指導
小型の魔導通信機の実験から二日後の午前十時頃、クリヒビスから南西に四キロ程離れた場所にリファロと冒険者たちの集団の姿があり、討伐対象の魔獣が住む森に入る前にリファロたちは打ち合わせを行っていた。
といってもリファロは今回負傷者への『治癒』の行使以外は何もするつもりは無く、リファロは冒険者たちに自分は打ち合わせにも参加しないのでいないものとして扱って欲しいと伝えていた。
このため冒険者たちは時折リファロに視線を向けながらも教官役として呼ばれた三級の冒険者、セラツリムとグレンオーサの指揮の下森に入ろうとしていた。
四十代の男、セラツリムと二十代の女、グレンオーサは以前クララス王国で冒険者として活動していたがクララス王国の首都、ベインジアのギルド支部の支部長を務めていたマッカランに無実の罪でギルドを追放された。
しかしリファロの天使への密告がきっかけでマッカランがギルドから追放された事でマッカランたちの被害を受けていた冒険者数名が活動を再開し、クララス王国よりリファロの下で働く事を望んだセラツリムとグレンオーサはクリヒビスに移住して今回新人たちの教官役も務めていた。
「今回はリファロ様と私とグレンオーサ、そしてガロイズさんは魔獣との戦いには参加しない。魔獣と遭遇したら私たち三人は魔獣の逃走を防ぐぐらいはするがリファロ様はあくまで私たちを含めた全員の審査のためにここに来ている。今回はリファロ様の助けは期待しないでくれ」
ガロイズというのは今回アルベール魔王国から参加しているオーガの名前で、今回討伐する魔獣程度なら平均的な大人のオーガなら一人で難無く倒す事ができたが、ガロイズも今回の魔獣との戦闘には参加しない予定だった。
このためセラツリムは新人冒険者たちにガロイズも頼りにしないように伝えたのだが、当のガロイズがセラツリムの発言に不満を露わにした。
「俺はお前らに最後までついていくつもりだし間に合ったら魔獣との戦いにも参加するぞ」
「ああ、もちろんそれで構わない」
巨体と怪力、そして人間の武器による攻撃数発程度なら耐える耐久力を持つオーガだがその巨体ゆえに長時間の移動は苦手で、一日に六時間以上歩く事も珍しくない魔獣の探索・討伐の仕事には向いていなかった。
リファロは森の開拓が進んだ後に森の奥に建設する予定の施設の警備や数ヶ月後に始める予定のアルベール魔王国内での鉱山の発見・採掘などオーガに向いている仕事は今後いくらでもあると考えていた。
しかしアルベール魔王国の魔族は救われた事への感謝とリファロに見限られるのではという不安が原因でリファロへの貢献で人間に負けるわけにはいかないと考えている者が多かった。
そしてガロイズを始めとするオーガにもクリヒビスで始まった冒険者ギルドでの活動に現段階で参加できない事に不安を覚える者が多く、リファロが直接オーガたちの有力者と交渉しても彼らは引き下がらなかった。
ドランド魔王国建国の主導者の一人が自分たちと同じオーガのヒクリバクだった事がガロイズたちの不安を強くしており、オーガ全体の汚名返上も彼らが望んでいる事を『回答者』で知ったリファロは絶対にオーガでは今回の討伐の際の移動には耐えられないと彼らに伝えた上で代表一人の同行を許可した。
そしてオーガたちが代表として選んだオーガがガロイズで、リファロは今回の移動に耐えられなかったという理由でガロイズがオーガの中で冷遇されたら自分も黙っていないとオーガの有力者たちに伝えた上でガロイズの同行を許可した。
このためガロイズは今回参加していた新人冒険者の中で一番気合いに満ちていたのだが種族としての向き不向きは気合いで乗り越えられるものではなく、森に入り二時間程経ちリファロたちが休憩のために一度立ち止まった時にはガロイズは既に他の者たちから遅れ始めていた。
「おい、大丈夫か?まだ半分ぐらいだぞ?」
今回アルベール魔王国から参加したもう一人の魔族、リザードマンのルインジオに心配そうな表情で声をかけられ、ガロイズは一瞬反応が遅れながらも何とか口を開いた。
「大丈夫だ。この後魔獣を倒して一泊して同じ道を帰る。問題無い」
全く余裕を感じさせない表情でのガロイズの返事にルインジオは一瞬言葉を失い、それでも何とか口を開こうとしたルインジオより先にグレンオーサが二人に話しかけてきた。
「ガロイズさん、今は無理をする時ではありませんよ。……魔族がギルドで働くなんて前例が無い事でいくらリファロ様が万能だと言っても必ずどこかで問題は起こると思います。今はまだ失敗してもいい時期ですし、リファロ様は魔族のみなさんそれぞれに、」
適した仕事を用意していると聞いていると続けようとしたグレンオーサだったが、グレンオーサの説得はガロイズの怒号で中断させられた。
「大丈夫だと言っているだろう!後二時間歩いて魔獣を倒すぐらいどうって事ない!」
このガロイズの怒号を受けて新人冒険者たちと小型の魔導通信機を使っての連携について話していたセラツリムも驚いた表情でガロイズに視線を向け、問題が起こりそうな状況を前にリファロは無表情でセラツリムとグレンオーサの出方を見守った。
「……とても余裕があるようには見えませんけど、……分かりました。それではここで私と戦ってみましょう。五分以内に私に一撃入れられたらもう何も言いません」
多少の疲労があるとはいえ剣と革製の鎧程度しか装備していない人間に負けるつもりはガロイズには無かった。
しかし相手から言い出した腕試しでとはいえ人間に怪我を負わせるのはまずいのではと考えてガロイズはリファロに視線を向け、意地を張り周囲に迷惑をかけている事を気にするどころか今の自分の言動が問題だと思ってすらいないガロイズに少なからず怒りを覚えながらリファロは口を開いた。
「……今回の仕事は終わったらもちろん報酬は払いますけど、さっきセラツリムさんも言ってたようにみなさんの審査も兼ねてます。だから僕が意見を出した時点で今回の仕事は失敗って事になります。どうしてもって言うなら僕が今から転移して魔獣倒してきてその後で僕の考えを言いますけど、もちろんこの場合、仕事は失敗でこのまま帰る事になりますよ?」
全く表情をにじませない声でこの発言をしたリファロを前にしてリファロの怒りを察する事ができない程ガロイズは愚かではなかったが、オーガが長時間の移動に向いていないというリファロの心配が過剰だとも考えていた。
このため名目上は引率者の一人であるグレンオーサの提案に乗りこの場を収めようと考えながらガロイズはグレンオーサに確認をした。
「そっちから言い出した事だ。もちろん殺しはしないが手足の一本ぐらいは覚悟しろよ?」
こう言って地面に突き刺していた刃渡り二メートル程の大剣に手を伸ばしたガロイズの発言にグレンオーサは腰に帯びていた剣に手を伸ばさずに答えた。
「ええ、ここであなたに怪我をさせられるようなら私の見立てが間違っていたという事なので気にしないで下さい。魔獣との戦い以外で誰かが怪我をしたとしても怪我をした人間の評価が下がるだけで、私がいなくなっても引率はセラツリムさんがいますので遠慮は無用です」
「……いいだろう」
十メートル以上離れている人間に追い着けと言われるとさすがに厳しいが三メートル程度の距離なら何とかなると考えながらガロイズは大剣を握る手に力を込め、他の新人冒険者たちが距離を取った後、セラツリムの合図でグレンオーサとガロイズの戦闘が始まった。
自分の脚が徐々に重くなっていた事を自覚していたガロイズは短時間で戦闘を終わらせるためにセラツリムの合図と同時にグレンオーサの両脚目掛けて横薙ぎに大剣を振るった。
出発前に人間の冒険者は全員が自分が使える魔法の属性を他の冒険者たちに伝えていたのでガロイズはグレンオーサが水属性の魔法を使える事を知っていた。
そして人間が使える四属性の魔法の中で支援・攪乱向きだと聞いている水属性の魔法など魔導装甲などで強化されていない限り自分なら力づくで打ち破れるとガロイズは考えており、仮に大剣が避けられてもそのまま前進して体当たりでグレンオーサを吹き飛ばそうと考えていた。
頭にさえ攻撃を当てなければ人間でも死にはしないだろうとガロイズは勝ち方ばかりを考えており、グレンオーサを格下と侮っていたガロイズの振るった大剣をグレンオーサは上に跳んで避けた。
大剣の間合いを考えると難しいのは分かるが退がるのではなく跳んで大剣を避けたグレンオーサの判断を受けてガロイズは苦笑し、飛び上がり身動きが取れなくなったグレンオーサを捕まえるために左腕を伸ばした。
空中での不安定な体勢で腰に帯びた剣を短時間で抜くのは難しいはずで人間の魔法なら覚悟さえしていればどの属性の魔法で一発なら耐えられる。
こう考えたガロイズは自分の勝利を確信し、ここで相手に怪我をさせるのは大人気無いだろうかと考えていたガロイズの前でグレンオーサは直径五十センチ程の水球を創り出した。
水の刃なら多少は警戒する必要があるが打撃に過ぎない水球の一撃なら恐れる必要は無いと考えてガロイズはそのまま腕を伸ばし、ガロイズ以外の新人冒険者も全員がガロイズの勝利を確信する中、グレンオーサの創り出した水球が爆発した。
「無駄なあがきを!」
ガロイズとグレンオーサの間で起きた爆発は攻撃というにはささやか過ぎ、一瞬だけ視界を塞いだ他は自分の顔から胸にかけて濡らして大剣の軌道をわずかに変えただけの結果に終わったグレンオーサの悪あがきにガロイズは拍子抜けしてしまった
そして三級冒険者などと言っていたが人間など所詮この程度かとガロイズは考えたのだが、グレンオーサを吹き飛ばす事も捕らえる事もできずに左腕を振り終えてしまい慌てて視線を前に向けた。
慌てると同時にわずかながらの冷静さを取り戻したガロイズの視線の二メートル程先ではグレンオーサが上半身を水で濡らしただけで無傷で立っており、人間が空中で移動したとしか思えない結果にガロイズは驚きの表情を浮かべた。
「何をした?」
「はい。これは指導の一環ですから質問には答えます」
自分の方が立場が上という態度を取ったグレンオーサを前にガロイズは怒りの表情を浮かべたが、先程グレンオーサが自分の間合いから逃れた方法が分からない事は事実だったので何も言わずにグレンオーサの説明を待った。
「先程の水球は攻撃のために創ったのではなく自分を吹き飛ばして後ろに逃げるために創りました。さすがに少し距離が足りなかったのであなたの剣を足場にしましたけど。……その様子だと着地の前に私があなたの剣を踏んだ事にも気づいていなかったみたいですね」
確かに先程大剣に受けた衝撃はグレンオーサの使った魔法の威力を考えると大き過ぎるとガロイズは不思議に思っていた。
このためガロイズはグレンオーサの説明に納得すると同時に必勝だと思っていた状況を脱した人間の工夫に感心もしたが、教官役の人間に心配された挙句手玉に取られたなど同族に報告するわけにもいかなかったので自分を奮い立たせるために声を荒げてグレンオーサに敵意を向けた。
「一度小細工で逃げたぐらいでずいぶんと得意気だな!何をやったかさえ分かればその程度の小細工、正面から潰してやる!もう大怪我程度で済むとは思うなよ!」
「……どうぞどこからでもかかってきて下さい。指導を続けます」
アッキム王国の出身ではないのでお二人が魔族から敵意を向けられる事はないと思いますという勧誘時のリファロの発言に疑いを持ち始めながらグレンオーサは右手で剣を抜き、目の前のオーガが最後まで意地を張ると面倒だなと考えながらガロイズとの間合いを詰めた。




