第3話:教皇の幻視と、二カ国統一の「女帝(ニート)」誕生
「あー……。なんか最近、めっちゃ肩が凝るのよね。ゼノンのマッサージ、もう一回呼ぼうかしら」
帝都ガルデニアの中枢、白亜の王宮。
帝国大宰相・専用執務室(兼・超巨大寝室)で、私、ルセリア・フォン・ヴァロワ(16歳)は、ふかふかの天蓋付きベッドの上でゴロゴロと寝返りを打ちながら不満を漏らしていた。
私が無意識に放った「防虫&マッサージ魔法」によって、教国最強の暗殺者であったゼノンが骨抜きにされ、五十一人目の狂信者として私に忠誠を誓ってから一週間が経っていた。
真下の階では、コンラート皇子たち五十一人(ゼノン含む)のエリート官僚たちが、「ルセリア師匠の無為自然を支える新内閣」として、不眠不休で帝国の政務を完璧に回し続けている。
私は大宰相でありながら、毎日ただベッドの上でダラダラし、カヤの作る新作スイーツを限界まで食べ、眠くなったら寝るという、人類の夢(完全ニート生活)を体現し続けていた。
「お嬢様、ゼノンでしたら現在、教国の裏社会のネットワークを完全に解体・吸収するための工作活動で他国に潜入しております。……お嬢様の肩こりでしたら、このテオが心を込めてお揉みいたしましょうか」
ベッドの傍らで控えていた筆頭秘書官のテオが、純白の手袋をはめた手で恭しく申し出た。
「え、テオが? うーん、テオってなんか指の力が強すぎて、ツボを的確に突き破られそうな気がするから遠慮しとくわ」
「……お嬢様のご期待に添えず、無念の極みです。直ちに人体構造学と東洋マッサージの秘伝を極めてまいります」
(※だからそんな重く受け止めないでほしい)。
私が大きなあくびをした、その時だった。
「――お嬢様。本日は、お嬢様の『至福の静寂』を少しだけ中断していただかなければなりません」
テオが、スッと眼鏡を押し上げ、冷たい、しかしどこか悪魔的な期待を含んだ笑みを浮かべた。
「また? 今度はどこの特使? もう条約のサインなら全部テオがやっていいって言ってるじゃない」
私が面倒くさそうにクッションを抱きしめると、テオは首を振った。
「特使ではありません。……神聖アルカディア教国のトップ、教皇クレメンス八世が、直属の聖騎士団を率いて、帝都に到着いたしました」
「…………は?」
私は、抱きしめていたクッションを取り落とした。
「きょうこう? 教皇って、あの教国の、一番偉いおじいちゃんのこと!?」
「左様でございます。……枢機卿の属国化の失態と、最強の暗殺者であるゼノンの消息不明。これを受け、教皇自らが『帝国の魔女(大宰相)を神の威光で討ち果たす』と宣言し、聖戦の覚悟で乗り込んできたようです」
「な、なんでトップがいきなり来ちゃうのよぉぉっ!!」
私は頭を抱えて悲鳴を上げた。
前世のビジネスで例えるなら、こちらが適当にあしらった取引先の担当者と、裏で工作してきたスパイを返り討ち(無自覚)にした結果、相手企業の『代表取締役社長』が直接ブチギレて乗り込んできたようなものである。
「テオ! 居留守! 絶対に居留守使って! 『大宰相は現在、深い深い風邪を引いており、面会謝絶です』って言って追い返して!!」
「それは不可能です、お嬢様」
テオは無慈悲に宣告した。
「相手は一国の最高指導者。皇帝陛下ですら、教皇の来訪には最大限の礼を尽くして王宮の門を開けておられます。……そして教皇は、『皇帝ではなく、すべてを裏で操る大宰相ルセリアと直接言葉を交わす』と一歩も引きません。すでに、この塔の謁見の間でお嬢様をお待ちです」
(お父様も皇帝陛下も、なんで私に全部丸投げするのよ!! 私、ただの16歳の女の子なんだけど!?)
私は泣きそうになりながらも、逃げ場がないことを悟った。
教皇が武力(聖騎士団)を伴ってきている以上、ここで無視すれば、教国との全面戦争になりかねない。そうなれば、私の平和なニート生活は、空襲警報と戦火のノイズによって永遠に失われてしまうのだ。
「……分かったわよ。会えばいいんでしょ、会えば。……でも、服を着替えるのは面倒だから、この部屋着(最高級の肌触りのネグリジェのようなドレス)の上に、適当な大宰相のローブを羽織るだけで行くわよ」
「御意に。お嬢様の『ありのままの自然体』こそが、最も敵の心胆を寒からしめるでしょう」
私は、深い絶望と猛烈な面倒くささを抱えながら、テオたちに連れられて謁見の間へと向かったのである。
◇◇◇
大謁見の間。
「……遅い。帝国の小娘は、神の代理人たるこの私をこれほど待たせるとは、なんたる不遜か……!」
神聖アルカディア教国の頂点、教皇クレメンス八世は、純白の豪奢な法衣に身を包み、黄金の錫杖を握りしめながら、怒りに肩を震わせていた。
彼の背後には、教国が誇る最強の聖騎士団が数十名、完全武装でズラリと並んでいる。
教皇は、この謁見に教国の存亡を懸けていた。
枢機卿が持ち帰った「光を呑み込む絶対の闇」の報告、そして暗殺者ゼノンの裏切り。
帝国の大宰相ルセリアとは、一体どれほどの魔力と野心を持ったバケモノなのか。
教皇は、己の身に宿る『神のオーラ(最上位の神聖魔法)』を全力で展開し、彼女が部屋に入ってきた瞬間、その圧倒的な威光で彼女の精神を屈服させる算段を整えていた。
ギィィィィッ……。
重々しい音と共に、謁見の間の大扉が開かれた。
「大宰相、ルセリア・フォン・ヴァロワ閣下、おなーりー!」
教皇は、目をカッと見開き、黄金の錫杖を床に強く突き立てた。
「来い、帝国の魔女!! 我が身に宿る、神の圧倒的な威光の前にひれ伏すがい――」
教皇が、神聖魔法による凄まじい威圧のオーラを放とうとした、まさにその時である。
「……ふぁぁぁぁぁ……。あー、眠い……」
謁見の間に入ってきたのは。
寝癖がほんの少し残る白銀の髪を揺らし、部屋着の上にぶかぶかの大宰相のローブを適当に羽織り、口元を片手で覆って『特大のあくび』をしている、気だるげな16歳の少女であった。
「……………………なっ」
教皇は、自分の放とうとした『神の威光』が、彼女のその「あまりにも無防備な(だらしない)あくび」を見た瞬間、完全に空回りして霧散していくのを感じた。
「……おはようございます、教皇様」
私は、フカフカのリクライニングチェア(玉座)にドカリと腰を下ろし、肘掛けにだらしなく体重を預けた。
「わざわざ遠いところをご苦労様です。……で? 私に何の用ですか? 私はこの後、大事な予定(二度寝)が詰まっているんですけれど」
私は、早く話を終わらせたい一心で、単刀直入に尋ねた。
しかし、教皇の目には、私のその『完全なる脱力状態』が、全く別のものとして映っていた。
(ば、馬鹿な……。なんだ、この少女は……!!)
教皇は、震える手で錫杖を握り直した。
(私が全魔力を込めて放った神聖オーラを、ただの『あくび』一つで、無意識のうちに完全に相殺しただと……!? いや、相殺どころではない! 彼女の周囲には、一切の魔力の『力み』がない! まるで、底なしの静かな湖のように、すべての力を自然のままに内包している……!!)
さらに、偶然にも(あるいはテオの完璧な計算によって)。
謁見の間の巨大なステンドグラスから差し込んだ朝の光が、私の白銀の髪と、羽織っていたローブを神々しく照らし出した。
光の粒子が私の周囲を舞い、そこに、私が眠気覚ましに無意識に放っていた微弱な『加湿ミスト(生活魔法)』が乱反射し、まるで私の背後に巨大な『光の輪(後光)』が浮かび上がっているかのような、奇跡の視覚効果を生み出していたのである。
「あぁっ……!?」
教皇は、その光景を目にした瞬間、膝の力が抜け、その場にガクンと崩れ落ちた。
「きょ、教皇猊下!?」
背後の聖騎士たちが慌てて駆け寄るが、教皇は彼らを手で制し、血走った目で私を見つめ続けた。
「光だ……。これこそが、真の光……。我々が作り物の魔導具で放っていたような紛い物ではない、現世の欲望をすべて捨て去った、純粋無垢なる『神のオーラ(後光)』……!!」
(※ただの加湿器のミストと太陽光の反射である)。
教皇の目から、滝のような涙が溢れ出した。
「ルセリア大宰相閣下……! 貴女様は、もはや人間の枠を超越しておられる! 私は、己の浅はかな権力欲と教国の威信を守るためだけに、貴女様のような『生ける神』に剣を向けようとしていたのですか……!!」
教皇が床に両手をつき、嗚咽を漏らし始めたのを見て、私は完全にドン引きしていた。
(えっ。なになになに。このおじいちゃん、急に泣き出したんだけど。私、まだ一言「何の用?」って聞いただけで、何もしてないわよね!?)
私は、教皇のあまりの情動の激しさに、ドン引きを通り越して猛烈な面倒くささを感じていた。
こういう「感極まって泣き出すお年寄り」の相手は、前世のボランティア活動で経験がある。話が長くなるし、とにかく重いのだ。
「……教皇様。泣かないでください。話が進みません」
私は、ため息をつきながら、冷たく言い放った。
「教国が私に何を求めているのか知りませんが。私に『あれをやれ』『これをやれ』って要求するつもりなら、全部却下します。私は、これ以上自分の仕事を増やしたくないんです」
私の目的は一つ。「新たな面倒事を押し付けられる前に、すべてを拒絶して自室に帰ること」。
だから私は、ここで決定的な本音を叫ぶことにした。
「いいですか!? 私は、権力なんて一ミリも欲しくないんです!! 大宰相の地位だって、無理やり押し付けられただけで、本当は今すぐ辞めたいくらいなんですよ!!」
私が、リクライニングチェアの上で立ち上がり、教皇に向かって指を突きつけて絶叫した。
「私はただ、毎日毎日、誰にも邪魔されずにベッドで寝ていたいだけなんです!! 領地だの、通商条約だの、戦争だの、そんな面倒くさいことは全部どうでもいい! 私に権力なんて与えないで! 私はただの『何もしたくない一般人』に戻りたいのよぉぉぉっ!!」
私の、魂からの叫び(究極のニート願望)。
これを聞けば、さすがの教皇も「なんだ、この少女はただの責任感ゼロの怠け者か。恐るるに足らず」と呆れ果てて、国に帰ってくれるだろう。
そう確信して、私は肩で息をしながら教皇を見下ろした。
しかし。
数秒の沈黙の後。
「おおおおおおおおっ…………!!!」
教皇クレメンス八世が、床に額を激しく打ち付け、狂ったように絶叫した。
「き、聞きましたか、皆の者!!」
教皇は、背後の聖騎士たちに向かって、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「ルセリア大宰相閣下は……『権力など一ミリも欲しくない』『現世の地位などどうでもいい』と仰った!!」
教皇の全身が、異常な感動と狂信の震えに包まれている。
「これほどの圧倒的な魔力(後光)を持ち、巨大な帝国を支配する立場にありながら! 彼女の心は、現世の欲望(権力・財産・名誉)から完全に解脱しておられるのだ!!」
(※ただ働きたくないだけである)。
「我々教国の人間が、何十年修行しても到達できない『無欲の境地』! 彼女は、ただ『寝ていたい(万物との完全なる調和)』と願うだけで、この世界を平和へと導こうとしておられる!! 彼女こそ……彼女こそが、我々教国が何百年も待ち望んでいた、本物の『神の器』だぁぁぁぁっ!!」
「「「な、なんだってーーっ!!?」」」
聖騎士団の面々も、教皇のその狂気的な演説と、私を取り囲む『謎のミストの光(後光)』に完全に当てられ、次々と武器を捨てて床に平伏し始めた。
「ちがうぅぅぅぅっ!! 解脱してない!! ただの怠け者なのぉぉっ!!」
私が必死に否定しようとするが、もはや狂信のビッグバンは誰にも止められなかった。
「ルセリア大宰相閣下!!」
教皇が、自らの頭に被っていた『教皇の冠』を外し、震える手で私に向かって差し出した。
「私は本日、この瞬間をもって教皇の座を退き、貴女様の下僕となります!! そして、神聖アルカディア教国のすべての領土、権力、そして信仰を、貴女様に譲渡いたします!!」
「はぁぁぁぁっ!?」
私の口から、素っ頓狂な悲鳴が漏れた。
「どうか!! どうか我々教国の民も、貴女様の『大いなる安らぎ(お昼寝空間)』の一部としてお迎えください!! 貴女様が帝国の玉座で永遠の眠りにつかれるよう、我々が新たな盾となって働き抜きます!!」
教皇のその宣言を聞いた瞬間。
大謁見の間の階段の下に控えていた、コンラート皇子たち五十人の『ルセリア内閣(帝国側の狂信者)』たちが、地鳴りのような歓声を上げた。
「おおおおおっ!! ついに、ついに教国のトップすらも、ルセリア師匠の『無為自然』の前に平伏したか!!」
コンラートが、剣を天に突き上げる。
「見よ!! 我らがルセリア大宰相閣下は、一滴の血も流すことなく、ただ『権力はいらない』と一言発せられただけで、隣国を丸ごと手中に収められたのだ!! これぞ、究極の覇道!!」
ヴィクトリアが、猛烈な勢いで二カ国の合併予算案を算盤で弾き始める。
「「「ルセリア大宰相閣下、万歳!! 二カ国統一の真の女帝、万歳!!」」」
帝国の大臣たちと、教国の聖騎士団が、完全に一つになって私に向かって狂信的な祈りを捧げる。
もはや、国家の壁など存在しない。
この大謁見の間には、「ルセリアという神の器を崇拝し、彼女を永遠に寝かせるために不眠不休で働く」という、とんでもないカルト集団(二カ国合同内閣)が誕生してしまったのである。
「……おめでとうございます、お嬢様」
私の傍らで、テオがスッと眼鏡を押し上げ、この世のすべての忠誠心と悪意を煮詰めたような、完璧な笑顔を浮かべて囁いた。
「これで、東の大陸は完全に『二カ国統一』を果たしました。……お嬢様は、帝国の『大宰相』にして、教国の『教皇(神の器)』。実質的な、世界最大の女帝の座に就かれたのです。お嬢様の『サボり環境』は、ついに国境を越え、大陸全土に拡大されましたね」
「………………………………っっっ!!!」
私は、両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。
声も出ない。涙すら枯れ果てた。
私はただ、「仕事が増えるのが嫌だから、全部断って帰ろう」と思っただけなのだ。
それなのに。
私が権力を拒絶すればするほど、彼らは「無欲なる神の器!」と熱狂し、さらに巨大な権力(教国丸ごと)を私に押し付けてくる。
「もう……本当に、勘弁して……」
泣き崩れる怠惰な公爵令嬢ルセリアの、完全ニートへの道。
それは、サボろうとすればするほど国家が統合され、彼女自身が世界の覇王へと祭り上げられていく、終わりの見えない無間地獄の最高到達点であった。
彼女の「何もしない」という最強の魔法が、いよいよ大陸全土を統一するその日まで。
大宰相(二カ国女帝)ルセリアの、過労死との孤独な戦いは、これからも永遠に続いていくのであった。




