第七十四話 「スイコ村のシカ」
「えぇ!?」
突如荷車から出て来たシカに、シカの父親と付き添いの男が、腰を抜かす。
「とおちゃん! あたしもいく!」
跳び出したシカが、嬉々とした笑顔で父に抱き付く。シカの父は困惑しながらも、抱き付く我が子に手を回す。
「シカじゃねぇか! 一体どうゆう事だ!?」
付き添いの男が、目を丸くしながら、シカとシカの父を見る。
「聞きてぇのは俺だ! おいシカ! こんなとこで何してる!? どうして荷車に!?」
シカの父が、抱き付くシカを離し、険しい顔でシカの肩を揺する。しかし、シカの方はまるで他人事のように、無邪気な笑顔でケラケラと笑っている。
「おいシカ! 笑い事じゃないぞ!」
普段の甘さが仇となり、顰めっ面で真剣に叱る父に対し、シカは呑気にケラケラと笑っている。
「・・・ここまで来ちまったんだ。仕方ねぇ。もう一緒に連れて行くしかねぇぞ?」
付き添いの男が立ち上がり、荷車の捲れた麻を再び被せる。
「・・・」
シカの父が無言のまま肩を落とす。シカは相変わらずケラケラ笑っている。
「キャハハ! たのしいね、とおちゃん!」
ガタガタと揺れる荷車の上で、シカが大騒ぎしている。
「こらシカ! 静かにしなさい! ・・・近くに、腹を空かせた熊がいるかもしれない」
付き添いの男と交代し、後ろから荷車を押すシカの父が、顔を顰めてシカを叱る。
「えぇ!? クマさん!? あいたい!」
父の心配など何処吹く風。無敵のシカは、今にも駆け出さんばかりに、荷車から身を乗り出す。
「おいおいシカ。熊なんて友達にはなれねぇぞ? ありゃあ猛獣だ。痕跡を見つけたらその場を離れる。それが一番いい付き合い方だ」
先頭で荷車を引く男が、後ろではしゃぐシカを諭す。しかし無敵のシカは、楽しそうに荷車の上を走り、嬉々とした顔で先頭の男の元へ行く。
「ゴンちゃんも、あたしがまもってあげる!」
付き添いの男は、名を伍次郎といい、シカからはゴンちゃんと呼ばれている。その伍次郎は、シカの呑気さに思わず笑ってしまう。
「ははは。そん時ゃ頼むよ」
シカの笑顔に、一行は和やかな空気で荷車を進める。
「・・・!?」
何かに気が付いた、先頭を歩く伍次郎が足を止め、片手を挙げて止まるよう指示する。シカとシカの父は不思議そうに前方を見る。
「・・・熊だ」
伍次郎が呟く。シカの父は目を見開き、咄嗟にシカの頭を下げて、荷車に隠す。シカの方も、先の勢いは何処へやら、物々しい雰囲気に大人しくしている。
「・・・」
すると伍次郎が、荷車の持ち手を地面に置き、前方に視線を向けたまま、ゆっくりとそちらへ歩いて行く。
「おい伍次郎!?」
シカの父が、荷車の後方から囁き声で叫ぶ。しかし伍次郎は止まらず、そのまま前方へ歩を進める。
「・・・何だこりゃあ?」
立ち止まった伍次郎が、思わず目を見開く。伍次郎の前には、巨大な熊が仰向けに横たわっており、伍次郎はそれを見て立ち尽くしている。
「伍次郎! どうした!?」
伍次郎の前に横たわる熊の巨体は、後ろからも見えており、様子のおかしい伍次郎に、シカの父が尋ねる。
「・・・殺されてる」
伍次郎の言葉に、シカの父も恐る恐る近づくと、仰向けに倒れた熊の胸部に一本の矢が突き刺さっており、そこから血が滴っている。それを見たシカの父が目を見開く。
「・・・一撃だ。こいつの分厚い肉を突き破って、心臓を一撃で射抜いてる」
伍次郎の言葉通り、突き刺さる一本の矢以外に外傷は見られず、仰向けに倒れている事からも、一撃で仕留められたであろう事が分かる。
「・・・そんな馬鹿な。矢も普通の矢だぞ?」
シカの父が呟くように、熊の巨体に突き刺さる矢は、鉄の矢でも何でもなく、何の変哲もない木製の矢である。
「恐ろしい腕力だ。いや、それよりも恐ろしい精度」
伍次郎が、熊に突き刺さった矢を触る。
「・・・ここはすぐに離れた方がいいな。恐らく侍だ。近くで戦でもやってるのか」
「そうだな。先を急ごう」
二人はシカの隠れる荷車に戻り、熊の脇を通り過ぎて行く。荷車に隠れていたシカは、被せられた麻から顔を出し、通り過ぎ際に熊の死体を見る。まだ幼いシカは、その熊の異様な死に様に言葉も出ず、再び麻を被り荷車に隠れる。
伍次郎とシカに父が引く荷車は、険しい山道をガタガタと揺れながら、先を急ぐ。
*
日が暮れ、荷車を引いていた一行は、山中の開けた場所で火を囲んでいる。日中は大騒ぎだったシカも、父に寄りかかり眠っている。
「・・・どうする? この先の麓はひょっとすると、もう戦場と化してるかもしれねぇ」
伍次郎が神妙な面持ちで、火に薪をくべる。
「町へ行くには、あそこを抜けなきゃならねぇ。・・・だがシカもいる事だし、出来ればそんな危険な所は通りたくない。それに村の方も心配だ。・・・今回は事態が事態だ。村へ引き返さないか?」
シカの父が、腕の中ですやすやと眠るシカの頭を撫でながら、伍次郎に目を向ける。伍次郎は、シカの父の顔をチラッと見て、再び火に薪をくべる。
「俺はあんたの言う通りにするだけだ。町へは、日を改めて行きゃあいい」
伍次郎が薪をくべながら呟く。シカの父はその言葉に、優しく微笑む。
「ありがとう伍次郎」
刹那、ドドドドッ!! 遠くからけたたましい音が聞こえて来る。音に気が付いた二人が目を見開く。
「伍次郎! 火を!」
シカの父の言葉に、伍次郎が急いで水筒の水をかけ、火を消す。真っ暗になった森の中、二人は息を殺す。そんな事とは知らぬシカは、顏を青くした父の腕の中で、ぐっすりと眠っている。シカの父と伍次郎の二人が息を顰め、音のする方に目を凝らす。すると、けたたましい音と共に、何やら男達の怒鳴り声が聞こえる。
「・・・侍だ」
「・・・あぁ。真っ直ぐこっちへ向かって来る」
ジッと息を殺す二人の額に脂汗が流れる。ドドドドドッ!! けたたましい蹄の音を鳴らし、松明を持って馬に乗った侍達が、山の中を駆けている。
「おい! 火が消えたぞ! 気付きやがった!」
先頭を走る侍が、シカ達のいる辺りに目を凝らす。
「まだ近くにいる筈だ! 行くぞ!」
ドドドドッ!! 侍達を乗せた馬が暗闇の森を進んで行く。
「チッ! 探せ! まだ近くにいる筈だ!」
馬に乗った侍達が、暗い森の中を松明の火で照らし、周囲を見回している。
「ありました! 人がいた痕跡です!」
向こうから男の声を聞き、侍達がそちらへ一斉に馬を走らせる。声の方では、一人の侍が馬から降りて、茂みの中を指差している。するとそこには、誰かが焚火をしていたであろう跡と、荷の詰まった大きな荷車が置いてある。
「・・・敵兵ではなさそうだな。村人か? 近くに村でもあるのかもしれんな」
痕跡を見た侍がニヤリと笑う。
「折角ここまで来たのだ。手土産でも持って帰る事にしよう」
すると侍達は踵を返して、スイコ村のある反対側の山の麓へ向かって駆けて行く。息を殺して茂みに隠れていたシカの父と伍次郎が、目を見開く。
「・・・早く報せねぇと、村が危ねぇ!!」
完




