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戦国太平記 〜大きな楠の木の下で〜  作者: 流星群
上洛編

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42/52

第42話 観音寺騒動Ⅱ

※PCが急に故障した為、投稿頻度に影響が出るかも知れません。

スマホでの執筆の為、打ち込み速度も遅く内容も少し短くなっています。

以上、ご了承ください。

◎伊勢国・千種城 楠木正顕

 1559年 8月上旬


 葉月の十日の未明、千種城を出立した北伊勢の各所から集まった総勢一万五千の軍勢が一路、日野城を目指し湯ノ山峠(ゆのやまとうげ)を西進していた。


「正輝、軍勢の指揮はお前に任せるが、無理はさせるなよ。恐らく様子見を決め込んでいる多くの連中は、城を囲んでやれば簡単に降るだろう。それに最悪、日野城で合流する賢秀に調略をさせれば良い。」


「えぇぇぇ…」


「えぇぇぇ…じゃない!戦いたいのは分かるが、敵であろうと無暗に殺す必要は無い。敵対的な者共は打ち払わねばならないが、可能な限り敵味方の被害は抑えたい。人死が多ければそれだけ国力が落ち、回復するのに時間が掛かる。それこそ十数年単位でな…どうしても戦いたいのであれば、将を倒す事を優先せよ。そうすれば農民兵や雇い兵は簡単に離散する。」


 この時代の戦における武功とは一番槍や首級の数であり、戦場で華々しく散る事、例えば撤退戦における殿を務め、主君を守って討死するなどの名誉ある死がほまれとされる。


(この時代の特に武士階級の人間の価値観としては正輝の感覚の方が主流で、俺の考えは異質なんだろう。けどなぁ…後々の事を考えれば、戦による人口減少は少なくしたい。特に現代と違って機械などの労働を代替だいたい出来る手段の無いこの時代は、それを担う人の数こそが力だ。)


 ただし、戦を回避する事のみを注力し続けていると、皆の不満が溜まって行く事も確かな事だろう。


(当然だな…功を上げる機会を奪っている訳だからな。皆の信用を失っては元の木阿弥…ある程度のガス抜きは必要か…。)


「まったく…そんな顔をするな…城を囲んだ後に投降の様子が無ければ、攻城に移行しても構わん。ただし、逃げる者…特に農民兵などの一般兵には追い討ちは掛けるなよ?」


「はい、分かりました!!敵対する者だけ蹴散らします!!」


 正輝は機嫌よく鼻歌を歌い始めた。


(本当に現金な奴だ…命の遣り取りをする事がそんなに嬉しいのだろうか。異世界で十年以上を過ごし、戦国の世に産まれ直した現在でも、この感覚だけは理解出来ない。既に前世の現代で過ごした期間よりも異世界と戦国の世で過ごしている期間の方が長くなっているが、未だに俺の価値観は現代日本にいた頃に近い。)


 そんな時、今更だが【郷に入っては郷に従え】と言う言葉を思い出した。確かに人命を出来る限り奪わないようにと言う考えは大事かもしれないが、余りそれに拘り過ぎると家臣の忠誠を失う事になるかも知れないと思い至った。


 確かに正しい事、正論だけでは世の中は回らない。唯々真っ白い空間に長時間いると気が狂ってしまうように、清浄なだけの世界では生きられない。必要悪と言う言葉があるように、戦国の世では清濁併せ呑む事が必要なのだろう。


 かなりの時間を思考の海の奥深くで過ごしていたのであろう、気が付くと峠は既に通過しており、進行方向右手には田園地帯が広がっていた。


「若殿、そろそろ蒲生殿と合流予定の日野城が見えて参ります。」


 六角の所領に詳しい忠基(千種忠基)が日野城が間近である事を知らせて来た。


 忠基の言った通り、進行方向左手側に日野城と思われる城郭を視界にとらえた。そしてその城郭に近づくに従って、城門前に集まっている多くの兵も同様に視界に捉える。


「おぉ…一万近くはおりますな…蒲生殿の仕事でしょうか?」


「恐らくそうだろうな…流石は蒲生賢秀と言ったところか。」


 正輝と忠基を連れて城門前に馬を進めると、賢秀と数人の男たちが片膝をついて待ち構えていた。


「賢秀、大儀であったな。」


「はっ!お心遣い痛み入ります。まずはこの者らを紹介させて頂きます。拙者と同じく六角家にて宿老を拝命しておりました、平井定武ひらいさだたけ三雲成持みくもしげもち後藤賢豊ごとうかたとよであります。」


「お初にお目に掛かります。平井定武と申します。軍の末席に加えて頂きたく、参上(つかまつ)りました。」


「三雲成持であります。甲賀の忍衆にんしゅうには顔が効きますので、ご随意にお命じ下さいませ。」


「後藤賢豊と申す。弟の忠基の誘いを受けて参りました。よろしくお願い致す。」


「ここにはおりませぬが、進藤貞治しんどうさだはる目賀田綱清めかたつなきよの二人は夫々(それぞれ)三好と浅井の侵入を警戒して居城に詰めております。」


 これで六角家を支えていた()宿()()全員が楠木に降った事になる。これの意味する所は、六角領の主要な領地の殆どが楠木の物となったと言う事だった。


「本当に辛く、難しい事であったかと思うが、良く決断してくれた。其方ら六人が味方となってくれたとなれば、この戦の大勢は決したであろう。後は観音寺城のゴミと残りの不穏分子を片付けるだけだ。賢秀、観音寺城にはどの程度の兵が集まっておるのだ?また観音寺城以外で敵方についた城は残っておるのか?」


「観音寺城には五千程の兵が籠城準備をしているようです。そして義治の側近でもあった種村道成たねむらみちなり建部秀清たてべひできよが、種村城と建部城にて籠城の構えを見せていると聞いております。」


「ふむ…正輝!兵一万を率いて種村城と建部城を接収して参れ。忠基、正輝の副将として補佐と道案内を頼めるか?」


「よっしゃぁぁあ!!」「はっ!畏まりまして御座います。」


 正輝と忠基の二人は急ぎ軍の編成に取り掛かった。


「皆の者、我らは残りの兵を率いて観音寺城へと向かうぞ。」


「「「「応っ!!」」」」


 賢秀を筆頭に平井定武、三雲成持、後藤賢豊の四人は自ら引き連れて来た兵をそれぞれ率い、楠木の軍勢五千を加え、一万の軍勢にて観音寺城を目指し北上を開始した。










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