第6章:第1話:帝国の頂点(ベッド)と、完全自動化された政務システム
「……ふわぁ。マイナ、今日のベッドの硬さ、最高ね。このまま永遠に沈んでいきたいわ」
「ありがとうございます、ルセリア大宰相閣下(お嬢様)。本日は、南方の魔獣の羽毛を百万羽分集めて作らせた、特注の雲海マットレスをご用意いたしました」
帝都ガルデニアの中枢、白亜の王宮。
その最も高い塔の最上階に位置する『帝国大宰相・専用執務室』。
かつて歴代の宰相たちが、血を吐くような激務に追われ、山積みの書類と格闘したであろうその神聖な部屋は。
現在、私の最強の側近たち(テオ、ギル、マイナ、カヤ)の手によって徹底的に改装され、見渡す限りのフカフカな絨毯と、部屋の中央に鎮座する『超特大・天蓋付き低反発ベッド』が支配する、完全なる「堕落空間(ニートの巣)」へと変貌を遂げていた。
私、ルセリア・フォン・ヴァロワは、16歳になっていた。
あのアカデミー卒業間近に起きた、帝国全土を巻き込む『狂気の婿選び(聖夫選定の儀)』から一年。
私の「一緒にサボってくれるヒモ男が欲しい」というささやかな願いは、狂信的なエリート五十人によって「ルセリア様の無為自然(何もしないこと)を支えるための、完全自動政務システム」へと変換されてしまった。
結果として、私は大宰相という帝国ナンバーツーの最高権力者に就任しながらも、この一年間、ただの一度もペンを握っていない。
ただの一度も、御前会議で発言をしていない。
私がやっていることといえば、この広大な執務室(という名の寝室)で、カヤが運んでくる極上のスイーツを食べ、マイナにマッサージをされながら、一日十五時間の睡眠を貪ることだけである。
「お嬢様、本日の『ルセリア内閣』からの政務報告書です」
見習い執事から、今や大宰相の筆頭秘書官(実質的な帝国の裏の支配者)へと登り詰めたテオが、数枚の紙切れを銀のトレイに乗せて持ってきた。
「……また、あの五十人が勝手に国を回してるのね」
「はい。殿下やヴィクトリア様をはじめとする五十名の狂信者……いえ、精鋭官僚たちは、現在、お嬢様の執務室の『真下の階』に詰め込み、不眠不休で帝国の全政務を処理しております」
テオがフッと眼鏡を押し上げ、誇らしげに報告する。
「彼らのスローガンは『大宰相閣下(お嬢様)の安眠を、一枚の書類のノイズで乱すことは万死に値する』です。全国から上がってくる決裁書類は、彼らが五十人がかりで議論・調整し、完璧な結論を出した上で処理されています。お嬢様はただ、その結果が書かれたこの『要約レポート(三行)』に目を通されるだけで結構です」
(……異常よ。控えめに言って、あの五十人の労働環境、前世のブラック企業も裸足で逃げ出すレベルの真っ黒さじゃない)
私は、ベッドの上でゴロゴロしながら、テオが差し出した三行のレポートを薄目で見た。
『一、東方貿易の関税を撤廃し、アグニ地方との直通ルートを確立。利益は前年比三〇〇%増』
『二、帝国軍の旧式魔導具をすべて廃棄し、お姉様の加湿魔法を応用した新型環境保全魔導具へ移行完了』
『三、今日もルセリア師匠の寝息が尊い。国庫は潤い、民は笑顔です』
「……三行目、ただの感想文じゃない」
「彼らにとって、お嬢様の寝息を真下の階で感じられることこそが、最大の報酬ですからね」
テオは涼しい顔で頷いた。
実際、このシステムは恐ろしいほどに完璧に機能していた。
私がベッドの上で「あー、ちょっと今日暑いわね……」と呟いて寝返りを打つと、真下の階にいるコンラートやヴィクトリアたちが、特殊な聴音魔法でそれを拾い上げる。
『ルセリア師匠が暑がっておられるぞ! これはすなわち、南方貴族の過剰な予算要求(熱気)に対する警告だ! 直ちに予算を凍結し、北方のインフラ整備に回せ!!』
と、勝手に深読みして政策を実行し、それがなぜか毎回ドンピシャで国家の危機を救い、大成功を収めてしまうのだ。
(私がサボればサボるほど、国が豊かになっていく……。もう、どういう理屈なのか私にも分からないわ……)
私は、大きなため息をつき、カヤが持ってきてくれた『特製・朝摘み苺のひんやりシェイク』をストローで啜った。
大宰相としての責任はゼロ。給料(国家予算レベルのお小遣い)は無限。
前世で夢見た「究極のニート生活」は、ある意味で完全に達成されていると言っていい。
このまま、この部屋から一歩も出ずに、寿命が尽きるまでダラダラと過ごす。それが私の確定した未来だと思っていた。
しかし。
「――お嬢様。至福のお時間に大変申し訳ございません」
テオが、いつになく鋭い、冷徹な光を瞳に宿して口を開いた。
「どうしたの、テオ。そんな怖い顔して。シェイクの苺が酸っぱかった?」
「いえ。……少々、鬱陶しい『外注』が、帝都に足を踏み入れました」
テオは、手元のバインダーをパチンと弾いた。
「隣国、神聖アルカディア教国からの特使です。……彼らは、帝国が『わずか16歳の小娘』を大宰相に据えたという噂を聞きつけ、帝国が弱体化したと勘違いしているようです。わざわざ皇帝陛下を飛び越えて、大宰相であるお嬢様に『直接の面会』を要求してきております」
「……特使? 面会?」
私は、面倒くささに顔をしかめた。
「嫌よ。追い返しなさい。私は今日、新作の推理小説(ギルが裏社会のコネで仕入れてきた)を一気読みする予定なのよ」
「俺も、ギルも、五十人の内閣の面々も、全員が同じ意見(即刻の物理的排除)でした」
テオが冷たい声で言う。
「ですが、相手は宗教国家の枢機卿。無下にしては国際問題に発展します。それに……奴らは、面会の手土産として『教国に伝わる神聖魔導具』を持参しているとのこと。どうやら、その魔導具の力を使って、お嬢様を威圧し、不平等条約を飲ませる腹積もりのようです」
「……はぁ。どこの世界にも、そういうマウントを取りたがる面倒くさいおじさんっているのね」
前世の取引先の、やたらと役職をひけらかして威圧してくるオッサンたちを思い出し、私は心底うんざりした。
「お嬢様」
テオが、スッと私の前に跪いた。
「彼らの浅はかな野望など、俺たちが裏で処理することは造作もありません。しかし、彼らは『ルセリア様はただの飾りだ』と公言し、お嬢様の神聖なる御眠りを愚弄しました。……これは、俺たちルセリア内閣にとって、決して許されざる大罪です」
テオの背後から、コンラート、ヴィクトリア、レオナルドら、五十人の狂信者エリートたちの『すさまじい殺気』が、床を突き抜けてビリビリと伝わってくる。
彼らは今にも、隣国に戦争を仕掛けかねない勢いで激怒しているのだ。
(あ、これマズい。私がここで『適当に処理しといて』って言ったら、あいつら絶対、隣国を火の海にして滅ぼしちゃうわ……! 私の平和なスローライフの隣で、血みどろの戦争とか絶対に嫌!!)
私は、五十人の暴走(国際戦争)を止めるため、渋々ながらベッドから起き上がる決意をした。
「……分かったわよ。会えばいいんでしょ、会えば。……マイナ、着替えを。なるべく締め付けのない、ゆったりしたドレスにしてね」
「御意に、ルセリア様。すぐに最高級のシルクで設えた、威厳とリラックス効果を両立させた大宰相服をご用意いたしますわ」
こうして、私は約三ヶ月ぶりに(!)、執務室兼寝室から一歩外へと踏み出すことになったのである。
◇◇◇
白亜の王宮、大謁見の間。
皇帝の玉座に次ぐ高さに設けられた『大宰相の椅子』。
(※実はこの椅子も、テオの指示によって背もたれが深くリクライニングする『高級マッサージチェア兼ソファ』に魔改造されている)。
私は、そのフカフカの椅子に深く腰掛け、完全にリラックスした(やる気ゼロの)姿勢で、大扉が開くのを待っていた。
私の左右には、テオ、マイナ、ギル、カヤの四人が絶対の盾として控え、さらに玉座への階段の下には、コンラート皇子をはじめとする五十人のエリート官僚たちが、抜き身の剣のような鋭い殺気を隠しもせずに整列している。
ギィィィィッ……。
重々しい音と共に、大扉が開かれた。
「神聖アルカディア教国、特使! ザウエル枢機卿閣下であらせられる!!」
仰々しい先触れと共に、金と白の豪奢な法衣に身を包んだ、恰幅の良い初老の男が、数十人の神官兵を引き連れて堂々と入ってきた。
彼の顔には、大国ガルデニア帝国を見下すような、隠しきれない傲慢な笑みが張り付いている。
ザウエル枢機卿は、玉座の階段の下まで歩み寄ると、浅く一礼した。
「ガルデニア帝国大宰相、ルセリア・フォン・ヴァロワ閣下。お初にお目にかかる。……いやはや、噂には聞いておりましたが、これほどまでに愛らしい『お嬢ちゃん』が、あの帝国の実権を握っておられるとは。皇帝陛下も、よほど人材不足にお悩みのようだ」
開口一番からの、強烈な嫌味とマウント。
その瞬間、私の周囲に控える五十人の狂信者たちから、室内の空気が凍りつくような殺気が放たれた。コンラートの剣の柄がミシリと鳴り、マイナの指先に鋼糸が光る。
(や、やめて! みんな落ち着いて! ここで特使をミンチにしたら、明日から私が戦争の後始末(残業)をさせられちゃうから!)
私は内心で冷や汗を流しながら、片手を軽く上げて彼らを制した。
私のその小さな仕草だけで、五十人の殺気は嘘のようにピタリと収まった。
「……ごきげんよう、特使殿」
私は、肘掛けに頬杖をついたまま、極めて気だるげな声で答えた。
「人材不足かどうかは知りませんけど。……で? わざわざ隣国から、どんな御用でいらしたの? 私は今、とても忙しいの。手短にお願いね」
(※本当は推理小説の続きが気になって早く帰りたいだけである)。
私のその「完全に相手を見下した態度(ただ面倒くさいだけ)」に、ザウエル枢機卿はピクッとこめかみを引き攣らせた。
「……ふん。小娘が、虚勢を張るのも大概になされよ。我々が今日ここへ来たのは、貴国との新たな『通商条約』を結ぶためです。もちろん、我が教国にとって『有利な条件』でね」
枢機卿は、背後の神官兵に合図を送った。
神官兵が、恭しく一つの木箱を運び出し、その蓋を開け放つ。
その瞬間。
パァァァァァァァッ……!!!
木箱の中から、目を焼くような強烈な『黄金の光』が放たれ、謁見の間全体を真昼の太陽のように照らし出した。
「な、なんだこの光は……!?」
コンラートたちが思わず目を細め、腕で顔を覆う。
「ふははははっ!! これぞ、我が教国に伝わる神話の秘宝『天啓の宝玉』!!」
枢機卿が、勝ち誇ったように高笑いを上げた。
「この光は、神の威光そのもの! いかなる魔力を持とうとも、この絶対的な浄化の光の前では、ひれ伏すことしかできん! さぁ、恐怖に震えるが良い、帝国の小娘よ! この光の重圧に耐えられぬのであれば、大人しく我が教国の要求にサインを――」
「……うるさい」
私の、極めて低く、冷たい声が、枢機卿の高笑いを遮った。
枢機卿がハッとして私を見上げる。
私は、リクライニングチェア(玉座)の上で、不機嫌の極みのような顔をして、その光を放つ宝玉を睨みつけていた。
私は今、猛烈にイライラしていた。
なぜか。
相手が傲慢だからではない。不平等条約を押し付けようとしてきたからでもない。
(……眩しい。信じられないくらい眩しいわ。こんなギラギラした光を浴びたら、交感神経が刺激されて、この後の『極上のお昼寝』の質が著しく下がっちゃうじゃない!!)
前世の社畜時代、徹夜明けで休もうとしているのに、窓の隙間から差し込む朝日に殺意を覚えたあの感覚。
究極の安眠を追求する私にとって、「目に刺さるような強烈な光」は、最大の敵であった。
「……テオ。あれ、消して。眩しくて頭が痛いわ」
私は、面倒くさそうに手でシッシッと払う仕草をした。
しかし、テオは恭しく頭を下げた。
「申し訳ございません、お嬢様。あの宝玉は教国の国宝。俺たちが手を出せば、物理的に破壊してしまい、外交問題になりかねません。……ここは一つ、お嬢様の『優しい御力』で、あの鬱陶しい照明のスイッチを切ってやってはいただけないでしょうか」
(ちっ……また私にやらせるのね。本当に使えない……いや、有能すぎる部下ってのも考えものだわ)
私は大きなため息をつき、リクライニングチェアに深く沈み込みながら、己の『安眠欲求』だけを極限まで高めて魔法を紡いだ。
「……展開。《絶対遮光・静寂安眠結界》」
私が指先を軽く弾いた、その瞬間だった。
スゥゥゥゥゥッ……。
謁見の間を包み込んでいた、目に刺さるような黄金の光が。
まるで、巨大なブラックホールに吸い込まれるように、一瞬にして『漆黒の闇』へと呑み込まれて消滅したのである。
「……なっ!?」
枢機卿の顔から、すべての表情が抜け落ちた。
私が展開した結界は、ただの防御魔法ではない。
「私が寝るために、この空間のすべての光と音を遮断する(ゼロにする)」という、極めて日常的かつ利己的な『生活魔法(安眠用)』の極致であった。
しかし、私の底知れぬ魔力によって空間そのものに強制的に書き込まれた『絶対の闇』は、教国の国宝が放つ光を完全に上回り、蹂躙した。
黄金の光は、私のベッドルームを作るための「ただの不要なノイズ」として処理され、文字通り一瞬で消し飛ばされてしまったのだ。
ピキッ……。
パァァァンッ!!
「天啓の宝玉」が、私の魔法の絶対的な概念に耐えきれず、自壊して粉々に砕け散った。
「ば……馬鹿な……」
枢機卿は、膝から崩れ落ち、震える手で宝玉の残骸をすくい上げた。
「教国が……数百年間、祈りを捧げ続けてきた神聖なる宝玉の光が……。ただの一言、指を弾いただけで、完全に……闇に呑み込まれただと……!?」
枢機卿が顔を上げると、そこには。
完全な遮光結界によって作られた、心地よい薄暗闇の中で。
リクライニングチェアに身を沈め、とろけるような顔で「あぁ……やっぱり寝る時はこれくらい暗くないとね……」と呟いている、16歳の少女の姿があった。
その、一切の力みも、闘争心もない、ただの「日常的な振る舞い」が。
枢機卿の魂を、恐怖と畏敬の念で完全に叩き潰した。
(この少女は……バケモノだ。いや、本物の『深淵の神』だ……!! 我々の信じる神の威光すらも、彼女にとっては『昼寝の邪魔になるただの眩しい光』に過ぎないというのか!!)
「ひぃっ……! お、お許しを!!」
枢機卿は、床に額をこすりつけ、ガタガタと全身を震わせながら命乞いを始めた。
「我々が愚かでございました!! 大宰相閣下の神の如き御力を知らず、不遜な態度をとったこと、どうかご慈悲を!! 通商条約は、すべて帝国の有利なように結ばせていただきます!! ですから、どうか我が教国を滅ぼすことだけは……!!」
(……え? 私、ただ部屋を暗くしただけなんだけど。なんでこのおじさん、勝手に一人で怯えて土下座してるの?)
私がキョトンとしていると、階段の下に控えていた五十人の狂信者エリートたちが、一斉に感涙の声を上げた。
「ルセリア師匠ぉぉぉっ!!」
コンラートが、剣を掲げて絶叫する。
「これぞ、師匠の『無為自然』の体現!! 一歩も動かず、ただ己の安らぎを求めるだけで、隣国の国宝を粉砕し、枢機卿を屈服させられるとは!! これで教国は、完全に我が帝国の属国となりましたぞ!!」
「お姉様!! なんという外交手腕!! 相手の切り札を、文字通り『暗闇に葬り去る』ことで、一切の交渉の余地を与えずに圧倒する! 私、また一つ政治の神髄を学びましたわ!!」
ヴィクトリアが、猛烈な勢いで帳簿に何かを書き込んでいる。
「ルセリア大宰相閣下、万歳!! 帝国の守護神、万歳!!」
「我が教国も、これよりルセリア様を真の女神として崇拝いたします!!」
帝国の大臣たちだけでなく、隣国の使節団までが、一斉に私に向かって狂信的な祈りを捧げ始めた。
「……あー、うん。もう、好きにしていいわよ……」
私は、完全に思考を放棄し、リクライニングチェア(玉座)の上でそっと目を閉じた。
(もう無理。私が何をしても、全部『神の御業』に変換されちゃう。ならもう、私はこのままここで寝る。後のことは全部テオたちがやってくれるわ……)
「お疲れ様でございました、お嬢様」
テオが、暗闇の中で、悪魔のような、しかしどこまでも従順な笑みを浮かべて囁いた。
「これで、東の大陸の半分が、お嬢様の『お昼寝の聖域』に組み込まれました。……さぁ、温かいミルクの準備ができております。存分にお休みなさいませ」
こうして。
私の「大宰相としての初仕事(ただ部屋を暗くしただけ)」は、隣国を属国化し、帝国に莫大な利益をもたらす『歴史的な外交勝利』として帝国の歴史に深く刻み込まれてしまった。
過労死を避けるためにニートを目指したはずが、私がサボればサボるほど、周囲が勝手に世界を征服していく。
怠惰な公爵令嬢ルセリアの、終わらない「勘違い無双」は、いよいよ帝国という枠すらも超え、大陸全土を巻き込む神話の領域へと、さらに爆走を続けていくのであった。




