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二人で世界に、立ち向かっていく。  作者: さんけい


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2/10

第2話 噂とは違う夫

 結婚翌日の朝、エリンが目を覚ますと、夫はすでに起きていた。

 窓辺に立ち、庭を眺めている。

 昨夜はあれほど疲れた様子だったのに、軍人の習慣というものは簡単には抜けないらしい。


「おはようございます、マレート様」

「ああ、おはようございます。起こしてしまいましたか?」

「いいえ。いつもこのくらいですわ」


 実際には、もう少し遅い。結婚式の翌日くらい、ゆっくり眠っていてもよかったのだが。

 マレートは窓の外を指さした。


「昨日のお庭を、もう少し拝見してもよろしいですか?」

「ええ。よろしければ、朝食のあとにでも」

「楽しみにしております」


 そう言って微笑む顔は、昨夜よりいくらか明るかった。

 エリンはそれだけで、何となく嬉しくなった。


 *


 庭は、父が若い頃から手を入れていたものだった。

 屋敷の南側には薔薇が植えられ、その奥には小さな果樹園がある。

 雨上がりの朝、石畳はまだ濡れていたが、陽射しは暖かかった。


「こちらが父の好きだった薔薇です。毎年、春になると楽しみにしていました」

「見事ですね。ずいぶん種類が多い」

「ええ。でも、私は名前を全部覚えられなくて」


 そう言って笑うと、マレートは薔薇に顔を近づけ、香りを確かめた。


「母が薔薇を好きなのです。宮殿にも小さな庭を持っておりまして」

「まあ。では、お詳しいのですか?」

「いえ、母の話を聞くくらいで。私はもっぱら、枝を切る手伝いをさせられておりました」


 意外な話だった。

 戦場の鬼神が、母親に命じられて庭仕事をしている。

 その姿を想像すると、少しおかしかった。


「マレート様のお母様は、お元気でいらっしゃいますか?」

「はい。私がこちらへ来ることを、たいそう喜んでおりました。これで少しは落ち着いて暮らせるだろうと」


 そう話す時のマレートは、いくらか照れくさそうだった。

 家族のことを大切にしている人なのだろう。

 エリンは、皇帝や側室がこの結婚を決めた理由を、改めて理解した気がした。


 *


 婿入りしたマレートには、辺境伯家の軍務を補佐してもらうことになっていた。

 ただし、最初から仕事を詰め込むつもりはない。

 エリンはしばらく屋敷で休養してもらおうと考えていたのだが、本人は三日もすると、何か仕事はないかと尋ねてきた。


「せっかくこちらへ迎えていただいたのですから、何もせずにいるのは申し訳なくて」

「ですが、まだお疲れでしょう?」

「身体はもう大丈夫です。それに、少し動いていたほうが落ち着きます」


 それならばと、エリンは守備隊の訓練を見てもらうことにした。

 領内の兵士たちは、鬼神と呼ばれた第五皇子が来たとあって、ひどく緊張していたらしい。

 ところが、実際に訓練が始まると、マレートは少しも恐ろしい指導者ではなかった。


「今の踏み込みはよかった。ただ、足が開きすぎている。もう一度やってみよう」


 木剣を手に、若い兵士の姿勢を直している。

 相手が失敗しても怒鳴ったりしない。何度も手本を見せ、うまくできれば素直に褒める。

 エリンが訓練場を訪れた時には、兵士たちはすっかり打ち解けていた。


「殿下、もう一度お願いいたします!」

「ああ、構わない。今度は私が受けるから、遠慮せずに打ち込んでみなさい」


 若い兵士が勢いよく踏み込んだ。

 次の瞬間、その木剣はあっさりと弾かれ、兵士自身も地面に尻餅をついていた。


「足の運びを覚えれば、もっとよくなる。腕の力だけで打とうとしないことだ」


 マレートが手を差し出すと、兵士は照れ笑いを浮かべながら立ち上がった。

 周囲からも笑い声が上がる。

 なるほど、強いことは間違いないらしい。

 それも、エリンが想像していたよりはるかに。


「ずいぶん楽しそうですね」


 訓練が一段落したところで声をかけると、マレートは少し驚いたようだった。


「エリン殿。いらしていたのですか」

「ええ。皆がどんな様子か、気になりまして」

「よい兵士たちです。皆、熱心で」

「それは、指導なさる方がよいからでしょう」


 そう言うと、彼は恐縮してしまった。

 どうにも褒められることに慣れていないらしい。

 これで戦場では敵を震え上がらせていたというのだから、人というのは分からないものである。


 *


 それから幾月かが過ぎた。

 マレートは少しずつ領地の暮らしに馴染んでいった。

 朝はエリンと食事をとり、昼間は兵士たちの訓練を見たり、領内を視察したりする。

 農村を訪ねれば、畑の様子を尋ね、収穫の話に耳を傾けた。

 最初は皇子殿下ということで身構えていた領民たちも、彼が気さくに話しかけてくれると分かると、次第に親しみを持つようになった。


 ある日など、村から帰ってきたマレートが、大きな籠を抱えていたことがある。


「これは、どうなさったのです?」

「農家の方が持たせてくださいまして。私たちの結婚祝いだそうです」

「まあ、林檎がこんなに」

「断ったのですが、ぜひ持っていってくれと。困りました」


 困ったと言いながら、どこか嬉しそうだった。

 エリンは早速、厨房へ林檎を運ばせた。

 その日の夕食には林檎の焼き菓子が出され、マレートはたいそう喜んだ。

 食後には、村で聞いた話をあれこれとエリンに聞かせてくれた。


「そういえば、北の村の橋ですが、あれは修繕したほうがよいのではありませんか?」

「ええ。来年には手を入れるつもりです」

「春の雪解けまでに、せめて欄干だけでも直せないでしょうか。荷車が通るには少々危ないようです」


 エリンは驚いた。

 軍人ならば、橋を見れば兵の移動や防備を考えるものだと思っていた。

 ところが彼が心配したのは、村人の荷車だったのである。


「分かりました。職人に見積もりを出させます」

「ありがとうございます」


 自分のことでもないのに、マレートは嬉しそうに礼を言った。

 その様子を見て、エリンは思った。

 この人を夫に迎えて、よかったのかもしれない。


 *


 もっとも、すべてが順調というわけでもなかった。

 マレートは時折、ひどく落ち込むことがあった。

 夜中にうなされて目を覚ましたり、何かを思い出したように考え込んだりする。

 そんな時、エリンは無理に話を聞き出そうとはしなかった。

 ただ、眠れない夜には一緒に起きて、お茶を飲んだ。


「申し訳ありません。いつもご迷惑をおかけして」

「夫婦なんですから、そんなに謝らなくても」

「……そうですね」


 マレートは苦笑した。


「エリン殿は、いつもそう仰いますね」

「だって、本当のことですもの」


 エリンは少し考えてから、彼の手に自分の手を重ねた。


「私も、領地のことで悩むことがあります。そんな時には、マレート様にお話ししてもよろしいですか?」

「もちろんです」

「では、おあいこですね」


 マレートはしばらくエリンを見つめ、それから手を握り返した。


「……あなたと結婚できて、私は幸運でした」

「まあ。まだ一年も経っておりませんのに」

「それでも、です」


 その言葉が、妙に嬉しかった。

 エリンは自分の頬が熱くなるのを感じ、少し困ってしまった。

 こんな気持ちになるとは思っていなかったのだ。

 ただ家を守るために婿を探していたはずなのに、今では、彼が夕食に帰ってくるのを楽しみにしている。

 仕事の合間に顔を見れば安心するし、何か面白いことがあれば、真っ先に話したくなる。

 それがいつからなのか、エリン自身にもよく分からなかった。


「ところで、マレート様」

「はい?」

「そろそろ、エリン殿というのはやめませんか?」

「……と、申しますと」

「夫婦なんですもの。エリン、と呼んでくださればいいのに」


 マレートは目を丸くした。

 それから、ひどく真面目な顔で考え込んでしまう。


「……エリン」

「はい」


 返事をすると、彼は何とも言えない顔で笑った。

 嬉しそうで、少し照れくさそうで。

 エリンもつられて笑ってしまう。


「では私も、マレートとお呼びしてよろしい?」

「もちろんです」


 エリンは握っていた手に少し力を込めた。


「マレート」

「はい、エリン」


 互いの名前を呼んだだけなのに、何だかおかしくて、二人で笑った。

 その夜、マレートは久しぶりに、朝までぐっすりと眠った。



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