第10話:「ええ、きっと」
泥濘んだ街道を、二頭立ての馬車はゆっくり進んでいた。
その少し前を、私は歩いていた。
吐く息は白い。寒い。
春を迎えたとはいえ、朝の空気はまだ冷たい。
手を擦り合わせ、息を吹きかける。
周囲を囲む雄大な山々には、まだ雪の冠が残っている。そこから降りてくる空気は、骨の芯まで凍えさせるほど冷たかった。
ホノヌヌ村を出て、すでに一日が経つ。
リフターズの町まで、おおよそ五日。
この調子で進めば、明後日の昼頃には宿のある集落に着けるだろう。
暖かいベッドが恋しい。
思えば、ランド一家は尋常ではない速さで街まで知らせに行ってくれていた。スズカクロスは村一番の名馬だった。あれほどの駿馬は、そういない。
……もう、あの美しい青毛を見ることはできない。
ふと後ろを振り返る。
御者席には、司祭様の護衛についていた兵士のラックが座っている。
馬車の中では、司祭様とヴラド、それに兵隊長のサエゾーが休んでいた。
ヴラドの黒髪には、若干、白いものが混じり始めている。村のこともあるし、旅など慣れていないのだろう。
無理もない。
私と同じ冒険者のミホ、タナスは周囲を警戒しながら、馬車の少し前を歩いていた。
もうすぐ森の入り口だ。
雪解けの森は獣や魔物が出やすい。冬の間、飢えているはずだ。気は抜けない。
馬車の後方では、ラックと同じ兵士のギルバートとリョウが警戒にあたり、さらにその後ろでは騎兵のマリーが馬に跨り、周囲を見張っている。
太陽が頭高く登った頃、街道脇に設けられた野営地で休憩を取ることになった。
馬を繋ぎ、飼い葉を与える。
横を流れる小川で水を汲む。
火床に火を起こし、汲んだ水を沸かす。
ああ、暖かい。
馬たちは水を飲み終えると、静かに草を食んでいた。
スキレットでボアの肉を焼く。
脂がじゅっと弾け、香ばしい匂いが焚き火の煙と一緒に森へ流れていった。
焼けた肉を、パンに生野菜と一緒に挟む。
傷みやすい食材から使っていくのが旅の鉄則だ。大した遠征ではないので、堅パンを食べないで良いのが地味にありがたい。
肉の脂が火に落ち、ぱち、と小さく爆ぜた。
それだけで、お腹の虫がきゅうと鳴る。誰にも聞かれてないはずだが、少し恥ずかしい。
ミホが馬車から茶葉を取り出し、戻ってくる。
司祭様たちと一緒だ。
司祭様はヴラドに肩を貸しながら、焚き火の側に座らせた。
どうも調子が悪そうだった。
沸いた湯に茶葉を入れ、コップに注いだ頃。
辺りを見回りしていたみんなが戻ってきた。
全員で焚き火を囲み、食事を取る。パンから滴るボアの脂が甘く旨い。森の空気のせいか、いつもの食事なのに妙に旨かった。
……ふと、違和感を覚えた。
ヴラドが一口食べたきり、手が止まっていた。
司祭様が心配して声をかけた。
「……ご心配をおかけして申し訳ございません。
疲れが出ているのでしょう。少し休めば大丈夫です」
そう言い、立ちあがろうとするヴラドを司祭様は制した。
そして、ヴラドの額に手を当てる。
「失礼。
……これは、大変だ」
ヴラドは、高熱を出していた。
「司祭様、もう少し進むと集落跡があります。
数件、まだ使える家があったはずです」
兵隊長のサエゾーが進言する。
「……いえ、私のためにそんな。
馬車で寝ていれば、大丈夫ですから」
ヴラドがそう言うが、とても辛そうだった。
「では、今日は集落に泊まりましょう。
特に急ぐ旅でもありませんし、気にしなくても大丈夫ですよ。
私も疲れました」
落ち着いた声で、まるで言い聞かせるように司祭様は話した。
私はマリーと、彼女の愛馬ユキノに乗せてもらい、共に先行して家の確認と安全確保に向かった。
集落は、森の縁に静かにあった。
家は十軒ほど。どれも木造で、いくつかは屋根が崩れて倒壊しているものもあった。
柵はところどころ倒れ、畑だった場所は雑草に覆われている。
人の気配はない。
半開きの戸が、風に押されてぎい、と軋んだ。
あるのは風の音と、ユキノの蹄の音だけだ。
その中で、少し大きな家に目星をつけ、警戒しながら入る。
埃とカビの匂いがするが、換気すれば使えそうだ。
家の中央には囲炉裏があった。
外で待っているマリーに、状態を伝える。
街道沿いにある集落だ。
囲炉裏に火をつけている間に、みんなも追い付くだろうということになった。
囲炉裏に薪をくべ、火つけの魔法で火を起こす。
長く使われていなかった煙突から、白い煙がゆっくり上がった。
「司祭様たちの馬車が見えてきた」
周りを警戒していたマリーが言った。
私はマリーに火を見ていて欲しいと伝えた。
それから、薬草を探しにいってくると言い、家を出た。
森の奥に入る。
雪どけの水が地面に染み込み、土の匂いが立っている。
こういう場所には、薬草がよく生えている。
足元を確かめながら、低い草をかき分けて進む。
やがて、見慣れた葉を見つけた。
――コオモイ草。
解熱鎮痛効果のある、丸みを帯びた葉が特徴の薬草だ。
春には淡い紫色の花を咲かせるが、さすがに早かったようだ。
数株ほど摘み取り、袋に入れる。
――パキッ
背後で枝を折る音がし、すぐに腰の刀へと手をやり振り返る。
少し離れたところに、リーフフェザントが一羽いた。
まだ、こちらに気づいた様子はなく地面を啄んでいる。
少し痩せているが、大きさは十分だ。
背の弓を取り出し、キリキリと弦を引く。
放たれた矢が、風を切りながらリーフフェザントの左胸に突き刺さった。
……ご馳走だ。
薬草とリーフフェザントで鍋を作ろう。
身体も温まるし、コオモイ草の効果も上がるはずだ。
絶命したリーフフェザントを手頃な木に逆さまに吊るす。
その下に穴を掘り、首を落として血抜きをする。
顔を上げると、木々の隙間から集落の屋根が見えた。
煙突から上がる白い煙が、赤く染まる空にゆっくり溶けていく。
……どうやら、みんな着いたらしい。
薬草とリーフフェザントを手に、私は集落へ戻ることにした。
家の前にはユキノと馬車を引いていたドトウとシャトルが繋がれていた。
三頭の頭を軽く撫でる。気持ちよさげに目を細めた。可愛い。
家の中に入ると、暖かさにほう、と息が漏れた。
ヴラドは囲炉裏の側で毛布に包まり寝ている。
熱が上がったのか、呼吸が荒く苦しそうだ。司祭様とミホが看病をしていた。ミホがヴラドの頭に乗せていた布を水で冷やして取り替える。
他のみんなは、辺りの警戒と薪を取りに行ったそうだ。
背負っていたリーフフェザントを降ろす。羽も毟ってきたので早速調理を開始することにした。
「おお、これはすごい。
よく採れましたね」
そう言い、司祭様はリーフフェザントに手で十字を切って軽く祈った。
「薬草を採っていたら、たまたま出くわしました」
「なるほど、女神様たちから施しかもしれませんね」
「ええ、きっと」
私は少し嬉しくなった。
ダッチオーブンを取り出し、囲炉裏にかける。
リーフフェザントの骨を外し、ダッチオーブンに水と香草と一緒に入れ、蓋をする。骨から出汁を取るのだ。
出汁を取る間に、肉と野菜、そして摘んできた薬草を一口サイズに切る。
そうこうしている内に、見回りに行ったみんなが薪を抱えて戻ってきた。周囲を確認したが、魔物の気配はなかったそうだ。だが、念のため夜番をたてることにした。
カタカタとオーブンの蓋が鳴り、吹きこぼれそうになる。骨と灰汁を取り出し、切った食材を入れ蓋をする。
食欲をそそるいい香りが、白い湯気となって登る。
香りに誘われるように、自然とみんなが囲炉裏の周りに集まってきた。
みんなの椀に、鍋を注ぐ。
私は、ヴラドを起こし薬草が多く入った鍋を食べさせる。
真っ青になっていた顔が、次第に頬を染めた。
自生していた生姜も入れたので、身体も温まるはずだ。
椀を空にしたヴラドは、短く礼をいってすぐに寝息を立てた。食べてすぐに効果が出るわけではないが、心なしか呼吸が落ち着いたように見える。
みんな美味しいと言って、鍋を突く。
私もようやく食事を始めた。
ああ、しみる。
骨から出た出汁が、じんわりと舌に広がる。
森で取れたばかりのリーフフェザントの肉は柔らかく、噛むほどに甘い脂が滲んだ。
冷えた身体に、熱い汁がゆっくり落ちていく。囲炉裏の火がぱちりと爆ぜ、湯気の向こうでみんなの顔が赤く染まっている。
森の匂いと、肉と香草の匂いが混ざる。
……美味しい。
翌日、ヴラドの熱は下がっていた。
ヴラドは深々と頭を下げて、みんなに礼をいった。
念のため、もう一晩泊まってから、出発することに決めた。
今日も森で、獲物を探そう。
正直、ヴラドが熱を出して安心している自分がいる。
……彼も、ただの人間なのだと。




