↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
102/108

第百二話 「試し酒」

 襖の前に立つカエンの後ろには、数人の花魁達が静かに並んでいる。艶やかな着物。丁寧に結い上げられた髪。鈴のような微笑み。男達の視線が自然と向く。

 「気が利くじゃねェか! ガッハッハ!」

 真っ先に反応したのはバゲンだった。花魁達は優雅に頭を下げると、それぞれ客人の元へ散っていき、盃へ酒を注いでいく。

 だが反応は様々だった。バゲンは豪快に笑いながら盃を差し出す。ウンケイは少し照れくさそうに頭を掻き、スイメイは穏やかに笑みを返す。

 「・・・寄るな」

 シカだけは露骨だった。盃を花魁から遠ざける。更に隣で料理を頬張っていたブンブクを抱き上げ、自分の膝へ乗せる。花魁が手を伸ばそうとした瞬間、ギロリ。シカの目が光り、白い歯が覗く。まるで縄張りを守る獣である。花魁も思わず苦笑いする。だが当のブンブクは違い、人懐っこく花魁へ両手を伸ばしている。

 「へへへへへ・・・」

 一方、すっかり酒の回ったコシトキは別の意味で酷かった。花魁へ向かって身を乗り出し、だらしなく鼻の下を伸ばして、ただただ幸せそうに笑っている。

 「コシトキ殿、お酒がお強いのですね」

 「へへへ・・・いえいえ・・・そんなぁ・・・」

 全く会話になっていない。ウンケイとスイメイが苦笑する。

 しかし、意外だったのはしゃらくだった。花魁が隣へ座り、普段なら真っ先に、コシトキ同様顔を真っ赤にして騒ぐはずだった。

 「どうも」

 しゃらくは笑顔だった。それはいつもの気色の悪い笑顔ではなく、落ち着いた笑顔である。そして花魁と自然に話している。

 「・・・珍しいな」

 バゲンが小声で呟く。

 「ええ」

 スイメイも頷く。ウンケイも同意した。

 そんな様子を、カエンは遠くから静かに眺めている。やがて立ち上がると、しゃらくの前へ歩いていく。そのまま胡座をかき、黙って瓢箪を差し出す。しゃらくは首を傾げながら盃を出す。トクトクと酒が注がれる。

 「気に入りませんでしたか? 別の女を付かせましょうか?」

 しゃらくは目を丸くする。

 「いいよそんなの。こんな綺麗な人見たことねェよ」

 しゃらくは自分の徳利を持ち上げ、花魁の盃へ酒を注ぐ。それを見たカエンの眉が僅かに動く。

 「気に入っていただけたなら。では、もう何人か付かせましょう」

 「やめてくれ。おれは充分だって」

 しゃらくは苦笑し、頭を掻く。

 「・・・ごめん。ちょっと便所」

 立ち上がったしゃらくは花魁へ笑顔を向ける。予想外だった。カエンだけでなく、皆が呆然としている。

 やがてカエンが振り向き、近くにいたウンケイとスイメイを見る。

 「・・・女は好かんのか?」

 二人は首が飛びそうな勢いで横へ振る。カエンは更に眉を上げる。

 「あいつは大の女好きです。が、あいつは毎度真剣に恋に落ちる男なので、普通の女好きとは少し違うかもしれませんね。ははは」

 スイメイが笑う。カエンはしばらく沈黙し、そしてニヤリと笑う。

 「おいカエン。わしの大事な孫をいじめるなよ」

 後ろからゼンベエが声を掛ける。カエンは笑顔で振り返る。

 「あい、すいやせん」

 少しして、しゃらくが戻ってくると、再びカエンがやって来て、今度はしゃらくの前へ正座する。

 「先ほどは大変失礼をいたしました。しゃらく殿。お見逸れいたしました」

 カエンが深く頭を下げる。しゃらくは完全に混乱していた。

 「え? え? 何が?」

 そしてカエンは顔を上げ、パン。パン。二度手を叩く。すると花魁達が一斉に立ち上がり、静かに頭を下げ、広間を去っていく。

 「あっ・・・」

 コシトキが伸ばした手は空を切る。今にも寄りかかろうとしていた体がそのまま前へ倒れる。

 「花魁さぁぁん!」

 広間は笑いに包まれる。

 その後、ブジの隣へ腰を下ろしたカエンは、ずっと楽しそうにニヤニヤしている。しゃらくだけが訳も分からず首を傾げていた。

 「しゃらく。ちとこっちへ来てくれんか?」

 ゼンベエが手招きする。一瞬でしゃらくの身体が固まった。横を見ると、ウンケイ、スイメイ、バゲンの三人が黙って頷いた。しゃらくは唾を飲み込む。そしてゼンベエとリン斎の間へ正座した。

 「私も厠へ」

 すると、リン斎が静かに立ち上がる。二人きりになる。しゃらくの背筋がぴんと伸びる。ゼンベエはそんな様子を見て笑う。

 「飯は足りておるか? 飯も酒もまだまだあるぞ?」

 しゃらくは慌てて首を横に振る。

 「そうか。遠慮なく言えよ? ここはお前の家だ」

 しゃらくは黙ったまま頷く。するとゼンベエは酒を一口飲む。

 「お前の旅の話を聞かせてくれんか? わしはお前が赤子の頃に何度か抱いたことがあるが、その後を知らんのだ。・・・お前がどんな人生を送ってきたか。嫌でなければ聞かせてくれぬか?」

 しゃらくは少しだけ考え、それから照れくさそうに笑う。

 「・・・うん」

 その晩、しゃらくは初めて、自分の人生を誰かに長く語った。そしてゼンベエは、一度も話を遮らなかった。料理が下がっても、酒宴が終わっても、皆が広間を去っても、ただ静かに聞き続けた。

 やがて二人は縁側へ移る。夜空には大きな月、虫の声、手には酒。旅の話が途切れた頃、ゼンベエが呟く。

 「今の旅は楽しいようだな」

 「あァ」

 しゃらくが笑う。

 「そうか」

 ゼンベエも笑う。そして月を見上げながら言った。

 「お前の志は立派だ。・・・だが今はまだ、仲間と過ごすこの旅を楽しんでも良いのだ。わしやお前の父、そしてお前の兄のように家督に縛られんお前は自由だ。・・・世の平穏を願う心は見上げたものだ。だが、お前の人生だ。お前のために生きろ」

 しゃらくはゼンベエを見た。そして答える。

 「でもおれはやりたいんだ。おれ、色んな国を見てきたし、色んな奴に会ってきた。笑ってる奴もいれば、泣いてる奴もいる」

 しゃらくは月を見上げる。

 「だからさ、みんなが笑って暮らせる世の中にしたいんだ。そんで爺ちゃんの国を見て歩いて、やっぱりおれが目指してることは間違ってないって思った」

 ゼンベエは目を丸くした。そして微笑む。

 「そうか。わしは、お前がどうなろうとお前の味方だ」

 その言葉に、しゃらくは少しだけ鼻の奥が熱くなるのを感じた。

 「・・・ありがと」

 遠く離れた国で生きてきた。違う景色を見て、違う道を歩いて、違う立場を背負って。

 月は静かに甲玄(かんげん)の空へ輝き続ける。祖父と孫は酒を酌み交わしながら、ただ並んでその月を見上げている。


 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。