第83話 倫理ノード編05 おっさん、救済できない ――助けたいのに、本人だけがここが正しいと言ってきやがる件――
正しい場所ほど、見た目はきれいです。
でも、きれいな場所ほど、裏側にはえげつないものがあります。
今回は、助ける前に“理解してしまう”回です。
扉の向こうで、子供の声がしない――。
それが、この区画に入って最初に気づいた違和感だった。
年頃の子供たちが大勢いるのであれば、普通はもっとざわつくはずだ。
白い廊下。白い壁。白い灯り。床はやわらかく、足音さえ吸い込まれていく。
壁際には小さな椅子と絵本、木製の玩具まで揃っていた。ぱっと見れば、どこにでもある保護施設だ。少なくとも、この倫理都市の中ではそう見えた。
なのに、静かすぎる。
泣き声がない。
笑い声がない。
走る音も、喧嘩する声も、誰かが誰かを呼ぶ気配すらない。
子供がいる場所の静けさじゃなかった。
ナツが小さく舌打ちする。
「……ここ、嫌な意味でちゃんとしてるっす」
俺も同感だった。
棚の上には絵本がきっちり並び、床には積み木が崩れない形で置かれている。使われた形跡はある。だが、“遊び散らかした跡”だけが、どこにも残っていない。
まるで、子供がここで生きているんじゃなく、
“子供はここで適切に管理保管されています”と見せるためだけに整えられた場所みたいだった。
ステラが、ぎゅっと俺の袖を引く。
「ぱーぱ」
「ん?」
「ここ、いい子ばっかり。こわい」
「いい子ばっかり?」
「うん。しずかにしなきゃって音がする」
ルースは壁面に浮かぶ補助表示を読み取っていた。
「生活補助、情動安定、判断矯正。倫理層の管理濃度、高」
「そういう怖い説明を、さらっと言うなよ……」
通路の先、半透明の隔壁の向こうに、小さな影がいくつか見える。
座っている。眠っている。本を読んでいる。
なのに、誰ひとり騒いでいない。
ガロは何も言わない。
ただ、黙って前を向いていた。
やがて最奥の安定化区画へ辿り着いた時、その沈黙の理由が分かった。
――子供が、そこにいた。
白い寝台。白い毛布。
痩せてはいるが、傷は少ない。むしろ丁寧に扱われているのが分かる。
だからこそ、余計にきつい。
その子は、俺たちに気づくと、怯えるより先に困った顔をした。
「……だめだよ。ここ、夜は入っちゃいけない」
その一言で、ガロの足が止まる。
「……カイロ!」
「その名前、ここでは使っちゃだめ」
叱るでもなく、ただ本当に困った顔をしながら言う。
「記録に残るから。悪いことした人って、あとで怖いことがあるから」
ガロの喉が鳴る。それでも声は低く抑えたままだった。
「迎えに来た」
「だめだよ」
「だめじゃない」
「だめ。ここは、ちゃんとしてれば平気だから」
その答えは、洗脳みたいに平坦だった。
けれど目だけは平坦じゃない。何度もそう言い聞かせてきた目だ。
俺は一歩だけ前に出る。
「お前、ここが平気って、本気で言ってるのか」
「……外よりは」
返しが早すぎた。
「外は、おなか空くし、寝てる時に盗まれるし、悪いことしてなくても怒られる。ここは、ちゃんとしてれば怒られない。順番を守れば、ごはんも出るし、あったかい」
ガロの拳が、ぎし、と鳴った。
「それは保護じゃない」
「でも、生きてる」
カイロはガロを見る。
「おじさん、迎えに来るの遅いよ」
その一言で、場の空気が凍った。
ガロは何も言えなかった。
言えないまま、視線だけが落ちる。
ミーナが、小さく息を吐く。
「……ほらね」
ナツが振り返る。
「何がっすか」
「こういう場所に残る子を、責められないってこと」
ミーナは壁にもたれたまま、淡々と言った。
「外よりまし、で生き延びるしかなかったら、人は正しさに縋るしかない。ここは間違ってる。でも、外ならもっとすぐ死ぬ」
「だから諦めろって言ってるすか?」
「違うよ、ナツ。助けるって言葉を軽く使うなって言ってる」
ナツが言い返しかけたところで、ステラが強く俺の袖を引いた。
「ぱーぱ。この子、ここが好きなんじゃない」
「……ああ」
「きらいって言ったら、なくなるって思ってる」
ルースが続ける。
「神権ロジックの内面化。自己防衛のため、自分から従順を選んでいる状態です」
「難しい言い方すんな」
「簡単に言うと、“ここが正しいと思い込まないと壊れる”」
カイロの肩が、そこで初めてびくっと揺れた。
俺はしゃがんで、目線を合わせる。
「お前、ここが正しいと思いたいんだよな」
「……正しいよ」
「そう思わないと無理だったんだろ」
「ちがう」
「違わない」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
「外が怖かったからだ。捨てられるのが怖かった。取られるのも、見つからないまま消えるのも怖かった。だから、ルールを守ればなくならない場所を、“正しい”って呼ぶしかなかった」
カイロの唇が、小さく震える。
「ちが……」
「ここが安全だったんじゃない。お前は“捨てられない場所”が欲しかっただけだ」
沈黙。
カイロは泣かなかった。
でも、次の言葉が出てこない。
ステラが胸を押さえて呟く。
「……わかった」
ルースの瞳が淡く光る。
「条件接近。背景理解、到達」
視界の端でHUDが開いた。
《GOD RELEASE AUTHORITY:STANDBY》
《条件③:対象背景理解 達成》
《発動待機》
来た。
でも、まだ早い。
ここで剥がしたら、この子の足場ごと壊れる。そう直感で分かった。
パチパチパチパチ――。
その瞬間、拍手が鳴った。
乾いた、綺麗すぎる拍手だった。
「素敵ねぇ~」
白い回廊の奥から、ジャクラ・ミコトが現れる。
白いキャバ嬢ドレスみたいな法務官衣装。胸元も脚も開いているのに、いやらしさより恐怖が勝つ。美しいが、それは手を触れてはいけない、怖すぎる美しさだった。
その横で、ロキが満面の邪悪な笑みで、にこやかに手を振る。
「はーい◇ 感動の再会タイム、おしまいでーす◇」
ナツが舌打ちする。
ガロは前へ出る。
俺はカイロの前へかばうように半歩ずれる。
ジャクラはそれを見て、心底楽しそうに笑った。
「いい顔をするようになったじゃない。やっと“その子”を見たのね」
「……見世物にしやがって」
「ええ。だってここは、そういう都市だもの」
彼女は首を傾げる。
「でも困るのよね。理解してしまった人は、その先の責任も持たないと」
「何が言いたい」
「助けるなら、ここよりましな明日を出してごらんなさいってこと」
ロキがくるりと回る。
「◇無許可感情介入を確認。第三保護層、封鎖しまぁす◇」
天井の光が赤へ変わる。
扉が順番に閉まっていく。
カイロが初めて、本当に怯えた顔をした。
「……やだ」
小さな声だった。
でも今度は、“いい子の声”じゃなかった。
俺は通路の赤い光を睨みながら、歯を食いしばる。
理解しただけじゃ足りない。
ここから先は、責任の話になる。
ジャクラが微笑む。
「では次は、あなたがその理解に何を払えるか、見せてもらいましょう」
警報が鳴る。
保護区画が、裁定場の続きへ変わっていく。
俺はカイロを見た。
この子は、ここしか正しいと言えなかった。
なら、その言葉ごとひっくり返すしかない。
――次は、逃がす。
■今回の登場キャラクター
・マスター
見つけた以上、知らないふりができないおっさん。今回は“助ける前に理解してしまう”側へ踏み込みました。
・ガロ
探していた子供を目の前にして、初めて言葉を失ったドワーフ。遅かったという一言が一番刺さる人。
・カイロ
保護区画にいる子供。従っているというより、“ここを正しいと思わないと壊れる”場所にいる子です。
・ミーナ
生き残るための正しさを知ってしまった側。冷たいのではなく、現実を知っているからこそ止める役。
・ルース/ステラ
解析と感情の双子。今回でGRA条件③「対象の背景理解」が到達しました。
・ジャクラ
相変わらず楽しそうな倫理都市の管理者。人の壊れ方に、美しさを見出す最悪の女。
・ロキ
現場進行と煽り担当。軽いのに空気だけは最悪にしてくるMC。
■今回の話について
今回は、救出回ではなく“救出の資格がようやく生まれる回”でした。
カイロは洗脳されているだけではなく、ちゃんと経験から「ここが外よりまし」と判断しています。
だから厄介ですし、だから痛い。
この章でやりたいのは、悪を倒す爽快感よりも、正しさに慣れてしまった人間をどう救うのか、という嫌な問いです。
マスターは今回、初めて“この子がなぜここへ従っているのか”を理解しました。
でも理解しただけでは足りない。
その先の責任を、次回払うことになります。
■ゲーマーおっさん解説!
今回は、おっさん的には『ICO』をちょっと思い出す回でした。
静かな施設、逃がしたい相手、でも相手自身がまだこちらへ完全には来てくれない感じ。
あと潜入の空気はやっぱり『メタルギア』っぽいんですが、こっちは段ボールでごまかせる優しさがないんですよね。
“助ける相手が、今いる檻を安全だと思い込んでる”というのは、ゲームでも物語でもかなりしんどいタイプの救出で、今回はそこを正面からやってみました。
■主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
現在地:第三保護層
等級:鋼鉄
状態:裁定疲労/軽度頭痛/短時間ループ後の記憶ノイズ
補足:GRA条件③「対象背景理解」達成、発動待機
■所持アイテム・装備
・冒険者タグ
・基本戦闘装備一式
・第三保護層通行札
・簡易補給物資
・《ルステラ・キャリア》支援装備
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