第7話:学園の守護神と、絶対的サボり権の代償
「……んん……すぅ……」
翌朝。
私は、かつてないほどの爽快感と共に、ゆっくりと重いまぶたを開けた。
『星降りの旧魔塔』の最上階。
窓から差し込む朝日が、部屋の中にキラキラと輝く美しい光の粒子を照らし出している。
空気はひんやりと澄み切っており、昨日までの少し蒸し暑かった気候が嘘のように、完璧な『適温(クーラーの効いた快適な部屋)』に保たれていた。
「あぁ……よく寝たわ。昨日の夜、ちょっと暑くて寝苦しかった気がしたけど……やっぱり『冷感マット結界』を展開して正解だったわね。おかげで朝まで一度も起きずに爆睡できたわ」
私は、最高級の低反発マットレスの上で大きく伸びをし、満足げなため息を漏らした。
前世の夏場、エアコンが壊れたボロアパートで汗だくになって寝ていた頃に比べれば、魔法で自在に室温をコントロールできる今の環境は、まさに神の恩恵である。
「おはようございます、お嬢様。本日は一段と、神々しいお目覚めですね」
ベッドの傍らには、すでに見習い執事のテオが、淹れたての紅茶が乗った銀のトレイを持って控えていた。
背後には、私の乱れた白銀の髪を梳かすために待機しているマイナと、朝食の『特製・冷製スープ』をワゴンで運んできたカヤの姿もある。
「おはよう、テオ。……ねぇ、なんだか部屋の中に、氷の欠片みたいなのがいっぱい落ちてない? これ、私が昨日出した結界の残骸?」
私が、床に散らばっているダイヤモンド・ダストのようなキラキラした結晶を指差すと、テオは極めて涼しい顔で頷いた。
「ええ、お嬢様が昨夜、無意識のうちに『粉砕』なされた、ちょっとした害虫の残骸でございます。マイナが今朝から掃除をしておりますが、魔力の純度が高すぎて、なかなか溶けないのですよ」
「ふーん……虫がいたのね。まぁ、涼しくなったからいいわ」
私は全く気に留めることなく、カヤが差し出してくれた冷製スープを一口飲んだ。
(美味しい……! 朝の火照った胃袋に、冷たいスープが染み渡るわ)
私が優雅に朝食(ベッドの上から一歩も動いていない)を楽しんでいると、不意に、塔の外から「ざわざわ……」という、ものすごい数の人間の気配と、微かな詠唱のような声が聞こえてきた。
「……ん? なに、外。なんか騒がしくない?」
私が眉をひそめると、テオは少しだけ困ったような、しかし隠しきれない悪魔的な笑みを口元に浮かべた。
「お嬢様。その『害虫』の件に関連して、少々……いえ、学園の歴史を覆すレベルのご報告がございます」
「ご報告? なによ、改まって」
テオは、胸ポケットから一枚の羊皮紙を取り出し、咳払いを一つした。
「昨夜、この塔の地下に封印されていた神話クラスの災厄『星喰いの魔竜』が復活し、学園を滅ぼしかけました。……しかし、お嬢様が『寝苦しい』と仰って展開された絶対零度の結界と、無意識の『寝返り』の物理的衝撃によって、魔竜は一撃で氷砕され、完全に消滅いたしました」
「………………………………は?」
私の手から、スプーンがポロリと滑り落ちた。
「ま、まりゅう……? 災厄……? 寝返り……?」
「はい。そして、その『女神の如き圧倒的な神威』を、学園長をはじめとする全教師、全生徒が、塔のすぐ外でバッチリと目撃しておりました」
テオは、私の絶望に満ちた顔を無視して、淡々と報告を続ける。
「結果として。現在、この旧魔塔の周囲には、学園の全校生徒およそ二千人と、すべての教師陣が集結し、お嬢様の目覚めを待って『感謝と崇拝の祈り(徹夜での土下座)』を捧げ続けております」
「う、嘘でしょ……!?」
私は慌ててベッドから飛び起き、塔の窓から恐る恐る下を覗き込んだ。
「ヒッ……!!」
私は、喉の奥で悲鳴を上げた。
そこには。
見渡す限りの広大な中庭を埋め尽くすように、王立アカデミーの制服を着た無数の生徒たちと、ローブを着た教師たちが、一糸乱れぬ動きで地面に額をこすりつけ、まるでメッカに向かって礼拝を行う教徒のような姿勢でひれ伏していたのである。
その最前列には、コンラート皇子、ヴィクトリア、元生徒会長のユリウス、留学生のレオナルド、そしてガラハッド教官やアルベルト教授といった、私に狂信している「名だたるエリートや権威たち」が、ボロボロと涙を流しながら私の窓を見上げていた。
「ル、ルセリア様が窓辺にお立ちになられたぞぉぉぉぉっ!!」
ガラハッド教官が、戦場に響くような野太い声で絶叫した。
「おおおおおっ!! 我らが女神!! 学園の、いや、帝国の守護神よ!!」
「ルセリア師匠ぉぉっ! その節穴のような我々をお救いくださった深き慈愛、一生忘れませんぞ!!」
「お姉様ぁぁぁっ! 今朝の寝起きの御姿も、最高に神々しいですわぁぁっ!!」
ドワァァァァァァァァッ!!!
二千人による、割れんばかりの歓声と、狂気じみた祈りの大合唱が、朝の学園にビリビリと響き渡る。
「……終わった。私の、誰にも知られずに息を潜めてサボる計画が……完全に、終わった」
私は、窓の枠に手をついたまま、魂が抜けたように崩れ落ちた。
「お嬢様、まだご報告は終わっておりません」
テオが、無慈悲に次の羊皮紙を取り出す。
その羊皮紙には、皇帝の『双頭の獅子』の紋章が刻まれていた。
「昨夜の魔竜討伐(寝返り)の報告は、ギルの情報網と学園長からの緊急通信により、すでに帝都の王宮、ならびに皇帝陛下の耳に届いております」
「えっ。皇帝にまで……?」
「はい。そして、今朝一番で、皇帝陛下より直々の勅命が下りました」
テオは、恭しくその内容を読み上げた。
「『ヴァロワ公爵令嬢ルセリアの、魔竜討伐および学園浄化の偉大なる功績を讃え。本日より、王立アカデミーの全権および自治権を、ルセリア・フォン・ヴァロワに委譲する。学園長は彼女の補佐に回り、学園はルセリアの定めた完全なる治外法権の【絶対聖域】として国が保護するものとする』……とのことです」
「……………………はぁぁぁっ!?」
私は、本日二度目の、渾身の絶叫を上げた。
「ぜ、全権委譲!? 治外法権!? ちょ、ちょっと待って! それってつまり……」
「はい。お嬢様は今日から、この王立アカデミーの『単なる一生徒』ではなく。学園長すらも顎で使うことのできる、事実上の【最高権力者】に就任されたということです」
テオが、これ以上ないほど悪魔的で、そして誇らしげな笑顔を浮かべた。
「やりましたね、お嬢様。これでこの学園の授業も、行事も、予算も、すべてお嬢様の思いのままです。お嬢様が『今日から三年間、全員昼寝をしろ』と命令すれば、それが学園の新たなルールとなるのです」
普通であれば、12歳の少女が帝国の最高学府を乗っ取るなど、狂気の沙汰である。
しかし、この学園の生徒と教師は、すでに私の「無意識の神威(ただの加湿や寝返り)」によって完全に心を折られ、洗脳されている。誰も私の支配に異を唱える者などいないのだ。
「……違う……ちがうのよ……」
私は、頭を抱えて床にうずくまった。
「私はただ、教室の隅っことか、誰も来ない塔の奥で、ひっそりとサボりたかっただけなの! なんで私が、二千人の生徒を抱える学校のオーナーにならなきゃいけないのよ! そんなの、前世の社長や学園長よりずっと責任が重いじゃない!!」
私の悲痛な叫びを、テオはまたしても「華麗な深読み」で肯定した。
「お嬢様ほどの器のお方には、単なる『隠れんぼ』のようなサボりなど似合いません。……お嬢様の『サボり』とは、周囲のシステムそのものを屈服させ、自らの手で『誰も働かなくていい(働けない)絶対の聖域』を創造することに他ならないのです」
「そんな壮大なサボり、聞いたことないわよぉぉぉっ!!」
コンコン、と。
塔の扉が、極めて遠慮がちにノックされた。
「……ル、ルセリア総督……いえ、ルセリア最高学園長閣下。……お目覚めになられましたでしょうか」
扉の向こうから、かつての学園長(今は私の部下)が、媚びへつらうような震え声で尋ねてきた。
「コンラート殿下をはじめとする生徒会の面々と、我々教師陣が、ルセリア様への『毎朝の礼拝』と『本日の学園運営に関するご決裁』をいただくため、お待ち申し上げております。……どうか、数分で結構ですので、我々に御言葉を……!」
「……礼拝? ご決裁?」
私の脳裏に、前世の最も忌まわしい記憶が蘇った。
毎朝の朝礼。鳴り止まないハンコ待ちの書類。部下からの際限のない「いかがいたしましょうか」という報告と相談の嵐。
私は、アグニ地方(別荘)でその地獄から逃れるために、すべてをテオたちに丸投げしてきた。
しかし、ここは帝都のど真ん中、王立アカデミーである。
皇帝から直々に「全権」を委ねられ、二千人の狂信者たちから「毎朝の礼拝」を求められる『生ける神』となってしまった今。
私は、もう二度と「誰にも知られずに引きこもる」というささやかな願いを叶えることはできないのだ。
「お嬢様、外の有象無象が、お嬢様の『御言葉』を求めて飢えております。……さぁ、本日の学園のスケジュールを、お嬢様の『神の一声』で決定して差し上げてください」
テオが、純白の手袋をはめた手で、うやうやしく扉を開け放った。
朝日が差し込む塔の入り口。
そこにひれ伏す二千人のエリートと教師たち。
彼らの目は、一様にキラキラと輝き、私という「絶対的なカリスマ」からの指示を、よだれを垂らすような勢いで待ち望んでいる。
(……ああ。私の人生、完全に詰んだわ)
私は、死んだ魚のような目で、彼らを見下ろした。
逃げ場はない。
ここで「適当にやって」と言えば、彼らはまた「ルセリア様の御心に応えるため、さらに過酷な特訓を自分たちに課すのだ!」と勝手に暴走し、学園のシステムをさらに狂信的なものへと改変してしまうだろう。
ならば、私が取るべき手段は一つしかなかった。
「……お前たち」
私が、喉の奥から絞り出すような、極めて低く、気だるげな声(絶望のどん底のテンション)を発すると、二千人がビクッと肩を震わせ、一斉に静まり返った。
「は、ははっ!! 御言葉を!!」
コンラートとユリウスが、額を地面にこすりつける。
「……今日の授業は、全部休みよ」
「えっ……」
「明日も、明後日も、休み。……誰も塔に近づかないで。書類も持ってこないで。私に話しかけないで」
私は、前世の限界を超えた社畜が放つような、魂からの叫びを口にした。
「……私は、寝るの!! もう一生、この塔から出ないから!! 絶対に、絶対に私の睡眠を邪魔しないでぇぇぇぇっ!!」
私はそれだけ叫ぶと、塔の重厚な扉をバンッ!! と力任せに閉め、そのままベッドにダイブして、特注の低反発枕に顔を埋めた。
そして、自分の思い描いていた「静かなサボり生活」が、最も面倒くさい「カリスマ教祖としての激務」にすり替わってしまった理不尽さに、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
しかし。
塔の外では、私のその「ただの引きこもり宣言」が、またしても伝説の1ページとして彼らの脳内に深く刻み込まれていたのである。
「……お聞きになったか、皆様」
学園長が、震える声で呟いた。
「ルセリア様は……ご自身の圧倒的な魔力(魔竜討伐)で傷ついた大地の脈を癒やすため、ご自身の身を塔に封じ込め、長期の『深き瞑想(眠り)』に入られると仰ったのだ……!」
「おおおおおっ……!! なんという……なんという自己犠牲……!!」
ガラハッド教官が、大粒の涙を流して天を仰ぐ。
「ルセリア師匠は、我々に『授業などという枠に囚われず、自らの頭で考え、行動せよ』という究極の課題を与えてくださったのだ!!」
コンラート皇子が立ち上がり、剣を天に掲げた。
「皆の者!! 師匠の安らかなる瞑想をお守りするため、我々は今日から自主的に学園を運営し、師匠に一切の負担(書類)をかけさせない完璧なシステムを構築するのだ!!」
「「「うおおおおぉぉぉぉぉぉっ!! ルセリア様、万歳!! 聖女様、万歳!!」」」
塔の外から響き渡る、地響きのような歓声と狂信のコール。
それは、私が泣きながら展開した「絶対遮音結界」すらも微かに突き破り、私の耳に呪いのように届き続けていた。
「ちがうぅぅぅぅっ……! 私はただ、サボりたいだけなのぉぉぉっ……!!」
枕を濡らす私の叫びは、誰にも届かない。
有能すぎる側近たちと、狂信的なエリートたちに囲まれた、怠惰な公爵令嬢ルセリアの「終わらない過労死回避チキンレース」。
彼女が眠れば眠るほど、世界は彼女を救世主として崇め奉り、その権力と名声は天井知らずに膨れ上がっていく。
真の安息(普通のニート生活)を手に入れるその日まで、彼女の「勘違い無双」は、帝国の歴史を全力で狂わせながら、これからも永遠に続いていくのであった。




