第3話:スラム街での面接(という名の品定め)
ガタゴト、ガタゴト。
帝都の石畳を滑るように走る、ヴァロワ公爵家の紋章がデカデカと刻まれた超大型の四輪馬車。
内装は最高級のベルベットで統一され、座席にはフカフカのクッションが敷き詰められている。前世で社長が乗っていたような高級黒塗りセダンすら比較にならない、圧倒的な乗り心地とVIP感だ。
「……やりすぎでしょ、いくらなんでも」
私は窓のカーテンを少しだけ開け、外の景色を呆れ顔で眺めていた。
私の乗る馬車の前後左右を、銀色の鎧に身を包んだ屈強な近衛騎士たちが、ずらりと馬に乗って固めているのだ。その数、ざっと五十名。完全武装の一個中隊である。
昨夜、父がお抱えの騎士団長に「周辺の安全を完璧に確保しろ」と命じていたのは知っているが、まさか本物の軍隊規模で出動するとは思わなかった。これではお忍びのお出かけどころか、他国への侵略戦争か何かと勘違いされかねない。
「ルセリアお嬢様。そろそろ『外区』の境界へ入ります。決して窓を開けず、私のそばから離れないでくださいませ」
向かいの席に座るメイド長のマーサが、いつになく険しい表情で私に忠告した。
彼女の膝の上には、なぜか護身用と思われる短剣が隠されている。どうやらスラム街というのは、この帝都においてそれほどまでに危険な場所らしい。
「ええ、分かっているわ、マーサ」
私は可憐に微笑んで頷きながらも、内心では(早く私専用の優秀な社畜(部下)を見つけて、こんな面倒な外出は終わらせて帰って昼寝したい)とだけ考えていた。
やがて、馬車の車輪が滑らかな石畳から、ぬかるんだ土の道へと変わった。
それと同時に、窓の隙間から漂ってくる空気の匂いが一変する。
華やかな香水の匂いに満ちた貴族街とは正反対の、泥と、腐敗した生ゴミと、そして何日も風呂に入っていない人間特有の饐えた匂い。前世で終電を逃し、繁華街の裏路地で吐瀉物を避けて歩いた時の匂いを、さらに十倍ほど濃縮したような悪臭だ。
(うわぁ……ガチのスラムじゃん。でも、この『どん底感』こそが、極上のハングリー精神を育むんだよな)
馬車がゆっくりと停車した。
外から、騎士団長が馬を降りて扉を開ける音がする。
「ルセリアお嬢様。これより先は馬車が通れぬ細い路地となります。我々が周囲を完全に制圧いたしますので、どうかお足元にはご用心を」
私が馬車から降り立つと、周囲の空気がピタリと凍りついた。
薄暗く、じめじめとしたスラムの入り口。崩れかけたレンガの壁の影や、ボロボロのテントの隙間から、無数の「目」がこちらを覗き込んでいる。
彼らの目は一様に、恐怖と、警戒と、そして私がいま身にまとっている純白のシルクドレス(職人が数ヶ月かけて編み上げた超一級品)への羨望と嫉妬に染まっていた。
「さぁ、貧しき者たちよ! 畏れ多くもヴァロワ公爵家のご令嬢、ルセリア様が直々に足を運ばれたのだ! 道を開けよ!」
騎士団長が声を張り上げると、スラムの住人たちは蜘蛛の子を散らすように路地裏の奥へと逃げ込んでいく。
「ちょ、ちょっと団長さん。そんなに威嚇しないで。お友達を探しに来たのに、みんな逃げちゃうじゃない」
「はっ! 申し訳ございません! しかし、このような汚らわしい場所に、お嬢様のような白百合を歩かせるわけには……!」
私は団長の過保護な態度を適当にスルーし、泥水が跳ねないようにドレスの裾を少しだけ持ち上げて歩き出した。
目的は一つ。私の手足となり、一生私をサボらせてくれる「究極の人材」の発掘である。
(さて、前世の人事部で培った面接スキルを見せてやる。私が求めているのは、ただ可哀想な子供じゃない。『恩を一生忘れない忠誠心』と、『私の意図を汲み取る賢さ』を持った原石だ)
私は道の端で震えている子供たちを、聖女のような微笑みで見つめながら、脳内ではゴリゴリのブラック企業面接官として評価を下していった。
(あの壁際にいる男の子……体格はいいけど、さっきから私のドレスの宝石ばっかり見てるな。あれは強欲すぎる。採用したらいつか必ず横領するタイプだ。不採用)
(あっちで泣いてる女の子……怯えすぎだ。ストレス耐性が低くて、マーサの厳しい指導(新人研修)に耐えきれずにすぐ辞めるだろうな。不採用)
(あの数人のグループ……群れてる時点でダメだ。私への絶対的な依存関係が築けない。不採用!)
何十人もの子供たちを見たが、どれもピンとこない。
私が必要としているのは、もっとこう……世界に絶望していて、今日生きるか死ぬかの瀬戸際にいて、私が手を差し伸べればその手を神の救済だと錯覚し、私のためならどんな理不尽な労働(宿題の代行)でも笑顔でこなすような、そんな都合のいい……いや、素晴らしい逸材だ。
「お嬢様、もう十分でしょう。これ以上奥へ進むのは危険すぎます」
マーサが焦ったように私の肩に手をかけようとした、その時だった。
ふと、路地のさらに奥、陽の光すら届かないゴミ山の陰から、微かな息遣いを感じた。
「……待って。あそこ」
私はマーサを制止し、護衛の騎士たちが青ざめるのも構わず、ズンズンと暗い路地裏へと進んでいった。
そこは、スラムの中でもさらに見捨てられたような、吹き溜まりのどん底だった。
悪臭を放つゴミの山の隣に、ボロ布のようなものを被った小さな二つの影がうずくまっている。
一人は、私より少し年上――おそらく7歳くらいの少年だ。
全身は泥とすすにまみれ、頬は痩せこけ、腕には無数の擦り傷や打撲の痕がある。彼は明らかに重度の栄養失調で、今にも命の灯火が消えそうだった。
しかし、私が注目したのは彼の「目」だった。
死にかけているというのに、その暗く濁った瞳の奥には、決して消えない強烈な意志の炎が宿っていたのだ。
少年の細い腕は、背中に隠すように抱えている「もう一つの影」――彼より少し幼い、6歳くらいの少女を必死に守り込んでいる。右手に折れた木の棒を強く握りしめ、近づく者すべてを威嚇するような、野良犬のような目をしていた。
(……これだ)
私の背筋に、電流のような直感が走った。
あの少年は、自分の命が尽きかけているのに、妹分と思われる少女を身を呈して守ろうとしている。圧倒的な自己犠牲の精神と、責任感。
そしてあの目。世界を憎み、大人を信じず、それでも生きることを諦めていない、強烈なハングリー精神。
(最高だ。もし私が今、彼ら二人に『安全な寝床』と『温かい食事』を与え、この絶望から引き上げてやったらどうなる? 彼は絶対に私を裏切らない。妹分の命を救った恩義に報いるため、私という絶対的な存在(社長)のために、死ぬまで完璧な働きを見せる忠犬になる!)
これ以上の人材(社畜)はいない。しかも、少女の方も一緒に採用すれば、メイドと執事の二人組として私の身の回りの世話を完全に丸投げできる。
「お、お嬢様! 近づいてはいけません! あの汚らしいネズミ、武器を持っています!」
「危険です! 団長、早くあのガキを排除――」
騎士たちが慌てて剣の柄に手をかけ、少年を取り囲もうとした。少年はビクッと体を震わせながらも、絶望の目を血走らせ、少女を守るために折れた木の棒を構え直した。
「やめなさい!!」
私は、6歳の子供とは思えないほどの、前世の営業部長時代に培った腹底からの大声を響かせた。
その声の迫力に、屈強な騎士たちが思わずビクンと肩を跳ねさせ、動きを止める。
「剣を収めなさい。私が『お友達』になりたいと言っている方に、無礼な真似をすることは許しません」
私は冷たい視線で騎士たちを制圧すると、再び聖女のような慈愛の笑みを浮かべて、少年の元へと歩み寄った。
「あ、あ……」
少年は、目の前に現れた非現実的な存在――薄汚れた路地裏に全く似つかわしくない、純白のドレスを着た輝くような美少女を見て、言葉を失っていた。
私は迷うことなく、泥と生ゴミでドロドロになった地面に、パサリと膝をついた。
数百万、いや数千万円は下らないであろう、母特注の最高級シルクドレスの裾が、真っ黒な汚泥に染まっていく。
「お、お嬢様!? 何を……!」
「ああ、あの美しきドレスが……!」
背後で騎士たちとマーサが悲鳴のような声を上げた。
だが、私はそんなことは全く気にしなかった。ドレスが汚れたところで、洗濯するのは私ではないし、服の代金を払うのも私ではない。親の金だ。
それよりも、この「私が自分の身を犠牲にしてまで、あなたたちに歩み寄った」という事実を見せつけることが、彼らの忠誠心を買うための何よりの投資になる。
「ねぇ、あなた」
私は、泥だらけの少年の頬に、己の真っ白な手をスッと添えた。
少年はビクッと身をすくませたが、抵抗する力は残っていなかった。私の手から伝わる温もりに、彼の張り詰めていた緊張が少しだけ解けるのを感じた。
「お腹が空いているのでしょう? 痛かったでしょう?……もう、大丈夫よ」
私は、前世で新入社員を丸め込む時に使っていた、最も優しく、最も甘い声色を作って囁いた。
「私と一緒に来なさい。私が、あなたとその後ろの子に、温かいスープと、柔らかいベッドと、そして『生きる意味』を与えてあげる。……私のお友達(という名の専属使用人)になってくれるかしら?」
少年は、大きく目を見開いた。
その瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ち、私の純白の手を濡らす。彼は震える手で折れた棒を取り落とし、そのまま縋り付くように私の前に平伏した。
「……あ、あ、ああぁ……!」
声にならない嗚咽を漏らしながら、私を本物の女神か救世主であるかのように拝み始める少年と少女。
よし、完璧だ。最高の「雇用契約(という名の絶対服従)」が成立した瞬間である。
「おおお……なんという、なんというお姿だ……!」
背後から、すすり泣く声が聞こえた。
振り返ると、五十人の屈強な近衛騎士たちが、泥の中に膝をつき、ドレスを汚してまで貧しい孤児を抱きしめる私(実際は汚いからそこまで密着していない)の姿を見て、ボロボロと男泣きしていたのだ。
「自らの純白を汚してまで、最も惨めな命を救おうとなされるとは……! ルセリア様は、本物の聖女であられる!」
「我々は今日、神の御業を見たのだ……!」
マーサまでもがメガネを外し、目頭をハンカチで押さえている。
(いや、ただ都合のいいパシリを見つけただけなんだけど……まぁ、評価が上がる分には好都合だわ)
私は内心で舌を出してガッツポーズを決めながら、騎士たちに優雅に振り返った。
「団長さん。この子たちを、馬車へ運んでちょうだい。優しく、丁寧にね。今日からこの二人は、私の大切な『お友達』なのだから」
「は、ははっ!! 仰せのままに、我が聖女様!!」
こうして、私はスラム街のどん底から、後に帝国の裏表を支配する最強の執事・テオと、最強のメイド・マイナとなる二人の原石を拾い上げた。
私の「一切働かずに生きる」という怠惰なスローライフ計画は、この二人の『異常すぎる有能さと忠誠心』によって、大きく道を外れていくことになるのだが……。
馬車の中で、温かい毛布に包まれて安心したように眠る二人の顔を見つめながら、私は「早くこいつらに宿題を教え込んで、私は昼寝しよう」と、最低な野望を膨らませてニチャリと笑っていた。




