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第9話:私の部下が優秀すぎる件

「な、なに……!? 孤児の小間使いごときが、この私に向かって学問を語るというのか!?」


王立アカデミーの重鎮、アルベルト教授の怒声が、ヴァロワ公爵邸の特別応接室にビリビリと響き渡った。

彼の顔は屈辱と怒りで真っ赤に染まり、握りしめた杖がワナワナと震えている。無理もない。帝国最高の知性を自負する彼にとって、身分も教養もないはずのスラム上がりの子供に言葉を遮られるなど、前代未聞の侮辱であった。


しかし、見習い執事の制服を身に纏った7歳の少年、テオは、その恐ろしいまでの怒気を真っ向から浴びても、瞬き一つしなかった。


「無礼を承知で申し上げます、アルベルト様。我があるじ、ルセリア様は、貴方様の質問があまりにも『表層的』であり、学問の深淵に到達していないことに深く失望しておられます」


テオの声は、氷のように冷たく、それでいて不思議なほどの説得力と威厳を帯びていた。

その背後では、当のルセリア本人が、限界を迎えた眠気によってコクリ、コクリと首を揺らし始めている。しかし、テオにはその姿が「私の代わりに、貴方がこの哀れな老人に真理を教えてあげなさい」という、絶対的な主からの無言の指令にしか見えていなかった。


「ひ、表層的だと……!? この私が!?」

「左様でございます」


テオは一歩も引かず、アルベルトがテーブルに叩きつけたルセリアの課題(実際はテオが代行して書いたもの)の束を指差した。


「先ほどの第三項、東部領地の税収減と流通に関する考察について。アルベルト様は『アカデミーの禁書庫にある資料を見なければ、代官の意図的な流通操作には気付けないはずだ』と仰いました。……しかし、それは根本的に間違っております。禁書庫の資料など、初めから必要ありません」

「なんだと……!? では、どうやってあの結論を導き出したというのだ!」

「『相関関係』と『因果関係』を切り分けて分析すれば、自ずと答えは出るからです」


テオの口から飛び出した、この異世界の学問には存在しない未知の単語(前世のビジネス用語)に、アルベルトはピクリと眉を動かした。


「ソウカンカンケイ……? インガカンケイ……?」

「はい。我が主は、常々こう仰っておられます。『物事が同時に起きているからといって、それが原因と結果であるとは限らない』と」


テオは、ルセリアが前世の新人研修マニュアルを思い出しながら書き殴った『ロジカルシンキング基礎』の教えを、淀みなく語り始めた。


「東部領地で税収が減った年、確かに記録的な『天候不順(寒波)』がありました。従来の歴史学者たちは、ここで思考を停止し、『寒波によって不作になり、税収が減った(因果関係)』と結論づけています」

「当然ではないか! 農作物が育たなければ、税として納める麦は減る!」

「ええ。ですが、我が主はそこからさらに『なぜ?(Why)』を五回繰り返して深掘りせよと教えられました」


テオは右手を開き、指を一本ずつ折りながら説明を続ける。


「なぜ、税収が減ったのか? 寒波で麦が不作だったから。

ではなぜ、麦が不作だったのに『隣接する南部領地の麦の市場価格』は高騰しなかったのか?

不作で品薄になれば、需要と供給のバランス(これもルセリアの教えである)が崩れ、価格は跳ね上がるはずです。しかし、帳簿上の価格は平年通りでした」

「……っ!」

「おかしいと思いませんか? 麦は不足しているはずなのに、価格は安定している。つまり『市場には十分な麦が出回っていた』ということです。

ではなぜ、東部領地の農民だけが税を納められなかったのか?

答えは一つ。東部の代官が、農民から平年通りの麦を徴収した上で、一部を自分の隠し倉庫に『中抜き(横領)』し、残りを市場に横流ししていたからです。天候不順は、ただの言いカモフラージュに過ぎません」


アルベルトの目が見開かれ、手からポロリと資料の束が滑り落ちた。

テオの指摘は、あまりにも完璧だった。彼が語った論理展開は、アカデミーの教授陣が何年もかけて禁書庫の裏帳簿と照らし合わせ、ようやく辿り着いた真実と全く同じルートを、ただの「市場価格の矛盾」から一瞬で導き出していたのだ。


「そ、そんな馬鹿な……。ただの数字の羅列から、そこまでの心理と裏事情を読み解いたというのか……!? しかも、それを教えたのが……」


アルベルトは震える首を巡らせ、ソファに座るルセリアを見た。

ルセリアは、すでに半分以上意識が飛んでいた。目がトロンとしており、身体の力が抜け、今にもソファに倒れ込みそうになっている。

しかし、アルベルトの目には、その姿が全く違って見えた。


(なんという事だ……! 私が必死に反論を考えているというのに、彼女は微動だにしない。いや、私の狼狽など初めから見透かしており、反論する価値すら感じていないのだ! あの半開きの目は、私の浅はかな知識を哀れんでいるのか……!)


「アルベルト様。驚くのはまだ早うございます」


テオの追撃は止まらない。

彼は、自分をこの地獄のようなスラムから救い出し、これほどの叡智を授けてくれた「ルセリア」の威光を、この傲慢な老人に骨の髄まで刻み込むつもりであった。


「我が主は、学問を『MECEミーシー』で捉えるべきだと仰います」

「ミ、ミーシー……? なんだ、その古代魔法の呪文のような言葉は……」

「『モレなく、ダブリなく』という意味です」


テオは、ルセリアが前世でよく使っていたフレームワークを、異世界の言語に見事に翻訳して叩きつける。


「アカデミーの歴史教育は、あまりにも事象のモレとダブリが多すぎる。政治、経済、魔法理論を別々の学問として切り離して教えていますが、それらはすべて『人間の活動サプライチェーン』という一本の線で繋がっています。

先ほどの代官の横領も、魔法理論における『気象操作』の可能性と、経済における『物流網』をモレなくダブリなく検証すれば、6歳の子供でも導き出せる初歩的なパズルに過ぎません。……そうですよね、ルセリア様?」


テオが振り返り、主へと同意を求めた。


「むにゃ……あー、うん。そうね。MECEね。大切よね……ふわぁ」


ルセリアは、寝言混じりに適当に相槌を打ち、ついに我慢しきれずに大きなあくびをしてしまった。

普通であれば、客人の前であくびをするなど、貴族の令嬢としてあるまじき無礼である。部屋の隅で見守っていたメイド長のマーサも「ああっ!」と顔を青ざめさせた。


しかし、この空間はすでに、テオの圧倒的な論理ロジカル無双によって、正常な判断基準が狂い切っていた。


「……あ、あ、あああっ……!!」


アルベルトは、ルセリアのその無防備なあくびを見て、杖を床に取り落とし、両手で頭を抱えた。


(あくび……! この緊迫した学術論争の最中に、あくびだと!?

違う、これはただのあくびではない! 『その程度の初歩的な論理、私が答えるまでもない。私の手足である小間使いが語った内容がすべてだ』という、究極の余裕……いや、私への痛烈な皮肉か!!)


アルベルトの頭の中で、彼が何十年もかけて築き上げてきたアカデミーの権威と、己のプライドが音を立てて崩れ去っていく。


目の前にいるのは、ただの6歳の少女ではない。

人間の歴史、経済、そして心理のすべてを俯瞰し、複雑に絡み合った世界の事象を「モレなく、ダブリなく」整理してしまう、文字通りの『知の化け物(神童)』。

そして何より恐ろしいのは、彼女がその深遠なる叡智を、自分自身でひけらかすのではなく、スラムから拾い上げたばかりの幼い孤児に授け、彼を自分の『代弁者(端末)』として完璧に機能させているという事実だ。


(この小間使いの少年が語った恐るべき論理思考。これは、すべてルセリア令嬢の頭の中にある宇宙の、ほんの欠片に過ぎないというのか……!?)


アルベルトは、ガタガタと震える膝を抑えきれず、ついにその場に崩れ落ちた。

帝国最高の知性を誇る老学者が、6歳の少女と7歳の小間使いを前に、完全に屈服した瞬間であった。


「……負けた。私の、完全な敗北だ……」


アルベルトの口から、空虚な、しかしどこか憑き物が落ちたような安堵の溜息が漏れた。


「ルセリア令嬢……いや、ルセリア様。私は、己の浅はかな知識と、貴族という存在への偏見で目が曇っておりました。貴女様の御心には、アカデミーの何百冊の魔導書を積んでも届かない。……貴女様こそ、百年に一度、いや建国以来の真の『神童』であられる」


アルベルトは床に手をつき、ソファで目を閉じかけているルセリアに向かって、深く頭を下げた。


「……えっ? なに? 終わった?」


私の意識は、七割方夢の世界へと旅立っていたが、ドサリという重い音と、おじいちゃんの謝罪の声でビクッと引き戻された。


目を開けると、さっきまで偉そうに私を睨みつけていたアカデミーの偉いおじいちゃんが、なぜか床に土下座のような姿勢で平伏している。

そして私の有能な部下であるテオは、そのおじいちゃんを見下ろしながら「我が主の偉大さを、少しは理解していただけたようですね」と、冷たくも誇り高い笑みを浮かべていた。


(えっ、なにこれ。どういう状況? 私が寝かけてる間に、テオが物理で殴ったの? いや、そんな物騒なことはしてないわよね……?)


私は全く状況が飲み込めず、ポカンと口を開けてしまった。

しかし、早くこの面倒な時間を終わらせて、自分の部屋のフカフカのベッドに帰りたいという欲求がすべてに勝っていた。


「あー、うん。分かってくれたならいいのよ。……じゃあ、もう帰ってくれる? 私、すっごく疲れてるの(徹夜明けだから)」

「っ……!! 申し訳ございません! 貴女様のような深遠な思索の時間を、私ごときがこれ以上奪うなど万死に値する行為! 直ちに退出いたします!」


私が本音(ただ眠いだけ)を口にすると、アルベルトは顔を真っ青にして飛び起き、何度も何度も頭を下げながら、逃げるように応接室を去っていった。

その後ろ姿は、来た時の傲慢な態度は見る影もなく、まるで神に触れてしまった咎人のように震えていた。


「……終わった? これで、今日のスケジュールは終わり?」

「はい、ルセリア様。見事な采配でした。あの老学者も、お嬢様の『沈黙の威圧』の前に、己の愚かさを悟ったようです」


テオが振り返り、私に向かって深く一礼する。

その隣では、部屋の隅に控えていたメイド長のマーサが、ハンカチで顔を覆いながらボロボロと号泣していた。


「お嬢様……! 私マーサ、お嬢様の底知れぬ御心に、ただただ感動いたしました……! あえてご自身で答えず、テオに語らせることで彼の実力を証明し、アカデミーの権威すらも無言で平伏させる……! あぁ、神よ! ヴァロワ家に奇跡の聖女をお遣わしくださり、感謝いたします!!」

「……うん、マーサ。泣いてる暇があったら、早く私をベッドに連れて行って……」


私はマーサの壮大な勘違いを訂正する気力すらなく、そのままソファの上でパタリと横に倒れ込んだ。


(まぁ、なんだかよく分からないけど……テオが全部上手くやってくれたみたいだし、これで私の『サボり体制』の安全性は証明されたわね。……おやすみなさい……)


私の意識は、今度こそ完全にシャットダウンし、深く甘い眠りの底へと落ちていった。


しかし。

この日の出来事が、王立アカデミーに戻ったアルベルト教授の口から、「ヴァロワの神童、その叡智は神の領域に達している」という熱狂的な報告書となって皇帝の耳にまで届くこと。

そして、私のただの「睡眠不足による無言」が、貴族社会で『相手を精神的に圧倒する無言の威圧(覇王の沈黙)』として恐れられ、崇め奉られるようになることなど。


この時の私には、知る由もなかったのである。

私が手に入れた「私がいかに楽をして生きられるかだけを考える」最高の手足(部下)たちは、その圧倒的な有能さゆえに、私のスローライフを勝手に「帝国の歴史を動かす成り上がり伝説」へと強制シフトさせていくのだった。


こうして、私の6歳の引きこもり生活は幕を閉じ、やがて皇室をも巻き込むさらなる大騒動へと繋がっていくのである。

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