第82話 倫理ノード編04 おっさん、探しものの名前を見つける ――ドワーフが黙る時だけ、だいたい最悪な件――
白い街は、今日も正しい顔しかしていませんでした。
でも、そんな場所ほど、名前が消える音は静かに、ゆっくりと。
今回は、救う前の話――見つけてしまった側の夜です。
結局、俺たちは“通された”。
いや、正確には違う。
ジャクラが見飽きるまで何度か殺されて、そのうえで「今夜はここまででいい」と判断されただけだ。
ロキの読み上げた結果は、一時滞在許可。
観察継続。監視付き。上位区画への無断接触禁止。
要するに、自由ではない。まだ裁定台の延長線上にいるまま、外縁区画へ捨て戻されたようなものだった。
それでも、一応無事に夜を迎えられた。
だから俺たちは今、《ルステラ・キャリア》の薄暗い荷台で、次に死ぬ前提みたいな作戦会議をしている。――憂鬱だが、やるしかない。
ジャクラが最後に残した、
――次は、家族のお話をしましょう。
その声だけが、まだ耳の奥に残っていた。
倫理都市の夜は、妙に音が少ない。
風が吹いても、布が鳴らない。人が歩いても、咳払いひとつ聞こえない。白い石畳、白い壁、白い灯り。全部が整いすぎていて、街というより、誰かが「街らしく」配置した模型みたいだった。
その外縁、荷捌き通りの影に、《ルステラ・キャリア》は息を潜めている。
灯りは最低限。荷台の簡易カウンターには、酒の代わりに地図と紙束、冷めかけた茶のカップが並んでいた。
俺は、その紙束の一枚を、何度も見直していた。
昼間、裁定会場の裏で盗み見た保護記録。
急いで写したから字は雑だ。だが、一番下の一行だけは、妙にくっきり見える。
《KAIRO》
たったそれだけだった。
名前。
いや、管理名かもしれない。
出生名ですらない、隠すための仮名かもしれない。
それでも、その紙は重かった。
「まだ見てるんスか?」
ナツが、湯気の立つカップを差し出してきた。
中身は薬草茶。うまいとは言い難いが、今は胃に入るだけありがたい。
「見てる。っていうか、見直してる」
「見直したところで、その字が急に変化したりしませんって」
「知ってる......」
知っている。
知っているけど、目を離すと、この名前までどこかへ飛んでいきそうだった。
荷台の縁に腰掛けたルースが、静かな声で言う。
「現時点では、出生名との一致は不明。ですが、対象特定の精度は上昇中です」
「つまり?」
「“探していた子供”である可能性が高い、ということです」
言い切るには、まだ足りない。
でも、足りなさごと胸に刺さるには十分だった。
その時、荷台の外で足音が止まる。
軽くない。迷いもない。疲れているくせに、一歩も鈍らない足取りだった。
暖簾が揺れ、ガロが入ってくる。
砂と夜気をまとったままの、ひどく疲れた顔だった。
それでも、目だけは酒場で見る古株の目じゃない。荒野で何かを追っている時の、低く、沈んだ獣の目をしていた。
「来るの早すぎるでござらんか……?」
タニシが素で引いていた。
「るすと本店にビーコン中継が通ってから、まだ半日でござるよ?」
「寝てないっすね、これ」
ナツも眉をひそめる。
カケルが帽子の鍔を上げ、短く言った。
「……飛ばしてきたな、ガロさん」
ガロは返事をしない。
ただ、俺の前まで来て、低く言う。
「見せろ」
紙を渡す。
ごつい指が、その一行で止まった。
《KAIRO》
そのまま、ぴたりと動かなくなる。
……ああ。
これだ。
普段から無口なやつが、本当に言葉を失うと、周りの空気ごと止まる。
ステラが小さく首を傾げる。
ナツが口を閉じる。
タニシまで、余計なことを言わない。
俺は、少しだけ声を落として訊いた。
「知ってる名前なのか」
ガロは、すぐには答えなかった。
喉の奥で何かを噛み殺すみたいに、一度だけ息を吐く。
それから、ようやく言葉を落とした。
「……あいつが、つけた仮の名じゃ」
「仮の、って」
「表の申請名でも、出生名でもない。回収から隠すための呼び名じゃよ」
「……あいつって」
「儂が、昔……傍におった男じゃ」
そこで、ガロの声が一度切れた。
「温い場所で生きろ、という……願掛けみたいな名だった。少なくとも、儂はそう聞いた」
紙を持つ手に、わずかに力が入る。
「その名を、儂は……もう二度と見んと思っとった」
誰もすぐには喋れなかった。
ただの管理名ではない。
偶然で済ませるには、あまりにもできすぎていた。
ルースが補足する。
「照合精度、さらに上昇。対象は、ガロの関係者が保護していた子供と見てほぼ間違いありません」
「“ほぼ”ってのが気持ち悪いな」
カケルが言う。
「この街らしいけどよ」
その時、荷台の奥から乾いた声が飛んだ。
「で、見つかったから何?」
ミーナだった。
白い街に入ってからずっと顔色が悪かったくせに、目だけは妙に冴えている。
膝を抱えるみたいに座ったまま、こっちを見ずに続けた。
「見つかった。よかった。じゃあ助けよう――って、そういう話にするの?」
「そういう話ッスよ」
ナツが即座に返す。
「ここで止まってどうするんすか」
「どうするもこうするもないよ」
ミーナの声は、冷たいというより、疲れきっていた。
「この街の保護区画にいる子供は、“外よりは今日死なない”」
「だが――自由はない」
俺が返す。
「でも食べられる。寝られる。すぐに獣に食われたり、野垂れ死にしたりはしない」
「削られる」
「外でも削られるよ――!」
普段静かなミーナの、その返しが、妙に重く感じられた。
「ここから連れ出した瞬間、その子は保護個体から逃亡個体に変わる。追跡対象になる。同行者もまとめて記録される。今日まで見てきたでしょ。ここは“正しい街”じゃない。“逃げたら悪になる街”なの」
カケルが指先でコインを弾いた。
乾いた音が、荷台の床を転がる。
「……ミーナの言ってること自体は、間違っちゃいねぇ」
「カケルさんまでッスか?」
「現実の話だよ、ナッちゃん」
カケルは肩を竦めた。
「胴元がルール握ってる卓で、勝手に席を立つ奴はな。たいてい“損切り要員”って処理される」
「例えが最低っす」
「そもそも最低の都市だろ、ここはさ」
ミーナが小さく笑った。
勝った笑いじゃない。負け慣れた人間の笑いだった。
「助けるって言葉は、連れ出した後まで責任持てる人だけが使って」
「持つよ」
俺は即答していた。
ミーナが、そこで初めて俺を見た。
「口ではね」
「口だけじゃない。だから今ここにいる」
「違う」
ミーナは首を振る。
「……あんたは、拾う側の人だよ。拾えるものを拾い続ける人。でも私は、置いていく側の理屈を先に知っちゃった」
「それで慣れたのか」
「慣れないよ」
即答だった。
「慣れないまま、切るしかない時があるって知ってるだけ」
その言葉が刺さる。
正しいからじゃない。正しすぎて、嫌になるからだ。
全部は救えない。
そんなこと、とっくに知っている。
知っていてなお、目の前に名前が落ちた以上、知らないふりができないだけだ。
その時、ガロが静かに顔を上げた。
「ミーナ」
「なに」
「おぬしの言うことは正しい」
ミーナが黙る。
ガロは紙を折りたたみ、拳の中へしまった。
「じゃがな。儂は、正しさで探しておったわけではない」
「……」
「間に合わんでも、行かん理由にはならん」
大声じゃなかった。
決意表明みたいな格好良さも、ない。
ただ、擦り切れた声の奥に、折れない芯だけがあった。
「儂は、あの子を迎えに行く」
ステラが、小さく息を呑む。
ルースは何も言わず、解析窓を一段だけ展開した。
ミーナはしばらくガロを見ていたが、やがて視線を落とした。
「……じゃあ、せめて失敗の仕方くらい選んで」
「どういう意味っすか」
ナツが問う。
「派手に壊すなってこと」
ミーナは短く言った。
「子供は、音に怯えるから」
それだけだった。
拒絶じゃない。許可でもない。
彼女なりの“生き残る倫理”で、ぎりぎり言える線を出したのだと分かった。
その直後。
外から、控えめなノックが三回。
全員が反応するより早く、暖簾の隙間から白い封筒が滑り込んだ。
ナツが立ち、俺が拾い、カケルが灯りの角度を変える。
中に入っていたのは、薄い通行札が二枚。
そして、たった一行だけだった。
《第三保護層 北回廊 今夜二刻 監査目なし》
差出人の名はない。
だが紙からは、あの乾いた香りがした。無駄のない筆致。記録官補佐の癖。
「……エレシアさんスか」
ナツが呟く。
ルースが即座に照合する。
「筆圧、字形、傾き。一致率高。発信者はエレシア・ヴァンリーフの可能性が高いです」
「可能性、じゃなくて、ほぼ本人だろうな」
カケルが封筒をひっくり返して笑う。
「優しいんじゃなく、揺らいでる手だ」
ステラが、こくんと頷いた。
「このひと、子供のことになると、ちょっとだけ、ちがう」
「聞こえるのか?」
「うん。ちょっとだけだよ?」
ステラは胸のあたりを押さえた。
「がまんしてる音がする」
俺は通行札を見下ろした。
見逃してくれる、わけじゃない。
“今夜しかない”と教えているだけだ。
善意ではなく、猶予。
それでも十分すぎるほど重い。
ルースの解析窓が、ぱっと開く。
『対象候補:KAIRO
現在層位:第三保護層
状態:安定化処置中
補足:夜明け前、再移送予定』
「再移送?」
俺が眉をひそめる。
ルースは解析窓を操作し、さらにHUD表示を深いレイヤーにした。
『行先断片、取得。
第四戦域補助育成区画――旧戦場接続ログあり』
荷台の空気が、また一段冷えた。
「……は?」
ナツが素で固まる。
「戦場って、戦う方の戦場っすよね」
「字面通りならな」
カケルが低く言う。
「倫理都市で仕分けて、使える個体を次へ送る。綺麗につながったじゃねぇか。胸糞悪いけど」
「守るための街、じゃなかったの……?」
タニシの声が、珍しく軽口抜きで揺れる。
ミーナが壁際で目を閉じた。
「だから言ったでしょ。ここは“守る街”じゃない。“壊れ方を整える街”なんだよ」
ステラが、俺の袖をそっと掴んだ。
「ぱーぱ」
「ん」
「この子、まだこわいまま、いい子してる」
「……聞こえるのか」
「うん」
ステラは、少しだけ眉を寄せる。
「ここが正しいって、言い聞かせてる。そうしないと、こわれるから」
その言葉を受けて、ルースが補足する。
「GRA発動条件③、“対象の背景理解”に接近。ですが、まだ不足」
「つまり?」
「助けるだけなら可能かもしれない。でも、神権解放権利として“剥がす”には、まだ足りません」
「子供の話を聞けってことか」
「そういうことですね」
ジャクラの笑顔が、脳裏をよぎる。
――次は、家族のお話をしましょう。
最初から、ここへ誘導していたのだ。
俺たちが名前を見つけ、怒り、走り、そこから先の選別場まで踏み込むように。
「……今夜、保護区画に入る」
俺は言った。
「目的は二つ。カイロを確認すること。できれば連れ出すこと。無理でも、次に繋がる話を聞くこと」
「次って、旧戦場っすか」
ナツが訊く。
「たぶん、そこまで込みだ」
「胸糞の二段構えでござるな……」
タニシが青い顔で言ったあと、珍しくまっすぐ顔を上げた。
「でも、行くでござるよな」
「行く」
「なら拙者も行くでござる」
「珍しいじゃねえか、お前がやる気出すなんて」
「せ、拙者も誰かのために、役に立ちたいですからな!えへん」
カケルが立ち上がり、帽子を少しだけ持ち上げる。
「よし。じゃあ今夜は、この街の“優しさの裏口”にベットするぜ」
「言い方は最悪っすけど、たぶん合ってるっす」
「最高の褒め言葉だな」
ガロは、折った紙をもう一度見た。
《KAIRO》の名は、拳の中で皺になっている。
それでも、今はまだ消えていない。
都市の外では風が鳴っていた。
白い街の底、保護区画のさらに先。
そこから、別の音が混じり始めている気がした。
金属音。
乾いた爆ぜる音。
神権が、戦争を忘れていない場所の残響。
倫理の次は、戦闘。
この街の正しさは、結局そこへ流れている。
俺は通行札を握り直した。
今夜、子供を迎えに行く。
そして、たぶんその先で――旧戦場の入口を知る。
白い街の夜は、相変わらず静かだった。
でも今はもう、その静けさが優しさじゃないと知っている。
だから俺たちは、音を立てないように、救いに行く。
■今回の登場キャラ
・マスター(NO NAME)
《るすと》のマスター。見つけてしまった名前を、見なかったことにできない人。
・ガロ
ドワーフの古株。探していた子供の仮名を見つけ、迎えに行くと決めた。
・ミーナ
“生き残る倫理”を知ってしまった側。助けることの重さを、一番冷たく、でも正しく突きつける役。
・カケル・テンドー
メカニック兼ギャンブラー。こういう最悪な局面ほど、妙に言葉が冴える。
・ナツ
率直に前へ出る実動担当。迷っても止まらないのが強み。
・タニシ
ビビるし空回るけど、こういう時はちゃんと着いてくる弟分。
・ルース
解析担当。感情を切り分ける役だが、切り分けた先の重さも少しずつ理解し始めている。
・ステラ
感情共鳴担当。子供の“いい子でいようとして壊れそうな音”を先に拾う。
・エレシア・ヴァンリーフ
倫理都市の記録官補佐。今回、名乗らずに通行札を流した揺らぎ側。
■今回の話のポイント
今回は「助ける」ではなく、「見つけてしまった」回でした。
名前が分かると、一気に他人ではなくなる。
でも、名前が分かったからといって、すぐ助けられるわけではない。
むしろ、そこから先の責任や、失敗した時の重さのほうが増してしまう。
ミーナはその現実を知っているから止めるし、ガロはそれでも行く。
どちらも間違っていません。
この章でやりたいのは、まさにその“どっちも正しいのに苦しい”場所です。
そして最後に、カイロの再移送先として旧戦場の気配が見えました。
倫理都市は、この街だけで完結していない。
“守るための選別”が、次の“使うための戦場”へ繋がっているのが、この世界の嫌なところです。
■主人公の現在のステータス
名前:NO NAME
通称:マスター
現在地:倫理都市外縁/《ルステラ・キャリア》
等級:白磁相当
状態:裁定疲労/軽度頭痛/短時間ループ後の記憶ノイズ
同行:ガロ、ミーナ、カケル、ナツ、タニシ、ルース、ステラ
■所持アイテム・装備
・冒険者タグ
・基本戦闘装備一式
・記録紙(KAIRO表記あり)
・第三保護層通行札×2
・簡易補給物資
・《ルステラ・キャリア》内簡易支援設備
■ゲーマーおっさん解説!
今回はちょっと『メタルギア』味を混ぜています。
正面から殴り込むより、「見つからずに入る」「入ったあとにどう出るか」のほうが大事な回でした。施設潜入って、ゲームだとついワクワクするんですが、物語でやると“見つかったら終わる相手が子供”なので、急に笑えなくなるんですよね。
おっさん世代としては、段ボールで済む世界のありがたみを、こういう回ほどしみじみ感じます。
次回は、第三保護層です。
静かな場所ほど、たぶん一番ろくでもない。
少しでも楽しんでいただけたら、ブックマーク登録・評価・コメント・レビューで応援いただけると励みになります!




