第1話 声との出会い
このお話は、ここから一章が開幕します。
放課後の教室は、いつもより静かだった。
窓から差し込む夕陽が机の影を長く伸ばしていて、その影がゆっくりと揺れるたびに、まるで教室そのものが呼吸しているように見えた。
俺、悠斗は、プリントをまとめながらふと手を止めた。
胸の奥がざわついた。
理由は分からない。
ただ、心臓の裏側を指でなぞられたような、妙な感覚があった。
「……なんだよ、これ」
自分でも意味が分からないまま、ゆっくり顔を上げる。
耳の奥が熱い。
夕陽の光が頬に当たっているせいじゃない。
もっと内側が、じわりと熱くなる。
教室には誰もいない。
部活へ向かう生徒たちの声は遠く、ここだけ時間が止まっているみたいだった。
そのとき。
「……聞こえる……?」
小さな声が、耳の奥に触れた。
俺は反射的に振り返った。
誰もいない。
教室の扉は閉まっているし、廊下にも人影はない。
「……誰だよ」
声に出した瞬間、教室の空気が少しだけ重くなった気がした。
夕陽の色が濃くなり、影がゆっくりと揺れる。
その揺れ方が、妙に不自然だった。
「ねえ……聞こえるよね……?」
今度ははっきりと聞こえた。
少女の声だ。
少し不安そうで、でもどこか懐かしい響き。
俺は立ち上がり、教室の中央へ歩いた。
机の間を抜けるたびに、夕陽の影が足元で揺れる。
「どこにいるんだ……?」
問いかけた瞬間、風が止まった。
窓の隙間から入っていた風が、ぴたりと静止する。
空気が固まったような感覚。
呼吸の音まで聞こえそうな静けさ。
「私、消えかけてるの」
その言葉は、夕陽よりも冷たく胸に落ちた。
消えかけてる?
どういう意味だ。
「……誰なんだよ、君は」
少し間があって。
「……ゆうと……」
俺の名前を呼ぶ声。
その響きが、妙に胸に刺さった。
知らないはずの声なのに。
初めて聞いたはずなのに。
なのに、懐かしい。
胸の奥が、痛いほど締めつけられた。
俺は思わず息を吸った。
夕陽の匂いが肺に入る。
それなのに、胸の奥は冷たい。
「俺の名前……どうして知ってるんだ」
声が震えた。
自分でも驚くほど、焦っていた。
少女の声は、少しだけ間を置いて。
「だって……あなたは、私を……」
言いかけて、ふっと弱くなる。
まるで電波が途切れたみたいに、音が薄れていく。
「待って、続けてくれ」
「……ごめん……少し……弱くて……」
その弱さが、妙に生々しくて胸がざわついた。
まるで本当に“消えかけている”みたいだった。
俺は窓際へ歩いた。
夕陽が赤く、校庭を染めている。
その光の中で、ふと胸が締めつけられた。
――この景色を、誰かと見た気がする。
夏の海。
白いワンピース。
笑っていた誰かの横顔。
でも、名前が出てこない。
「……俺、君を知ってるのか?」
「知ってるよ……でも、忘れちゃったんだね」
その声は、少し寂しそうだった。
俺は息を呑んだ。
夕陽が沈みかけ、教室の影が濃くなる。
「忘れた……?」
「ううん、あなたのせいじゃないよ。私が……消えかけてるから」
その言葉は、夕陽よりも冷たく胸に落ちた。
俺は思わず拳を握った。
理由は分からない。
ただ、胸の奥が痛かった。
「消えかけてるって……どういうことなんだよ」
少女の声は、少しだけ震えていた。
「説明、むずかしい……でも、あなたが覚えていてくれたら……私は、まだ……ここにいられる」
覚えている?
俺が?
「覚えてる……? 俺が?」
「うん……あなたは、最後のひとりだから」
最後のひとり。
その言葉が、教室の静けさに沈んでいく。
俺は息を止めた。
夕陽の影が揺れる。
心臓の音がやけに大きく聞こえる。
「俺だけが……君を覚えてる?」
「そうだよ……だから、お願い。私の声が消える前に……見つけて」
声が震えていた。
泣きそうな、必死な響きだった。
俺は息を呑んだ。
胸の奥が、熱くなる。
夕陽のせいじゃない。
もっと深いところが、熱くなる。
「……分かった。君を……見つける」
少女の声は、少しだけ強くなった。
「ありがとう……ゆうと……」
その瞬間、夕陽が完全に沈んだ。
教室は薄暗くなり、少女の声もふっと消えた。
静寂だけが残る。
でも、胸の奥には確かに残っていた。
あの声の温度。
あの震え。
あの懐かしさ。
――俺は、あの声を失いたくない。
夕陽が沈み、教室の色がゆっくりと青に変わっていく。
さっきまで確かに聞こえていた少女の声は、もうどこにもない。
俺はしばらく動けなかった。
机の影が伸びて、教室の隅まで届いている。
その影の中に、誰かが立っているような気がして、何度も目を凝らした。
もちろん、誰もいない。
「……なんなんだよ、これ」
自分の声がやけに大きく響いた。
静けさが、耳の奥に張りつく。
さっきの声は幻聴じゃない。
そんな軽いものじゃない。
胸の奥がまだ熱い。
あの声が触れた場所が、じんわりと残っている。
俺は窓際に歩き、外を見た。
校庭はもう薄暗く、部活帰りの生徒たちの影が遠くに揺れている。
その光景を見ていると、ふと胸が締めつけられた。
――誰かと、この景色を見た気がする。
夏の海。
白いワンピース。
笑っていた誰かの横顔。
手を伸ばして呼ぶ声。
でも、名前が出てこない。
「……俺、本当に忘れてるのか?」
自分に問いかけた瞬間。
「ゆうと……」
背中が跳ねた。
声は、さっきよりもずっと弱い。
でも確かに、俺を呼んでいる。
「いるのか……?」
「うん……でも、少しだけ……」
声が震えている。
まるで、風に溶けてしまいそうな弱さだった。
「さっき……消えかけてるって言ってたよな。どういう意味なんだよ」
「ほんとに……そのままの意味だよ。私、もう……世界にいられなくなってる」
世界にいられない。
その言葉が、教室の静けさに沈んでいく。
「なんで……?」
「わからない……でも、少しずつ……薄くなってるの。誰も、私を思い出せない。名前も、顔も、声も……全部」
声が途切れた。
その沈黙が、妙に重かった。
俺は息を呑んだ。
「でも……俺は聞こえる」
「うん……だから、あなたは特別なんだよ」
「特別って……なんだよ」
「あなたは、最後まで……私を忘れなかった人だから」
忘れなかった?
俺が?
「俺……君のこと、知ってるのか?」
「知ってるよ。でも、思い出せないんだね……それも、私が薄れてるせい」
声が少しだけ震えた。
泣きそうな響きだった。
俺は胸の奥が痛くなった。
理由は分からない。
ただ、彼女の声が消えてしまうことが怖かった。
「……名前、教えてくれないか」
少し間があって。
「……澪だよ」
澪。
その名前が、胸の奥にすっと落ちた。
懐かしい。
でも、思い出せない。
「澪……」
名前を口にした瞬間、教室の空気が少しだけ温かくなった気がした。
「ゆうと……お願い。私の声が消える前に……見つけて」
その言葉は、前半よりもずっと切実だった。
俺は拳を握った。
胸の奥が熱くなる。
夕陽のせいじゃない。
もっと深いところが、熱くなる。
「……分かった。絶対に見つける」
「ありがとう……ゆうと……」
声がふっと弱くなり、そのまま消えた。
今度は、本当に完全に。
教室は静寂に包まれた。
でも、胸の奥には確かに残っていた。
澪の声。
澪の名前。
澪の震え。
そして、“忘れてはいけない”という感覚だけが、強く残っていた。
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……澪」
その名前をもう一度呼んでみた。
返事はない。
でも、確かに聞こえた気がした。
胸の奥で、微かに響いた気がした。
――俺は、あの声を失いたくない。
ここから、俺と“声だけの少女”の物語が始まる。
面白いと思ったら、ページ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援お願いします!




