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君の声が消える前に  作者: 一ノ瀬 律
一章

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2/5

第1話 声との出会い

このお話は、ここから一章が開幕します。

 放課後の教室は、いつもより静かだった。


 窓から差し込む夕陽が机の影を長く伸ばしていて、その影がゆっくりと揺れるたびに、まるで教室そのものが呼吸しているように見えた。


 俺、悠斗は、プリントをまとめながらふと手を止めた。


 胸の奥がざわついた。


 理由は分からない。

ただ、心臓の裏側を指でなぞられたような、妙な感覚があった。


「……なんだよ、これ」


 自分でも意味が分からないまま、ゆっくり顔を上げる。


 耳の奥が熱い。

夕陽の光が頬に当たっているせいじゃない。

もっと内側が、じわりと熱くなる。


 教室には誰もいない。

部活へ向かう生徒たちの声は遠く、ここだけ時間が止まっているみたいだった。


 そのとき。


「……聞こえる……?」


 小さな声が、耳の奥に触れた。


 俺は反射的に振り返った。

誰もいない。

教室の扉は閉まっているし、廊下にも人影はない。


「……誰だよ」


 声に出した瞬間、教室の空気が少しだけ重くなった気がした。


 夕陽の色が濃くなり、影がゆっくりと揺れる。

その揺れ方が、妙に不自然だった。


「ねえ……聞こえるよね……?」


 今度ははっきりと聞こえた。

少女の声だ。


 少し不安そうで、でもどこか懐かしい響き。


 俺は立ち上がり、教室の中央へ歩いた。

机の間を抜けるたびに、夕陽の影が足元で揺れる。


「どこにいるんだ……?」


 問いかけた瞬間、風が止まった。


 窓の隙間から入っていた風が、ぴたりと静止する。


 空気が固まったような感覚。

呼吸の音まで聞こえそうな静けさ。


「私、消えかけてるの」


 その言葉は、夕陽よりも冷たく胸に落ちた。


 消えかけてる?

どういう意味だ。


「……誰なんだよ、君は」


 少し間があって。


「……ゆうと……」


 俺の名前を呼ぶ声。


 その響きが、妙に胸に刺さった。


 知らないはずの声なのに。

初めて聞いたはずなのに。


 なのに、懐かしい。


 胸の奥が、痛いほど締めつけられた。


 俺は思わず息を吸った。

夕陽の匂いが肺に入る。

それなのに、胸の奥は冷たい。


「俺の名前……どうして知ってるんだ」


 声が震えた。

自分でも驚くほど、焦っていた。


 少女の声は、少しだけ間を置いて。


「だって……あなたは、私を……」


 言いかけて、ふっと弱くなる。


 まるで電波が途切れたみたいに、音が薄れていく。


「待って、続けてくれ」


「……ごめん……少し……弱くて……」


 その弱さが、妙に生々しくて胸がざわついた。

まるで本当に“消えかけている”みたいだった。


 俺は窓際へ歩いた。

夕陽が赤く、校庭を染めている。


 その光の中で、ふと胸が締めつけられた。


――この景色を、誰かと見た気がする。


 夏の海。

白いワンピース。

笑っていた誰かの横顔。


 でも、名前が出てこない。


「……俺、君を知ってるのか?」


「知ってるよ……でも、忘れちゃったんだね」


 その声は、少し寂しそうだった。


 俺は息を呑んだ。

夕陽が沈みかけ、教室の影が濃くなる。


「忘れた……?」


「ううん、あなたのせいじゃないよ。私が……消えかけてるから」


 その言葉は、夕陽よりも冷たく胸に落ちた。


 俺は思わず拳を握った。

理由は分からない。

ただ、胸の奥が痛かった。


「消えかけてるって……どういうことなんだよ」


 少女の声は、少しだけ震えていた。


「説明、むずかしい……でも、あなたが覚えていてくれたら……私は、まだ……ここにいられる」


 覚えている?

俺が?


「覚えてる……? 俺が?」


「うん……あなたは、最後のひとりだから」


 最後のひとり。


 その言葉が、教室の静けさに沈んでいく。


 俺は息を止めた。

夕陽の影が揺れる。

心臓の音がやけに大きく聞こえる。


「俺だけが……君を覚えてる?」


「そうだよ……だから、お願い。私の声が消える前に……見つけて」


 声が震えていた。

泣きそうな、必死な響きだった。


 俺は息を呑んだ。


 胸の奥が、熱くなる。

夕陽のせいじゃない。

もっと深いところが、熱くなる。


「……分かった。君を……見つける」


 少女の声は、少しだけ強くなった。


「ありがとう……ゆうと……」


 その瞬間、夕陽が完全に沈んだ。


 教室は薄暗くなり、少女の声もふっと消えた。


 静寂だけが残る。


 でも、胸の奥には確かに残っていた。

あの声の温度。

あの震え。

あの懐かしさ。


――俺は、あの声を失いたくない。


 夕陽が沈み、教室の色がゆっくりと青に変わっていく。

さっきまで確かに聞こえていた少女の声は、もうどこにもない。


 俺はしばらく動けなかった。


 机の影が伸びて、教室の隅まで届いている。

その影の中に、誰かが立っているような気がして、何度も目を凝らした。


 もちろん、誰もいない。


「……なんなんだよ、これ」


 自分の声がやけに大きく響いた。

静けさが、耳の奥に張りつく。


 さっきの声は幻聴じゃない。

そんな軽いものじゃない。


 胸の奥がまだ熱い。

あの声が触れた場所が、じんわりと残っている。


 俺は窓際に歩き、外を見た。

校庭はもう薄暗く、部活帰りの生徒たちの影が遠くに揺れている。


 その光景を見ていると、ふと胸が締めつけられた。


――誰かと、この景色を見た気がする。


 夏の海。

白いワンピース。

笑っていた誰かの横顔。

手を伸ばして呼ぶ声。


 でも、名前が出てこない。


「……俺、本当に忘れてるのか?」


 自分に問いかけた瞬間。


「ゆうと……」


 背中が跳ねた。

声は、さっきよりもずっと弱い。

でも確かに、俺を呼んでいる。


「いるのか……?」


「うん……でも、少しだけ……」


 声が震えている。

まるで、風に溶けてしまいそうな弱さだった。


「さっき……消えかけてるって言ってたよな。どういう意味なんだよ」


「ほんとに……そのままの意味だよ。私、もう……世界にいられなくなってる」


 世界にいられない。

その言葉が、教室の静けさに沈んでいく。


「なんで……?」


「わからない……でも、少しずつ……薄くなってるの。誰も、私を思い出せない。名前も、顔も、声も……全部」


 声が途切れた。

その沈黙が、妙に重かった。


 俺は息を呑んだ。


「でも……俺は聞こえる」


「うん……だから、あなたは特別なんだよ」


「特別って……なんだよ」


「あなたは、最後まで……私を忘れなかった人だから」


 忘れなかった?

俺が?


「俺……君のこと、知ってるのか?」


「知ってるよ。でも、思い出せないんだね……それも、私が薄れてるせい」


 声が少しだけ震えた。

泣きそうな響きだった。


 俺は胸の奥が痛くなった。

理由は分からない。

ただ、彼女の声が消えてしまうことが怖かった。


「……名前、教えてくれないか」


 少し間があって。


「……澪だよ」


 澪。

その名前が、胸の奥にすっと落ちた。


 懐かしい。

でも、思い出せない。


「澪……」


 名前を口にした瞬間、教室の空気が少しだけ温かくなった気がした。


「ゆうと……お願い。私の声が消える前に……見つけて」


 その言葉は、前半よりもずっと切実だった。


 俺は拳を握った。

胸の奥が熱くなる。

夕陽のせいじゃない。

もっと深いところが、熱くなる。


「……分かった。絶対に見つける」


「ありがとう……ゆうと……」


 声がふっと弱くなり、そのまま消えた。


 今度は、本当に完全に。


 教室は静寂に包まれた。

でも、胸の奥には確かに残っていた。


 澪の声。

澪の名前。

澪の震え。


 そして、“忘れてはいけない”という感覚だけが、強く残っていた。


 俺はゆっくりと息を吐いた。


「……澪」


 その名前をもう一度呼んでみた。

返事はない。


 でも、確かに聞こえた気がした。

胸の奥で、微かに響いた気がした。


――俺は、あの声を失いたくない。


 ここから、俺と“声だけの少女”の物語が始まる。

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