展望
魔獣狩りを行った翌日の朝、リファロはベインジアの中心から離れた場所をマナリュースとルドディスと共に訪れていた。
訪問先にベインジアの中心を選ばなかったのはリファロの顔が知られている可能性があったからだが、魔族二人を連れている以上、本来ならリファロたちの存在は周囲を騒がせるはずだった。
しかし街の中を堂々と歩く三人に周囲を行き交う人々が注目する様子は無く、分かってはいたが問題無く街の探索を行えそうな事に安堵しながらリファロは後ろの二人に視線を向けた。
「人間の体はどうですか?」
強化された『転移』の代償として異能を魔族が払った場合、二回も代償を払うと魔族は異能と共に魔族の体を失い人間になってしまい、普段なら不便でしかないこの状態も人間の街を目立たずに探索したいマナリュースとルドディスには好都合だった。
オーガであるルドディスも筋力と共に普段の巨体を失ってしまい、本人は腰布しか身につけていない普段と違い上下一体型の服を着ている事に違和感を覚えている様子だったが街中で目立ってはいなかった。
「いやー、こうした形で人間の街を歩けるとは思っていませんでした。……物が多過ぎるのが気になりますが人間の街はどこもこんなものなのですか?」
アルベール魔王国内での物の調達方法は主に狩猟と採取、物々交換で、当事者同士の揉め事を避けるために物々交換を仲介する機関の支部が大きな街にはあったが店に相当する場所はアルベール魔王国には少なかった。
このため主に午前中に開かれる市場の露天商がルドディスには珍しいらしく、露天商たちが並べている商品に視線を向けながらリファロはルドディスの質問に答えた。
「こんなに店とか商品が並んでるのは午前中だけです。時々他の国から来た人とかが珍しい物売ってたりしますけどこの時間に売ってるのは大体食べ物ですね」
「毛皮などは並んでいないのですね」
「この辺りは食べ物とかばっかりで毛皮は少し離れた場所にあるみたいですね」
リファロもアルベール魔王国に滞在するようになった当初驚いたのだがアルベール魔王国内で個人あるいは少人数でやっている店は食べ物、毛皮、鉱石などといった雑多な物を同時に並べて売っていた。
いくつかの街にある大きな店は別だったが、その日に提供できる物をとりあえず全て店頭に並べるというやり方がアルベール魔王国では主流だったので、同じ店でも日によって手に入る物が全く違うアルベール魔王国流にはリファロもいまだに慣れていなかった。
「自分で食べる物を自分で取らないというのは不思議な感じですね」
「……まあ、その辺りは分業って言うんですかね。アルベールでも荷物を運ぶ仕事をしてて狩りはほとんどしないハーピィとかいるじゃないですか?そういう感じなんだと思います」
アルベール魔王国に住む魔族は成人なら全員が通常の熊や猪程度なら一人で狩れる強さを持っている種族がほとんどだったので一ヶ月に一度も狩りをしない魔族は珍しく、国の役職に就いているルドディスですら家族や知人と月に数度は山に入り狩りを行った。
人口や種族としての強さの違いが原因の文化の違いにルドディスはなかなか納得できない様子で、探索も忘れて悩んでいたルドディスにリファロは言うか悩んでいた実例を伝えた。
「戦いとか研究とか向き不向きは色々ありますから。ルドディスさんたちにとっては複雑だと思いますけど、頭がいい人が狩りとかしないで研究に集中できたおかげで魔導通信機とかが開発できたわけですから」
さすがに魔族をどれだけ殺したか分からない魔導装甲を例に挙げるのは避けたリファロの説明を受けてルドディスは少し考え込んでから口を開いた。
「……新しい技術ですか。そもそもそういった仕事を管轄する役職がありませんね」
アルベール魔王国内で技術職と言えばエルフかドワーフだったが彼らを国全体で管理・支援するという考えがこれまでのアルベール魔王国には無く、仮に新しい役職を作るとしてもこういった考えは自分の役職の範疇を超えているとルドディスは考えた。
「私たちも魔法や武器の研究に力を入れるべきだと思いますか?」
「武器はともかく魔法とか薬の研究はやりたい人が集まってやった方が効率はいいと思います」
アルベール魔王国の技術が周辺の国々の技術と比べて劣っている事は事実だったが、国を挙げた技術開発についての方針など尋ねられても困るというのがリファロの本音だった。
以前ミルヒガナへの土産として絹を買った際、リファロはアルベール魔王国内での蚕の養殖をミルヒガナたちに勧めるか迷ったが、人員の確保やゼーナマイン皇国との交易への影響などの問題の解決は結局アルベール魔王国に任せる事になるので結局何も言わなかった。
リファロは正式にニードベルの領主になったら領内で小規模な蚕の養殖を始める事も考えていたが、実際に蚕の養殖を始めた後の作業は雇った魔族に任せる事になるのでためらっていた。
部下を率いる、あるいは雇う事を考えただけで面倒に感じている自分は人に上に立つ器じゃないなとリファロはここ最近何度も考えた事を再び自嘲気味に考え、その後周辺の国々での衛兵の運用方法などについてルドディスと話してからマナリュースに視線を向けた。
リファロは最近行動を共にする事が多かったマナリュースには今回行った人間化について早めに伝えていたが実際に試したのは今日が初めてで、人間の体になったマナリュースは手で何かを掴む感触を楽しむために目についた物に次々に触っていた。
「ルドディス様との話は済みましたか?」
リファロに視線を向けられた事に気づいたマナリュースは手にしていた野菜を近くにいた店主に返し、自分の言葉を待っている様子のマナリュースにリファロは話しかけた。
「何か気になった物があるなら買っていきましょうか?」
「いえ、少し見てただけですから。あ、でも、リファロ様のお屋敷に飾れる何かがあれば買っていきたいかも知れません」
マナリュースが欲しい物を聞いたつもりだったリファロは屋敷に飾る物をと言われて戸惑ったが、確かに今の屋敷は最低限の家具しか無いので風景画をいくつか買っていくぐらいはしてもいいかも知れないと考えた。
そして仮にも領主の屋敷なのだから高そうな彫刻の一つぐらい買った方がいいのだろうかと考えていたリファロは手が何か柔らかい感触に包まれている事に気づき、リファロが視線を下げるとマナリュースがリファロの手を握っていた。
「マナリュースさん?」
突然のマナリュースの行動に動揺したリファロをよそにマナリュースは笑顔を浮かべたまま口を開いた。
「この前街に来た時人間たちがこうやっていたのを見て一度やってみたいと思ってたんです」
こう言うとマナリュースは左手だけ離して歩き始め、リファロはマナリュースの右手を振り払うひまも無くマナリュースに引かれる形で足を動かした。
「……少しの間ですけど人間の体になるって正直不安でした」
人間の体になった瞬間、翼を失う事にばかり意識が向いていたマナリュースは人間の脚の力の弱さに驚いてしまい、最初の数十秒は脚が自分のものではないようにすら感じてしまった。
そして人間の体になって最初の一、二分はマナリュースはこんな脆弱な体しか持たない種族に自分たちの国が蹂躙されたのかと怒りや虚しさに襲われ、リファロがルドディスとの話に集中していた事に感謝しながら近くの店や行き交う人々に視線を向けていた。
活気のある店主たちや家族と笑顔でどこかに向かう通行人たちという平和な光景を見ている内にマナリュースの黒い感情は強くなる一方だった。
しかし手を繋いでいる親子を見た瞬間、マナリュースは今度はこの状況で人間への恨みを抱いている事に怒りを覚えた。
リファロの前ではさすがにほとんどの者が隠していたが今でもアルベール魔王国の魔族の人間への憎しみは消えておらず、マナリュースもリファロと共に人間と戦う機会が訪れたら自分は喜びを感じながら人間を殺すだろうと考えていた。
しかし今マナリュースは強化された『転移』の代償を利用するという多用はできない手段でリファロと共に人間の街を探索しており、この状況で思い浮かべる事が人間への恨みかと自分に怒りと呆れが入り混じった感情を抱いた。
そしてせっかくリファロと同じ人間の体を持っているのだからとしたい事を考えた結果、マナリュースは先日リファロとベインジアを訪問した際に目撃した手を繋いでいる男女の姿を思い出した。
女しか生まれないハーピィやラミアには親子という概念はあっても夫婦という概念は無く、ハーピィやラミアは主に人間との間に子どもこそ作るが出産後に相手に会いに行く事はほぼ無くマナリュースも父親の顔も名前も知らなかった。
このためリファロとの間の子どもを望むハーピィやラミアはかなり多かったがリファロとの日常の時間まで求めるマナリュースはハーピィの中でかなり異端の存在で、実際マナリュースもハーピィやラミアの中にたまに現れる子どもの父親に何度も会いに行く変わり者の事を以前は全く理解できなかった。
しかしリファロと行動を共にするにつれてマナリュースは彼女たちの気持ちを理解できるようになり、この気持ちを理解できない他のハーピィたちを気の毒にすら思い始めていたが今のリファロにとって自分がそこまで特別な存在ではない事は察していた。
そしてリファロに少しでも自分を異性として意識してもらいたかったマナリュースは以前見た人間たちの真似をするだけという軽い気持ちでリファロの手を握ったのだが、予想以上の反応がリファロからは返ってきた。
そしてまだ新鮮に感じる何かを握る感覚とリファロとの初めての本格的な接触を楽しみながらマナリュースは足を進め、一方のリファロはマナリュースが突然自分の手を握ってきた意図が分からず最初は困惑した。
しかし目についた物について楽しそうに質問してくるマナリュースを見てマナリュースが街の探索を純粋に楽しんでいるのだとリファロは納得し、マナリュースが自分に気があるのではと一瞬でも思った事に苦笑した。
今のリファロはギルド関連の仕事に空いた時間のほとんどを使っていたが自分の時間を全てギルドに使うつもりはさすがに無く、周辺の国々のギルド関連の問題やアルベール魔王国の情勢が落ち着いたら少しゆっくりしようと考えていた。
しかしアッキム王国に連れ去られた魔族の帰国も終わっておらず、『回答者』によると戦争に負けたアッキム王国で皇帝、ブラザークの帰国後に確実に内乱が起こるらしい今、落ち着いた時の事を考えている余裕などリファロには無かった。
連れ去った魔族を売却する事で得るはずだった利益がリファロの介入で全て無くなったアッキム王国に残されたのは増税に耐えた市民や国に貸した金が回収できる見込みが無い貴族・資産家たちからの不満だけだった。
そして彼らの不満を武力で押さえようにも魔族返却後のアッキム王国には今回動員された兵士たちへの給料を払う余裕すら無く、こうした事情を察していたアッキム王国の有力者や軍の幹部が国を見限り始めている事をリファロは『回答者』で把握していた。
しかし何も起こらない内にアッキム王国内での出来事に干渉しても言いがかりをつけられる事は目に見えており、またアッキム王国の人間にとって諸悪の根源である自分がこれから先何をしてもアッキム王国の人間に感謝されない事もリファロは分かっていた。
かといって好きなだけ内乱を起こしてアッキム王国の国民同士で殺し合ってくれと突き放す気にもなれず、一応は魔獣討伐の褒美でこの世界に送り込まれたはずの自分がこれだけ苦労しているのだから本来の転移者たちはもっと苦労しているのだろうなと思いながらリファロはマナリュースの手を握り返した。




