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第6話:古代の厄災と、無意識の「寝返り(絶対零度)」

「スゥ……スゥ……」


王立アカデミーの最奥、『星降りの旧魔塔』の最上階。

ステンドグラスから差し込む柔らかな春の陽光の下、私は特注の最高級・低反発マットレスに身を沈め、この世のすべてのしがらみから解放された至高の眠りを貪っていた。


入学からすでに一ヶ月。

実技免除、座学免除、そして生徒会からの完全なる治外法権の認可。さらには魔法大国の天才留学生までもが私の「加湿魔法」に心酔して門番(狂信者)と化してしまったことで、この塔は物理的にも社会的にも、いかなるノイズも届かない『絶対防衛線(お昼寝の聖地)』として完成を見ていた。


(あぁ……幸せ。前世で、土日の休みに目覚まし時計をセットせずに、昼過ぎまで二度寝していたあの幸福感が、毎日エンドレスで続くなんて……。転生して本当に良かった……)


私は夢の中で、巨大なプリンの海を泳ぎながら、口元にだらしない笑みを浮かべていた。


しかし。

私のその「完璧なサボり環境」には、一つだけ、私が全く気づいていない『重大な欠陥』が存在していたのである。


◇◇◇


ゴゴゴゴゴォォォォォォ……ッ!!


その時、王立アカデミーの敷地全体を、マグニチュード6クラスの強烈な地震が襲った。

白亜の校舎が大きく揺れ、中庭の噴水が割れ、授業中の生徒たちの悲鳴が響き渡る。


「な、なんだ!? 地震か!?」

「いや、違う! 魔力波だ! とてつもなく巨大な魔力の波動が、地下から湧き上がってきているぞ!!」


職員室から飛び出してきた学園長と教師たちは、学園の敷地の最奥――『星降りの旧魔塔』の方角を見て、顔面を土気色にして絶望の声を上げた。


「ば、馬鹿な……! 『星喰いの魔竜』が、覚醒したというのか!?」

学園長が、震える足でその場にへたり込んだ。


『星喰いの魔竜』。

それは、数百年前の学園創設時代、この地に封印されたとされる神話クラスの災厄である。

旧魔塔の床に刻まれた魔法陣は、その魔竜の本体を地下深くに縛り付けるための封印であり、周囲に放たれていた『呪いの瘴気』は、魔竜が吐き出す呼吸の余波に過ぎなかったのだ。


「そんな! ルセリア様が、あの瘴気を完全に浄化してくださったはずでは!?」

アルベルト教授が叫ぶと、実戦魔導科のガラハッド教官がギリッと奥歯を噛み締めた。


瘴気ガスが消えたことで、逆に封印の魔法陣に魔力的な『隙間』が生じてしまったのだろう! 魔竜は今、自らの身体を覆っていた瘴気がないことを利用して、封印の陣を物理的に突き破り、地上へ出ようとしているのだ!!」


「そんな……! あそこには、ルセリア様がおられるのだぞ!!」

「ルセリア師匠ぉぉぉぉぉっ!!」


悲鳴のような声と共に、コンラート皇子、ヴィクトリア、元生徒会長のユリウス、そして留学生のレオナルドら『ルセリア親衛隊(狂信者連合)』が、武器と杖を手に取って全速力で魔塔へと駆け出していた。


「急ぐぞ!! 我らが女神の安眠を、下等なトカゲに邪魔させるな!!」

コンラートが剣を抜き放ち、血走った目で絶叫する。


「学園の全魔導士は親衛隊に続け!! 命に代えてもルセリア様をお守りするのだ!!」

ガラハッド教官の号令のもと、数百名の生徒と教師による、学園防衛のための決死の突撃部隊が結成された。


彼らは、かつてない悲壮な覚悟を胸に、地響きを上げて崩れかけている旧魔塔の周囲へと殺到したのである。


◇◇◇


一方、その頃。魔塔の最上階(ルセリアの寝室)。


「……お嬢様。少々、足元が騒がしくなってまいりました」


塔が激しく揺れ、床に刻まれた封印の陣からドス黒い魔力が噴き出している異常事態のど真ん中で。

見習い執事のテオは、全く表情を変えることなく、ティーカップを片手に静かに呟いた。


「どうやら、ギルの事前の調査通り、地下の『本体』がお目覚めのようです」

「マイナ、いつでも『お掃除』できるわよ。私の暗器で、あの巨大なトカゲを三枚におろしてやるわ」

「俺は、魔竜の血合いをどうやって極上のステーキに調理するか、レシピの準備を始めております」


テオ、マイナ、カヤの三人は、足元から迫り来る神話クラスの災厄を前にして、微塵も恐怖を感じていなかった。

彼らにとっての絶対的な恐怖とは、「ルセリアの安眠を妨げ、彼女の不機嫌を買うこと」のみである。


「お嬢様の『お昼寝』を邪魔する害獣など、俺たちの手で処理するべきですが……」

テオは、スゥッと眠り続ける私を見下ろした。


「今回は、お嬢様の『御力』を学園の有象無象に知らしめる絶好の機会。我々は手を出さず、お嬢様の無意識の『神威』にお任せしましょう」


ズゴゴゴゴォォォォッ!!!


ついに、塔の石の床が、凄まじい衝撃と共に内側から砕け散った。

魔法陣が完全に崩壊し、開いた巨大な大穴の中から、ドス黒い鱗に覆われ、六つの赤い目を持つ巨大な『星喰いの魔竜』の頭部が、咆哮と共に地上へと姿を現したのだ。


【グルルォォォォォォォォッ!!! 我を縛りし者共よ、滅びの時が来た!!】


魔竜の吐き出す灼熱のブレスが、塔の内部の温度を一瞬にして五十度近くまで跳ね上げた。

部屋の空気が歪み、ステンドグラスが熱で溶け落ちそうになる。


しかし。

その灼熱の地獄のど真ん中に置かれた、最高級の低反発マットレスの上で。


「……うーん……」


私は、極めて不機嫌そうに、眉根を寄せて呻いた。


(……暑い。なによこれ……床暖房、設定温度間違えてない……? これじゃあ、夏場のエアコンが壊れた時のオフィスの熱気じゃない……)


私は、夢と現実の狭間で、前世の強烈な不快感を思い出していた。

真夏の熱帯夜。エアコンのリモコンが見つからず、汗だくで寝苦しい夜を過ごしたあの地獄のような記憶。


私は、快適な睡眠環境(QoL)を脅かされることに対してのみ、異常なまでの執着と魔力を発揮する。


(暑い……。冷たいマットレスがいい……。ニト〇の『Nクール・スーパー』みたいな、ひんやりして気持ちいいシーツが欲しい……!)


私は、寝ぼけた頭のまま、前世の『冷感寝具』の構造と、触れた瞬間のあのヒンヤリとした冷たさを脳内で極限までイメージし、無意識のうちに己の魔力を解放した。


「……展開。《極寒・安眠ひんやりマット結界フローズン・シーツ》」


私が寝言のように呟いた瞬間。


ピキィィィィィィィンッ!!!


塔の最上階を中心に、空気が『凍りつく』ような甲高い音が響き渡った。


【グ、ガ……!? なんだ、この異常な冷気は……!?】


床下から這い出ようとしていた魔竜が、驚愕に見開いた六つの目を、一瞬にして見開いたまま停止した。

そう。

私の放った『冷感マット結界』は、ただの冷気魔法ではない。

「私が寝苦しいから、周囲の熱を完全に奪い去る」という極めて利己的かつ局地的な『絶対零度空間の強制展開』であった。


魔竜が吐き出していた灼熱のブレスは、私のベッドから半径十メートルの範囲に入った瞬間、氷の粒となってパチパチと弾け飛んだ。

そして、その強烈な冷気は、魔竜の強靭なドス黒い鱗を、血肉を、そして魔力そのものを、わずか一秒で完全に『氷漬け』にしてしまったのである。


【バ、馬鹿な……!! 我は星を喰らう者……このような、ただの小娘の魔力で……!!】

魔竜の悲鳴は、声になる前に凍りつき、その巨大な頭部は、完全な氷の彫像と化して空中で静止した。


「……ふぅ。涼しくなった……気持ちいい……」


私は、結界の中が快適な『冷感シーツ』のような温度に下がったことに満足し、氷漬けになった魔竜の頭のすぐ真横で、大きく寝返りを打った。


ゴロンッ。


私の身体が、ベッドの端から少しだけはみ出し、その右手が、無意識にポンッと『氷の彫像と化した魔竜の鼻先』に触れた。


その、ただの寝返りによる『物理的な接触』が。

絶対零度で極限まで脆くなっていた魔竜の巨体に、致命的な衝撃を与えた。


ピシッ……。


パァァァァァァァァンッ!!!!


まるで、巨大なガラス細工をハンマーで殴りつけたかのように。

神話クラスの災厄『星喰いの魔竜』の巨体が、頭部から尻尾の先まで、一瞬にして何億もの氷の欠片となって粉々に砕け散り、キラキラと輝くダイヤモンド・ダストとなって塔の中に舞い散ったのである。


「……あぁ、涼しい。おやすみなさい……」


私は、魔竜が砕け散る微かな音(鈴の音のように綺麗だった)を子守唄代わりに、再び深い深い睡眠の底へと落ちていった。


◇◇◇


その頃、塔の外では。


「急げ!! ルセリア様をお守りするのだ!!」

「魔竜のブレスが来るぞ! 全員、防御結界を展開しろ!!」


コンラート皇子やガラハッド教官をはじめとする数百名の決死隊が、今まさに塔の扉をぶち破って突入しようとしていた、まさにその瞬間だった。


塔のステンドグラスの窓から、一筋の『白銀の光(絶対零度の波動)』が放たれた。

その光は、塔を覆っていた魔竜のドス黒い気配を一瞬にして消し去り、春の空に、キラキラと輝く美しい雪(魔竜の残骸のダイヤモンド・ダスト)を降らせたのである。


「な、なんだ……!? 今の光は……!?」

突入部隊が、その神々しい光景に足を止め、呆然と空を見上げた。


そこに、ギィィィッ……と、塔の重厚な扉が内側から開かれ、見習い執事のテオが、いつものように涼しい顔をして姿を現した。


「……皆様、お静かに。お嬢様の安眠の妨げになります」


テオの言葉に、コンラートが血相を変えて詰め寄る。

「テオ殿!! ルセリア師匠はご無事か!? 今、魔竜のすさまじい気配が地下から――」


「ああ、その『うるさいトカゲ』のことでしたら、ご心配には及びません」

テオは、フッと悪魔のような笑みを浮かべ、塔の内部を少しだけ見せた。


そこには。

床に開いた巨大な大穴と、その周囲にうず高く積もった『魔力を帯びた美しい氷の結晶(魔竜の残骸)』。

そして、その氷の結晶に囲まれた部屋の中央で、全く無傷のまま、心地よさそうにスヤスヤと寝息を立てているルセリア(私)の姿があった。


「お嬢様は、寝苦しさを感じて『冷感結界』を展開し、少しだけ寝返りを打たれました。……その寝返りの余波が、あのトカゲに直撃し、文字通り『粉砕』したようです」


テオの、事実だけを淡々と告げる報告。

しかし、その言葉の意味を理解した瞬間、数百名の決死隊の間に、死に絶えたような沈黙が落ちた。


「ね、寝返り……?」

ガラハッド教官が、震える声で反芻する。


「寝返りの余波で……神話の災厄である星喰いの魔竜を、一撃で氷砕したと……? 我々が何百人集まっても勝てるかどうか分からない、あのバケモノを……目を覚ますことすらなく……!?」


ガラハッドの膝から、力が抜け落ちた。

彼は、その場に両膝をつき、塔の中で眠る私に向かって、深い深い祈りを捧げるように手を組んだ。


「あぁ……! 我々は、なんという恐れ多い御方に、教鞭をとろうなどと不遜なことを考えていたのだ……。ルセリア様は、人ではない。神だ! この学園を、いや、帝国を守るために遣わされた、本物の女神の化身だ!!」


「ルセリア師匠ぉぉぉぉぉっ!!」

コンラート皇子が、剣を放り投げて号泣した。

「我々が指一本動かす暇すら与えず、寝床から起き上がりもせずに災厄を滅ぼされるとは!! 貴女のその圧倒的な御力と、我々を守ろうとする深き慈愛、このコンラートの魂に永遠に刻み込みましたぞ!!」


「お姉様……!! 貴女のその美しい氷の魔法、そして安らかなる寝顔……! 私、もう一生お姉様の元から離れませんわぁぁっ!!」

ヴィクトリアも、泥だらけの顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶ。


「ルセリア様、万歳!! 王立アカデミーの守護神に、永遠の忠誠を!!」

元生徒会長のユリウスも、留学生のレオナルドも、そして全校生徒と教師たちが一斉に地面に平伏し、狂信的な大合唱を始めた。


ドワァァァァァァッ!!


塔の周囲を包み込む、数百人規模の熱狂的な祈りと称賛の声。

それはもはや、一つの宗教団体(ルセリア教)が、奇跡の顕現を目の当たりにして完全にリミッターを外した瞬間の、恐るべき光景であった。


「……ふっ。これで学園は、完全に『お嬢様の王国』となりましたね」

テオは、土下座して泣き叫ぶ生徒と教師たちを見下ろしながら、満足げに眼鏡を押し上げた。


しかし。

その塔の中心で、当のルセリアは。


(んー……。なんか外が騒がしいけど……テオの遮音結界も張ってあるし、まぁいっか。この冷感マット、めっちゃ気持ちいい……永遠に寝てられるわ……)


自分が「古代の魔竜を寝返りで瞬殺した」ことなど微塵も気づかず。

ましてや、自分が王立アカデミーの全校生徒・全教師を完全に屈服させ、「学園の守護神(絶対君主)」として祀り上げられてしまったことなど知る由もなく。


私はただひたすらに、己の怠惰な欲求を満たすためだけに、スゥ、スゥと平和な寝息を立て続けていた。


過労死した前世を悔やみ、「今度こそ絶対に働かない(サボる)」と誓った公爵令嬢ルセリア。

彼女がサボればサボるほど、彼女が眠れば眠るほど、世界は彼女の行動を「神の奇跡」へと変換し、彼女をさらに高みへと引き上げていく。


彼女の終わらないサボり生活チキンレースは、学園という箱庭すらも完全に制圧し、いよいよ帝国の歴史、そして世界の運命をも巻き込む巨大な渦となって、これからもどこまでも爆走を続けていくのであった。

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