第3話:狂気のサバイバルと、舞い降りる「神の落書き」
王立アカデミー、第一野外大コロシアム。
そこは今、およそ教育機関の敷地内とは思えないほどの、血生臭い狂気と異様な熱狂に包まれていた。
「グギャァァァァッ!!」
闘技場に放たれた数十頭の凶暴な魔獣が、牙を剥き出しにして参加者たちに襲いかかる。
さらに、壇上からはマイナの放つ不可視の鋼糸が縦横無尽に空間を切り裂き、ギルの放つ濃厚な殺気が重圧となって彼らの肺を締め上げていた。
これが、ルセリアの伴侶を決める『聖夫選定の儀』、第一の試練――「不動の苦行」である。
(※ルセリア本人が「私より弱い(大人しい)こと」と書いた条件の超解釈)。
「う、うわぁぁぁっ!! 降参だ!! 助けてくれ!!」
「無理だ! 魔法の障壁なしでこんなものに耐えられるわけがない!!」
二千人以上いた参加者のうち、大半の貴族子弟や力自慢の騎士たちは、その理不尽なまでの恐怖と痛みに耐えきれず、悲鳴を上げて闘技場から逃げ出していった。
しかし。
その地獄の嵐の中心で、一歩も動かず、魔力による防御すら一切行わずに、ただ静かに胡座をかいて目を閉じている数十名の『異端者たち』がいた。
「ルセリア師匠ぉぉ……。貴女の教え(お昼寝の絶対防御)に比べれば、この程度の痛み、春のそよ風に等しい……!」
第二皇子コンラート(15歳)は、魔獣の爪で肩を深く切り裂かれ、血を流しながらも、その顔に恍惚の笑みを浮かべていた。
「ルセリアお姉様……! いかなる外圧にも動じないこの不動の精神こそが、お姉様をお支えする者の第一条件ですわね……!」
クライス侯爵令嬢ヴィクトリア(15歳)もまた、ドレスをボロボロに引き裂かれながら、背筋をピンと伸ばして正座を崩さない。
「ゼニス王国の天才である私が、防御魔法を捨てる日が来るとはな……。だが、これがルセリア様の『日常(生活魔法)』に至るための登竜門であるならば、喜んでこの身を刻もう!!」
留学生レオナルドも、漆黒のローブを血に染めながら、狂気に満ちた瞳で宙を睨みつけていた。
彼らは、ルセリアへの『信仰心』と、過酷な開拓合宿で培った『異常な根性』によって、痛みという概念を完全に脳内からシャットアウトしていたのである。
壇上からその様子を見下ろしていたテオは、静かに右手を挙げた。
「そこまで」
テオの短い号令と共に、魔獣たちはギルの威圧によって一瞬で檻へと引き下がり、マイナの鋼糸も空間から消え去った。
闘技場の中央に残ったのは、血まみれになりながらも、その目に爛々とした光を宿すコンラートをはじめとする約五十名の『狂信者エリート』たちだけであった。
「……見事だ。第一の試練『無の精神』、確かに見届けた」
テオは、冷徹な声の中にも、微かな感嘆を込めて告げた。
「お前たちのような傑物が、これほどまでに揃うとは。お嬢様の『御力』が引き寄せた奇跡としか言いようがない」
「ははっ!! 我々の肉体も魂も、すべてはルセリア師匠のために!!」
五十名の血まみれの若者たちが、一斉にテオに向かって最敬礼(右拳を左胸に当てるポーズ)を行う。
その光景は、もはや帝国の軍隊すら凌駕するほどの統率力と狂気を孕んでいた。
「では、息つく暇もなく第二の試練へと移行する」
テオは、羊皮紙を再び読み上げた。
「お嬢様が伴侶に求める第二の条件。それは『私に一切の期待をしないこと』……すなわち、お嬢様に己の野心や見返りを求めない『完全なる無私の愛』である」
(※ルセリアの本音:「私に公爵令嬢として働けとか言わないこと」)
「第二の試練は……『自己の完全なる破棄』だ!」
テオの声が、コロシアムに重く響く。
「お前たちが今、この世で最も執着しているもの。地位、権力、財産、あるいはプライド。……それを、ルセリア様のために、この場で『永遠に放棄』できる者だけが、次の試練へと進む資格を得る!!」
その宣言は、あまりにも過酷だった。
ここに集まっているのは、帝国の次代を担うトップエリートたちである。彼らが背負っているものは、一族の命運であり、国家の未来そのものなのだ。
「ち、地位を放棄しろだと……!? そんなこと、一族が許すわけが……」
数名の参加者が、顔を青ざめさせて躊躇した。
しかし。
最も狂信的なトップ層の行動は、常軌を逸するほど早かった。
「はははははっ!! なんだ、そのような簡単なことで良いのか!!」
コンラート皇子が、天を仰いで高らかに笑い声を上げた。
彼は、自らの懐から『皇位継承権第二位』を示す黄金の紋章章を取り出すと、それを迷うことなく地面に叩きつけ、軍靴で粉々に踏み砕いたのである。
「で、殿下ァァァッ!?」
観客席で様子を見守っていた皇室の護衛騎士たちが、悲鳴を上げて卒倒した。
「ルセリア師匠が伴侶を求めておられるのだぞ! 皇帝という矮小な椅子のために、師匠の隣に立つ権利を諦めるなど、あり得るはずがないだろう!!」
コンラートは、血塗れの顔で誇らしげに叫んだ。
「私は今この瞬間をもって皇族の身分を捨てる!! 私はルセリア師匠のただの盾、ただの『夫』として生涯を全うする!!」
「コンラート殿下、抜け駆けは許しませんわよ!!」
ヴィクトリアもまた、懐から分厚い証書を取り出した。
「これは、クライス侯爵家の次期当主としての『家督相続権の証明書』ですわ!!」
ビリビリビリッ!!
彼女は、それを一切の躊躇なく引き裂き、空へと放り投げた。
「侯爵家の財産など、お姉様がアグニ地方で生み出した奇跡の経済圏に比べれば塵芥に等しい! 私もお姉様の『伴侶(家計管理者)』として、すべてを捧げますわ!!」
「私もだ!! 魔法大国ゼニスの次期筆頭魔導士の証、こんなものはもう必要ない!!」
レオナルドが、母国から授かった国宝級の魔導杖を、自らの手でへし折って火に焚べた。
「おおおおおっ!! 我らも続くぞ!!」
「ルセリア様のために、我らの地位など安いものだ!!」
五十名の狂信者たちが、次々と自らの身分証、家督の証明、あるいは先祖代々の宝剣などを破壊し、地面に投げ捨てていく。
もはや、彼らの暴走を止めることは、親である大貴族たちにも、皇帝にすら不可能であった。
「……素晴らしい」
壇上のテオ、ギル、マイナの三人は、その狂気の光景を見て、満足げに深く頷いた。
「これこそが、お嬢様の求めておられた『無私の愛』。己のすべてを捨ててお嬢様に尽くす、本物の傑物たちだ」
テオが、感動すら覚える声で呟く。
「さぁ、残るは第三の試練。お嬢様の提示された『家から出ないこと(絶対の守護)』の条件を、彼らがどう体現するか……」
コロシアムの熱狂が最高潮に達しようとしていた、まさにその時であった。
◇◇◇
一方その頃。
王立アカデミーの最奥、『星降りの旧魔塔』の最上階。
「あー……ヒマね。ヒマすぎるわ」
私は、最高級の低反発マットレスの上で、仰向けになって手足をバタバタと動かしていた。
カヤが作ってくれた特製・ジャンボマカロンを食べ終わり、紅茶も飲み干し、お昼寝も十分に堪能してしまった。
テオたちは「お嬢様の伴侶を探してまいります」と言って出て行ったきり、帰ってくる気配がない。
(テオのことだから、どうせ私にふさわしいダメ男を、裏のコネを使ってじっくり面接でもしてるのよね。まぁ、気長に待つしかないか)
私はゴロリと寝返りを打ち、部屋の隅にある小さな机に目をやった。
そこには、昨日テオが持ってきた『大宰相への就任要請書』と、それに付随する分厚い決裁書類の束が山積みになっていた。
「あー、見るだけで胃が痛くなる……。なんで15歳で大宰相なんてやらなきゃいけないのよ。皇帝陛下も、お父様も、どうかしてるわ」
私は、その書類の山から一枚の白い羊皮紙を適当に引き抜いた。
何も書かれていない、ただの裏紙だ。
「ヒマだし、ちょっと折り紙でもしようかな……。前世でよく、会社の会議中につまんなくて、資料の端っこで折ってたアレね」
私は、羊皮紙を器用に折り曲げ、先端を尖らせて、あっという間に見事な『紙飛行機』を完成させた。
異世界の紙は少し厚手だが、私の手先の器用さ(サボりスキル)をもってすれば、美しい流線型の機体が出来上がった。
「よし。久しぶりの初フライトよ」
私はベッドから起き上がり、塔の小窓を開け放った。
春の心地よい風が、部屋の中に吹き込んでくる。
「飛んでけー、私の大宰相就任の辞令も、面倒な仕事も、全部まとめて飛んでけー!」
私は、スナップを利かせて、その紙飛行機を窓の外へと勢いよく放り投げた。
ヒュゥゥゥゥッ……!
私が折った紙飛行機は、偶然にも塔の周辺を漂っていた上昇気流(かつて私が展開した加湿魔法の残滓が作り出した特異な気流)に乗り、信じられないほどの高度へと舞い上がっていった。
そして、そのまま風に乗って、王立アカデミーの上空を、第一野外大コロシアムの方向へと向かって一直線に滑空していったのである。
「あーあ、見えなくなっちゃった。……さて、二度寝するか」
私は窓を閉め、再びベッドへと潜り込んだ。
自分が飛ばしたその「ただのゴミ(紙飛行機)」が、コロシアムで繰り広げられている『狂気のデスゲーム』に、決定的な神の啓示として舞い降りることになるなど、神すらも予想できなかっただろう。
◇◇◇
第一野外大コロシアム。
「これより、最終試練……『絶対の守護』を開始する!」
テオの声が、血と熱狂にまみれた闘技場に響き渡った。
「お嬢様の第三の条件『家から出ないこと』。それはすなわち、お嬢様の聖域をいかなる外敵からも死守し、一歩も退かない『絶対の防衛陣形』の構築を意味する!」
(※ルセリアの本音:「一緒に部屋で引きこもってくれるインドア派であること」)
「お前たち五十名は、これより一つのチームとなり、この闘技場の中央で円陣を組め! そして、俺たち三人が全力で放つ『魔法と暗器の集中砲火』を、一歩も動かずに防ぎ切れ! もし一人でも陣形から一歩でも足を踏み出せば、全員失格とする!!」
その過酷すぎる条件に、コンラートたちも息を呑んだ。
テオの魔法、マイナの暗器、ギルの搦め手。それらを、回避することなくその場で防ぎ切るなど、物理的に不可能に近い。
ただの力押しではなく、五十名全員の魔力と意志を完全に同調させた『完璧な防衛陣形』を構築しなければ、この試練を乗り越えることはできないのだ。
「……くっ、陣形だ! 全員、背中を合わせろ!! 魔力の波長を同調させ、巨大な障壁を……!」
コンラートが叫び、指示を出そうとした、その時であった。
ヒラヒラヒラ……。
上空から、白い「何か」が、ゆっくりと、まるで羽が舞い落ちるように、コロシアムの中央へと降りてきたのだ。
それは、五十名の狂信者たちと、テオたちのちょうど中間地点の地面に、ふわりと着地した。
「……なんだ、あれは?」
テオが眉をひそめ、ギルが警戒しながらそれに近づく。
「……紙? いや、特殊な形に折り畳まれている……なんだこの形状は。鳥を模しているのか?」
ギルが、地面に落ちた『紙飛行機』を拾い上げ、訝しげに眺めた。
しかし、その特殊な形状(前世の紙飛行機)を見た瞬間。
コンラート、ヴィクトリア、レオナルドの三人が、雷に打たれたように目を見開き、一斉に絶叫した。
「ま、待て!! それに触れるな、ギル!!」
「それは……それは、ただの紙ではありませんわ!! 見なさい、あの紙から漂う、微かで、しかし絶対的な『神聖な魔力の残り香(ルセリアが折った際についた魔力)』を!!」
ヴィクトリアの叫びに、テオたちもハッとして紙飛行機を注視した。
確かに、その紙からは、ルセリア特有の「あの心地よくも恐ろしい、絶対零度とお昼寝の魔力」が微かに発せられていた。
「ル、ルセリア様が……星降りの魔塔から、我々に直接『何か』を飛ばしてこられたというのか!?」
テオが、信じられないものを見るように、その紙飛行機を両手で恭しく受け取った。
「おおおおおっ……!! 神の啓示だ!!」
コンラートが、その場に膝をつき、両手を天に掲げた。
「ルセリア師匠は、このコロシアムで行われている最終試練を、遥か遠くの魔塔から『すべて視て』おられたのだ!!」
「そして、この『奇妙な形に折られた紙』こそが……我々に与えられた、第三の試練に対する『究極の答え(陣形)』に違いありませんわ!!」
ヴィクトリアが、震える指で紙飛行機を指差す。
(※ただの紙飛行機である)
「見ろ……! あの紙の折り目、その流線型のフォルム……!」
魔法大国の天才であるレオナルドが、血走った目で紙飛行機を解析し始めた。
「先端を尖らせ、魔力の抵抗を極限まで減らす構造。そして、後方の翼によって全体のバランスを保つ……! これは、五十人の魔導士が配置につくべき『究極の絶対防衛陣形』の設計図だ!!」
「な、なんだってーーっ!?」
五十名の参加者たちが、狂喜乱舞して紙飛行機を取り囲んだ。
「素晴らしい……! ルセリア師匠は、我々に『ただ耐える』のではなく、この流線型の陣形を組むことで、敵の攻撃をすべて『受け流し、後方へと逃がす』という究極の柔の防衛術を伝授してくださったのだ!!」
「お姉様……! どこまで深く、我々を導いてくださるのですか……っ!!」
テオもまた、その「超解釈」に完全に同調し、震える手で眼鏡を押し上げた。
「……さすがはお嬢様。我々の課した試練など、お嬢様にとっては児戯に等しいということか。……彼らに直接『答え』を与え、共にこの試練を乗り越えよという、深き愛のメッセージ……!」
「行くぞ皆の者!! 師匠の示された『流線型の陣形(紙飛行機フォーメーション)』を展開せよ!!」
コンラートの号令と共に、五十名のエリートたちが、紙飛行機の形を模して、完璧な配置で円錐状の陣形を組み上げた。
「テオ殿!! 来い!! ルセリア師匠の御心(紙飛行機)を胸に、我々はこの陣形で、貴殿らの攻撃をすべて受け流してみせる!!」
闘技場は、もはや「婿選び」の枠を完全に超え。
『ルセリアの落書き(紙飛行機)を宇宙の真理として解読し、新たな魔法陣形を完成させた狂信者軍団』による、奇跡の防衛戦へと突入してしまったのである。
一方、その頃。
当のルセリアは、塔のベッドで「ふにゃぁ……」と寝言を言いながら、幸せそうに二度寝の夢の中を漂っていた。
彼女が暇つぶしに飛ばした一つの紙飛行機が、帝国最強の五十人のエリートたちを完全に結束させ、「無私の愛と絶対の防衛陣形」を完成させた最強の伴侶候補(五十人の夫候補連合)を生み出してしまったことなど。
夢にも思っていない、平和な午後のひとときであった。




