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二人で世界に、立ち向かっていく。  作者: さんけい


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第9話 二人で世界に立ち向かう

 エリンは書状を書き終えると、すぐに二人の使者を呼んだ。

 一人はマレートのもとへ。もう一人は北の町へ向かわせる。


「北の町には、できる限り早く知らせて。町の守備隊長と、妹にも直接伝えてほしいの」

「承知いたしました」


 使者たちが出発すると、エリンは地図を広げ直した。

 敵が本当に北の町を狙っているのなら、こちらにはあまり時間がない。

 隣国の反乱軍は、北の砦に兵を向けてマレートを引きつけ、さらに南の谷から本隊を侵入させた。

 その間に、別の部隊を北の町へ向かわせているのだとしたら。

 あの町には避難民が集まっている。

 食糧も物資も、領内のあちこちから運び込まれていた。

 そこを押さえられれば、ローバー領は大きな打撃を受ける。

 エリンは敵の指揮官について、記憶の中に残っている知識を思い返した。

 人の心理を利用することに長けた男だった。

 相手が守らなければならないものを見つければ、そこを狙う。

 それが、彼のやり方だったはずだ。

 だが、これはあくまで記憶にある情報である。今の敵が、必ずその通りに動くとは限らない。

 エリンは地図の上で、北の町へ通じる道を一つずつ確認した。

 そして、家令を呼んだ。


「北の町へ運ぶ食糧は、いったん止めて。今あるものだけで何日持つか、確認してちょうだい」

「輸送を止めるのでございますか?」

「ええ。敵に荷馬車を奪われたら困るもの。それから、町へ入る道を守るための兵を集めたいの」

「屋敷の守備兵も、かなり少なくなっておりますが」

「分かっているわ。だから、無理に戦わせるつもりはないの。ただ、町の人たちが逃げる時間を作りたいのよ」


 家令は少し考え、それからうなずいた。


「でしたら、北の町の住民にも協力を求めましょう。あちらには腕のよい職人も多うございます」

「そうね。荷車や木材で道を塞ぐこともできるわ」


 十年間、領地を治めてきた。

 その間に、マレートと一緒に橋を直し、道を整備し、村々を訪ねてきた。

 どこに何があるか、誰に何を頼めるか。

 それなら、エリンにも分かる。

 夫ほど戦が上手でなくても、自分にできることはあるのだ。


 *


 翌日、エリンは護衛を連れて北の町へ向かった。

 町へ近づくにつれ、街道は避難民と荷馬車で混み合っていた。

 南の村々から逃げてきた人々が、教会や集会所に身を寄せている。

 エリンが到着すると、町の守備隊長が駆け寄ってきた。


「奥様、お知らせをいただき、準備を進めております」

「ありがとう。敵の動きは?」

「まだ確認できておりません。ただ、西の丘を越える古い道に、斥候を出しました」

「そう。あちらから来る可能性があると思うの」


 守備隊長はうなずいた。


「町の西側には、荷車を並べて防御を固めております。住民たちも手伝ってくれました」


 エリンは町の入口を見た。

 荷馬車が何台も横付けされ、木材や樽が積み重ねられている。

 その向こうでは、男たちが土嚢を運んでいた。

 女たちも水や食糧を用意し、避難民の世話をしている。

 誰もが忙しく働いていた。


「皆、よく動いてくれているのね」

「旦那様のおかげですよ」


 守備隊長は笑った。


「以前から、いざという時の備えを教えていただいておりました。まさか本当に使うことになるとは思いませんでしたが」


 エリンも少し笑った。

 あの人は、こんなところにも自分の仕事を残していたのだ。


 *


 妹と子供たちは、町の教会にいた。

 エリンが顔を見せると、娘と息子が飛びついてきた。


「かあさま!」

「まあまあ、二人とも。元気だった?」


 エリンは子供たちを抱きしめた。

 娘は母親の腰に下げられた剣を見て、目を丸くした。


「かあさまも戦うの?」

「私は、皆を守るためのお手伝いよ」

「とうさまみたいに?」

「とうさまほど上手にはできないけれどね」


 そう答えると、息子が得意そうに言った。


「ぼく、つよくなったら、かあさまをまもってあげる!」

「まあ、ありがとう。でも、今はおば様の言うことを聞いてくれるのが、一番のお手伝いよ」


 息子は少し考えてから、大きくうなずいた。

 エリンは妹を呼び、町の北側へ避難する準備を頼んだ。

 もし敵が町へ迫ったら、子供たちを連れてさらに北へ逃げてもらう。

 そのための馬車も用意してあった。


「姉様は?」

「私はもう少し、ここに残るわ」

「……本当に、無茶をしないでね」


 妹はエリンの右手に巻かれた布を見ていた。

 先日の戦いで痛めた手首は、まだ少し腫れている。


「分かっているわ。私だって、早く帰りたいもの」


 エリンが笑うと、妹はようやくうなずいた。

 子供たちにもう一度口づけをし、教会を出る。

 外へ出たところで、遠くから鐘の音が聞こえてきた。

 警戒を知らせる鐘だった。


 *


 敵が現れたのは、昼を少し過ぎた頃だった。

 西の丘を越えた騎兵たちが、町へ向かって進んできたのである。

 その数は、百を超えていた。

 町の守備隊だけでは、とても正面から戦える相手ではなかった。


「奥様、どうなさいますか!」


 守備隊長が駆け寄ってきた。

 エリンは西の入口を見た。

 荷馬車で道を塞ぎ、その後ろには弓兵たちが配置されている。

 しかし、敵が本格的に攻めてくれば、いつまでも持ちこたえられるとは思えない。


「避難を始めて。子供と老人から先に、北の道へ向かわせてちょうだい」

「承知いたしました」

「それから、守備隊の人たちには、決して無理をしないように伝えて。町を守ることより、皆が逃げる時間を稼ぐことが大切なの」


 守備隊長はうなずき、兵士たちのもとへ走っていった。

 エリンは教会へ向かう道を振り返った。

 そこには、すでに避難を始めた人々の列ができていた。

 妹と子供たちも、あの中にいるはずだった。

 どうか、無事に。

 そう願いながら、エリンは町の入口へ向かった。


 敵の騎兵たちは、荷馬車で塞がれた道を見て速度を落とした。

 こちらから矢が放たれると、馬を降りて盾を構え、少しずつ近づいてくる。

 やがて、激しい戦いが始まった。

 エリンは入口から少し離れた場所に立ち、負傷者を運ぶよう指示した。

 矢が飛び交い、怒号が響く。

 先日の街道での戦いを思い出し、手首が疼いた。

 怖い。

 今すぐ逃げ出したかった。

 けれども、町の中にはまだ大勢の人々が残っている。

 その人たちを置いて、自分だけ逃げるわけにはいかなかった。


 どれほど時間が経っただろう。

 敵は何度も攻めかかってきたが、町の入口を突破することはできずにいた。

 しかし、こちらの兵士たちも疲れ果てている。

 負傷者が増え、矢も残り少なくなってきた。


「奥様、このままでは……」


 守備隊長が言いかけた、その時だった。

 西の丘の向こうから、角笛の音が響いた。

 一度。

 続けて、もう一度。

 敵の騎兵たちが振り返る。

 丘の上に、新しい部隊が現れていた。

 帝国軍の旗が、風に翻っている。

 その先頭に立つ人物を見て、エリンは思わず声を上げた。


「……マレート!」


 黒髪の騎士が、馬上で剣を掲げた。

 夫だった。

 彼の率いる騎兵たちが、丘を駆け下りてくる。

 敵は慌てて向きを変えたが、もう遅かった。

 マレートの部隊は、町へ攻めかかっていた敵の側面へ突入した。

 エリンは息を呑んだ。

 その動きは、あまりにも速かった。

 兵士たちが見事に連携し、敵を押し返していく。

 マレートは先頭で剣を振るいながら、次々と指示を出していた。

 エリンがこれまで見たことのない夫の姿だった。

 あれが、戦場の鬼神。

 敵軍が恐れたという、第五皇子マレートなのだ。


 しかし、彼は深追いしなかった。

 敵が退き始めると、部隊をまとめ、町へ近づこうとしていた別の敵兵を押し返した。

 逃げる者を追うより、町の守りを固めることを優先している。

 やがて、敵は西の丘を越えて撤退していった。


 町の中から、歓声が上がった。

 兵士たちが互いの無事を喜び、住民たちが安堵の声を漏らす。

 エリンはその場に立ち尽くしていた。

 助かった。

 皆、助かったのだ。

 少なくとも、今は。


 *


 夕暮れが近づく頃、ようやく町の守りが落ち着いた。

 負傷者は教会へ運ばれ、医師たちが手当てをしている。

 避難していた住民たちも、少しずつ戻り始めていた。

 エリンは守備隊長から報告を受け、必要な手配を終えると、教会へ向かった。

 子供たちは妹とともに、無事に北の道へ逃げていた。

 その知らせを聞いて、ようやく大きく息を吐くことができた。

 よかった。

 本当に、よかった。


 エリンは教会の階段に腰を下ろした。

 右手首が、まだ痛む。

 足も疲れ果てていた。

 けれども、何よりも夫の顔が見たかった。

 マレートは今、どうしているのだろう。

 あの戦いで、怪我をしていないだろうか。

 無事だと分かっていても、ちゃんとこの目で確かめたかった。

 そして、話したかった。

 十年前のこと。

 自分が思い出したこと。

 この世界のこと。

 何よりも、あの人とこれからも一緒に生きていきたいということ。


 エリンは夕暮れの空を見上げた。

 西の雲が、赤く染まっている。

 十年前、マレートがこの屋敷へ来た日のことを思い出した。

 疲れ果てた顔をした青年。

 初夜に、自分には何かおかしいところがあるのだと告白した人。

 あの時、エリンには彼の苦しみが分からなかった。

 それでも、一緒に暮らしていこうと思った。

 十年間、そうしてきた。

 そして今、ようやく彼が何に苦しんでいたのかを理解できるようになったのだ。

 エリンは少し笑った。

 まったく、ずいぶん時間がかかったものだ。


「奥様」


 声をかけられて振り返ると、守備隊長が立っていた。


「旦那様が、お戻りになりました。奥様にお会いしたいと」


 エリンは立ち上がった。

 思わず急ぎ足になりかけ、足元がふらついたので、慌てて手すりにつかまる。

 守備隊長が心配そうに手を差し出した。


「大丈夫でございますか?」

「ええ。ちょっと疲れているだけよ」


 エリンは笑って、階段を下りた。

 教会の向こうから、騎兵たちの声が聞こえてくる。

 その中に、よく知っている声があった。

 十年間、毎日のように聞いてきた声。

 エリンは顔を上げた。


 マレートが、こちらへ歩いてくる。

 鎧には泥がつき、頬には小さな傷があった。

 けれども、その顔を見た途端、エリンは嬉しくなってしまった。

 あの人が帰ってきた。

 ちゃんと、帰ってきてくれたのだ。


「マレート!」


 呼びかけると、夫が顔を上げた。

 その表情が、ぱっと明るくなる。

 エリンはたまらなくなって、夫のもとへ駆け寄った。


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