第12話 違和感
魔族領から帰ってきた私とルクさんはオーブ商会に向かっていた。
「え、あ……本当にいた……」
その声に思わず振り返る。
「ウチの弟子に何か御用でしょうか?」
ルクさんが露骨に警戒する。相手はアイちゃんだった。
「ヒトミから聞いたんです。ここにいたよって。だから、会えたらいいなって……」
アイちゃんはその目に涙を浮かべて安心したような顔をした。
「無事でよかった……本当に……」
アイちゃんが私の手を握ってそう言う。私もアイちゃんの優しさに思わず目頭が熱くなった。
アイちゃんが落ち着くまで私たちはそのまま手を取り合っていた。
「なんか、恥ずかしいとこ見せちゃった。ごめんなさい。改めて、自己紹介させてください。アイです。あ、もちろん、ヒトミと同じで無理にどうこうするつもりはありませんから」
「あ、そうなんだ。私はレンゲ。アイちゃんはなんで会いに来てくれたの?」
「……化粧水、すっごく助かったんです。それで、ヒトミもシャンプーとかボディーソープとかお願いしたみたいで……できれば、私もほしくて……」
「ああ、そう言えば約束したね。まだ研究段階なんだ」
「そうだったんですね。不躾にすみません。でもどうしても我慢できなくて……この世界、シャンプーというか、石鹸! ひどすぎません!?」
「わかる。私もすっごく大変」
「洗ったら髪ギシギシになるし、汚れは落ちないし! ヒトミはショートだからいいかもしれないけど私には耐えられない!」
「わかる。わかるよ、アイちゃん……ご飯がおいしければいいってもんじゃないよね」
「そうなんですよ!」
アイちゃんの気持ちは痛いほどわかる。私もアイちゃんほど長くはないが、ややロング寄りのセミロングだ。この世界の石鹸でひどい目に遭っているのも事実。
私の実家は美容院だった。サロン専売のシャンプーやヘアケアグッズを当たり前のように使っていたから、余計にそう感じるのかもしれない。
「近いうちに何か考えてみるよ」
「ありがとうございます! 本当に助かります!」
そう言って喜ぶアイちゃんにルクさんが、魔王城から預かってきた書状を渡した。
「アミスタード国王宛なのですが、お渡しいただけますか?」
「ええ、構いませんよ。私の友人にアミスタード王国の第2王子がいるので渡してもらうようにお願いしておきます」
アイちゃんはそう言うと書状を肩掛けのバッグに入れた。どうやら彼女のバッグもマジックバッグらしく、中身が吸い込まれるように消えた。
するとアイちゃんはルクさんをじっと見て少し考える素振りをする。
「あなた、どこかで会ったことありませんか?」
アイちゃんはルクさんに尋ねた。
「はて、すみません、お客様の顔は忘れないのですが、すれ違っただけなどならあまり自信はありませんね」
「……そうですか。ごめんなさい、急に」
「いえ、気にしないでください」
少しだけ、ルクさんの視線が冷たくなる。けれど、すぐにいつもの穏やかで優しい笑顔に戻っていた。
「じゃあ、また会いに来てもいいですか?」
「うん、ヒトミちゃんと一緒に来て。私もふたりに会えると嬉しいから」
「ありがとうございます。また来ますね!」
ヒトミちゃんとはまた少し違う、明るくて優しい笑顔に癒されながら私はアイちゃんと別れた。
「ルクさん」
「はい」
「アイちゃんのこと、嫌いですか?」
そう尋ねると、ルクさんは驚いたような顔をしてから困ったように微笑んだ。
「嫌いというよりは……苦手、でしょうか。ワタシには眩しすぎます。清浄で優しそうで、かわいらしい方ですから」
ルクさんの口から「かわいらしい」という言葉が出た。もしかしたらルクさんはアイちゃんのような子がタイプなのだろうか。
けれど、苦手とも言っている。少し考えて、思いついたことを口にしてみた。
「どう扱っていいかわからない、って感じですか?」
するとルクさんは少し考えるように口元に指をあてて、それからふ、と笑った。
「そういうことにしておきましょうか」
なんだかはぐらかされてしまったが、教えてくれないということは言いたくないということなのだろう。あまり詮索しない方がよさそうだ。
少しだけ、胸がもやもやしている気がした。
数日後、またアイちゃんが私を訪ねてきた。正確には、ルクさんを、だ。
「エリー酒って何ですか!? 3本で侵攻してこないってどういうことですか!?」
「声が大きいですよ」
ルクさんはアイちゃんをたしなめつつ、オーブ商会の目の前にある喫茶店へ案内した。なぜか私も連れて行かれた。
「あなた、自分が何をしたのかわかってるんですか!?」
「ええ、もちろん」
状況が飲み込めていない私にもわかるように、ルクさんは一つ一つ、アイちゃんに説明していった。
「ヒトミさんは争いたくないとおっしゃっていました。だから、交渉できる余地のある人間が交渉に行ってみたというだけです。もちろん、これだけで魔族との長年の諍いがどうこうなるわけではありません。それでも、魔王を話し合いのテーブルに着かせることはできました。今後は魔王も、争う前に話し合いを求めるはずです。それくらい、エリー酒は魅力的ですから」
ルクさんは笑顔で続けた。
「エリー酒が用意できる間は、この世界は平穏です」
アイちゃんは何も言えなかった。ルクさんの言葉に穴がなかったのだ。完璧でないところは認め、それでもまず、武力ではなく言葉で均衡を保つ道を作った。簡単そうに見えて今まで誰もそれを行わなかったのは、恐らく、魔族への偏見だろう。
「ああ、入手ルートは整えてありますのでご安心ください」
私はようやくスティルテくんの「おいしいお酒をありがとうございました」の言葉の裏を読むことができた。
少なくともスティルテくんには最初から、争う意思がなかったのだ。魔王の方も話に乗ってくれたということは恐らく似たようなものだろう。だから「おいしいお酒」、つまり「争わずに済む理由」をありがとう、という意味だったのだ。
「……不気味です、あなた」
「そうでしょうか?」
ルクさんがそう言って笑うと、オーブ商会から人がやってきた。どうやらルクさんに用があるらしく、ルクさんは「すみません」と言ってそのまま会計を済ませて商会に戻っていった。
「……レンゲさんは、あの人に何かされてません? 大丈夫ですか?」
「何かって……ルクさんは優しい人だよ。大丈夫」
アイちゃんもルクさんが苦手なのだろうか。どこか棘のある言い方に苦笑しつつ答えると、アイちゃんは深くため息をついてお茶を飲み干した。
「本音は何であれ、とりあえず魔王と争う理由がなくなったことは喜ぶべきことではあります。ありがとうございました」
「ルクさんに言ってあげてよ」
「いえ、レンゲさんから伝えてください。なんか掌の上で転がされてる気がして腹立たしいので」
アイちゃんの言い方に思わず笑う。確かにルクさんは世の中を少し斜めに見ている気がする。
「気を付けてくださいね、レンゲさん」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。ヒトミちゃんにもよろしくね」
アイちゃんを見送った後、私もお茶を飲み終えて、商会に戻るかと準備を始めた。
目と鼻の先のオーブ商会。そこに向かうだけのために足を踏み出した瞬間、
私の意識は途絶えた。




