第百一話 「数奇な人生」
「ぶくぶくぶくぶく・・・」
夕暮れ、甲玄将軍の大館に備えられた大きな露天風呂で、しゃらくが頭に手拭いを乗せ、口元まで湯に沈み、ぶくぶくと泡を吹いている。
「さっきから何だ?」
隣で湯に浸かるウンケイが呆れたように言う。しゃらくは返事をせず、ぶくぶくと更に泡を吹く。
反対側ではスイメイが肩を揺らしている。
「確かに。しゃらくもそんな顔するんだねぇ」
すると次の瞬間。ザバァッ! しゃらくが勢いよく湯へ潜る。大きな飛沫がウンケイとスイメイへ襲い掛かる。
「この野郎!」
二人も笑いながら湯へ飛び込む。巨大な飛沫を上げて、三人は子供のように暴れ始める。
「ぎゃあああああ!!」
離れた場所にいたのに、飛沫をまともに浴びたコシトキが悲鳴を上げる。
「鼻に入りました!」
「わっはっは!」
露天風呂に笑い声が響く。
男四人の笑い声は、隣の女湯にまで聞こえる。湯に浸かったシカが、笑い声の方を見て微笑む。そんなシカの前を、ブンブクが犬掻きで横切る。
その日の晩、一行は宴へ招かれる。案内された大広間は、昼間の謁見の間よりさらに巨大である。豪華な料理や甲玄の酒のどれもが一級品である。
広間には双方が向かい合うように並んでいた。一行側は上座から順にバゲン、中太郎、スイメイ、ウンケイ、しゃらく、シカ、ブンブク、コシトキ。一方の甲玄側は、上座から順にゼンベエ、リン斎、ハヤテ、大巨漢が座っている。謁見の時にいた長髪の男だけはいない。
まるで二つの軍勢が向かい合っているようだが、目の前に並ぶ豪華な料理のおかげで、その緊張感はすぐに崩れ去る。特にブンブクは、既に料理しか見えていなかった。
しかし、しゃらくだけ様子がおかしく、ソワソワと何度もゼンベエの方を見ている。
すると、ゼンベエが盃を持ち上げる。
「では、面倒は省略! 今宵は甲玄の馳走を楽しんでくれ!」
ゼンベエが盃を挙げる。
「どっかで聞いたな? わはは」
ウンケイが笑う。しかし、しゃらくは相変わらず緊張しており、ぎこちなく顔を引き攣らせて愛想笑いをする。
「気持ち悪いなお前」
隣のシカが言う。すると、しゃらくはぎこちない笑みを浮かべた。
「へへ・・・」
「キモ!」
一方、コシトキも似たような顔をしていた。その理由は、目の前に座る大巨漢である。近くで見ると本当に巨大で、その迫力に、怯えるコシトキの歯がカチカチ鳴る。大巨漢は、コシトキやご馳走には目もくれず、何故か前に座るブンブクをジッと見つめている。しかし当のブンブクは全く気にせず、ご馳走を舐めるように見ている。
「た、食べる気だ・・・」
それを見たコシトキが勝手に青ざめる。
宴は進み、料理や酒を楽しんだ一行は、かなり酔いも回り空気が和やかになっていく。
上座では、ゼンベエを中心にバゲンとリン斎が盃を交わしている。一方こちらでは、中太郎を挟んでウンケイとスイメイが話し込んでいる。その隣ではブンブクが食べ物を喉に詰まらせ、シカがブンブクの背中を叩き、大巨漢がその様子をジッと見ている。そしてコシトキは、ハヤテの終わりの見えない話に白目を剥いている。
一方しゃらくは、いつもの泥鰌掬いや腹鼓は封印し、一人居心地が悪そうにしている。
すると突然、後ろから肩を叩かれる。
「うわァァァ!!」
しゃらくが飛び上がる。後ろにいたのはバゲンだった。
「ガッハッハ! 何だ? 獣のくせに!」
バゲンは強引に隣へ座る。そしてしゃらくの盃に酒を注ぐ。
「どうした? らしくねぇじゃねぇか」
「・・・いきなり爺ちゃんができて、・・・なんか落ち着かねェんだ」
するとバゲンが笑う。
「そりゃあそうだよなぁ。しかもこんな大物ときちゃあな。ガハハ。山奥の古寺で育った孤児が、ここ数日で自分の正体が、煬王の孫で、麟東先代将軍の息子で、現将軍の弟ときた。お前も数奇な人生だよな」
バゲンの言葉に、しゃらくは酒をグイッと呑む。
「けどな、あれこれ考える必要はねぇ。お前はお前だ。お前の歩んできた道でしか、見えねぇ景色があるはずだ」
バゲンはそう言うと、酒を飲み干す。
しゃらくは盃を見ると、中の酒には自分の顔が映り込む。
「ま、俺は馬鹿してるお前が見たいだけなんだけどな!」
バゲンはそう言って立ち上がる。
「あ、バゲン」
しゃらくに呼び止められ、バゲンが振り返る。
「・・・ありがとう」
照れくさそうに呟くしゃらく。バゲンはニッとと笑い、しゃらくの背をポンと叩く。
一方、ウンケイとスイメイは、酔うと意外と喋るようになる中太郎を面白がって囲んでいる。
「なあ中太郎。あそこにいる奴ら、風林火山だろ?」
ウンケイの問いに、中太郎が頷く。
「ええ。我々をここまで案内してくれたのが、“風のハヤテ“殿。彼は風林火山の最年少で、まさに天才ですね。喋り過ぎですが。そしてゼンベエ将軍の隣におられる方が、“林のリン斎“殿。長年ゼンベエ将軍を支えてきた名将です。無口ですが。更にその隣の大きな方が、“山のブジ“殿。彼もまだ若いですが、見た目の通りの怪力無双。戦に出れば敵なしです。人見知りですが。そして、ここにはいませんがもう一人、長髪の方が“火のカエン“殿です」
流暢に喋る中太郎の話を、ウンケイとスイメイが固唾を飲んで聞いている。
「で、その“火のカエン“って奴は、一体どんな奴なんだ?」
ウンケイが中太郎を急かす。
「ん〜、そうですねぇ。・・・一言で言えば、」
刹那、バァン! 襖が勢いよく開く。全員が振り返ると、“火のカエン“が数人の花魁を引き連れて入ってくる。
「客人の方々へ、宵の宴を楽しんでいただきたく、ほんの余興をご用意いたしました」
笑顔のカエンが頭を下げる。
すると中太郎が小さく呟く。
「・・・一言で言えば、“曲者”です」
火のカエンの笑みが深くなる。
完。




