第2話:そうだ、アウトソーシングしよう
翌朝。窓の外で小鳥がチュンチュンと可愛らしく鳴く爽やかな目覚め――などという甘いものは、私には訪れなかった。
「ルセリアお嬢様。起床のお時間でございます。本日は昨日よりも15分早くスケジュールを開始いたします」
時計の針が朝の6時を指すか指さないかのタイミングで、一切の感情を排した声と共にメイド長のマーサが寝室に入ってきたのだ。
私は最高級の羽毛布団にすがりつきながら、前世の残業明けのようなうめき声を上げた。
「うぅ……マーサ、あと5分……いや、有給をとらせて……」
「ユウキュウ、とは存じ上げませんが、ヴァロワ公爵家の次期当主に『サボる』という選択肢は用意されておりません。さぁ、お立ちなさいませ。まずは冷水での洗顔からでございます」
容赦なく布団を剥ぎ取られ、私の過酷な二日目がスタートした。
昨日の疲労が完全に抜けきっていない小さな6歳の身体に、容赦のないタスクが次々と詰め込まれていく。
背筋を伸ばし続ける姿勢矯正、重いドレスを着てのウォーキング、さらに今日は帝国の歴史だけでなく、領地経営の基礎となる算術の授業まで追加された。
(ダメだ。このままじゃ確実に死ぬ……! 前世の繁忙期よりキツイじゃないか!)
昼食のスープをスプーンですくいながら、私は心の中で血の涙を流していた。
私の周りには、数人のメイドたちが壁際に控え、私の食事の所作に目を光らせている。少しでもカトラリーの音が鳴れば、マーサの鋭い咳払いが飛んでくるのだ。
この屋敷のメイドや使用人たちは、極めて優秀である。しかし、彼らは「私の味方」ではない。彼らにとっての絶対的な雇用主は父であり、現場の直属の上司はマーサだ。
私がどれだけ「疲れたから休みたい」「今日の勉強は終わりにしたい」と甘えたところで、彼らは「お嬢様のためになりません」「奥様にご報告いたします」と、一切の融通を利かせてくれない。
(社内政治の基本だ。既存の部署(使用人たち)がガチガチのコンプライアンス(マーサの管理)で縛られているなら、別ルートで私直属の新規プロジェクトチーム(手駒)を立ち上げるしかない)
私は小さく息を吐き、改めて「アウトソーシング(外部委託)」の計画を練り直した。
私個人に絶対の忠誠を誓い、私の宿題をこなし、私が昼寝をするための完璧なアリバイ工作をしてくれる優秀な「イエスマン」。それを見つけるための場所は、すでに決まっている。
帝都の最下層、陽の当たらない『スラム街』だ。
身寄りがなく、その日食べるパンすら手に入らない孤児たち。彼らに衣食住という最高の福利厚生を与えれば、間違いなく私のためだけに粉骨砕身働く「最強の社畜」に育つはずだ。
前世でブラック企業に飼い慣らされていた私だからこそ分かる。飢えと絶望を知る者は、恩と安定を与えられれば絶対に裏切らない。
問題は、どうやって「公爵令嬢である私」が、護衛の目を盗んでスラム街に行くか、である。
いや、そもそも6歳の子供が勝手に屋敷を抜け出すことなど不可能だ。マーサの目をごまかして外に出られたとしても、迷子になるか、誘拐されて終わるのがオチだろう。
(非公式で動けないなら、堂々と公式ルート(稟議)を通すしかない。最高決定権限を持つトップ……つまり、お父様とお母様から、直接『スラムへ行く許可』と『予算』をぶっ引っこ抜く!)
戦略は決まった。
私は前世で培った「絶対に企画を通すためのプレゼン術」を脳内でフル回転させながら、夜の家族団らんの時間を待った。
◇◇◇
夜。豪華なシャンデリアが照らす広大なダイニングルーム。
何十人も座れそうな長いテーブルの中央に、父であるラインハルトと、母であるエレオノーラ、そして私が着席していた。
父ラインハルト・フォン・ヴァロワは、帝国の宰相も務める冷徹な美男子だ。銀色の髪を後ろに流し、鋭い氷のような瞳を持つ彼は、政敵からは「氷の公爵」と恐れられている。
母エレオノーラは、金の髪をふわりと巻いた優雅な淑女で、他国の王族すら見惚れるほどの美貌の持ち主だ。
そんな帝国最強の権力者夫婦だが、彼らにはたった一つだけ、致命的な弱点があった。
「あぁ、今日のルーセもなんて可愛らしいのだ! そのドレスのレース、お前の透き通るような肌を完璧に引き立てているぞ!」
「ええ、あなた。ルーセがスープを飲む姿……まるで天使が泉の水を掬っているかのようですわ……!」
そう、この両親、私に対してのみ、IQが極端に下がるほどの「超絶親バカ」なのである。
(よし、今だ。ターゲットの機嫌は最高潮。ここで一気に稟議を通す!)
私は小さく深呼吸をすると、わざとらしくスプーンを置き、ふうっと物憂げなため息をついた。6歳の絶世の美少女が放つ、アンニュイなため息である。
「……ルーセ? どうしたんだい? 食欲がないのか? もしや、料理人の味が落ちたか!? 今すぐシェフを解雇して新しい――」
「違いますの、お父様」
慌てて立ち上がろうとする父を、私はか細い声で制した。
そして、前世の営業時代に得意先の同情を引くために使っていた「うるんだ瞳の上目遣い」を、この圧倒的な美少女のスペックで繰り出した。
「お食事はとっても美味しいですわ。……でも、今日、歴史と領地経営のお勉強をしていて、少し悲しいことを知ってしまったの」
「悲しいこと、ですって?」
母エレオノーラが心配そうに身を乗り出す。
「はい。この豊かで美しい帝都にも……お家がなくて、ご飯も食べられなくて、一人ぼっちで泣いている『孤児』のお友達がたくさんいるって、本に書いてありました」
私は両手を胸の前でギュッと握り合わせ、俯き加減で言葉を紡いだ。
「私には、こんなに優しいお父様とお母様がいて、毎日温かいベッドで眠れます。でも、同じ年頃の子供たちが、冷たい路地裏で震えているなんて……。それを知ったら、胸が痛くて、ご飯が喉を通らなくなってしまって……」
ダイニングルームが、水を打ったように静まり返った。
父も母も、メイドのマーサすらも、息を呑んで私を見つめている。
(よしよし、食いついた。ここからが本題だ!)
私は顔を上げ、決意に満ちた(ように見える)まっすぐな瞳で両親を見つめた。
「お父様、お母様。私、お願いがありますの。私専用の『同年代のお友達』……いえ、私の専属の小間使いを雇っていただけないでしょうか」
「お友達……? 小間使いなら、この屋敷にいくらでも同年代の見習いメイドがいるが……」
父が不思議そうに首を傾げる。すかさず私は首を横に振った。
「いいえ。私が欲しいのは、帰る家がないような、一番可哀想な子ですわ。私、その子に温かいご飯と、フカフカのベッドと、そして『字の読み書き』を教えてあげたいの。私のお友達になってくれる代わりに、私がその子を幸せにしてあげたいの!」
本音を言えば「字の読み書きを教えて私の代わりに宿題をやらせるため」であり「フカフカのベッドの良さを教え込んで私の安眠環境を整えさせるため」である。
つまり、徹頭徹尾「私がサボるため」の初期投資だ。
しかし、その言葉を聞いた瞬間。
ガタンッ!! と、父ラインハルトが椅子を蹴り飛ばすほどの勢いで立ち上がった。
「お、お父様……?」
私がわざとらしく首を傾げると、冷徹で知られる「氷の公爵」の目から、滝のような涙が溢れ出していた。
「エレオノーラ!! 聞いたか!? なんということだ!!」
「ええ、あなた……! 信じられませんわ……!!」
母エレオノーラもまた、ハンカチで顔を覆いながら号泣しているではないか。
「わずか6歳にして、領民の苦しみに心を痛め、自らの恵まれた環境に胡座をかくことなく、弱き者に手を差し伸べようとするなど! あぁ、我が娘ながら、なんという慈悲深さ! なんという崇高な精神の持ち主なんだ!!」
「身分に囚われず、一番貧しい子供を自らの側近として迎え入れ、教育まで施そうとなさるなんて……! ルーセ、あなたは地上に舞い降りた女神ですわ!!」
(……よし! 完璧な勘違い(プレゼン大成功)だ!!)
私は心の中でガッツポーズを決めた。前世の社長決済よりもちょろい。これだから親バカは最高だ。
「お、お父様たち、そんなに泣かないで。私、わがままを言いましたか……?」
「わがままなものか!!」
父は涙を拭い、威厳に満ちた声で部屋の隅に控えていた騎士団長を呼びつけた。
「おい! 明日、ルーセをスラム街へ連れて行く! 近衛騎士を一個中隊手配しろ! ルーセの目に不快なものが映らぬよう、周辺の安全を完璧に確保するのだ!」
「はっ! 直ちに手配いたします!」
「お母様も、すぐにお友達のためのお部屋と、最高級のベッド、それからお洋服をたくさん用意しますからね!」
両親の行動力はすさまじかった。
たった一つの私の「おねだり」から、公爵家の莫大な資金と権力が一瞬にして動き出したのだ。
「ありがとうございます、お父様、お母様! 私、とっても嬉しいですわ!」
私は満面の笑み(営業スマイル)を浮かべて両親に抱きついた。両親は「おおお、我が天使よ!」と再び号泣し始めた。
その様子を後ろで見ていたメイド長のマーサも、メガネの奥でそっと涙を拭っているのを私は見逃さなかった。
(厳しいマーサの好感度も稼げたな。これで明日からのスケジュールも少しは手が抜けそうだ)
その夜。
私はフカフカのベッドの中で、明日への期待に胸を膨らませていた。
「くくく……ちょろい、ちょろすぎる。これで公式にスラムへ行く許可も予算もゲットした。あとは明日、一番どん底にいて、絶対に私に逆らわない都合のいい人材(手駒)を拾ってくるだけだ」
私は一人、暗闇の中で邪悪な笑みを浮かべた。
周囲からは「慈悲深き女神」と勘違いされているが、中身はただ自分が楽をしたいだけの怠惰なおっさんである。
「待ってろよ、未来の我が部下たち。お前たちには衣食住を保証する代わりに、私の代わりに血反吐を吐くまで働いてもらうからな……。私の最高のスローライフのために!」
翌日、私がスラム街で運命の出会いを果たし、彼らを「狂信的な最強の部下」へと変貌させてしまうことなど、この時の私はまだ知る由もなかった。
ただひたすらに、自分がサボるための完璧な労働力(アウトソーシング先)を手に入れられる喜びに震えながら、私は幸せな眠りについたのだった。




