第6話:「……さて、報告を聞こうか」
地上と神々が近かった時代。
多くの神々が崇められ、加護は人々の暮らしに溢れていた。
時には、強すぎる加護を得た者も出てきた。
彼らは勇者、あるいは魔王と呼ばれた。
強大な加護を宿した者同士の衝突は、やがて種族を巻き込む大戦へと変わった。
人魔戦争。
人族と魔族の争いは、およそ千年にわたって続いていた。
長きに及ぶ戦は両者を疲弊させ、やがて散発的な小競り合いへと変わっていった。
そして八十年ほど前――
平和を願った者たちか、それとも絶望し世界を終わらせようとしたのか。
邪神教の信徒たちが、邪神の召喚に成功する。
――そして、世界はそれを見てしまった。
その姿を見た者は狂い死に、人も魔も人口の半数以上を失ったと記録されている。
当時の王立年代記には、こう記されている。
「空は裏返り、海は音を失った。
我らは“それ”を見てしまったのだ。
ああ、なんという冒涜。
全て燃やし、なかったことに」
同時に、神々に関する多くの資料も焼失した。
それ以降、神々は地上へほとんど干渉しなくなった。
残された者たちは、もはや戦争どころではなかった。
互いに手を取り合い復興を余儀なくされた。
正式な和平協定が結ばれてから、五十年。
人魔共和国王立図書館地下――
忘れられたカタコンベ最奥で、一本の蝋燭が揺れている。
そこは、かつて人族の王都であった場所の地下。
人魔戦争の折には防空壕として堀り広げられ、やがて大戦と邪神顕現の犠牲者を収める共同墓地となった。
幾万もの骨が眠り、名もなき石碑が並ぶ。
誰もこの広大な墓地の全容を知らない。
和平の後、地上は再建されたが、この地下だけは封鎖されたままだ。
『触れるな。思い出してはならぬ。
覗き込めば、覗き返される』
そう決めたかのように、人々の記憶からも静かに切り離された場所。
だからこそ――
ここならば、祈りは天に届くかもしれない。
「いやだ、ああ、誰か。
誰か助けてくれ」
祭壇の上。
裸の男と女が、魔物と共に縛り上げられている。
男は人族、女は魔族だった。
「くそ、俺が何をしたっていうんだ……
助けて、たすけ、」
女は喉を震わせるが、声は空気に溶けた。
震える指先が、石の床を掻く。
必死に首を振り、誰かを探すように闇を見た。
闇の奥から、深くローブを被った影が歩み出る。
その手には、黒光りする刃。
二人の上に影が落ちる。
刃先がわずかに揺れ、男が目を見開く。
「やめ――」
刃が振り下ろされ、祭壇の石に血が落ちる音が響いた。
血の匂いが甘く、重く、肺に絡みつく。
石の床は氷のように冷たい。
流れた血が混ざり合い、やがて自ら意思を持つかのように、祭壇の溝を満たしていった。
魔法陣のように広がり、紅く妖しく輝く。
「おお、おお。偉大なる深淵の神よ。
血は混じり、境は消えた。
我らの祈り、願いを――
どうか、聞き届けたまえ。
――ンゴ・デ・ロゴ!」
祭壇の血がゆっくり、脈打ち、
「ン……ゴ……ン……ゴ……」
供物は赤に溶け、沈んでいった。
静寂。
「……さて、報告を聞こうか」
静かに女の声が響いた。
暗い祭事場に火が灯る。
女の前に、目深くローブを着た十三名が膝まづいていた。
「はい、知らせの水晶の細工は良好です。
各地でスタンピードが発生しております」
「いくつかの小さい集落は地図から消えるでしょう。
ですが、やりすぎると発覚する恐れがあります」
「共同研究所の気狂いたちにも気をつけねばなりませぬ。
術式の再解析は避けたい」
「現状維持で、ランダムに発生させるのが得策でしょうな
頻発は露見を早めます」
「概ね、計画通りか」
「ええ、ですが少し気がかりな報告がございます。
ホノヌヌ村です。」
「ホノヌヌ村?」
「はい、まだ正確にはわかっていませんが、ドラゴンの襲撃があったのに“壊滅”に至っていません」
「よほど手慣れの冒険者がいたのかも知れませぬ」
「ドラゴンだぞ。
そうそう倒せる者はいないだろう」
「然り然り。
だが、生存者も多数確認されていると報告もある」
「それと、“奇跡“が起こったと噂が出ているようです」
「まさか。
……“神託”か?」
「わかりませぬ。
近日中に手の者を向かわせるようにしております」
「神々が再び語り始めたのなら――興味深いことだ」
女は静かに指を組む。
「あれ以来、天は沈黙している。
だが沈黙は、死を意味するとは限らぬ」
彼女の瞳が蝋燭の火を映し出す。
「世界は一度、壊れている。
ならば、もう一度壊せばいい。
今度は正しく壊すのだ。
そうすれば……神々は再び地上を見るやもしれぬ」
「あそこは姉妹教の教会があったはずじゃ」
「ええ、“あやつ“を向かわせるつもりです」
「では、引き続き情報収集に徹します」
「詳細についての報告は次の祭儀にでも」
『ンゴ・デ・ロゴ!』
静かな会議に、十四の声が重なった。
蝋燭の燈が風がないのに大きく揺れる。
女は禁書庫の最奥で読んだ項を思い出す。
――『深淵は、呼ばれれば応じる』と。
図書館再建の際、地下封鎖の書類に署名したのは、当時まだ若き司書だった彼女である。
夜明けは近い。
だが、地上では誰も気づいていない。
短くなった蝋燭の火を消し、光が満ちた出口へと向かった。




