諸準備
巨大な魔獣二体を倒した翌日の午前中、リファロは屋敷の部屋で二日後に予定されている仕事、クリヒビスの冒険者たちの魔獣討伐の準備を進めていた。
人間と魔族十二人による混合部隊で倒す予定の魔獣は体長二メートル程のムカデの魔獣で、魔法が使えないこの魔獣は経験を積んだ三級以上の冒険者なら三人で余裕で倒せる相手だった。
しかし今回は新人冒険者たちにとって初陣だったのでクララス王国から教官役として招いた冒険者二人を含む十二人で任務に臨み、リファロは彼らに自分は『治癒』の使用以上の任務への参加はしないと伝えていた。
このため二日後の魔獣討伐に参加する新人冒険者たちのほとんどが緊張や恐怖を覚えていたが、さすがに今後行われる通常の魔獣討伐全てに参加するわけにもいかなかったので新人冒険者たちには精神的な問題は各自で乗り切ってもらうしかないとリファロは考えていた。
そして新人冒険者たちにとっては一大事でも二日後の魔獣討伐はリファロにとっては今抱えている大量の仕事の内の一つに過ぎなかったので、リファロは現在屋敷の倉に収納している蛇の魔獣の鱗の加工を任せる業者の選定に意識を向けた。
アッキム王国では魔獣の部位の加工が盛んではなかったがそれでも従業員二十人以上を抱えた加工業者が国内に三つあり、『回答者』で把握した情報を脳内で整理しながらリファロは考えを巡らせた。
三つの加工業者に同じ量の魔獣の鱗の加工を頼めれば話は簡単だったのだが、加工業者の一つはアッキム王国の貴族が事実上の経営者でこの貴族はリファロに強い敵意を持っていた。
このため仕事の話を持ち込んでも歓迎される可能性は低く、かといって他の二つの業者にだけ話を持ち込んでも恨まれる事は確実だったので面倒な事この上なかった。
どうせ断られるだろうが形だけでも話を持っていき後で文句を言われないようにしよう。
これだけ自分を嫌っている貴族を懐柔できれば今後の選択肢が大きく広がるかも知れない。
しかしこの貴族は実利より見栄を優先する性格らしいので本気で時間を割くのは非効率だ。
そもそもアッキム王国内でも利益が上げられるように配慮している自分がどうしてここまで気を配らないといけないのか。
特別な魔獣の部位の加工といった大きな仕事は本来なら歓迎されるのが普通で、実際魔獣の血を売却したゼーナマイン皇国の研究機関は話を持ち掛けたら喜んで乗ってきた。
このため自分を恨んでいる貴族が関わっている業者以外の二つの業者も仕事こそ引き受けるが裏では自分を恨んでいるという『回答者』で知った現状にリファロは思わずため息をついてしまった。
そしてここまで自分を恨んでいる相手を自分から動いてまで助ける義理など無いのだがと考えたところでリファロは我に返った。
アッキム王国の人間も極力助けるという自分の方針が揺らいでいる事に気づいたからで、人助けという極端な話、ただの趣味で非効率や義理などと言い出し始めている自分に気づいたリファロは疲れを自覚して再びため息をついた。
自分の考えが不穏な方向に向かっている事を自覚したリファロは近い内にせめて一日だけでも休日を設けた方がいいかも知れないと考えながら机に向かった。
そしてギルドが本格的に活動を始めた事で開拓できるようになったクリヒビス近郊の森の活用方法や巨大な魔獣の飼育を産業にする事の現実性などについてリファロが一時間程考えた頃、リファロの机に乗っていた手のひら大の長方形の何かが鳴り始めた。
「おい、準備ができたぞ」
リファロの机の上に乗っていた物の正体は小型の魔導通信機で声の主、ドワーフのレマトは今屋敷の裏庭にいるはずだった。
既に開発自体は済んでいた小型の魔導通信機でレマトが連絡を入れてくる事は事前に決まっていたのでいつの間にか約束の時間になっていた事にリファロは驚き、机の上の書類を片付けると急ぎレマトのもとに向かった。
リファロがレマトのもとに向かうと近くにはレマトと共にリファロの屋敷で働いているドワーフの女、ギロッカと人間の男が一人いた。
以前魔獣討伐に関わる詐欺を働いた元冒険者たちの内二十人をリファロはニードベルに引き取り各所で働かせており、ギロッカの隣にいる男も元冒険者の一人で手には小型の魔導通信機十個が乗った盆を持っていた。
「じゃあ、さっそく始めてもらっていいですか?」
あいさつもそこそこにリファロがレマトに実験を始めるように頼むとレマトは男に視線を向け、レマトの無言の指示を受けた男は持っていた小型の魔導通信機全てを使いどこかに連絡を取り始めた。
男が連絡を取り終えて一分もしない内にリファロたちの近くには周囲で待機していた人間や魔族が集まり、集まった魔族の内の一人、使用人たちのまとめ役のラミア、アクレナがリファロに話しかけてきた。
「本当にすごいですね、これ。この人間の声がはっきり聞こえてきましたよ」
連絡を取れる距離は百メートル程でいいので誰でも使える小型の魔導通信機を量産して欲しいと以前からリファロはレマトたちに頼んでおり、新人冒険者たちの初陣を前にとりあえず小型の魔導通信機の試作機十組が完成した。
今回レマトたちが開発した小型の魔導通信機は対となる魔導通信機としか連絡を取れなかったが最大二百メートルまで音を届かせる事ができ、報告は既に受けていたとはいえ自分の要求の二倍の機能を持つ魔導通信機を開発してくれたレマトとギロッカにリファロは改めて礼を述べた。
「二十個作って欲しいって時点で相当無茶を言ったと思ってたんですけどまさか二百メートル先まで声を届かせられるなんて思いませんでした。本当にありがとうございます」
「ふん。……お前さん相手じゃ仕事に手を抜けんから困るわ」
レマトとはもちろんギロッカも『回答者』の監視が無いからといって仕事に手を抜く性格ではない事は分かっていたので、リファロはレマトの悪態に苦笑しながらアクレナに視線を向けた。
「忙しい中実験につき合ってもらってすみませんでした」
実験にかかった時間は二十分以下だったが使用人たちの仕事の手を止めてしまった事は事実だったのでリファロはアクレナたちに礼を述べ、リファロが他の使用人たちと話している間に使用人のハーピィの一人、セルミースが気まずそうな表情でギロッカに話しかけていた。
「あの、私の持ってた魔導通信機、声がはっきり聞こえませんでした。……一応音は聞こえたから戻ってきましたけど故障ですか?」
つい先程レマトが言った通り、リファロの下で働いている以上嘘や隠し事は通用しなかったのでリファロの部下の間では不満や問題は比較的すぐに共有されていた。
そして愛想の無いレマトより報告しやすいギロッカにセルミースは自分の確認した魔導通信機の不調を伝え、報告を終えた後も不安そうな表情を浮かべていたセルミースにギロッカは問題無い事を伝えた。
「何度か実験して百五十メートルを超えた辺りから声が届きにくい事は分かってました。今回は同時にいくつも魔導通信機を使った時に干渉しないかの確認が主な目的で、セルミースさんたち三人にはわざと遠くに行ってもらいました。他のみなさんからの報告も合わせると今日の実験は概ね成功なので安心して下さい」
技術者ではないセルミースに伝えてもしかたなかったのでギロッカは口にしなかったが今回の実験では上空で待機していたセルミース以外のハーピィへの連絡がうまくいかなかった。
このハーピィにも人間の男の声は届いたが伝わった声は途切れ途切れだったらしく、この結果は事前にレマトとギロッカが設定していた許容範囲を超える失敗だったが、水平方向以外への連絡には課題があると分かった事は収穫だと二人は考えていた。
二日後の魔獣討伐に参加する魔族はオーガとリザードマンだと聞いているのでとりあえず二日後は問題無い。
従来の大型の魔導通信機が使用されている近くでは小型の魔導通信機が完全に使えなくなる理由もまだ分かっていないので課題は多い。
正直な話、魔導通信機の改良はともかく使用されている転移魔法は自分たちにとって専門外なので今確認されている不備への対応は難しい。
知識不足は『回答者』で解決できそうだったが知った内容が専門的過ぎるとリファロも自分が言っている事の意味が分からないという状況になり、そもそもリファロの一つの仕事に専念させる事が不可能だった。
一応今は前日にレマトとギロッカが抱いた疑問への答えをリファロが書面にまとめて毎朝渡すという形で対応しており、ニードベルに移住しても構わない人間の技術者・研究者をリファロが探しているらしいので今は我慢するしかないとギロッカは考えていた。
人間をニードベルに移住させる事については詐欺を働いた元冒険者たちを移住させた時に少し揉めたが、ニードベルの住民にリファロの決定に強く逆らえる者などいなかったので今後も有益な人間の移住は進むだろうとニードベルの住民全員が考えていた。
「じゃあ、とりあえず実験は終わりですね。……あなたたちも仕事に戻って下さい」
レマトやアクレナたちと話していた時とは一転してリファロは元冒険者たちに鋭い視線を向け、一度逃げ出そうとしてニードベルの住民たちに大怪我を負わされた者もいたので彼らはわずかに不満そうな表情を浮かべながらも大人しくそれぞれの職場に戻った。
リファロはニードベルに引き取った元冒険者たちに森での薬草・果実の採取や用意した場所での農作業などをさせて極力ニードベルの魔族たちと接触させないようにしていた。
常時『回答者』で監視するのも面倒だったのでリファロは彼らに許可された場所以外での活動は禁止するとだけ伝え、彼らは数人ずつ寝泊まりするためにだけに建てられた簡素な小屋と仕事場を往復するだけの味気無い暮らしを送っていた。
当初の予定ではニードベルで三年程働けば彼らは罰金を払い終えて自由になれたのだが、脱走後の『治癒』の料金が連帯責任で全員の罰金に上乗せされた事で労働期間が半年程伸びてしまった。
リファロは元冒険者たちにあなたたちは刑務所に入っているのと同じ状況なのだから勝手な事はしないようにと伝え、戦争の経験から魔族たちが人間に強い恨みを持っているので逃走した場合身の安全は保障できない事も伝えていた。
これにも関わらず魔族に襲われた元冒険者たちの一部はニードベルに連行された初日に逃げ出したのでリファロは彼らに全く同情しておらず、様子を見て彼らをギルドのクリヒビス支部で働かせるという自分の案に不安を持ち始めていた。
しかし初日に逃げ出して魔族たちに致命傷を負わされた脱走者たちのおかげで二度目の脱走は起きていなかったので、今日の彼らの様子を見る限り望み薄だが一応諦めないでいようと考えていたリファロにレマトとギロッカが近づいてきた。
「魔導石の用意はどうなってる?」
魔導石とは転移装置や魔導通信機に使われる希少な鉱石の事でリファロは当面はアルベール魔王国とクリヒビスのみで使う予定の小型の魔導通信機二百個の用意をレマトたちに頼んだ。
しかしリファロが自由にできる魔導石では精々小型の魔導通信機三十個分程にしかならず、最近のリファロが金策に走っている事を知っていたレマトは小型の魔導通信機の量産は先の事になるだろうと考えながら一応確認のためにリファロに話しかけた。
「屋敷で使う魔導通信機に使う魔導石は少し減らしても問題無いが、冒険者連中が使う魔導通信機はそうもいかんだろう?」
屋敷で働く使用人からも小型の魔導通信機が欲しいという声が上がっており、正直面倒ではあったがレマトたちも仕事である以上最善は尽くすつもりだった。
しかし他の材料と違い代用が利かない魔導石の不足は技術者であるレマトたちにはどうしようもなく、軽く催促をするだけで今回の話を終わらせるつもりだったレマトの質問にリファロは即答した。
「早ければ二週間以内に二百キロは用意できると思うのでもう少し待ってて下さい」
他ならぬリファロから需要に供給が追いついていない魔導石はどの国でも不足気味だと聞いていたレマトはリファロの即答に驚き、リファロがどこかから魔導石を盗んでくる可能性すら考え始めていた。
そしてレマトの隣ではギロッカも同じ事も考えていたのでリファロは二人に魔導石入手のあてを伝えた。
「クララス王国のある伯爵の領地に手つかずの鉱脈があってそこから魔導石も取れるみたいなんです。その伯爵も鉱脈がある事は知ってるみたいなんですけど地盤が不安定な場所にあるらしくて、先々代の領主が掘り進めようとして何人も犠牲が出て諦めたみたいなんです」
「……よく分からんがよその土地の物を勝手に掘り返していいのか?」
リファロならどの国が相手でも力で従える事ができるだろうとレマトは考えたがリファロが侵略紛いの事をする様な人間ではない事は理解しており、もちろんリファロも無断でクララス王国内で採掘を行うつもりは無かった。
「ギルド関係の仕事が後五日で一段落するのでその後で伯爵のとこに話を持っていくつもりです。……ギルド関係無い話をしに行くのでちょっと気が重いですけど」
クララス王国の伯爵のもとを魔族の国、アルベール魔王国で領主を務めている人間のリファロが訪問するという複雑な形になるので、この計画の前にクララス王国に根回しをしておく必要があった。
『回答者』で交渉成功までの手順こそ把握していたが、わずかの隙も見せられない年長者相手の交渉には未だに慣れていなかったのでリファロは思わずレマトたちの前で弱音を吐いてしまった。
そして自分の半分も生きていない若者が自分たちの手の届かないところで苦労している事を知りレマトは柄ではないと自嘲しながらリファロを慰めた。
「……詳しくは知らんがお前さん、他にも色々やってるんじゃろ?いきなり魔導石二百キロも持ってこられてもわしもギロッカも手が回らん。少しは落ち着いたらどうじゃ?」
「はい。もう少ししたら休みを取ろうと思ってます。でもこの話はできるだけ早く持っていかないとあっちでも話し合う時間が必要ですから」
本当は今日にでもクララス王国に行きたいリファロだったが、そろそろ結果が出そうな自分の能力の訓練、ニードベルに引き抜きたい他国の人物と彼らを引き抜く際の障害の取りまとめ、アルベール魔王国内で採れる薬草の売り込み先の選定と既に始めている仕事をいくつも抱えていた。
『回答者』を前提に多くの仕事を同時に進めているリファロは一度始めた仕事は他の者に任せられる段階まで進めなくては仕事を忘れてしまう可能性が高く、実際これまでに何度か半端に進めていた仕事を忘れて放置していた事があった。
このため今進めている仕事だけでもクララス王国に行く前に終わらせなくてはとリファロは考えており、休日を取るというリファロの発言に疑いの視線を向けてきたレマトたちと別れた後、冒険者の社会的地位を上げるための方法について考えながら自分の部屋へと戻った。




