第5章:第1話:大宰相への推挙と、永久就職(ニート)計画
「ふぁぁぁ……よく寝た。もうお昼かしら?」
王立アカデミーの敷地の最奥にそびえ立つ『星降りの旧魔塔』。
もはや学園の全校生徒から「女神の聖域」として神聖視され、半径百メートル以内に立ち入ることすら禁じられているこの塔の最上階で、私は大きなあくびと共に目を覚ました。
私、ルセリア・フォン・ヴァロワは、無事に15歳の春を迎えていた。
12歳でこの学園に入学(という名の強制連行)してからの三年間。
私の学園生活は、控えめに言って「完璧な引きこもり(サボり)」として完遂されようとしていた。
私が初日に「古代の魔竜を寝返りで粉砕した」という特大の勘違いを皮切りに、学園の自治権はすべて私(の側近であるテオ)の手に渡り、私は「学園の守護神」として祀り上げられた。
結果として、私はこの三年間、ただの一度も教室に足を踏み入れることなく、ただの一度も試験を受けることなく、この塔の最上階の低反発マットレスの上で、ひたすらに昼寝とスイーツの試食を繰り返してきたのである。
「お目覚めですか、ルセリア様。本日も、慈愛に満ちた素晴らしい寝顔でございました」
ベッドの傍らで、完璧な姿勢で控えていた見習い執事……いや、今や王立アカデミーの生徒会を裏から完全に牛耳り、『影の学園長』として恐れられているテオ(16歳)が、淹れたての紅茶を差し出してきた。
彼はこの三年間で身長がグンと伸び、スラム上がりの面影は完全に消え失せ、冷徹で有能すぎる若き宰相のような風格を身に纏っている。
「ありがとう、テオ。……外、なんだか静かすぎない? 今日って平日よね?」
私が紅茶を啜りながら尋ねると、テオは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、フッと笑った。
「ええ。本日は、お嬢様が『少し頭が痛い(ただの寝すぎ)』と仰られたため、全校生徒に『ルセリア様のご静養のため、学園内のすべての音響発生を禁ずる』という特別令を発令いたしました。現在、生徒たちは筆談と手話のみで授業を受けております」
「……えぇぇ……。そこまでしなくていいのに。なんか逆に申し訳なくなってくるわね……」
私は引きつった笑いを浮かべた。
私が引きこもっている間、コンラート皇子やヴィクトリアをはじめとする狂信的な生徒たちは、「ルセリア師匠の安らかなる瞑想をお守りする!」という強迫観念(信仰心)に突き動かされ、恐ろしいほどの規律と集中力で学業と魔法の修練に打ち込んだ。
その結果、現在の王立アカデミーは、帝国史上最高レベルの超エリート集団(にしてルセリア教の狂信者軍団)を輩出する、異常な教育機関と化してしまっていたのだ。
「しかし、お嬢様。そのような些末なことよりも、本日は重大なご報告がございます」
テオが、手元の銀のトレイから、見覚えのある重々しい封筒を取り出した。
皇室の『双頭の獅子』の紋章。嫌な予感しかしない。
「……また皇帝陛下から? アグニ地方の税収は、ちゃんと右肩上がりなんでしょ?」
「ええ。アグニ地方は今や、ギルとマイナの裏工作、カヤの食料革命によって、帝国の経済の三割を担う独立特区となっております。……しかし、問題はそこではありません」
テオは、極めて真剣な瞳で私を見つめた。
「お嬢様は来月、いよいよ王立アカデミーを卒業(※一度も授業に出ていないが首席)されます。それに伴い、皇帝陛下が、お嬢様のこれまでの功績を讃え、新たな役職をご用意されたとのことです」
「新たな役職? まさか、辺境総督より上の役職なんて……」
「はい。帝国の中枢機構をすべて束ねる最高権力――『帝国大宰相』の地位です」
「………………………………ブフッ!!」
私は、飲んでいた紅茶を盛大に噴き出した。
「だ、だいさいしょう……!? 大宰相って、お父様(現宰相)の上に立つってこと!? しかも15歳で!?」
「左様でございます。皇帝陛下は、『ルセリアのあの圧倒的な人心掌握術と、不毛の地を楽園に変えた手腕があれば、帝国は千年の安泰を約束される』と、手放しで絶賛しておられます」
(ふざけるなーーーーーっ!!!)
私は心の中で、ちゃぶ台を宇宙の果てまでひっくり返した。
大宰相。それはすなわち、帝国のすべての政治、軍事、経済の最終決定権を持つということであり、毎日のように山積みの決裁書類と終わりのない御前会議に追われる、「過労死一直線のブラック役職」に他ならない。
前世で過労死し、「今度こそ絶対に働かない、親の金で一生ダラダラする」と誓って転生した私が。
なぜ、前世の何百倍も責任が重く、逃げ場のない超激務ポジションに就かなければならないのか!
「無理!! 絶対に無理!! お父様に手紙を書いて! 『ルーセはまだ子供だから、そんな重責は担えません』って泣き落として!!」
私が半狂乱になってベッドの上でジタバタすると、テオは静かに首を振った。
「不可能かと。ラインハルト旦那様は、『ついに我が天使が帝国を掌握する日が来た!』と、屋敷で三日三晩の大宴会を開いておられます。むしろ旦那様の方が、お嬢様の大宰相就任を一番熱望しているでしょう」
「あの親バカぁぁぁっ!! なんで娘をブラック労働に突き落として喜んでるのよ!!」
私は頭を抱えてクッションに突っ伏した。
逃げ場はない。皇帝の勅命は絶対であり、ここで「嫌です」と逃げれば、それこそ国家への反逆とみなされかねない。
それに、アグニ地方の別荘でダラダラする権利すら剥奪され、王宮の狭い執務室に軟禁される毎日が待っている。
(どうする……。どうすれば、この『大宰相就任』という絶望の未来を回避できる……?)
私のフル回転した脳細胞は、前世のOL時代、激務に耐えかねた先輩の女性社員たちが、次々と使っていった『最強の切り札(退職理由)』を思い出した。
(そうだわ……。永久就職……『寿退社』よ!!)
帝国貴族の社会において、女性は結婚すれば「家庭に入り、夫を支える(あるいは領地の奥に引っ込む)」という名目で、表舞台から姿を消すことが許される風潮がある。
もちろん、公爵令嬢である私が結婚すれば、夫の地位も跳ね上がるだろうが、少なくとも「大宰相として国を回す」という最悪の激務からは逃れることができるはずだ。
「……テオ。私、結婚するわ」
私が顔を上げ、極めて真剣な顔で宣言すると。
常に冷静沈着なテオの目が、一瞬だけ見開かれ、そして冷たい殺気を帯びた。
「……結婚、でございますか? 誰と」
「まだ決めてないわよ。これから探すの。……大宰相になるくらいなら、適当な田舎の男爵か子爵あたりの、権力欲のない三男坊あたりと結婚して、専業主婦になるのよ。そいつの領地に別荘を建てて、そこで一生ダラダラと暮らすわ」
私の完璧な『寿退社による完全ニート計画』。
相手は誰でもいい。私に干渉せず、私がサボることを許容してくれる、都合の良い(適当な)男であれば。
しかし。
私のその「逃避のための適当な結婚宣言」が。
またしても、私の最強の側近(狂信者筆頭)であるテオの脳内で、とんでもないスケールの『深読み』を引き起こしてしまったのである。
「……なるほど。お嬢様の深遠なる御心、このテオ、完璧に理解いたしました」
テオは、感情を押し殺したような、しかし心の奥底で燃え盛る暗い炎を隠しきれない声で深く一礼した。
「既存の腐敗した帝国のシステム(大宰相)などという矮小な枠に収まることを良しとせず。……自らの『血脈(新たな皇統)』を創り出し、真の意味でこの世界を裏から統治するための『共同統治者(伴侶)』を選ぶおつもりですね」
(違ぁぁぁぁぁぁっ!! 私はただ、専業主婦になって一生昼寝したいだけなのよ!!)
私の心の叫びは、テオの耳には全く届いていない。
「お嬢様の伴侶となる者。それはすなわち、この世界の頂点に立つ資格を持つ者でなければなりません。田舎の貴族などと謙遜されておりますが……お嬢様のお眼鏡に適うような器の持ち主が、そう簡単に見つかるとは思えません」
テオの目が、ギラリと猛禽類のような光を放つ。
「このテオにお任せください。ギルの情報網と、公爵家の全財力を動員し、お嬢様にふさわしい『最強にして最高の伴侶候補』を、帝国全土、いや、他国からも厳選して集めさせていただきます」
「ちょ、ちょっと待ってテオ! 私は別に最強の伴侶なんて求めてないの! 大人しくて、私が一日中寝てても文句を言わない、ヒモみたいな男でいいのよ!」
私が必死に訂正しようとしたが、テオはすでに私への絶対的な忠誠心と「お嬢様の伴侶たる者に求められる異常なハードル」に支配されていた。
「ご謙遜を。お嬢様の『静寂(お昼寝)』を護るためには、圧倒的な武力、魔力、そして知力を兼ね備えた絶対者が不可欠。……すぐに、マイナとカヤにも召集をかけ、『ルセリア様・聖夫選定プロジェクト』を始動いたします。お嬢様はどうぞ、吉報をお待ちくださいませ」
テオは、悪魔のような笑みを残して、踵を返して塔を飛び出していってしまった。
「あぁぁぁ……! 違うのにぃぃ……! なんで毎回毎回、私の適当な発言が、国家レベルの特大イベントにすり替わっちゃうのよ……!!」
私はベッドの上で頭を抱え、絶望の叫びを上げた。
◇◇◇
そして、テオの行動は、私の想像を絶するスピードで帝国の根幹を揺るがし始めた。
その日の午後。
王立アカデミーの生徒会室(事実上の学園支配拠点)に、テオ、ギル、マイナ、カヤの四人が集結していた。
「……というわけだ。お嬢様は、ついに『伴侶』を迎える決意を固められた」
テオが冷徹な声で告げると、他の三人の間にピリッとした、殺気にも似た緊張感が走った。
「お嬢様のご伴侶……! それはつまり、我々と共にお嬢様を護り、絶対的な忠誠を誓う『筆頭の盾』となるべき存在ですね!」
マイナが、メイド服の袖から無数の暗器をジャラリと鳴らし、恐ろしい笑顔を浮かべた。
「その辺の軟弱な貴族の男など、私が五秒で細切れにしてやりますわ。最低でも、私の本気の殺気を三日は耐え凌げる男でなければ、お嬢様の隣には立たせません!」
「食事の好みも重要ですわ!」
カヤがバンッと机を叩く。
「お嬢様の繊細な味覚を理解し、私が作る『湯上がりプリン』の価値を分かり、決してお嬢様の食事の時間を邪魔しない男! 万が一お嬢様の睡眠を妨げるようなイビキをかく男がいれば、即座に毒を盛ります!」
「お前ら、物騒すぎるだろ……」
ギルが呆れたようにため息をついたが、彼の目もまた、暗い炎を宿していた。
「だが、テオの言う通りだ。お嬢様は『田舎の適当な男』と仰ったが、それはお嬢様の優しさ(試練)だ。我々が、お嬢様にふさわしい真の傑物を探し出さなければならない。……俺の情報網を使って、大陸中の若き天才、英雄、皇族、すべてをリストアップしよう」
「ああ、頼む。ギル」
テオは、一枚の羊皮紙に素早くペンを走らせた。
「我々が主催となり、帝国全土に『ルセリア・フォン・ヴァロワの伴侶を決める選定の儀』を布告する。……武力、知力、そしてお嬢様への狂信的な愛。すべてを兼ね備えた者だけが、最終面接(お嬢様とのお茶会)に進むことができる、文字通りのデスゲームをな」
こうして。
私の「適当に結婚して専業主婦になりたい」というささやかな逃避願望は、側近たちの異常な忠誠心と過保護によって、帝国史上最も過酷で、最も血生臭い『聖夫選定武闘大会』へと強制的に変換されてしまったのである。
そして、この布告が帝国中に広まった時。
誰よりも早く、そして最も熱狂的に立ち上がったのは。
「ルセリア師匠が……ついに伴侶を迎えられると……!?」
帝都の王宮でその報を聞いた、第二皇子コンラート(15歳)。
彼は、この三年間でルセリアの教え(という名の放置)を胸に己を鍛え抜き、帝国の次期皇帝候補の筆頭として圧倒的な支持を得るまでに成長していた。
「……なんという事だ。師匠は、大宰相という地位すらも捨て、自らの伴侶と共に新たな時代を創り上げようとしておられるのか!」
コンラートの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「私の命、私の魂、私のすべては、すでにアグニ地方の泥の中で師匠に捧げている!! 師匠の隣に立つ資格があるのは、この私をおいて他にない!! 皇帝の座など捨ててでも、私はルセリア師匠の『夫』という最高の栄誉を勝ち取ってみせる!!」
「殿下!! お待ちください!!」
「ルセリア様にご求婚するなど、我々も黙っておりませんぞ!!」
かつてアグニ地方で開拓合宿を共にした、狂信者の貴族子弟たち(今や帝国の若手エリート官僚や騎士団長クラス)もまた、一斉に目の色を変えて立ち上がった。
さらに、クライス侯爵令嬢ヴィクトリアや、魔法大国の留学生レオナルドまでが、「お姉様の伴侶は同性でも構わないはずですわ!」「私がルセリア様の魔力を最も理解している!」と、完全に理性を失って婿選びの戦場へと乱入する構えを見せ始めた。
私が塔の中で、「どんなヒモ男と結婚しようかな〜」と呑気に温泉まんじゅうを頬張っている間に。
帝国の歴史は、一人の怠惰な公爵令嬢の「伴侶の座」を巡って、未曾有の大混乱(熱血バトルロワイヤル)へと突入していこうとしていた。
大宰相への就任から逃れるための私の浅はかな計画は、最悪の形で延焼し、第5章の波乱の幕が、今ここに切って落とされたのである。




