第37話 尾張往訪Ⅲ
◎尾張国・清須城 柴田勝家
1559年 7月上旬
今夜は同盟国の楠木家ご当主を歓迎する宴が清須にて催されておる。先程は嫁がれておる於市様もお顔をお見せになり、楠木家ご当主と共にご入来され、お元気そうなご様子で安心致した。
今現在は宴の場からは御下がりになり、楠木様の紹介を殿自らが行われておる。接待役は五郎左のはずだが、殿自らがここまで気を使われるのは今までに無かった事だ。
(ふぅぅぅ…気に入らんな…。織田家中の憧れであり、華で在られた於市様を嫁にしたばかりか、殿にまでこのように特別扱いされるとは…。確かに大層美しい顔立ちをしてはおるが、それ以外は只の青二才ではないか…何故あのような者に殿は…)
殿のお決めになられたこと故、仕方のない事ではあるが、どうしても気に入らぬ。そうして虫の居所が悪く、彼奴の土産らしい酒を煽っていると内蔵助(佐々成政)が徳利を持って現れた。
「親父殿、随分とご機嫌が斜めのようだが、何をそんなに腹を立てておるのだ?」
「内蔵助か…何がとは知れた事よ。あの楠木何某とか言う、あの青二才に決まっておろうが!あのような者の何がそんなにいいのか、真に理解に苦しむわい!そして更にこの土産の酒が美味い故、余計に腹が立つ!!」
思わず少し大きめの声が出てしまい、意図せず皆の注目を浴びる。殿も怪訝な表情をされ、こちらを見ておられる。
「権六、何をそんなに大きな声を出しておるのだ?折角の正顕を招いての宴だと言うに、なぜにそんなに荒れておるのだ…俺の顔を潰すつもりか?!」
「いっ、いいえ、そのような積りは毛頭ございません。(やってしもうたわ!これはまずい!)」
儂は即座にその場に平身低頭、床に頭を擦り付けた。それでも中々殿の怒りは収まらず、殿がその場を立ち上がりこちらへ向かって来ようとした矢先…。
「義兄上、この度はその位で…酒の席での事ですので…それに柴田殿も先程から相当酒量が進まれておったご様子でしたので、外で少し休まれては如何ですか?」
「ふむ、まぁお前がそう言うならこの話は此処で終いじゃ。権六、外で少し酒を抜いて参れ。」
「はっ、誠に申し訳ありませぬ。楠木様の申される通り、少し外で休んで参ります。」
儂はその場を逃れるように、そそくさとその場を後にした。
(あぁくそっ、やってしもうた!勘十郎様の件で儂の立場はあまり良くは無い。その上このような事で失態を演じでしまうとは…。しかもそれを彼奴に助けられるとは…一生の不覚じゃ!)
儂自身の配慮の無さに怒りを感じながらも、気持ちを落ち着ける為に縁側に座り月を眺める。
それからどの位の時が過ぎただろうか、十分酒も抜けて気も落ち着いて来た。そろそろ宴の場に戻ろうとした矢先、廊下の向こうから於市様がお見えになっていた。
「あら…権六殿ではありませんか…。このような所で如何されたのですか?」
「おっ、於市様っ!このような所でお会い出来るとは…いや…於市様こそこのような時間に、なぜこのような場所にいらしたのですか?(間近でみると更にお美しいな於市様は…はぁぁぁ。)」
出来るだけ気付かれないように於市様を見る。
この時の視線に侍女の茜が気付いて顔を歪めているのだが、儂は於市様に会えた事で舞い上がっており、まったく気が付いていなかった。
「私は旦那様のご様子を伺いに来ました。皆に勧められたら旦那様は中々お断りになりませんから、飲み過ぎていらっしゃらないか心配で様子を見に来たのです。」
「はぁ、なるほど…拙者は酒が進み過ぎた為、ここで少し酒を抜いておるのです。」
「御方様、そろそろ…」
「ええ、そうですね。権六殿、そういう訳で旦那様の所に向かいますので、失礼しますね。」
大変残念ではあるが、於市様はその場を去って行かれた。去り際の侍女の警戒するような視線が気にはなったが、意図せずして於市様とお話出来たことに比べれば、些細な事だ。
儂はしばらくその余韻に浸った後、良い気分のまま、宴の席に戻って行った。
◎尾張国・熱田神宮・まつ岡家 前田利家
1559年 7月上旬
「御前様、先ほど森様から清須の様子を知らせる使いの方が参られまして、それに依ると数日前から清須に楠木様ご夫婦がご滞在らしいですよ。」
「なに?!そうか…現人神様と於市様が清須に……なぁまつ、このままではいつ出仕停止が解けるか分からん。意図せずして殿のお気に入りを斬ってしもうたからな…なれば俺は伊勢に行こうかと思うんだがどう思う?」
「えっ?!伊勢ですか?!」
「あぁ…俺は楠木様に…現人神様にお仕えしたいと思う…。確かに殿には目を掛けて頂いたし、忠義を尽くしたいと思っていた。だが、俺に対して度重なる侮辱を繰り返していた拾阿弥が現人神様を小馬鹿にする発言をしてるのを聞いた時、気が付いたら斬っておった。そこで気が付いたのだ。俺はあの方に惚れておる…そしてお役に立ちたいのだと…。」
「惚れる…ですか?」
まつから不穏な気配を感じたので、慌てて言葉を続ける。
「いや、そのような下世話な感情ではないんだ。前にも話したが俺は二度、目の前であの方のお力を見た。それはまさに神仏の如きお力であった。更に先の六角との戦では、無残に殺された河原者の母子の為に心底お怒りであった。俺はその時、この方の創られる世を、お傍で見てみたい…とそう思ったのだ。」
「それで…ですか…先の戦からお帰りになってから心ここに非ずの状態でしたから。その事をお悩みだったのですね。」
「そうだな…確かに上の空…だったやも知れん…。殿にはちゃんとお話をしてお許しを頂いて来るゆえ。まつ、賛成してくれないか…頼む。」
俺はこれまでに無いほど真剣に、まつに頭を下げて頼み込んだ。
「御前様、男が簡単に頭を下げるものではありません、然も女であればなおの事です。ですが、御前様の気持ちはよく分かりました。殿様にキッチリと筋を通して楠木様に迷惑の掛からないようにして来てください…分かりましたね?」
「あっ、あぁ!分かった!!それじゃあ、善は急げだ…これから殿に会って来る!!」
俺は素早くその場を立ちあがると、まつに出掛ける旨を伝えると、大急ぎで清須まで馬を飛ばした。頭の中は既に現人神様へお仕えする事で一杯になっていた。




