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第2話:夜の暗殺者と、強制リラックス(肩こり解消)魔法

「んん……ぷぅーん……」


帝都ガルデニアの中枢、白亜の王宮。

その最も高い塔に位置する『帝国大宰相・専用執務室(という名の完全引きこもり寝室)』の、超特大・天蓋付き低反発ベッドの上で。

私、ルセリア・フォン・ヴァロワ(16歳)は、心地よい眠りの底から、不快なノイズによって微かに意識を引き上げられていた。


(……うるさい。何かが耳元で飛んでるわ……)


私が大宰相に就任(強制連行)し、隣国である神聖アルカディア教国の特使を「部屋が眩しいから」という理由で展開した遮光結界によって無意識に屈服させてから、数日が経過していた。

真下の階では、私の「無為自然(ニート生活)」を支えるために集結したコンラート皇子たち五十人のエリート官僚(狂信者内閣)が、教国との『圧倒的帝国有利な通商条約および事実上の属国化手続』を不眠不休で嬉々として進めている。


昼間は彼らの完璧な防音魔法と防壁によって守られている私の安眠空間だが、夜になると、なぜか微かな「羽音」のようなものが聞こえる気がしていたのだ。


(王宮の最上階なのに、蚊がいるの? 嫌だわ……前世の夏、耳元で『プゥーン』って音がするたびに起きて、電気をつけて探しても見つからない、あの地獄の夜を思い出す……)


私は、目を閉じたまま不機嫌に眉根を寄せた。

私の至高のQoL(睡眠環境)を脅かす「虫」の存在など、断じて許されるものではない。


しかし、私が「蚊」だと思い込んでいたその正体は。

実は、文字通りの『害虫(暗殺者)』であった。


◇◇◇


「……造作もない」


同時刻。大宰相執務室の窓の外、切り立った王宮の塔の外壁に、ヤモリのように張り付いている黒い影があった。

神聖アルカディア教国の裏社会を束ねる過激派(特使の屈服を認めない保守派)が放った、教国最強の異端審問官にして暗殺者、「影の刃」の異名を持つゼノンである。


「帝国の警備など、この俺の『隠密の神技』の前ではザルに等しい。……いくら強大な魔力を持つ大宰相といえど、寝首を掻かれれば死ぬのは同じこと。教国に屈辱を与えた魔女よ、その命、神に代わって俺が刈り取ってやる」


ゼノンは、特殊な魔導具によってガラス窓を音もなく溶かし、スゥッと大宰相の寝室へと侵入を果たした。

彼は、教国から授けられた『絶対に癒えない呪いと猛毒』が塗布された短剣を逆手に構え、天蓋付きのベッドへと忍び寄る。


だが、彼は知らなかった。

彼が王宮の敷地に足を踏み入れた瞬間から、すでに『ルセリア親衛隊』の恐るべき側近たちにその存在を完全に把握されていたことを。


「……教国のネズミが、一匹紛れ込みましたね」

別室の監視ルームで、見習い執事……いや、筆頭秘書官のテオが、魔力モニターを見つめながら冷たく呟いた。

「私が今すぐ行って、微塵切りにしてきましょうか?」

メイド長のマイナが、指先に鋼糸を絡ませて殺気を放つが、テオはそれを片手で制止した。


「待て。……お嬢様は最近、『夜になると鬱陶しい虫が飛んでいる気がする』と不満を漏らしておられた。おそらくお嬢様の深遠なる感知能力は、教国が放つであろうこの『暗殺者(虫)』の存在を、数日前から予知しておられたのだろう」

「なるほど! では、これはお嬢様が自らお掃除される余興ということですね!」

「ああ。我らが神威が、あの愚かなネズミをどう処理するか……拝見しようではないか」


彼らの「手出し無用」という恐ろしい深読み(放置)によって、暗殺者ゼノンは、何の障害もなく私のベッドの真横まで到達してしまっていたのである。


◇◇◇


「……死ね、帝国の魔女!!」


ゼノンは、一切の殺気を漏らすことなく、しかし確実な死をもたらす速度で、呪いの短剣を私の首筋に向かって振り下ろした。

彼の腕は、数千人の命を奪ってきた暗殺者としての完璧な軌道を描いていた。


しかし。

その刃が、私の肌に触れる数センチ手前まで迫った、まさにその時。


(……あー、もう。鬱陶しい。蚊帳かやがないなら、魔法で作ればいいのよ。前世のアースノーマットみたいな、虫だけを絶対に寄せ付けないバリアを……!)


私は、夢とうつつの狭間で、前世の「蚊との終わらない死闘」の記憶を呼び覚まし、極限まで『防虫』に対する執念(魔力)を練り上げた。


「……展開。《全方位・完全防虫・微香性電撃バリア(モスキート・キラー)》」


寝言のように私が呟いた瞬間。

私の身体を中心にして、薄緑色の柔らかな光のドームが展開された。

それは、ラベンダーの微かな安眠効果のある香りを放つ、ただの「蚊除けバリア」である。


しかし、私の底知れぬ魔力と、「人体に有害なモノ(毒虫)を検知して弾き、無力化する」という明確な魔法の定義が。

ゼノンの振り下ろした『教国の猛毒と呪い』を、完全に「有害な虫の毒」と同等レベルのゴミとして検知してしまったのだ。


「なっ……!?」

ゼノンが驚愕に目を見開く。


バチィィィッ!!


呪いの短剣がバリアに触れた瞬間、パチンという軽い放電音が鳴り、教国の国宝級の猛毒と呪いが、文字通り『蚊を電撃ラケットで叩き落とした時』のように、一瞬で浄化され、蒸発して消え去った。

さらに、短剣の刃そのものも、バリアの反発力によってボロボロに砕け散ってしまった。


「ば、馬鹿な……!? 我が教国の秘宝の呪詛が……ただの薄い光の膜に触れただけで、完全に浄化されただと!?」

ゼノンは、自分の最強の武器が『虫除けレベルの扱い』で消滅したことに、暗殺者としてのアイデンティティを根底から揺さぶられていた。


「くっ……! 魔法がダメなら、素手で首の骨をへし折るまで!!」

ゼノンは、暗殺者としての意地を見せ、丸腰のまま私の細い首に向かって両手を伸ばした。


だが、私の「安眠を阻害する不快感」は、蚊(羽音)だけではなかったのだ。


(……んー。最近ずっとベッドでゴロゴロしすぎたせいか、なんだか肩と腰が凝ってる気がするのよね。……誰か揉んでくれないかしら。いや、自動でマッサージしてくれる魔法があれば最高じゃない……!)


前世の家電量販店で、高級マッサージチェアに座って至福の時間を過ごした記憶。

私は、あの「深層の筋肉を的確に解す、絶妙なバイブレーションと揉み玉の動き」を脳内で完璧にシミュレートした。


「……追加展開。《深層筋肉弛緩・自動振動指圧魔法リラックス・バイブレーション》」


私が再び寝言を呟くと、ベッドの周囲の空間そのものに、目に見えない無数の『魔力の揉み玉(振動波)』が発生した。

それは、対象の凝り固まった筋肉を検知し、適切な圧力で解きほぐすという、究極の「癒やし魔法」である。


そして、そのマッサージ魔法が展開された空間に、運悪く(あるいは運良く)両手を突っ込んできたのは。


長年の過酷な修行と、暗殺任務による極度の緊張状態で、全身の筋肉がバキバキに凝り固まっていた暗殺者ゼノンであった。


「……ガッ!?」


ゼノンの身体に、不可視の魔力振動がピンポイントで直撃した。

それは、彼の強靭な筋肉の奥深く、最も疲労が蓄積している「ツボ」を的確に捉え、絶妙な力加減で揉み解し始めたのである。


「な、なんだこれは!? 不可視の打撃!? 秘孔を突かれたのか!? いや……違う……!!」

ゼノンは、必死に抵抗しようと全身に力を込めた。

しかし、彼が力を込めれば込めるほど、マッサージ魔法は「あ、ここ結構凝ってますねー」とばかりに、さらに深く、さらに的確に彼の筋肉を揉みほぐしていく。


「あぁっ……! い、痛くない……! むしろ……信じられないほど、気持ちいい……ッ!!」

ゼノンは、己の口から漏れただらしない声に絶望した。


長年、血と死の恐怖の中で生きてきた彼にとって、「リラックスする」ことなど死を意味する行為だった。だからこそ、彼は常に全身の筋肉を硬直させ、神経を張り詰めて生きてきたのだ。

だが、ルセリアの放つ『究極のマッサージ魔法』は、そんな彼の悲しき暗殺者としての鎧(肩こり)を、容赦なく、そして暴力的なまでの快感と共に破壊していった。


「あぁぁ……ふぁぁっ……! そ、そこは……! 肩甲骨の裏側……長年、短剣を振り続けて痛めていた、私の古傷……!! 嘘だろ、一瞬で痛みが消えていく……!!」


ゼノンの身体は、完全に戦意(緊張)を失い、まるで骨抜きにされたスライムのように床に崩れ落ちた。

彼の脳内には、暗殺の使命などすでに一ミリも残っていない。

あるのは、究極の癒やしを与えてくれる目の前の少女への、底知れぬ畏敬と感謝の念だけであった。


「あぁ……! なんという温かく、慈愛に満ちた力だ……! 私の罪に塗れた肉体と魂が……ドロドロに溶かされ、浄化されていく……!!」


ゼノンは、床の上で全身の力を抜き、恍惚の表情で涙を流しながら、私のベッドに向かって深く深く祈りを捧げ始めた。


(……この方は、暗殺者である私すらも包み込み、癒やしてくださる『本当の聖女』だ!! 教国の腐りきった枢機卿どもが敵う相手ではない! 私は……私は今日から、この御方のために生きる!!)


かくして。

私が「蚊を追い払って、マッサージを頼んだ」だけの空間で。

教国最強の暗殺者は、自ら進んで武器を捨て、私の狂信的な下僕(五十一人目の信者)へと完全なるジョブチェンジを果たしてしまったのである。


◇◇◇


そして、翌朝。


「……ふぁぁぁ。よく寝たわ。昨日の夜は、防虫バリアとマッサージ魔法のおかげで、一度も起きずに朝まで爆睡できたわね……」


私は、極上の目覚めと共に、ベッドの上で大きく伸びをした。

肩こりもすっかり解消し、今日の体調も(サボるための準備は)万全である。


「おはようございます、大宰相閣下。本日の目覚めの紅茶でございます」

「ありがとう、テオ。……ん?」


私が紅茶を受け取ろうとして、ふとベッドの足元に目をやると。

そこには、全身黒装束に身を包んだ、見知らぬ鋭い目つきのイケメン(ただし顔はスッキリと爽快感に満ち溢れている)が、床に額をこすりつけて完璧な土下座の姿勢をとっていた。


「……えっ。誰? テオ、この人なに?」

私が紅茶のカップを震わせながら尋ねると、黒装束の男が勢いよく顔を上げた。


「ルセリア大宰相閣下!! このゼノン、貴女様の海よりも深い慈悲マッサージに触れ、己の罪のすべてを悔い改めました!!」

ゼノンは、血走った目(ただし健康的な血色)で熱弁を振るう。

「私は教国から放たれた暗殺者でしたが、もはや教国に未練はありません! 今後は貴女様の『影の剣』として、この命を捧げ、貴女様の安眠を妨げるすべての敵を闇に葬り去ることを誓います!!」


「………………………………は?」


私は、完全にフリーズした。


(あ、あんさつしゃ……!? なんで暗殺者が、私のベッドの足元で土下座して忠誠を誓ってるの!? しかも『慈悲に触れた』って何!? 私、ずっと寝てただけなんだけど!!)


「お見事です、お嬢様」

私の傍らで、テオがスッと眼鏡を押し上げ、誇らしげに深く一礼した。


「昨夜の『お嬢様の余興』、監視室から拝見しておりました。……教国最強の暗殺者の殺意を、一歩も動かずに『究極の癒やし魔法』で中和し、その魂すらも無血で教化(洗脳)してしまうとは。……これで教国の裏社会も、完全にお嬢様の手中に落ちましたね」


「ちがっ……!! 余興じゃない!! 洗脳もしてない!!」

私が半狂乱になって否定しようとした、その時。


ドカドカドカッ!!

下の階から、コンラート皇子をはじめとする五十人のエリート官僚(ルセリア内閣)たちが、階段を駆け上がって飛び込んできた。


「ルセリア師匠ぉぉぉぉっ!! テオ殿から報告を受けましたぞ!!」

コンラートが、感動に打ち震えながら叫ぶ。

「師匠の『無為自然』の教えは、ついに暗殺者の殺意すらも『癒やし』へと変換する領域に到達されたのですね!! 敵を殺すのではなく、癒やし、味方へと引き入れる……なんという深遠なる無抵抗主義パシフィズムの極致!!」


「お姉様!! 私、すぐに教国の裏社会のネットワークをこのゼノン殿を通じて掌握し、帝国の諜報機関と統合する予算案を作成いたしますわ!! お姉様の『一晩のお昼寝』が、帝国に莫大な情報アドバンテージをもたらしましたのよ!!」

ヴィクトリアが、算盤を弾きながら猛烈な勢いで計算を始める。


「ルセリア大宰相閣下、万歳!! 無為自然の新体制、万歳!!」

「このゼノンも、五十人の兄弟たちと共に、閣下の盾として粉骨砕身働かせていただきます!!」


執務室(寝室)は、またしても私を「神の如き為政者」として崇め奉る、五十一人(一人増えた)の狂信者たちによる大合唱の渦に飲み込まれてしまった。


「ちがうぅぅぅぅぅぅっ!!」


私は、頭を抱えてベッドの上に倒れ込み、絶望の叫びを上げた。


「私はただ! 蚊がうるさかったから虫除けをして、肩こりを治したかっただけなのぉぉぉっ!! なんで暗殺者が勝手にリラックスして寝返って、国家の諜報機関の統合にまで話が広がってるのよぉぉぉっ!!」


私の悲痛な真実は、またしても「大宰相閣下の、照れ隠しの尊きお言葉」として彼らの脳内に都合よく変換され、誰の耳にも届くことはなかった。


過労死を避けるためにニートを目指した怠惰な公爵令嬢ルセリア。

彼女が「より快適にサボろう」とすればするほど、彼女の生活魔法は世界最強の兵器や暗殺者すらも無力化し、彼女の権力と信者の数は際限なく膨張していく。


帝国の頂点(ベッドの上)に君臨する彼女の「終わらない勘違いチキンレース」は、いよいよ光と闇、表と裏の社会すべてを掌握し、完全なる世界征服への道を、全速力で(本人の意志とは無関係に)転がり落ちていくのであった。

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