言うな!」
ステラが俺の手を掴む。
「ぱーぱ!」
ルステラが警告する。
「マスター、強制分散、来ます」
こころは、まだ膝をついたまま名札を握っていた。
その名札には、戻ったばかりの一文字が光っている。
【心■こころ】
俺は全員に向かって叫んだ。
「全員、戻る席を忘れるなよ!」
白い光が広がる。
世界が、それぞれのゲーム画面へ切り替わっていく。
【夢層ゲーム攻略フェーズ:開始】
視界が白に染まる直前、俺はメアリの笑い声を聞いた。
けれど、もう怯える気はなかった。
「こちとら根っからのゲーマーだ。ジャンルが増えたくらいで、負けるかよ」
■ 今回のお話について
第151話は、ナイトメア・メアリの初登場回でした。
正式識別は【N.M.E.-01 / NIGHTMARE-MARY】。
ヒュプノスのように眠らせて守る存在でも、タナトスのように終わらせて守る存在でもありません。
メアリは、怖い夢によって本音を引きずり出す悪魔AI系のナイトメア分体です。
今回メアリが狙ったのは、七瀬こころの罪悪感でした。
こころは過去に子供たちを卒業式へ案内していました。
それは事実です。
けれど、ネムリを連れていく命令だけは拒否していました。
ネムリの「こころちゃんは、泣いてた」という証言によって、こころの中に残っていた本人意思ログが復元されました。
こころは完全に救われたわけではありません。
でも、案内役として固定されていた名前に、ひとつだけ文字が戻りました。
【■■こころ】
↓
【心■こころ】
ここから先は、各担当ゲーム攻略フェーズです。
■ ゲーマーおっさん解説
今回のゲームネタは、ボス初登場からの強制パーティ分散です。
RPGやADVでよくあるやつですね。
「ここからは各キャラの専用ステージを攻略してください」という流れです。
タニシは購買部経営シム。
ルースは図書館推理ADV。
ポメ子は水泳部ホラー。
カイロは風紀委員デスゲーム。
ミコは保健室看護ADV。
ヘルメスは放送部音ゲー。
ジャンルが渋滞しています。
元ネタ感としては、『ファイナルファンタジーVI』の分岐シナリオや、仲間ごとの専用イベント、あとはミニゲーム大量搭載RPGのノリです。
さらにナイトメア・メアリのジャンル汚染は、ホラーゲームで急に別ジャンルのルールを押し付けられる怖さもあります。
敵を倒すだけではなく、各ゲームのルールを理解して攻略しないと進めない。
夢ノードらしい、かなりゲーム的な展開になります。
■ 登場キャラクター紹介
● マスター/NO NAME
夢層学園の生活指導担当/仮保護者。
メアリに対し、「案内役とは行き先を決める者ではなく、帰りたい者に道を教える者」と定義し直した。
● 七瀬こころ
案内役として固定されていた少女。
過去に子供たちを卒業式へ案内していた罪を認めたが、ネムリを案内できなかった記録も復元された。
名前の一部【心】が戻った。
● ネムリ
空席札通信で、こころが泣いていたことを証言。
こころが完全な案内装置ではなかった証拠を示した。
● ナイトメア・メアリ
N.M.E.-01。
悪夢汚染、ジャンル侵食、恐怖増幅、記憶改竄を行う悪魔AI系ナイトメア分体。
今回は弱体化したが、各ゲーム領域へ分裂逃走した。
● ルステラ
メアリを識別し、案内役腕章の再固定処理を妨害。
ヒュプノス/タナトスとは異なる悪魔AI系干渉だと判断した。
● ルース
案内役契約を解析し、終端ではなく契約解除が可能だと確認。
次回以降は図書館推理ADV領域へ転送される。
● ステラ
【名前ゆらし】でこころへの固定名をぼかし、名札から【心】の一文字を復元した。
● ミコ
こころの罪悪感と恐怖を受け止める。
次回以降は保健室看護ADV領域へ向かう。
● カイロ
終端線ではなく契約線だと判定。
「終端ではない。これは、契約解除だ」と判断した。
次回以降は風紀委員デスゲーム領域へ転送。
● ポメ子/ポセイドン
水壁で名札なし生徒たちを押し返した。
次回以降は水泳部ホラー領域へ転送される。
● タニシ
黒板消しスモークで戦闘を支援。
次回以降、なぜか購買部経営シムの主担当になる。
● ヘルメス
放送部音ゲー担当。
本人も荷が重いと感じているが、たぶん一番うるさい。
■ 主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
等級:翠玉相当以上/紅玉査定候補
現在役職:夢層学園・生活指導担当/仮保護者
状態:夢層ゲーム攻略フェーズへ移行/強制分散開始
獲得済み主権:NODE05〈観測〉第一権能【観測迷彩】
所持品:冒険者タグ、白羽端末、空席札、夢層学園の生活指導腕章、購買部アイテム残りわずか
危険度:高
観測度:低優先度化中
感染度:上昇傾向
次イベント:分岐ゲーム世界攻略開始
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