第81話 入京Ⅱ
※ 現在執筆の時間を余り取れない為、投稿を優先して話が短くなっております。また、誤字脱字の確認も不十分です。以上、ご了承ください。
◎山城国・御所 楠木正顕
1563年 1月下旬
京の都に入った俺は妙覚寺を一時的な拠点として借り受け、五千の兵は与一郎(細川藤孝)に指揮を任せ、京の警備を一任した。そして与四郎(三渕藤英)には帝への謁見の手配と、公卿への挨拶と根回し、そして自身の顔を売り込む事を命じた。
そして次の日、帝への謁見については受理され、いつでも問題ないとの事だったので、早速身なりを整え内裏へと参内した。
帝は俺の事を娘婿として、身内として迎え入れて頂き、謁見と言う堅苦しい場では無く、御常御殿へと招き入れて下された。そこには妙齢な女性が一人と山科卿が待ち構えておられた。
「小御所では公の場ゆえ人の目もあるでな、この御常御殿は私的な空間ゆえ特に許された者以外は入って来ぬ。普段通り話して貰っても構わぬぞ、婿殿。」
「有難うございます。陛下に措かれましては…」
「堅いのぉ。朕と其方は義理とは言え親子であるぞ?公の場でなければ、父と呼んで欲しいものじゃ。」
「フフフ…分かりました。それでは義父上、お約束通り、この京を掌握致しました。そして各地に散った兵により山城国のほぼ全土を楠木領として併合致しました。」
「流石は婿殿よ、仕事が早いの。のお目々。」
「そうで御座いますね。春もこのように頼れる御方に嫁ぐ事が出来て、この先安心でございましょう。」
「初めてお目に掛かります、義母上。正顕に御座います。何かあれば遠慮のう申してください。」
「よしなに、正顕殿。」
そう言って嬉しそうに微笑まれた。正に魔性の笑顔と言った様相だ。春も将来は彼女のようになるのだろうか。
「義父上、此度は報告も兼ねて参内しました。先ずは京を含む山城国は楠木領となった事で私の権能、豊穣の大地の恩恵を受けるようになります。それによって山城国の石高は22万石あまりですが、実際の米の取れ高は倍の44万石以上となり、天災の類は一切発生しなくなります。」
「ほんに恐ろしい力よの。しかしこれからは其方の支配領域である限り、この恩恵を受けられると言う事じゃな?」
「その通りです。そして京の復興の為に様々な施策を打ちます。まずはこの都の区割りを決め、順を追って公的機関などの建物を復興させます。その手始めとして全国より大量の大工を雇い入れ、この御所を始めとした様々な施設や集合住居として民たちを住ませる為の長屋などを建設します。」
「御所も修繕してくれるのか?」
「修繕では無く新築ですね。その為に公卿の皆さまにも協力頂き、御所の縄張り等の資料をご用意頂きたいですね。それをもとに優先順位を付けて、現在失陥している施設も含め建設して行きます。」
「それは、大内裏や朝堂院、紫宸殿、清涼殿なども新設頂けると言う事なのですか?!」
「そうですね、その辺りの施設も資料さえご用意頂ければ、順次建設して行きます。」
俺の話を聞き、帝を始めとして目々典侍殿や山科卿も喜びの表情を浮かべている。俺にとって御所の復興は京の復興事業の一丁目一番地、要であると言える。莫大な費用が掛かると思うが、例の純金鉱山から日々大量の砂金が城の金庫へと納められているので、経済活性化の一助としても金に糸目を付けず、進めて行く予定だ。これに当然領内の関所は監視目的の物を除き、全て撤去して行くので、物の値段も下がり、暮らし易くなるだろう。
それから帝とはこれからの細々とした打ち合わせを行い、最後に春宛の文を受け取った後、御所を後にした。
◎山城国・妙覚寺 楠木正顕
1563年 2月下旬
京を制圧して一月が経過した。
現在は妙覚寺を京の拠点として活動しているが、いつまでもこのままと言う訳にもいかない。よって武衛陣跡の義輝邸を改築し城郭を巡らせた建屋へ改築する事にした。
防衛面を考慮すれば近江八幡城のように天守を有した城を建築すべき所だが、帝の坐す御所を見下ろすような建築を、俺としては容認する事が出来ない為、現在の邸宅に堀を張り巡らせる事で対応する事とした。
また、他の京の状況としては、京の民を日雇い労働者として土木作業を中心に雇い入れ、大工の棟梁たちに管理させる形で京の町の各地に派遣して作業に従事させている。これにより、貧困に喘ぐ京の民に日々の糧を得る手立てを与え、何とか生活の基盤を建てる助けになる様にとの配慮と、京の復興を同時に行うと言う考えからだった。
因みにこの作業は近江八幡城より藤左衛門(石田正継)を呼び寄せ、全体の監督を任せている。
そして共に上洛して来た三万五千の軍勢は、五千人を京の警備として半年交代で常駐させる事にし、京都所司代として与一郎(細川藤孝)に任せる事とした。また残りの三万の兵のうち五千を国境の高雄城、嵐山城、山崎城、寺田城、木津城へ夫々千の兵を常駐させた。
残りの二万五千は十兵衛と半兵衛の指揮の元、三好領へ向け進軍を開始し、山城国に隣接する摂津国、河内国の砦や城を次々と陥落させて行った。報告によれば三好勢は全軍を飯盛城近郊に集結させているようで、抵抗は散発的なようだ。
「これに加え新たな報告として、大和の松永が我らの動きによって、退路を断たれる事を嫌って大和より撤退したそうです。それにより、滝川殿により大和国の確保が完了した旨、報告がありました。」
現在大量に上がって来ている報告を精査し纏めて報告してくれているのは、先頃軍略方としての役目を与えた弥八郎(本多正信)である。
「では約束通り、筒井には添上郡、添下郡、平群郡を所領安堵する。そして一益には現在の宇陀郡に加え、吉野郡、宇智郡を加増し、9万7千石とする。そして残りの郡は直轄領として代官所を設置し、郡代を派遣、そして臣従した国衆や寺社らを管理監督せよ。当然宣誓書(例の書類と呼んでいた物)への記名血判を忘れるな。」
「畏まりました。」
「最後に、筒井と一益に河内国方面より三好に対して圧力を掛けるように通達せよ。無理に攻め込む必要は無いが、三好の兵を可能な限り引き付けよ…とな。」
弥八郎は俺の指示を関係各所に伝達する為、一礼すると部屋を出て行った。




